360 諸葛孔明・その2 田豊 2002/04/06 01:28 男性 24歳 A型 尾州 市民 > 管理人さま >皇帝でない主君に対しては、「公」とか「明公」とか色々かなあ。 例の「中国ドラマ三国志」などを見ていると 趙雲辺りが「御主君」と呼んでいたりしますね あとは、「我が君」とか でもこれは、日本語に翻訳しているからなのでしょうか そうそう、あとは「殿」とか・・・ >あれって、相変わらずなんですか? 史実の「政略家・孔明」ではないという意味です(苦笑) それにしても、珍しく正史より似書かれている作品なのに 孔明は「奇才」として描かれるんですね・・・(溜息) ただ蒼天航路の場合はどこか別世界にとんでいますが(笑) ところで、創作もの(小説やマンガ)の中で孔明が名軍師以外の姿で描かれた作品を知りませんか? 僕は今まで、そういったものには出会ったことがありません やっぱり孔明は天才軍師のようです それはそれで嫌いではないのですが というか、軍略に関しても孔明は凡庸ではなかったと思っていますので 物語的に誇張されても(極端なのは遠慮しますが)気にはなりません ただ、もうちょっと政略家としての一面を強調して欲しいなという気がするのです 桓温がらみの逸話もありますし 僕は、あれが最も孔明を見事に評した言葉だと思っているのですが・・・ >眉唾どころの話ではないと思うんですが。 あの中国のことです きっと実在していたに違いありません(笑) 冗談はおいといて 上にも書きましたが、僕は孔明の軍才が平凡だったとは思っていません とはいえ、演技で描かれているほど際立っていたとも思っていません 陳寿の三国志だと「政治の才能は優れていたが戦は下手」というようなことを書いているようですが 孔明は本来政治家で、しかも国を殆ど一人で背負っていたということもあって まず第一に「政治家」としての孔明でなくてはならなかったために 無理な戦術は採用できなかったのでは、と考えています ですから、採る道は「正攻法のみ」だったのではないでしょうか つまり、孔明は政治家という己の殻(?)を破ることができなかったために 結局中途半端な北伐しか行えなかったのではなかろうかと もし仮に、孔明に匹敵する優れた政治家が蜀に存在していたら あるいは孔明も思い切った戦法をとれたのでは・・・と思うのですが >魏サイドにオリジナルキャラが出てこないかと期待してるんですがねえ。 オリジナルキャラ(というか、知らない人)で思い出しましたけど 万億という武将が最初は謎でした オリジナルか、正史のみの人か、単に無名で僕が知らない(その可能性が大)だけか・・・ それが赤壁の終盤で「万億(李通)」と書かれていました 李通なら取り敢えず名前くらいは知っていましたから 長年(?)の謎が解けたといったところだったのですが 最近、連載が再開されたら突然病死させられてましたね・・・(苦笑) ようやく正体が判明したのに呆気ないと思っているのは僕以外にも何人かいるはずです(笑) 359 人間、この不可解なもの 武州紫 2002/04/05 11:17 女性 B型 武州 女王 このサイトで暫く前朱元璋の事がたびたびとりあげられていましたので、 このところ朱元璋に関して随分本を読みました。その残虐さ・・・ ところでふとした事で今大戦の戦犯の日記を読んで日本軍の中国でした惨虐な 行為、捕虜にした残虐な行いには体が震えます。それから清が、楊州を攻略した 時の大殺戮、その生き地獄の事もたまたま本でみました。このときは80万殺した そうです。昔からどの王朝も凄く人を沢山ころしています。それも残酷な方法で・・ 人間は生殺与奪の権を握ると人を殺すのが平気になる生き物なのか・・残酷なのは 人間の本質なんではないか?と思われてなりません。 (歴史)は、1ッぽうで殺しの歴史なんですねぇ。 358 モンゴルはローマに及ばず 鹿角 2002/04/05 09:14 前回の続き 玄宗と朝衡の再会には少しジーンときました。この作は例外でも楊貴妃の天子に寄せる愛というのは極限の愛ですすよね。愛する人の ために死ねるかという。