330 憶測ですが NAGAICHI Naoto E-Mail: URL 2002/03/09 02:47 男性 28歳 B型 弘農郡 太守 >孟徳さま >うーん、何のために見せたんだろう?魏徴は。 ふたつくらい理由があると思います。 ひとつには、魏徴もやはり歴史屋のひとりであり、記録の重要性を知悉し ていたということでしょう。魏徴は、正史のうちの二書『周書』『隋書』 の編纂者でもありましたし、古い時代の歴史を探究すると同時に、彼の生 きた同時代のことを書き残す義務感も感じてたと思います。 もうひとつには、彼個人の名利を書き残す欲求も当然あったと思います。 「士大夫的美学」というと、隋唐の人物には不適切かもしれませんが、 個人の短い生命より千古不朽の名を貴いものとする考えは、中国では古代 からありましたし、そのためには(当代・後代の)史官に彼の事績が伝わ らなければ意味がありません。 …というくらいの理由で、魏徴は諫言の記録を残し、?遂良にも見せたの だと思います。 >弾劾というのは?同僚家臣から?それとも朱元璋からの弾劾? 当時の宰相の胡惟庸による弾劾で呼び出されてますね。 今、陳舜臣『中国の歴史』を見たのですが、胡惟庸による毒殺説もあるよ です。すみません。 >田豊さま >だから事実は一つでも真実は無数に存在するという話になるそうです これは僕も大いに同感ですよ。 というか、昔からそう考えてます。 ただ、事実のほうをねじ曲げてしまう場合が往々としてあるので、困りも のです。 >今、日本語に翻訳された中国の史書ってどれだけあるかご存じな方はいませんか? 史書といっても、その範囲をどこまで取るかって話もありますしね。 「六経皆史」とか言い出したら、長くなるのでそこまで採りませんが。 まあ、まず正史からいきますが、 『史記』は、ちくま・岩波・平凡社・明治書院・朝日などで全訳もしくは 大部分の訳があります。 『漢書』は、ちくまで全訳あり。 『後漢書』は、汲古で全訳刊行途中、岩波で校注を刊行途中。(どちらも 高価で、個人では購入困難) 『三国志』は、ちくまで全訳あり。 ちなみに平凡社で、『漢書』『後漢書』『三国志』の列伝の抄訳があります。 あと明徳出版社で、『史記』『晋書』『新唐書』『遼史』『金史』『元史』 の抄訳があります。 ほかの正史『宋書』『南斉書』『梁書』『陳書』『魏書』『北斉書』『周 書』『隋書』『南史』『北史』『旧唐書』『旧五代史』『新五代史』『宋 史』『明史』『清史稿』『新元史』といったところは、翻訳の出版がなさ そうですね。 正史以外でも『春秋左氏伝』『国語』『戦国策』『世説新語』『十八史略』 あたりは複数の翻訳があると思います。 全訳はないですが、『資治通鑑』も抄訳がいくつかあるはずです。 中国史(東洋史)専門で研究してる人は漢文が読めることが前提なので、 あまり現代語訳とかの労を積極的に取らないみたいですね。 苦労して現代日本語訳とかしても、大学では高い業績としては認められない とか。 >鹿角さま >李憲と言うひとは権力に関わるのが嫌だったんじゃないかとおもえます。 どうですかねえ。 ただ欲は少ないし、つつしみ深い人だったみたいです。 帝位を譲ってもらったかたちの玄宗は、なにかとこの長兄に気を使ったらし くて、大尉とか揚州大都督とか顕官を贈ってむくいようとしてますね。 李憲が亡くなったとき、玄宗は声を失って慟哭して、群臣も泣いて死を惜し んだようですし。 329 追加情報 鹿角 2002/03/08 14:46 下の追加 ラジオ第二火曜   午後九時半(再放送は翌日水曜午前11時 です)  以前ここに書いたのを未見の方もいると思うので念のため                ってなんかNHKの宣伝してるみたいですね。           328 来週は孔明ですよ! 鹿角 2002/03/08 10:09 >管理人様と孟徳、田豊の御二方          質問に回答して頂き有り難うございます。                            ちなみにこの質問には締め切りがないので                          他の方も気が向いたら答えて下さい。                             (じゃ質問者はどっちだよといわれそうなんで玄宗といっておきます。粛清者リストの方に運の悪さではいってしまいそうな気がするから)                                                                    で前回の少しだけ続き  李憲と言うひとは権力に関わるのが嫌だったんじゃないかとおもえます。断じて保身のためにそういう態度をとったのではないと信じたい。                                                            伴野さんのお話が今週から蜀になりました。次回は孔明だそうです。ファンは楽しみにしましょう。                            327 翻訳された中国の史書 田豊 2002/03/07 13:01 男性 24歳 A型 尾州 市民 > 孟徳さん 孟徳さん、初めまして 三国志の中では敵対していましたけど(笑) 以後、よろしくお願いします 孟徳さんは孫武も好きなんですか? もう十年くらい前になると思うのですが 海音寺潮五郎氏(だったと思います)の「孫子」を読んだことがあります 詳しい内容は忘れてしまいましたが、読み応えがありましたよ 孟徳さんも読まれましたか? > 管理人さま 史実とフィクションが別物だというのは分かっているのですが 「物語=フィクション」と直結されてしまうのに納得がいかなかったのかもしれません ただこれも「ノンフィクション小説」という意味ではないのですが・・・ 話が少し戻ってしまいますけど 「歴史学はあくまで歴史の真実を追求するスタンスですから。」ということについて 昨日の新聞の記事(日韓共同で歴史研究をする)を見て思い出したのですが 「歴史の真実は一つではない」という話を聞いたことがありまして これには続きがあって「ただし事実は一つ」というものです これは、一つの事柄に関しても色々な立場などによって捉え方が変わるということですよね だから事実は一つでも真実は無数に存在するという話になるそうです それならば・・・と、明確に思ったわけでもないのですが(苦笑) 物語的な視点(必ずしもフィクションとは限らない)で捉える歴史も 一つの真実になるのではないかと考えたわけです たぶん、「物語」というどこか曖昧な表現を使っていることが悪いのかもしれないですけど 「現実は小説よりも奇なり」と言うじゃないですか 「歴史は物語よりも奇なり」と置き換えてもいいじゃないですか ・・・強引ですけど(汗) だから物語で捉える歴史もありかなと思ったりするのですが こういうものは「歴史学」ではなくて「文学」ということになるのでしょうか? 話は変わりますが(実はこっちが本題なんです) 今、日本語に翻訳された中国の史書ってどれだけあるかご存じな方はいませんか? 本当は原文で読むのが一番だとは思いますが 僕みたいに語学に弱い人にとってみれば翻訳するだけでも一苦労(というかほとんど不可能) ですから、翻訳されたものが出回ってると非常にありがたいと思うわけです それで、今のところ僕が見かけたことのあるものを挙げてみますと 「史記」 「漢書」 「三国志」 「遼史」or「金史」(どちらか一方は確実に見かけたのですが、ちょっと忘れてしまいました) 「元朝秘史」(これも史書に入るんですか?) これだけなんです もし宜しければ、他の史書があるか教えてください 326 田豊殿、よろしく 孟徳 E-Mail: 2002/03/07 07:32 男性 29歳 A型 備州 皇帝 "孟徳"でござる。 田豊殿、はじめまして。"孟徳"、字を"孫武"と申す者です(笑)。 同じ三国志の将を名乗っている者として仲良くやりましょう。 えーとまずは管理人殿。 >ちょっと説明不足でした。m(_ _)m >別に外部に情報が漏れたわけではなくて、史官にこっそり見せてたんです。 "孟徳"の言い方がまずかったかも。 (^^; 管理人殿と同じ認識ですよ。 つまり"孟徳"の言った外部というのは李世民と魏徴以外の人間、という意味での外部です。 よって史官も外部ということになります。 うーん、何のために見せたんだろう?魏徴は。 公的(機密が漏れる)にも私的(自分の恥なところを暴露される)にも李世民が腹を立てても納得です。 