でもより悪いのは玄宗ですが                          先日塩野さんがNHKに出た番組をみて「なるほどこりゃ同じ世界帝国でもモンゴルはローマに劣る」カエサルがローマでしたことはモンゴルでいえば色目人・漢人達に大ハーンになる権利もあたえるようなものです。どんなにに杉山氏がモンコ゜ルのシステムが優れているといっても所詮は200年も続かなかった。ローマ史でいえばカエサル出演以前にローマが滅亡するようなものです (そんなのつまんないですよね。中国史にも彼のような人が出てくれればす数倍面白かったのに・・・) 357 あの孔明は NAGAICHI Naoto E-Mail: URL 2002/04/04 03:23 男性 28歳 B型 予州 布衣 >田豊さま >実際に家臣の人が主君(皇帝)を呼ぶときはどう呼んでいたのでしょうか? 皇帝に対して直接に呼ぶときは、「陛下」でいいと思いますよ。 最近『新唐書』を見てる(読んではいない)んですが、 李勣のかの「此陛下の家事なり」は出てくるし、魏徴なんかも「陛下」「へー か」を乱発してます。 皇帝でない主君に対しては、「公」とか「明公」とか色々かなあ。 >死因が過労死ということはありませんよね(笑) いや、あるかも(笑) 五十八歳、治世十三年の熟年の死ですからねえ。 病死とありますが、過労が原因かもしれませんし。 ほかに女の侠客に殺されたとかいう変な説もあるそうです。 >「魏の人々が正史寄りに描かれているのに、孔明は相変わらず・・・」というように >やっぱり、日本人にとって諸葛孔明は奇策の人なんでしょうか あれって、相変わらずなんですか?(^_^;) 少なくとも既成の演義的な軍師イメージからはかなり逸脱してる気が…。 いや軍師的役割を果たすように期待されているのは確かですが、決して 期待通りにはふるまわないと言いますか。 しっかし、あの赤壁での孔明の超能力みたいな力は、なんだかなあ…。 一線を踏み越えちゃったといいますか。なんといいますか。 まあ、あれも天然ガスの爆発とかいう話もありますけど。(>_<) >桓温が入蜀したときに >生きていた頃の孔明を知る老人に孔明のことを尋ねたら あの百云十歳の老人の話ですか… 諸葛亮が死んだのが234年で、桓温が入蜀したのが346〜7年ですから、 眉唾どころの話ではないと思うんですが。 それはさておき、僕も諸葛亮は優秀な軍師だったとは思いませんが、 優れた政治家で、とくに最優秀の部類の行政家・実務家だったと思います。 >蒼天航路の原作者の人が連載途中で亡くなったそうですよね 僕も、いつとはっきり言うことができませんが、 ほとんどリアルタイムでモーニング連載を見ていたので、けっこう急な話 だったのは覚えてます。 単行本では5巻と6巻の間で、原作者の李學仁さんが原案に代わってます。 あのあたりから、キャラは立てるけど展開は正史寄りになってますね。 曹操も李學仁さん独特のウィットがなくなってきますし。 諸葛亮が出てきたあたりから、こんどは王欣太さん独特の遊び心が出てきた かなという気はしてるんです。魏サイドにオリジナルキャラが出てこないか と期待してるんですがねえ。 >鹿角さま >楊国忠が悪役で、珍しい事に朝衡(この本ではほとんどこの名)を目の敵にしています。 お話を聞くかぎり、歴史ものというより時代ものの設定ですね。 まじめに歴史ものとして読んだら、頭痛くなりそう。 山田風太郎みたいな楽しみかたをするしかないか。 もしかしたらツッコミのしがいがあって、かえって楽しいかもしれませんが。 >ところで長安物語では葦后一派が太平・李旦兄妹や李隆基の命を狙ってる事になってる >んですが、フィクションでしょうか? いちおうフィクションでしょう。 そういうことももしかしたらあったかもしれませんが、そこまで歴史に書かれ ていないと思います。 中宗を毒殺して殤帝(李重茂)を擁立し、臨朝称制をしいた韋后にとって 相王李旦や太平公主が邪魔な存在であることはたしかでしょうけどね。 臨?王の李隆基などは韋后の眼中にも入ってなかったかもしれません。 