ついでに言うと魏徴は"孟徳"は好み的にも評価的にもいい人物でね。 『人生意気に感ず。功名誰かまた論ぜん』彼のこの言葉は大好きですな。 ああ、こういう主君に"孟徳"も出会いたい(笑)。 >弾劾にあって、弁明におもむく途中で亡くなったので・・・(劉基) 弾劾というのは?同僚家臣から?それとも朱元璋からの弾劾? >鹿角殿の究極(笑)の質問について 5万人粛清!、おいおいいくらなんでもやりすぎだよ、朱元璋のおっさんよー。 これじゃあ小さい市を全滅させたようなものじゃないか。 "孟徳"は玄宗を選ぶでしょう。なぜならどうにかして玄宗の信頼を得れば 皇帝としての気力を失った玄宗をおいといて自分が政治を執れるかもしれないから。 そうすれば自分のやりたい政治もある程度叶えられるし、身の保全もできる。 倒すべき敵は揚一族。 朱元璋はどんなに信頼を得ても権力の座は渡さないだろうからいずれあらぬ疑いを かけられて粛清されそうで・・・ "孟徳"は生き方が不器用なので朱元璋の粛清をかわせそうにありませんので。 もっとも粛清するほどの価値(危険性)もないと思われるのがオチでしょうが。 (それはそれで悲しかったりして) (^^; >武州紫殿 >盗賊の1面を持ってると言われていますけれどそんないさましいものではなく・・・ いえ、"孟徳"の使った「盗賊の一面」というのは"勇ましさ"の意味ではなく 卑しさ、人間的低俗さの意味です。 つまり朱元璋を評した「皇帝の顔と盗賊類の顔」というのは 皇帝のごとき傑物の面と野盗まがいの小人の面を持っている、という意味です。 「盗賊の一面」というのは明らかに(小人物を指す)マイナス的な表現なんですよ。 >低辺から奪って奪って得たものを奪われるのが怖くって思考が衰退してしまった >のではないですか。帝位を継いだ孫を助けてくれる臣がだれもいないまで殺して 同感です。そのとおりだと思いますよ。ただ人間、やはり下へ落ちるのは嫌ですからね。 やはり奪われたくない恐怖は誰にでもあるような(でもそれで人を殺すことまではしないけど)。 それとあの時代と現代では状況が違いますので一概には言えないですね。 というのはあの頃の中華は(現代の日本と比べて)平和ではないので 権力階級にしろ平民階級にしろ油断したら殺されます(特に権力階級)。 今なら会社の権力闘争に負けても殺されはしませんがあのころは・・・ 権力には人を惹きつける妖しすぎる力があり 権力は人を惑わします。正常な思考を失わせます。これが権力病という病気です。 ちなみに特効薬はありません(笑)。 この権力に群がる下心のある人々がいるかぎりいつも権力者は 殺される不安と戦っている、といっても過言ではありません。 「彼らは自分を助けてくれる素晴らしい家臣」と思うよりも 「彼らは常に自分の地位を狙っている」と考えが先に生じるんですよね。 人間、希望よりも恐怖・不安が先に生じてしまいますから。 それに1回疑心が起こるともう止まりません。疑心暗鬼病に冒されます。 武州紫殿のおっしゃるとおり朱元璋は権力病と疑心暗鬼病に冒されていたのは確かでしょう。 だからもし朱元璋がもし皇帝ではなく庶民として生涯を過ごしたならば これらの病気に冒されないので 「思いやりのあるいい人」という評価を隣近所からもらったかもしれないのです。 でもこの病気は誰でも冒されやすく特効薬がないんですよね〜 劉邦もこの病気に冒されました。 権力というのは凄まじく恐ろしいものなんです。でも凄まじく魅力のあるものでもあるんです。 権力に興味のない武州紫殿にはわかりにくいかもしれませんが あるいはこれが人間の限界であり欲望の末路なのでしょう、悲しいことです。 >英邁の声高くとも暗いくらい面がある。これらをどう考えたらよいか、と・・・ やっぱり彼らが人間である証拠ですよ。いくら英傑でも完璧にはなることは・・・難しすぎます。 だからこそ劉秀のような人はより輝いて見えるのでしょうね。やはり劉秀はすごい。 でも"孟徳"はあえてこう評価するんです。 「彼らのような英傑にしてもはたまた我々のような凡人にしても  同じような愚かな(醜い)面がある。  だが我々凡人では彼らのような偉業はどう背伸びしてもできない。  だから彼らの愚行に眼を瞑るわけではないが彼らが行った偉業にもっと敬意を表しよう。」 あとやはり彼らは天下人でして天下を治めているわけです。 彼らが立派な人徳と高い理想を持っていても天下には悪人もたくさんいるわけで 善人も悪人も区別なく治めなくちゃならない天下人の苦労と葛藤は すさまじかったのではないでしょうか。 もしこの世が善人ばかりならば彼らもこのような陰を持たずにすんだかもしれません。 それに周辺異民族も勝手に攻めて来るし内部権力闘争も凄まじいし、 寛容さと善行だけではたぶん治まりません。 だから歴史はテキストとして生かす、ということです。もし朱元璋の粛清に不快感を 持ったならば嫉妬、疑心を戒めること、劉秀のおとぼけ(笑)に好意を持ったならば 寛大さを持つように努める、そうして歴史を通じて自分を磨くことも 歴史を学ぶ意義があると思うのです。 文章が支離支滅になってしまいましたが・・・ "孟徳"は歴史からこの"教訓"を得ることを第一としてるんです。 >田豊殿 "孟徳"、貴殿の試み、面白いと思います。興味あります。 次回、話しましょう。 325 花の都も NAGAICHI Naoto E-Mail: URL 2002/03/06 21:55 男性 28歳 B型 予州 可汗 >武州紫さま >菅理人さま。おのぼりさんしてきましたか? はい、田舎者っぷりをさらけだしてきました。 今回はディープなところはあまり行きませんでした。 サンシャインの水族館とかお台場とか、ヤロー同士で行っても、ちと空しい とこも見てきました。 神田神保町も3度目ですが、訪問してます。中華好きお約束の「東方」「内 山」両書店も回ってきましたよ。 >菅理人さまのところは坂本竜馬のくにですよね。 残念ながらちがいます。 僕の住んでるところは伊予松山(愛媛県松山市)でして、土佐高知ではあり ません。親藩でありながら、幕末に戦わずして薩長に屈したところです。 水の上では強いが、陸の上では滅法弱い国の人間です。 >しかし、最高権力を握った帝王というのには皆暗い面がありますね。 まああらゆる凡人でも天才でも、明るい面と暗い面はありますよ。 病んでる部分のない人間なんていません。 権力者というのは、その光輝がまばゆいだけ、影となる闇も深くなるものだ と思います。問題は強大な力をいかにポジティブな方向に向けられるかによ って、評価が分かれるのだと思います。 >田豊さま >そういった「史実を超えた事実」も歴史の一部ではないかと思っていたんです まあとりあえず歴史物語は脇に置いといて 歴史語りの受容ということで歴史学を考えていけば、歴史を書くものの主観 や歴史を受容するものの姿勢による偏向というのを排除できませんからね。 歴史学というのは、理系の諸学問などとちがって実験室での再現実験などは できませんし、基本的に学者・論者たちによる史料批判の適正さにかかって るわけです。 だから「史実を超えた事実」も、じつは歴史学から完全に排除することはで きません。タイムマシンでも発明されない限り。 ただそういうことを言っていると、歴史に主観やフィクションをあからさま に導入してもよいという議論になり、今一部ではやりの歴史修正主義になり かねないのです。 だからアカデミックな歴史学では、歴史上のフィクションを論じるのは嫌わ れるわけです。史実(と思われるもの)とフィクションは別だと。 フィクションの創作や受容を論じるときは、どうしても文学専門になるかと。 アカデミックな場以外では、大学の史学の人でもフィクションを論じたりし ますけど。 >歴史は小説とかを読んで楽しんでいる程度で >学問的に見ていくというような考えがなかったんです 僕も同じです。僕は大学のときはどちらかというと文学系で、歴史系ではあ りませんでした。どちらにせよ、勉強もあまりしませんでしたしね。 まあ、歴史は興味さえ持続していれば大学の外でも調べられますよ。 ただ興味が高じてくると、個人では入手困難な資料とか出てきますけどね。 >自分の本名を組み替えれば「田豊」になることに気付いて なるほど。それはうまいこといったものですね。 ウチはそうはいかないなあ。アナグラムもあまりいいのがない。 面倒くさい(!)ので、本名ではじめてズルズルともう3年。 324 丁寧な回答、ありがとうございます! 田豊 2002/03/06 13:01 男性 24歳 A型 尾州 市民 > 管理人さま 早速の回答、ありがとうございます! 分かり易く丁寧に書いていただいて、本当に感謝してます! でも、やっぱり歴史学と物語は管理人さまの仰られるとおりになってしまうのですね 実際、面接の時にはいい顔されませんでしたが(苦笑) 当時は、その反応が悔しくて悔しくて・・・ 歴史と物語について僕が考えていたことは たとえば、日本で諸葛孔明が史実を超えて評価されていたり 中国でも岳飛が史実以上の評価を得ているという話しもあるようで そういった「史実を超えた事実」も歴史の一部ではないかと思っていたんです それで、実際の功績以上の評価を得たことにはそれなりの理由があるだろうとか そういうように歴史を見ていく方がおもしろいだろうとか考えていました ・・・が、通用しなかったわけです(苦笑) 当時は自分の歴史への想いが否定されたようで悔しかったわけですが いろいろな人から意見を聞いたりしてみると やっぱり結論は一つに収まってしまうようです 納得はできませんけど、そういうものだということで受け入れるしかないのでしょうね 個人的な話になりますが 僕はずっと理系にいたんですけど(大学も理学部でした) 歴史は小説とかを読んで楽しんでいる程度で 学問的に見ていくというような考えがなかったんです 学問的にといったら、高校の授業を思い浮かべる程度の認識でした それで、小説に歴史を活かしてみようと思ったときに 一度は歴史学というのを学んだ方がいいのではと考えて受験したんです そういう認識不足が生んだ結果だったわけですけど やっぱり、結構引きずってしまうものですね・・・(汗) とにかく、僕の個人的な悩みに付き合っていただきまして、本当にありがとうございました 僕のハンドルネームについてですが 三国志に「田豊」という名前が登場しているのを知ったときに 自分の本名を組み替えれば「田豊」になることに気付いて 妙にうれしく思った(笑)経験があったのがきっかけです(小学校の頃ですが) この話をすると本名は「豊田」ではないかとよく言われますが ちゃんと(?)名字と名前から一字ずつとって「田豊」としています そういうわけで、この名前を使っていると すぐに三国志好きだとか分かってもらえたりして便利なので重宝しているんです(笑) 323 東京砂漠ヨリ帰還セリ NAGAICHI Naoto E-Mail: URL 2002/03/06 07:09 男性 28歳 B型 予州 大納言 >鹿角さま >陳氏の中国の歴史によると李林甫は和上来日に力を貸したそうで・・・ 書いてありますね。 僕もこれは陳舜臣さんの本以外で見たことないので、どこが元ネタか な?と思いますが。 まあただ李林甫は実像以上に悪評を被ったらしいということは、講談 社学術文庫本『隋唐帝国』p157あたりにも書かれてるんですが。 >しかし後宮って人が多いですねー。最低でも130人 一皇后・三夫人・九嬪・二十七世婦・八十一御妻ですか。 唐代は四夫人みたいですね。 ほかにも侍女・宦官がいるので、もっと人員は膨らみますよ。 >管理人氏がHPで書いてた張説の逸話(隋唐演義では正反対。 ええと、ごめんなさい。 これは僕の書いたほうが間違っているようです。m(_ _)m 玄宗の妃(のちの元献皇后)が懐妊したときに、太平公主による謀殺 を恐れていた玄宗が「私は多くの子を望まない」と言って、張説に命 じて堕させようとした、というのが正しいようです。 (『新唐書』巻76后妃上) あとで事典の当該記述を削除しておきます。 それで、子供のことですが、夢のお告げを受けただかなんだかで、張 説が「天命なり」とか言って、堕胎するのを中止してしまいました。 子供(♂)は無事産まれてまして、じつはこの子がのちの粛宗です。 >孟徳さま >何というか情報の漏れに怒ったのでしょう。彼の気持ちは"孟徳"にはわかります。 ちょっと説明不足でした。m(_ _)m 別に外部に情報が漏れたわけではなくて、史官にこっそり見せてた んです。見せた相手の?遂良はこのとき起居郎という宮廷内の史官 をつとめていました。 魏徴は諫議大夫などの職にあったこともあって、太宗をいさめるの が役目でした。言うなら大久保彦左衛門みたいな役回り。 太宗もよくこの人の諫言を聞き入れていたのです。 でもやっぱり諫言ってのは、君主の恥となるところを正すものなの で、君主としてはあまり人には知られたくないとこなのです。 ところが魏徴は律儀にもエンマ帳につけて残していたので、そのこ とを知った太宗は怒ったんです。(史官に伝わっていたら、いずれ 実録が編纂されたときに自分の恥部が暴露されることになるので) >劉基って普通に亡くなったんでしたっけ?朱元璋に殺されずに。 弾劾にあって、弁明におもむく途中で亡くなったので、普通ではあり ませんが、いちおう自然死っぽいです。暗殺された可能性も絶無では ありませんが。 >田豊さま はじめまして。管理人の永一です。 なにやら最近、三国志関係のハンドルのかたが増えてます。(^^) >その質問というのは「歴史」と「物語」の関係について >どのように考えるのかというものです 久しぶりのこの話題。いきなり脱線ですが、この話題むか〜しの管理 人の卒論テーマとからんでたりします。放っとくと自分、森鴎外の 「歴史其儘と歴史離れ」がどうとか、大岡昇平・井上靖論争がどうと か言い出しますので、なるべく自制することにしますが…(^^;)。 田豊さんの興味に沿って書きますと、 やはりアカデミズムでは、歴史と歴史物語(古典・歴史小説・時代小 説を含めて)は峻別されてます。大学で史学の門戸を叩いても、歴史 を物語からアプローチするなんてことはまず教えてくれません。 歴史学はあくまで歴史の真実を追求するスタンスですから。 ただし物語の発展・歴史なんてことは史学で扱うこともあります。 例えば『三国志演義』『水滸伝』がどのように発展してきたかとか。 田豊さんがやりたがっているようなことをやるのは、むしろ自由な文 学畑です。ただし、文学畑では歴史はあまり教えてくれません。 つまるとこ、歴史の物語的アプローチってのは、学際的分野なんです よね。学問分野のボーダーに位置していて、両方の成果を取り入れて あとは自分で切り開いていくしかない。 歴史小説を書くために歴史学の門戸を叩くというのは、これはひとつ の方便として大いにありですが、面接で言ったらあまりいい顔はされ ないかもしれません。 >再び鹿角さま >玄宗と洪武帝とどちらを選びますか? 個人の好みや贔屓としては、圧倒的に玄宗のほうが好きなんですが、 為政者としては、功臣粛清を含めてみてもトータルで洪武帝のほうが 上ですしね。 と、逃げに走っておりますが…(^^;)。 庶民感覚としては、田豊さんのおっしゃっているとおり洪武帝のほう がよいです。 臣僚・官吏としてなら、玄宗のほうがまだいくらか救いがあります。 で結局どっちなんだと言われると、趣味人としての私は、玄宗につい ていきたいですね。あくまで「究極の選択」としてですよ。 >天子って早起きなんですね。午前三時起床というのは低血圧の人には辛いでしょうな。 というか天子に限らず前近代の人はそのくらいの起床なのではないでし ょうか。たしか官吏の出仕時間が午前5時くらいだったかと。 現代みたいに灯りを労力ほとんどなしにバンバン使えるような時代じゃ ありませんからね。自然の灯りをなるべく効率よく利用するためには、 どうしても朝型の生活リズムになるかと。 >儒教では世俗の権威と長幼の序とどちらを重んじるのかと思ってましたが うーん、僕は抱いたことのない疑問です。 レベルの違う話というか、個々人の考えかたや儒教の流派によっても違 うもののように思いますし。歴史的にも変遷があるかと。 儒家のもともとの孔子という人は、人の間の思いやりや家族にみられる 自然な愛情を基本にして天下国家を整えていこうという思想の人です。 あまり世俗の権威とか長幼の序とかうるさく言ってないですね。 孔子の教えも時を経てさまざまな分派を生んでいきます。戦国時代には すでに8流派くらいあったらしいですし。 曾子なんて人は、孔子の家族愛を拡大解釈して「孝」を基本にすえて、 そこから長幼の序がどうだこうだという話になっていきます。 漢代になって儒教が国教化すると、世俗の権威との妥協・癒着がはから れていきますし。 まあどちらを重んじるかは解釈しだいで。 玄宗は儒教より道教好きの人、というのは前に書きましたよね…。 322 こんばんは 武州紫 2002/03/05 23:38 女性 B型 武州 女王 菅理人さま。おのぼりさんしてきましたか? 