355 翔べ麒麟 辻原 登(読売新聞社 98 鹿角 2002/04/02 09:44 前回の続き 何せこの作では太宗は銀龍の転生という事になっているのでカッコいいのも無理ありません(だからといって創龍伝のように超能力を発揮したりもしません)だけど「子供ができた」と聞いて喜ぶ彼はとても可愛い・・・楊貴妃は女仙人のようではありますが。                                      翔べ麒麟という仲麻呂=朝衡と藤原真幸が主役の本では楊国忠が悪役で、珍しい事に朝衡(この本ではほとんどこの名)を目の敵にしています。国粋主義者で、漢民族以外を追い出そうとしてる。彼にしてみれば朝衡の判なしに小麦一袋動かせないというのにたえられないんですね。(仲麻呂ってば偉い・・・)安禄山と顔真卿達が初めは反楊国忠同盟の同士だというのには驚きました。それよりもっとびっくりしたのは楊貴妃と楊国忠が実は恋人同士だということ。詩人という名でしか呼ばれませんが杜甫もでてくるし(もち李白も)で仲麻呂は玄宗の姪と夫婦になって安南に移住してしまうんですよね。しかしこれもやっぱり「玄宗さま」っていわれている・・・                                               ところで長安物語では葦后一派が太平・李旦兄妹や李隆基の命を狙ってる事になってるんですが、フィクションでしょうか?                                                         翔べ麒麟の中で心に残った一節 「天子は恋をしてはいけない」玄宗を見てればそういいたくなるでしょう。 354 諸葛孔明 田豊 2002/04/01 13:40 男性 24歳 A型 尾州 市民 >管理人さま >歴史書でそう書かれているから、小説の口語の台詞でも使ってしまう。 鹿角さんとの話題に割ってはいるようで申し訳ないのですけど 実際に家臣の人が主君(皇帝)を呼ぶときはどう呼んでいたのでしょうか? 単純に「(皇帝)陛下」といった具合だったのでしょうか 井上祐美子さんの「長安異神伝」などを読んでいると なんか複雑な呼び方をしていたと記憶しているのですが・・・ >睡眠時間削って「?批輸旨」という緻密な往復書簡をやっていたのです、皇帝おん自ら。(^^;) 死因が過労死ということはありませんよね(笑) もしそうだったらある意味笑えないような・・・(汗) >政治の世界では先駆者だから偉いなどということは無意味だということです。 申し訳ないです これは勘違いしていました(汗) >またある時代にうまくいったやりかたが必ずしも次の時代でも通用するわけではありません 政治だけじゃなくて、価値観とかも時代が違えば通用しないということは承知しています ですから、そこまで厳密な話ではなくて 同じくらいの評価を受けている異なる時代の人物がいたとしたら 僕の場合は前の時代の人を評価してしまうというような、個人的な感情の話だったんです それこそ「関羽vs秦叔宝(でしたっけ?)」のような感覚です ですから >こういう人は近世・近現代の政治家より評価に値するのでしょうか。 というようなことを言われれば 「そうとは言えないけど・・・」というように言葉を濁してしまうわけですが 単純に感情として古い時代の人を僕は評価してしまうのです それを「先駆者」というように表現したのですが これは僕の誤解を招くような表現がまずかったと思います 申し訳ありませんでした >ただ諸葛亮の周囲の空間だけがストーリーを破綻させかねないほど踏み外しているけど 蒼天航路の話ですが 僕の友人もこの孔明を見て嘆いていました 「魏の人々が正史寄りに描かれているのに、孔明は相変わらず・・・」というように やっぱり、日本人にとって諸葛孔明は奇策の人なんでしょうか 僕が孔明の話で一番感じ入っているのは 三国時代が終わったあと、桓温が入蜀したときに 生きていた頃の孔明を知る老人に孔明のことを尋ねたら 「(孔明の)生きているときは周囲の人と大差なかったが  今になって周りを見ると、肩を並べる人は存在しない」 というような答えが返ってきたという話です 地味で堅実で目立たなかったけど、本当に優れていた人物と解釈していますが 話を盛り上げるときにはこういった地味なところでは盛り上げにくいというのがあるのかもしれません やっぱり、奇抜なものって分かり易いですから >最近の「蒼天」はオリジナルのキャラがあまり出てきません。 >正史の流れをあまり踏み外さなくなったというか 話は前後しますが 蒼天航路の原作者の人が連載途中で亡くなったそうですよね そのあたりから路線が変わってきたのかなと僕は思っているのですが 正確な時期がいつなのか分からないので自信はありません 353 タイムマシンがあればねえ NAGAICHI Naoto E-Mail: URL 2002/03/31 02:03 男性 28歳 B型 予州 布衣 >鹿角さま >玄宗は名君であった時もなにかと曾祖父を周りに持ち出されて嫌になった事はなかった >んでしょうか。 それは本人に聞いてみないことにはどうだか。(^^) コンプレックスを表に出したような話は、とりあえず聞いたことがありません。 表に出していなかったからといって、持ってなかったとは限りませんが。 >太平公主もちょっと・・・兄の一家が酷い目にあってる時は知らん振りで皇帝になった >途端大きい顔しだすのもどうかと。 太平公主も、高宗とあの則天の娘で、薛紹にとついで死に別れ、武承嗣にとつい で別れ、武攸曁に「配」された幸うすい人のようにも思えるんですけどね。 ただ則天自身が「私に(性格が)似ている」と言っているし、陰謀好きだったの は確かみたいで。韋后誅殺以後は、一時とはいえ玄宗すらおそれる権力を握って いたというのは、ただものではないです。 >楊貴妃が「玄宗さま」といい、太宗が「我は太宗なり」というのはどうかと。 (^^;)。廟号の意味が分かってないんでしょうね。 歴史書でそう書かれているから、小説の口語の台詞でも使ってしまう。 なかには「煬帝陛下」!とやってる小説も世の中にあるそうで。 こちらは諡号ですが、なかなかおそろしい。 >田豊さま >BSで放送されていた「中国ドラマ三国志」のようなものでしょうか? たぶん似たようなものです。僕も「雍正皇帝」のほうは全然見たことがない ので、確かなことは言えませんが。 「三国演義」と同じ中国中央電視台のものだったと思います。 >信念などが極端に強かった人だったのでしょうか まあ、兄弟諸王を犬・豚扱いして抑圧したり、キリスト教弾圧したりは、まだ 比較的かわいい(爆)ですが、とくに官僚統制は極端というか、感心するとい うか、あきれるというか。 独特の「奏摺政治」というやつで、地方の官吏を統制するために、睡眠時間削 って「?批輸旨」という緻密な往復書簡をやっていたのです、皇帝おん 自ら。(^^;) いやあ、マ(ジ)メでしょう? >「蒼天航路」の序盤で「始皇帝の始皇帝たるゆえん」みたいなものが描かれていました 曹操と李烈のやり取りですか。李烈は「蒼天」のオリジナルキャラですね。 話はズレますが、最近の「蒼天」はオリジナルのキャラがあまり出てきません。 正史の流れをあまり踏み外さなくなったというか。(汎なんかどこいったんだ ろう?)ただ諸葛亮の周囲の空間だけがストーリーを破綻させかねないほど踏み 外しているけど。 >ですから、「実現させた現実の人」という意味での先駆者を挙げたかったのですけど >説明不足でした いや、僕が言いたかったのは、堯舜・周公が「先駆者」で偉かったなどと言いた かったわけではありません。 まるきり逆で、政治の世界では先駆者だから偉いなどということは無意味だとい うことです。またある時代にうまくいったやりかたが必ずしも次の時代でも通用 するわけではありません。 政治ってのは、きわめて単純に定義すると、利害を調整することです。 武士と百姓と町人(これはものの例えですよ)の利害を調整して、どの階層にも 大きな不満や不公正感を持たせないのが比較的よい政治というものです。 都市と農村と、海岸と内陸と、バランスよい発展をさせるのもまあよい政治です。 そもそも政治とはそういうものであるのに、康煕・乾隆より唐の太宗が「先駆者」 として評価できるとか偉いとか言ってもしょうがないです。 だいたい中国の実際の政治で先駆的業績を立てた人は、むしろ名君・名政治家と 呼びづらいことが多いです。 