東京さはよがったですか。 菅理人さまのところは坂本竜馬のくにですよね。 そんな素晴らしい所からお江戸にきてどんなですか。 孟徳さま。 朱元しょうは最後もう病気だったみたいじゃないですか。 盗賊の1面を持ってると言われていますけれどそんないさましいものではなく 低辺から奪って奪って得たものを奪われるのが怖くって思考が衰退してしまった のではないですか。帝位を継いだ孫を助けてくれる臣がだれもいないまで殺して しまって・・ しかし、最高権力を握った帝王というのには皆暗い面がありますね。 清の名君聖祖康熙帝にも文字の獄がある。明の永楽帝にも靖難の変の時とか 建文帝の遺臣にたいする仕打ちとか、宦官の秘密警察とか、英邁の声高くとも 暗いくらい面がある。これらをどう考えたらよいか、と・・・ 321 無関係な立場にいるのであれば・・・ 田豊 2002/03/05 12:30 男性 24歳 A型 尾州 市民 > 鹿角さん はじめまして、田豊といいます 下の究極の選択についての回答ですけど 側近だとか、役人として仕えていたとか そういった立場にいないで全くの無関係な身分の人だったとしたら 僕はやっぱり洪武帝の方を選びます 全く関わりのないところにいれば 取り敢えずは五万人の中に入らないと思うので・・・ これが玄宗の方になると、さすがに関係ないからといって安心はできませんよね 反乱が勃発してしまえば、運が悪いと無差別に巻き込まれてしまいますので・・・ そういった理由から、僕は洪武帝を選びます 320 長安物語 番外編 鹿角 2002/03/05 09:53 皆さんに質問します。                                     最初はどちらも同じくらい名君だったのに                         天子としての責任放棄してその結果国家滅亡の一歩手前までいった玄宗と                                                       それゆえに疑心暗鬼にかられ五万人も粛清しまくった洪武帝とどちらを選びますか?                                            (ずっと前にはやったクイズみたーい)                                                                               色々な本を読んでわかったこと。天子って早起きなんですね。午前三時起床というのは低血圧の人には辛いでしょうな。(清王朝の時代もそうだったんですかね)                                                        ところで皇帝の即位式ってやるんでしょうか。多分やるんでしょうけどどんなふうにやるのかいまいちわからないんで知ってるひとがいたら教えてください。                                                    疑問氷解 儒教では世俗の権威と長幼の序とどちらを重んじるのかと思ってましたが玄宗は兄弟一緒の時は天子扱いされるのを嫌ったんですな。彼の場合はそれでいいけど疑問は疑問としてのこります。     だけど彼と長兄である宋王(又は寧王)憲(又は成器 )の仲の良さっていいですね。太尉の地位を弟が与えようとしても固辞し、政治には口出しせず楊氏一族も見習えと言いたい。更に病気で兄が倒れたと聞くと医師まで出したそうで・・・兄弟思いっていいですね。      319 初めて書き込みをします 田豊 2002/03/04 12:59 男性 24歳 A型 尾州 市民 みなさん、初めまして 初めて書き込みをさせていただく田豊といいます ここに書き込まれている内容はとにかく「凄い!」の一言に尽きる思いで 最初から圧倒されっぱなしという状態です 僕程度の人間が書き込んでよいものかという気後れみたいなものがありますが 皆様方の胸を借りるつもりで質問してみたいことがあります その質問というのは「歴史」と「物語」の関係について どのように考えるのかというものです 僕は小説を書いていまして(歴史小説というわけではないのですが) 歴史を「物語の視点」から捉えるというような試みをしようとしています ただ、歴史は「好き」というだけで「詳しく知らない」ということがありまして 大学で歴史学を勉強しようと思って受験したことがありました そのときに面接がありまして 歴史について、物語の視点から捉えるというような考え方を話したところ そのときの面接官の先生に次のようなことを言われました 「歴史学はフィクションじゃない。事実の追求だ」 僕は未だにその言葉が引っかかっています その先生の言葉は理解できるのですが完全には納得できないのです 巧く表現はできないのですが 僕のような考え方は、歴史学の分野では通用しないものなんでしょうか? はっきりと他人に説明できるほど明文化されていないことなので 意味不明な文章になってしまい、本当に申し訳ないです 皆様方にとってはくだらないことだと思いますが もし宜しければ、意見をお聞かせください 318 明では劉基がすきですね 孟徳 E-Mail: 2002/03/02 23:29 男性 29歳 A型 備州 皇帝 "孟徳"です。 >やはり「玄武門の変」は太宗の汚点であるにはちがいないのですよ うーんやっぱりね、李世民についてはそこがひっかかるんですよ。 でも殺られる前に殺るのは自分の命がかかっているのだから非難する気はないな。 でも実録改竄とか歴史的な評価の操作は解せないな。 やはり李世民も1人の凡人の面も多分にあったということかな。 この「玄武門の変」関係で国が乱れるのを心配して実録改竄、というよりも 自分の名誉のためにやった、というほうを"孟徳"は感じるので。 そこが"孟徳"の中で李世民が劉秀や荘王に勝っていないところかな。 まあ、神じゃないからそんな完璧を求めてもしょうがないんだけど。 >太宗は大激怒して魏徴の墓の碑をうち倒してしまったのです。 『君臣の間の議が外に漏れればその臣の命が危うい』と韓非子も言ってますが 何というか情報の漏れに怒ったのでしょう。彼の気持ちは"孟徳"にはわかります。 あくまで"孟徳"の推測ですがね。 でも碑をうち倒すまでしなくても・・・ってのはあるね (^^; ただ『貞観政要』は読みたいのだがなかなか売ってない・・・ (^^; >鹿角殿 たしかに楊一族の権力を傘に着ての傍若無人ぶりはめちゃめちゃですね。 虎の威を借る狐の例としてよくこの楊一族が挙がりますよ 玄宗、どうしちゃったのかなー若い頃はあんなに・・・ にしても人間どうしても年齢を取るともうろくするというか愚策ぶりが 目立ちますね(孫仲謀や豊臣秀吉とか)。どうしても思考経路が硬直するんでしょうね ああ、年齢は取りたくないなあ・・・ >武州紫殿 『飛鳥尽きて良弓蔵わる』『敵国滅んで謀臣亡ぶ』 イヤなことですね。 "孟徳"も朱元璋は明という国を創った本来なら偉大なる君主のはずなんですが 好きではありませんし敬服するような人物には値しません。 極論を言えば時流に乗って天下を取ったぐらいの評価の悪さです。 彼は皇帝の顔と盗賊類の顔と2つ持ち合わていた、と言われてるぐらいなので どうも時流に乗って〜の印象ばかりが強いのです。 天下人なのだから実際会ってみたらすごいんでしょうが。 関係ないけど朱元璋は好きではありませんが永楽帝は好きです(←ほんとに関係ない) >永一殿 劉基って普通に亡くなったんでしたっけ?朱元璋に殺されずに。 >ひとりごと。 よしっ、Kayさんってかたのところにも行ってみよ。 317 長安物語 6 鹿角 2002/03/01 09:46 鑑真和上が日本に行く時も「一緒に道士も」といって                  天子ともあろう人が抱き合わせ販売かましてくれるし・・・                (だけどあのまま藤原清河の船にのってたら仲麻呂と同じように逆戻りだから結果的には大伴子麻呂の船で正解だったかも・・・・・)                                                                   度々引き合いにだして恐縮ですが陳氏の中国の歴史によると李林甫は和上来日に力を貸したそうで・・・(本当かーとツッコミたくなるのですが)一件がばれても和上達には軽い罪、逆に密告者には重罪だったそうで・・・いかに彼でも堂々と国禁を犯せとはいえないし・・・                                                                                  しかし後宮って人が多いですねー。最低でも130人  天子が好色だと更に増えるというから玄宗の頃は一体どれほどいたのでしょう。いかに彼が好色でも130人平等に愛するなんてとても無理。でも天子に愛されないほど宮女にとって惨めなのはありません。行動の自由もないし・・・・・・・                                                                     管理人氏がHPで書いてた張説の逸話(隋唐演義では正反対。作者は同情したのでしょうか?)その後どうったんでしょう。子供は無事産まれたのかそうでないか知ってる人がいたら教えてください。 316 おら東京さ出るだ NAGAICHI Naoto E-Mail: URL 2002/02/28 18:58 男性 28歳 B型 予州 使者 ちょっと明日から3日ほど留守にします。 って、いつも亀レスなので、あまり変わりない? >のりひろさま いや、あまりかしこまらないで下さい。 管理人からして、いい加減なことを書き散らしているとこですから。 こちらこそよろしくお願いします。 >武州紫さま >劉秀がオカルト好きだという事、へー!? もうちょっと正確に言うと、光武帝・劉秀は「緯書」という一種の予言書を信じて いたのです。 「劉秀は兵を発して、不道を補う。四夷は雲集し、龍は野に闘う。四七の際、火は 王と為らん」(「河図赤伏符」) など、当たったとみえたものもあったんですね。 「緯書」は、経書(五経)を解釈するために孔子により作られたとされる書物群で すが、実際は前漢代の偽書のようです。 この讖緯説を批判したために、光武帝に殺されかけた臣下(桓譚)がいます。 >鹿角さま >作中で一番頭にきたのが楊貴妃の姉のこの台詞 「楊一族に逆らう者は皆滅びるのよ」と言ったかどうかは知りませんが、 楊貴妃の3人の姉−韓国夫人、?国夫人、秦国夫人−を含めた楊氏五宅の人々って のは、ホントにやりたい放題やってたみたいですね。 皇族すら圧倒する権勢ぶりを示したとか。 >貞観の治を金の輝きとするならば開元の治は銀の輝きに過ぎないそうで・・・ さて、どうでしょうか? まあ、見た目の派手さでは、貞観のほうが上なのはたしかです。 >今の日本にいたら少子化問題も解決するかも・・・ 代わりに人口爆発がさらに深刻になるでしょう。(笑) 315 長安物語 5 鹿角 2002/02/26 09:39 作中で一番頭にきたのが楊貴妃の姉のこの台詞                    「楊一族に逆らう者は皆滅びるのよ」                             結果国家滅亡の一歩手前までいっちゃいましたね。(怒)                                                                   張巡や顔真卿といった人達も玄宗が開元の治の頃の彼ならば真剣になる価値もあったでしょうに・・・(でも外山氏の東洋の歴史5によると貞観の治を金の輝きとするならば開元の治は銀の輝きに過ぎないそうで・・・)                                                                      だけど玄宗ってば子沢山だったんですね。男女合わせて60人近く!絶対全員の顔と名前一致しない(笑)今の日本にいたら少子化問題も解決するかも・・・  314 劉秀 武州紫 2002/02/26 00:11 女性 B型 武州 女王 劉秀がオカルト好きだという事、へー!?と面白くなってしまいました。 小説はないですか?学術書は苦手なので・・・教えてください。 豪族を糾合して国を建てたという事、その豪族が強くなっていく過程で、 ということなどボケ皇帝の必然という事もあったかと。菅理人さまの歴史をみる 平衡感覚は勉強になりました。 劉秀は頼朝みたいな位置にいた人ですか。でもボケボケのキャラクターであって 欲しいです。 313 ありがとうございます のりひろ 2002/02/25 19:54 男性 38歳 B型 能登 人民 管理人さん、最初のご挨拶を忘れていまして申し訳ありません。 あらためまして、こちらこそよろしくお願いします。 そして、お返事ありがとうございます。他の方々へのご意見も含めまして大変勉強になります。 312 話題が飛んで… NAGAICHI Naoto E-Mail: URL 2002/02/25 15:31 男性 28歳 B型 予州 牧 >孟徳さま >つまり劉秀の場合、"仁"と"厳"が見事に両立共存しているということですよね。 いや、劉秀はあまり厳しい面がないと、僕は思ってますが。 政治家としてみるとき、また創業の君主としてみるとき、寛容さが無原則に ならず、それほど逸脱してないってことです。 後漢朝は、豪族連合政権の限界がありますので、後世の独裁君主みたいに 厳しいことはできないし、彼みたいな調整型って時代に合ってたのではな いかなと思います。 かれには、オカルト(讖緯)好きって、欠点はありますけどね。 >もし彼が「唐の国のためには兄弟争いを長くしておくわけにはいかない。」と 太宗が李建成・元吉の兄弟を殺したのは、別に唐朝のためというわけでは なく、自己保存と野心を優先したからでしょう。 あの形勢からいって、先手を打たなければ、遠からず世民のほうが兄弟た ちに殺されてたでしょうしね。 「国家の総帥」というなら、ほんらいの皇太子の李建成は、さほど無能な 人物ではなかったと、最近では言われてます。太宗には、実録改竄とか歴 史的な評価を操作するようなことをやってますし。 やはり「玄武門の変」は太宗の汚点であるにはちがいないのですよ。 >ところで魏徴がらみのエピソードとは? 魏徴が死んだのち、魏徴が太宗を諫言した記録というのをつけていて、それ を?遂良に見せていたと知って、太宗は大激怒して魏徴の墓の碑をうち倒し てしまったのです。 太宗・李世民の名君らしからぬエピソードですね。 のちに太宗は後悔して碑を立て直してますが。 >のりひろさま はじめまして。管理人の永一です。 >一方で焚書坑儒を行い大土木工事の連続で財政や国民を疲弊させた暴君としても評価されて >います。 僕も個人的な好みとしては、始皇帝は暴君の印象が強いし、あまり好きな人物 じゃありませんよ。不老不死を本気で追求していたらしいところも、この人の メンタリティーの一端を示しているように思いますし。 ただ中国という枠組みを作った巨大な個性であるって点は、否定できないでし ょうね。そういう点では、現今の中国でも再評価されているみたいですし、日 本でも故・安能務氏みたいに始皇帝を過大に評価する人もいるわけですよ。 >始皇帝の母親は、元々宰相呂不偉の愛人であったそうですが、舞姫をしていたそうですね。 「朱姫」の号は初めて聞きました。 「趙姫」と号するほうが一般的でしょうね。 (映画「始皇帝暗殺」のコン・リー演じた人物「趙姫」は別人^^;) 古代中国の女性の名が伝わることはほとんどないので、本名は分かりませんが。 舞姫としての源氏名とはちがうでしょう。 『史記』呂不韋伝を見直してみましたが、「趙姫」「呂姫」は、どうも後世の 史称らしく思います。 どんなに早くても、荘襄王の後宮に入って以降の号ではないかと思います。 (たとえるなら、織田信長の正室を「濃姫」=美濃の姫と称するようなもの) >武州紫さま >真田幸村と言われてあっと思い、 これ、あんまりうまい例えではないですよ。 あえて言うなら、真田幸村と諸葛亮の共通点は、巷間で名軍師と評されている こと(実際は…)と、判官びいきの対象であることくらいしかないです。 >中国でも日本でも王が功臣を葬る理由の中に自分の子孫の安寧のためという事がありますね。 君主ってのは、潜在的に部下の謀反の可能性ってのに怯えているものです。 とくに王朝の創業期ってのは、君主も部下も戦乱をくぐり抜けて、 君主の野望と部下の野心の共同作業で上りつめてきたって感覚がありますから、 部下だって隙あらばって思ってることもあるし、人間関係がきわめてシビアに なりがちなんですよ。 まあ、僕も朱元璋のような人より、光武帝のような隙のある君主のほうが好き ですね。 >やっぱりボケ皇帝はすばらしです。 いや、光武帝を「ボケ」と評するのは、僕の発明した表現じゃないので。 ↓のKayさんってかたの表現を拝借してますんで。 