中国を統一し、中華システム(帝国)を確立し、度量衡・文字を統一して、万里 の長城を作った秦の始皇帝は名君ですか? 均輸・平準法を立て、塩鉄専売を始めた漢の武帝はどうですか? 近代西洋人にさえ称揚された「科挙」を創始し律令を立てた隋の文帝はどうです? それほど先駆的業績がなくても、漢の宣帝とか宋太祖趙匡胤とかのほうが、僕は名 君だと思います。 まあ、君主にこだわらなくてもいいですが、例えば春秋斉の管仲とか戦国秦の商鞅 とか、十分に先駆的な業績を上げた政治家がいますが、こういう人は近世・近現代 の政治家より評価に値するのでしょうか。 352 始皇帝 田豊 2002/03/29 12:58 男性 24歳 A型 尾州 市民 > 管理人さま >中国でも最近雍正帝のドラマがあったらしく BSで放送されていた「中国ドラマ三国志」のようなものでしょうか? 他に「楊家将」も放送されていましたが、こちらは残念ながら見れませんでした(泣) 田中芳樹さんの「中国武将列伝」に書かれていましたが 中国では「岳飛伝」とか他にもたくさん放送されていたようですね 全部見てみたいと思うのですが さすがに視聴率がとれないでしょうから放送されることはなさそうですよね・・・ >この人も評価の複雑な人です 信念などが極端に強かった人だったのでしょうか 良くも悪くも、「極端」になってしまうと簡単には評価できなくなってしまうのでしょう 秦の始皇帝の話が出てきましたが それで評価が割れてしまうのかもしれないですね 始皇帝の話(というほどではありませんが)で思い出したのですが 「蒼天航路」の序盤で「始皇帝の始皇帝たるゆえん」みたいなものが描かれていました 詳しいセリフ回しは覚えていませんが 先駆者として評価しているような描かれ方だったと思います もちろん、それが名君だということには繋がりませんが >ほとんど伝説上の時代の政治にあるわけで それもそうですよね(苦笑) ただ僕は、そのあたりはあくまでも伝説として捉えていまして (誰かが作った)「理想」ということ形のない存在として 先駆者というようには認識していませんでした 「理想的先例」くらいの認識です ですから、「実現させた現実の人」という意味での先駆者を挙げたかったのですけど説明不足でした 例としては「貞観の治」を挙げてみましたけど これは単純に、これ以前での良い例を僕が知らないだけですので(苦笑) よい例が他にあるようでしたら、申し訳ありませんが教えてもらえないでしょうか? 351 即天武后 (97年 津本 陽 幻冬舎) その他 鹿角 2002/03/29 09:53 伴野氏の話の最終回に厳顔が張飛との絡みで出て来てもしかしたらと期待したらやはり正気の歌が引用されて少し嬉しかったです。                       前回の少し続き  玄宗は名君であった時もなにかと曾祖父を周りに持ち出されて嫌になった事はなかったんでしょうか。自分は違うといいたくなった事もあると思います。にしても「子供はいらない」って・・・それまでに15にんもいれば確かにそういう気持にもなるでしょう。(とかいってその後44人もできるんですよね。それから太平公主もちょっと・・・兄の一家が酷い目にあってる時は知らん振りで皇帝になった途端大きい顔しだすのもどうかと。(いくら功績があったといえ) 李隆基君が同時代にいたことがこの人の不幸ですね。                                    その母 即天武后の津本氏の作を読みました。何というか・・・辛いです。どんなに頁を重ねても武后は某を酷い目にあわせたという繰り返しなんですから・・・あまり近づきたくないです。しかし 陳・伴野両氏が指摘されておられるように開元の治を支えた名臣達は武后に見出された人達なんですよね。玄宗は武后に幼年期不幸な目にあったかわりに皇帝の位についてから恩恵をうけているというか・・・しかし孫の人を見る目祖母に及ばずという気がします。彼女は身分が高いだけで才能のない人は見向きもしませんでしたから。                                                    