http://www2.justnet.ne.jp/~kays/s-china.htm オリジナルは「おとぼけ」ですか。 311 興味しんしん 武州紫 2002/02/25 00:45 女性 B型 武州 女王 菅理人さまの中国の英雄考は納得です。真田幸村と言われてあっと思い、諸葛亮との事でなく真 田幸村に対する視線が興味をひきました。もう1度日本の戦国時代を紐解いてみましよう。 私が目を見張る思いなのは中国でも日本でも王が功臣を葬る理由の中に自分の子孫の安寧のためという事がありますね。どうして自分の死後があんなに気になるのでしょうかね。 地位なし金なしないないずくしにはちいっとわかりません。 それにその臣を生かしておけば自分の後継者を狙う者から守ってくれる事の方が多いのに・・・ 頂点に立ったものの焦りですか・・・・いろんな可能性ということをかんがえるといちがいには言えないかもしれませんけれど誰も居なくなって国が弱体化することの方が大きいでしょうに・ やっぱりボケ皇帝はすばらしです。 310 秦の始皇帝について のりひろ 2002/02/24 21:22 始皇帝は中国を初めて統一し、文字・度量衡の統一など現代中国の礎をつくり、有能な皇帝として評価されています。一方で焚書坑儒を行い大土木工事の連続で財政や国民を疲弊させた暴君としても評価されています。冷酷無比な性格を育んだ原因として長期の人質生活の他、母親の猥らな行為が挙げられています。ここで考察。始皇帝の母親は、元々宰相呂不偉の愛人であったそうですが、舞姫をしていたそうですね。或る文献では遊女、娼婦、売春婦だったとありました。現代の性風俗嬢やAV女優にあたるのでしょう。しかし、紀元前の遠い昔の話でしかも後世の儒家や漢王朝が始皇帝についてあることないこと尾ひれをつけたそうですから、また母親朱姫(趙姫、呂姫ともいわれていた。源氏名であって職業柄正式な名前が無かったのか)の猥らな行為が、そういう職業の女性だったことにされているのではないでしょうか。 309 李世民という人物 孟徳 E-Mail: 2002/02/24 15:51 男性 29歳 A型 備州 皇帝 "孟徳"でござる。 永一殿、レスありがとうございまする。 >女性としての帝位、宮廷内粛清が苛烈だったことが・・・ これはいつの時代もそうでしょうが批判を受けるのはある程度しかたないでしょうね。 でも中華あるいは中華に限らず国家というものが我々民草が考えるほど そんな簡単な構造で単純な世界でないことは帝王学や戦略兵法を学んでいる "孟徳"にはある程度わかります。壮絶な弱肉強食の世界ですから。 官僚達には恐怖政治だったかもしれないが唐という国自体は対外的にも 国内的にも安定はしていたということで"孟徳"の則天に対する評価は悪くありません。 いかに対外から自国を守り、民草の安定を維持するかが"孟徳"の政治家に対する評価の 1つになってますので。あくまで私見ですが。というわけでありがとうございました。 >これは僕の書きかたが悪かったですね。 >(それとも武州紫さんの書かれたほうに反応なさったのかな?) すいません、これは武州紫殿の言葉を引用しての記述です。 永一殿には何ら関係ありませんのでお気になさらず・・・ (^^; 誤解を招くような記述で申し訳ありません。 つまり劉秀の場合、"仁"と"厳"が見事に両立共存しているということですよね。 劉秀という人は華々しさはありませんが希有の名君だったということで。 "孟徳"の評価ももちろん高いです。 >兄弟殺しの汚名は着たし、後継者がらみのドタバタはあったし、あと魏徴がらみ >のあやしいエピソードとかあったし。 確かに"孟徳"の中でも李世民を名君として分析した場合、引っかかることですが 前にも言ったとおり国家はそんな簡単なものではありませんしね。 もし李世民が兄弟を殺すことをためらっていたらおそらく兄弟に殺されていたことも 十分考えられます。「大義のためには小義を捨てる」という言葉がありますが もし彼が「唐の国のためには兄弟争いを長くしておくわけにはいかない。」と 考えた結果の行為ならばまったく批判もしませぬ。 "孟徳"のような民草の立場から考えると「実の兄弟を殺すなんて」という考えが 生じるかもしれませんが帝王学・国家学の面から言うと親・兄弟の情なんて 小義です。それが国家の総帥としての役目です。 「個人的な事情で天下を混乱に導いてはならない。」 "孟徳"の敬服する姫旦(周公旦)も国のために兄弟を殺しています。 国家の首席は「大義のためには小義を捨てる」そういう厳しさも必要です。 生涯、李世民も兄弟殺しという傷は残ったでしょう、多少なりとも。 トップというのはいつも孤独なものです(またまた偉そうに・・・) ところで魏徴がらみのエピソードとは?あくまでエピソードかもしれませんが よろしかったら教えて下さい。 最後に。もう1つの掲示板ではモンゴルの話をしていますね。 "孟徳"、テムジンとムカリそれに楚材が好きなので今度顔を出してみます。 いつも丁寧なレス、ありがとうございました。 308 唐の話とか NAGAICHI Naoto E-Mail: URL 2002/02/23 06:07 男性 28歳 B型 予州 単于 >孟徳さま >最近になって(?)武則天の統治(政治力)は評価されてきてますね。以前は悪女みたいに >扱われていたようですが。 そもそもの悪女評価は、『旧唐書』『新唐書』『資治通鑑』の3つの基本史料が、 ことごとく則天に対して厳しい筆致であることが影響しているようです。 そもそも女性として帝位に上ったこと、唐朝に対する簒奪だったこと、宮廷内粛 清が苛烈だったことが、儒教原理の史家たちの酷評につながったんですね。 郭沫若・呉ヨ・呂振羽・陳寅恪・李唐といった近現代の研究者たちが再評価して、 現今の好評価にだいたい落ちついています。それでも批判は出てますが。 外山軍治『則天武后』(中公新書)の最終章あたり参照。 >管理人殿の文面からだと実際、彼女は人を適材適所に配置して効果を上げ、 のちの玄宗の開元時代に、ちょっと下のほうの書き込みで名を挙げたような名宰 相たちが続出するんですが、かれらは則天のころに登用された官僚たちなんです よ。こういったあたりからも、則天の人材登用の巧妙さは議論されてます。 僕のオリジナルの考えではありませんが、残念ながら。 >功臣を1人も殺さなかった=名君というのは少し性急すぎる気もしますが これは僕の書きかたが悪かったですね。 (それとも武州紫さんの書かれたほうに反応なさったのかな?) 僕は寛容であることイコール名君の資質とは思ってません。 無原則な寛容であれば、放縦と変わりありませんから。 ただし光武帝の場合、両者は併存していると思ってます。 並列で書いたつもりだったのですが、誤解を生む書きかたでした。m(_ _)m >最後に管理人殿、名君と言えば誰を挙げますかな? そうですね。以前この話、もうひとつの掲示板でしたことあるんですが、忘れて しまったことでもありますし。 前漢の宣帝(劉詢)、後漢の光武帝(劉秀)、唐の太宗(李世民)、宋の太祖 (趙匡胤)といったとこでしょうか。名君といえば。 好きな君主というなら、まだあと5,6人は挙げられるんですが。 >鹿角さま >この前NHKラジオ第二放送で伴野氏の声を初めてききました。 どこかでそういうのがあるという話は耳にしていたのですが、チェックしてませ んでした。 そもそもラジオは聞く習慣がないもので…。 仕事の関係上、毎週決まった時間にやるようなものはほとんどリアルタイムでは 視聴できません。 ラジオの場合は、TVのビデオ録画予約みたいなことは(できないわけではない ですが面倒で)簡単にできませんしね。 >太宗は名君のまま死ねてかえって幸福だったかも。 そうですね。太宗は僕も名君のまま死んだと思いますが、幸福だったのかどうか。 兄弟殺しの汚名は着たし、後継者がらみのドタバタはあったし、あと魏徴がらみ のあやしいエピソードとかあったし。 太宗が名君として完全無欠でない部分、汚点やトラウマといえる部分にこそ、一 筋縄でいかない心の深淵があると思いますね。太宗もあと十年長生きしていたら はたして名君でいられたでしょうかね。 玄宗は太宗のマネすべきところはマネしてると思いますよ。 少なくとも開元時代には、玄宗は臣下の諫言によく耳を傾けてます。 ただ創業の時代でなく、守成の時代ですから、あまりマネをしすぎても困ったこ とになったろうと思います。太宗の突厥遠征や高句麗遠征みたいなマネをしたら 安史の乱以前に破綻していたでしょうね。 膨大な富と権力をえて、自制を保ち続け、名君であり続けるってことは、思った より困難なことなんでしょう。老いらくの恋なんかしてしまったらイチコロ。 ときどき僕は思います。自分が唐突に宝くじで3億円当てたら、いきなり自分に 惚れた美女が出現したら、人格がどう一変するだろう?って(爆)。 いや、小市民な話ですが、想像すると楽しい。たぶんろくなことないだろうなと。 主観的には幸福かもしれないけども。 >高宗がそうしたばっかりに李家がどんなに酷い目にあったか忘れたんですかね。 まあ高宗が武照を親父の後宮から引き抜いたのは、僕が思うに遊牧民の風習っぽい 気がしてます。中国的倫理では非難されることですが。 初唐期の宮廷文化って、どのくらいが胡(鮮卑)であり、どのくらいが漢(中国) であるのか。マジメな話、イメージをつかみたいと思ってます。 玄宗が楊玉環(貴妃)を息子から奪ったのは、風習とかとは次元がちがう確信犯 的行為でしょうね。反倫理的であることを自覚してやってる。 いや話題を鹿角さんの興味からずらしてしまって申し訳ないです。 307 長安物語 4 鹿角 2002/02/22 09:57 この前NHKラジオ第二放送で伴野氏の声を初めてききました。         三国志の呉の諸葛謹達の話。七話目だそうで・・・                   (最初からきちんと聞いておけば良かった・・・)                      火曜日のPM九時半からです。(再放送は翌日の水曜AM11時)他にも聞いてたひといますか?                                                                        前回の続き。「凡人が偉人の真似をしても駄目」(byヤン提督)という言葉もありますが玄宗は曾祖父である太宗を手本に出来る能力の持ち主だとおもいます。(少なくとも帝位についた開元の頃は)政治に対する情熱もあったでしょうし・・・(自分が帝位につくためにクーデターを起こしたのではないとしても。順序からいえば帝位につける立場じゃないし・・・)              しかしこう見てみると長生きも善し悪しですな。太宗は名君のまま死ねてかえって幸福だったかも。曾孫のように老醜を晒さないだけ・・・        (だけど私は太宗という人は血も涙もない名君だという気もするんですけど)                                                楊貴妃と知り合う頃の玄宗はトンデモ皇帝になっちゃって天子としての責任放棄するんですよねー。だったら皇太子に位を譲ってその後に勝手に彼女と失楽園(ってもう古いか・・・その言葉)やってりゃいいんです。      だけどねーいくら天子だからって息子の嫁とりあげるか?世間じゃやっちゃいけないことでしょうに・・・祖父の高宗がそうしたばっかりに李家がどんなに酷い目にあったか忘れたんですかね。 306 武州紫殿、ごあいさつありがとうございます 孟徳 E-Mail: 2002/02/22 02:38 男性 29歳 A型 備州 皇帝 はじめまして、"孟徳"と申します。ごあいさつありがとうございます。 >思った事は言うべきですね。本を読む姿勢と言うものを正されたような気がします。 武州紫殿のこの言葉は胸にしみますね。正直、本の読み方は難しいです。 100%真実のみが書いてあるわけでもないし(著者自身の好み、考えも含まれているため) 実際、私の周りにも1〜2冊程度の読書で本の内容を鵜呑みにしている人もいますが それじゃあ、視野も狭いし、なんだか本に操られている(踊らされている)みたいで。 複数の本を読んで自分なりに分析・解釈で理解を深めていくしかないですね。 ちょっと武州紫殿の言ってることと論点ズレているかもしれませんが。 >私はここのところ天下取った王が建国の功臣を殺していくのが >めざわりでたまらなかったのです。朱元しょうを頭にだれでもやってます。日本でも。 >本人だけじゃなく取り巻きのことも含めて力を蓄えられる事が怖いのですか。何時でも取って >替われる王というものの性格のためですか。 "孟徳"の中の帝王学や人間学から言うとこれが人間の限界でしょうね。 下っ端の時はそれより下がないから怖くないんですよ上がるだけだから。 でもやはり頂点に立つとそこから脱落するのが怖くなります。 たとえば少し意味は違いますが私達も今の生活のレベルを落とせないでしょう。 今から江戸時代の生活に戻ろう、と言われても。 (^^; 1度手にしたものは人間、離したくなくなるんです。 まして天下や権力を1度手にしてしまうともうある意味ムリです。聖人でない限り。 ちと大げさですが病にかかるんですよ、権力病という病にね。 守ることだけを考えてしまうんです。性格変わるぐらい。秀吉なんかいい例ですよ。 でも正直、確かに本当にイヤになりますよ、このての話は。 ということで劉秀、"孟徳"も大好きです。君主としてはかなり評価高いです。 5本の指にはまず入るでしょう、たぶん。 これからもいろいろ話ししてお互いに賢くなりましょう(笑)。 305 名君のつづき 孟徳 E-Mail: 2002/02/22 02:35 男性 29歳 A型 備州 皇帝 "孟徳"です。 >管理人永一殿 レスありがとうございます。引き続き無学な"孟徳"にお付き合いくださいませ。 >オープンソースについて >僕が言いたかったのは、古代から近代まで扱える自由度の高い基本のゲームシステムが >公開されてれば、勝手に改造してふくらませるやつらが出てくるから楽しいだろうなと >いうことです。基本は単純なほうがよいし。たぶん春秋戦国・楚漢・南北朝・隋唐・明 >清と勝手に出てきますぜ。 そうなってほしいですね。とりあえず"孟徳"は春秋戦国のゲームを ずーっと望んでいるので(1番好きな"孫武"を使いたいのです)。 (^^ >武則天について >武則天の政治は評価が高いですよ。民政というより官僚の人材登用がうまかったんだと思います。 最近になって(?)武則天の統治(政治力)は評価されてきてますね。以前は悪女みたいに 扱われていたようですが。管理人殿の文面からだと実際、彼女は人を適材適所に配置して効果を上げ、 その方面に手腕をふるった、ということでしょうか? >劉秀について >かれほど寛容で天然ボケ(笑)で親しみやすい君主は、中華にはいませんよ。 >中国を作ったのは始皇帝だが、固めたのは光武帝だ、と僕は思ってます 確かに。中国を作ったのは始皇帝だと思いますが惜しむらくは人徳が・・・ というより側近が李斯と趙高では。古の言葉にも「君主の器は側近を見ればわかる」と 言いますし。"もうてん"や"しょうかん"など優れた部下もいますが1番の側近があれでは・・・ というより扶蘇が継げなかったのがまずい?(笑) 功臣を1人も殺さなかった=名君というのは少し性急すぎる気もしますが 器が格段に大きかったのはどうやら事実のようですね。 守成の大名君と言えましょうか。でも軍略・用兵も優れていたし。 あえてほとんど文句のつけようがないですね。 >必ずしも創業の英雄が名君ではないし、版図疆域を拡大した人が名君ではないと、 >思っております。 同感です。「自国を守る勇敢さに富み、隣国にもその器で一目おかれ 国内では天下を安定・安寧に導き、公平と義を以って知られ、畏れられながら愛される」 政治的な表現を排除すればこんな風になるかなと。 でも難しい質問でしたね。"孟徳"もうまく答えられません。(^^; 最後に管理人殿、名君と言えば誰を挙げますかな? "孟徳"は文王西伯、楚の荘王、晋の重耳、唐の李世民などを主な顔ぶれとして挙げます。 個人的には周の姫発、ホンタイジ(純粋な漢民族ではないが)なども好きですが 名君として挙げていいのか少々迷っています。 無学の"孟徳"ゆえ、これらの人物に「異議あり!」の場合は遠慮なく 指摘してください。誤解や思い込みゆえに誤った理解をしていることもあるので。 304 評価と名声 NAGAICHI Naoto E-Mail: URL 2002/02/21 22:06 男性 28歳 B型 予州 市民 >鹿角さま >上官宛児について、彼女の困った所は政治をリセット可能のゲーム感覚で弄んでいる所です。 まあ、上官婉児は権力を使って何をするという目的意識を欠いた人のように、 僕も思いますが。宮廷詩人・文章家としてのみ、身を律していれば、酷評さ れずにすんだんでしょうね。 >武即天に出来たから同じ女だから自分にも出来ると思ったら大間違いだよ 中国は、歴史上に意外と女性権力者が多いんですよ。 皇帝にまでなったのは、武則天だけですが。 後漢や北魏の皇后などには、皇帝をしのぐ権力を握った女性がいますし、 韋后や安楽公主のように酷評されてはいません。 まあ、男性だろうと女性だろうと、政治家や権力者としては失格な人は失格 なんだろうと思います。 >武州紫さま >諸葛亮がなぜ中国でそれほど評価が高くないのか いや僕に言わせれば、諸葛亮は日本でなぜあんなに突出して有名でかつ評価 が高いのか?という問題の立てかたをしてしまいますが。 >まあ竹中半兵衛あたりに該当するのかな、と思いましたけれど。 ええと、評価が高いことと知名度が高いことは別問題なんですが…。 本場中国でも、諸葛孔明はそうとう知名度が高いです。 日本史における竹中半兵衛や黒田官兵衛などとはケタがちがいます。 日本史には超有名な軍師という存在がいないのでうまい比較ができないので すが、あえて比較するなら真田幸村以上の知名度。 中学歴史教科書で太字ゴチックで書かれている人物くらいのポピュラーさを、 諸葛亮は中国では持ってます。 ただほかにも太字ゴチックで書かれるべき人物はいるということを知ってお けばいいのではないかと思います。 >光武帝の事、寛容で天然ボケと宣もうたのは傑作中の傑作です。 寛容さという点では、宋の太祖の趙匡胤みたいな人もいるんですけどね。 ボケ精神をも合わせもつ名君は、光武帝・劉秀君しかいないでしょう。 303 お邪魔します。 武州紫 2002/02/20 11:05 女性 B型 武州 女王 田中芳樹氏の(武将列伝)については菅理人さまによいご指摘をいただきました。 思った事は言うべきですね。本を読む姿勢と言うものを正されたような気がします。 諸葛亮がなぜ中国でそれほど評価が高くないのか、この本のはしがきにかいてあります。まあ竹中半兵衛あたりに該当するのかな、と思いましたけれど。 中国の国民的英雄が我々の考えていたあるいは知らされたものと違うもしくは紹介されて いないので知らなかったという事はあるでしょうね。 孟徳さま。はじめまして。私はここのところ天下取った王が建国の功臣を殺していくのが めざわりでたまらなかったのです。朱元しょうを頭にだれでもやってます。日本でも。 本人だけじゃなく取り巻きのことも含めて力を蓄えられる事が怖いのですか。何時でも取って 替われる王というものの性格のためですか。 それで光武帝におどろいたのです。功臣を殺していませんよね。希少価値です。 ところがなかなか本がみつかりません。あまりドラマチックな事がないのですかね。 さがしてみます。 それにつけても菅理人さまが光武帝の事、寛容で天然ボケと宣もうたのは傑作中の傑作です。 笑って楽しくなりました。 302 長安物語 3 鹿角 2002/02/19 09:47  >管理人様 説明有難うございます。                                                                                  で前回続き。上官宛児について、彼女の困った所は政治をリセット可能のゲーム感覚で弄んでいる所です。ここの話は司馬氏の「項羽と劉邦」の一文を思い出さずにいられませんでした。「権力という白刃を素手でもてあそんで終わりを全うした人間はこの大陸でほとんどといっていいくらいいない」これは超高についてかかれたものですが彼女にも当てはまると思います。(もちろん他に何人もいるとおもうけど)しかし自分に夢中になっていると思う相手に裏切られるとは思ってなかったでしょうな。実際現実なんてそんなものかも。                                              で教訓 武即天に出来たから 同じ女だから自分にも出来ると思ったら大間違いだよ葦后に太平公主、安楽公主!武即天だから出来た事。才能がない人間が真似したって破滅するだけ。なまじ真似しようと思わなけりゃ平穏無事な人生を送れたかもしれないのに・・・ 301 名君の話とか NAGAICHI Naoto E-Mail: URL 2002/02/18 04:54 男性 28歳 B型 予州 布衣 >鹿角さま >オープンソースどういうことですか? オープンソースというのは、ソフト(プログラムやデータ)の基本情報が全て公開 されていて、自由に利用できる(自由に改造もできる)ということです。 ゲームに限った用語ではありません。 たとえばOSのリナックスなんかが有名ですね。基本のものは無料で公開されていて 改造版が世界中でいくつも出ている。 プレステもゲームキューブなどのゲーム機では、ほとんど意味のない用語です。 改造が難しいですから。(エミュとかあればやる気のあるやつはやるけど) 僕が念頭に置いてたのはPCのゲームです。 僕が言いたかったのは、古代から近代まで扱える自由度の高い基本のゲームシステムが 公開されてれば、勝手に改造してふくらませるやつらが出てくるから楽しいだろうなと いうことです。基本は単純なほうがよいし。たぶん春秋戦国・楚漢・南北朝・隋唐・明 清と勝手に出てきますぜ。 >支配していた45年の間は一度も農民暴動がなかったそうです。 どういう換算で45年の支配になるのか分かりませんし、叛乱が一度もなかったわけで はないですが、武則天の政治は評価が高いですよ。民政というより官僚の人材登用がう まかったんだと思います。 >恐怖政治以外にはこの人の時代は唐の勢力範囲が以前より狭まっているのだそうで・・・ 唐朝の諸王・后妃や反対派の官僚・宮人にとっては恐怖政治以外の何者でもなかったで しょうね。版図ということでいえば、高宗時代にすでに膨張の限界に達していたので。 農耕民を基盤にした王朝では、あれ以上の膨張は不可能でしょう。武周朝期は、渤海の 自立が大きかったですね、領域の失陥としては。 >いくら好色だからってあの上官苑児にまで手を出すなんて・・・ うん?玄宗が上官婉児(昭容)に手を出したというのはフィクションでしょう。 上官婉児が武三思と通じたというのは、史書に記載がありますが。 >武州紫さま ごぶさたしてます。こないだまで風邪ひいてましたが、まあ今は元気ですよ。 >彼氏の(中国武将列伝)上、下(中央公論社)をよみました。 読んでしまいましたか…。 せっかくの気分をこわして申し訳ないんですが、田中芳樹『中国武将列伝』は、 かれの中国史ものの中でも、最も評価が芳しくないしろものなんですよ。 数ページにひとつのペースで、おかしなことが書かれてると言われてます。 田中作品で評価が高いのは、中国史ものは初期の長編『風よ万里を翔けよ』とか 『紅塵』とか。フィクションでは『銀英伝』が最高のものです。 >諸葛孔明が本場中国でちっとも有名でない事、 ちょっと言い過ぎです。田中芳樹氏もそこまでは言ってないと思います。 諸葛孔明は本場の中国史のヒーローの中のOne of bestであるということです。 岳飛とか、秦叔宝と程知節とか、鄭成功とか、ほかにも有名な人物がいるということ ですね。 >王もうも艱難時代は真摯な生き方をしていた、それをあぶりだして書き始めたとしています うーん、ある意味真摯なのかもしれませんが…。 一般的な解釈では、王莽の聖人君子ぶりというのは名声を得るための擬態だったという ものですけどね。 >孟徳さま はじめまして。 >光武帝は中華でもかなりの名君に入るのではないか これは同感です。 かれほど寛容で天然ボケ(笑)で親しみやすい君主は、中華にはいませんよ。 中国の儒教国家としての枠組みを固めたのもかれの時代ですし。 文明史的にも文化史的にもエポックとなる人かと。 中国を作ったのは始皇帝だが、固めたのは光武帝だ、と僕は思ってます。 http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/8986/ http://www2.justnet.ne.jp/~kays/s-china.htm などに光武帝の小説を書いておられるかたがいるので、僕は期待してるんです けども。 >またみなさまにとって名君の定義とはどのような人物のことを指すのでしょう? じつは難しいご質問だったり(^^;)。 僕が思うには、 与えられた状況の中で最善を尽くし、人材を適材適所に登用し、階層間・個人間の 利害を調整して、社会全体の公正さと福利を増進した君主。 そういうふうに定義しておきますか、いちおうそれらしく。(^-^) 必ずしも創業の英雄が名君ではないし、版図疆域を拡大した人が名君ではないと、 思っております。