谷恒生氏の楊貴妃幻戯と隋唐竜伝説も読みました。楊貴妃が「玄宗さま」といい、太宗が「我は太宗なり」というのはどうかと。(でも彼はかっこいいです。           350 古い時代は NAGAICHI Naoto E-Mail: URL 2002/03/27 22:21 男性 28歳 B型 予州 布衣 >武州紫さま >罪が1族、友人、知人にまで及ぶというのは何ゆえなんでしょうか。 刑罰が一個人の罪で済まず、一族に及ぶというのは、前近代ならではですよね。 まあそもそも個人主義という考え方じたいが西洋近代以降の思想という見方も ありますが。 一個人が死刑にあうのと、その刑が三族に及ぶのとでは、後者のほうが当然重い わけです。一身の死刑では償えない罪とみなされたときは、一族に及びます。 単に連座というだけでなく、一族が殺されれば、祭祀も絶えてしまいますから、 中国人的感覚ではさらにつらい刑罰なわけです。 友人、知人にまで及ぶ罪というのは、まあそれとは少し違うレベルなわけで。 これはたいてい政治犯・思想犯です。政治弾圧・思想弾圧の一環として一党派 とみなした人間たちをある事件に連座させてまとめて禁錮とか左遷とか死罪とか にしちゃうのです。 >鹿角さま >寿王・玉環の別れが案外さばさばしてるなという感じです。 まあ史料に書かれてないことは、小説家の裁量でどうにでもなるわけです。 >楊貴妃は李林甫をはっきり敵だと意識してるし これはホントどうでしょうね。 楊一族の観点からみれば、いってい時期までは李林甫に取り入っていたし、 楊国忠が京兆尹になったくらいからは、逆に党争の相手となるわけで。 ただ貴妃の感情的な部分は想像するしかありません。 >楊国忠なんてこの時期の彼なら見向きもしないでしょう。 さて、楊国忠も意外と財政の方面では才能を発揮したらしいという話もありますが。 まあでも宰相とか南詔討伐の司令官とかが似合う人ではなかったのは確かで。 >田豊さま >雍正という人は、勉強不足で知らないです(汗) 僕もさして知ってるわけではありませんが、 宮崎市定『雍正帝』(中公文庫)を読むと名君のように思えます。(^^;) 一日4時間しか寝ないで政務に没頭したというナポレオンみたいなエピソードの ある人です。 中国でも最近雍正帝のドラマがあったらしく、今は評判がそこそこいいらしいです。 まあ独裁君主の義務に対してたいへん真摯な(マジメな)人だと思いますが、だから こそ逆に恐怖政治家めいたとこもみられるわけで。この人も評価の複雑な人です。 >「先駆者」という意味で古い時代の人を評価したいと個人的に思ってしまうわけです いや、こういう先駆者という考え方でいえば、歴代中国の(とくに儒教の)政治の理 想は堯舜とか周公とかの(ほとんど伝説上の時代の)政治にあるわけで、後漢以降の 偉大とよべる政治家は、復古的理想と実際の現実とをうまく摺り合わせてきたわけで す。そういう意味では、厳密な意味で偉大な先駆者は五経の中の上古にしかいないの です。 中国の歴史上で、儒教的影響をあまり受けなかったもうひとりすさまじい先駆者がい ますが、…ええ、秦の始皇帝です。名君かどうかは意見がかなり分かれますが、中国 という大きな枠組みを作った君主としては、あまりにも巨大なパーソナリティーです。 349 古い時代の人 田豊 2002/03/25 13:03 男性 24歳 A型 尾州 市民 > 管理人さま >清の康煕・雍正・乾隆とかも挙げたいところですが 康煕・乾隆の両名は名君だという話を聞いたことがあります といっても、ちらっと耳にした程度で詳しいことは全然知らないのですが(苦笑) 雍正という人は、勉強不足で知らないです(汗) それで「康煕・乾隆」の二人も名君ということで浮かんだことは浮かんだのですが なにぶん、詳しく知らないということもあって名前を挙げませんでした それと、新しい時代の人よりも古い時代の人の方が優れていると思う傾向がありまして まあ、優れているといっても比較基準は曖昧ですが 「先駆者」という意味で古い時代の人を評価したいと個人的に思ってしまうわけです 例えば、「貞観の治」が後世の手本とされたとなっているならば やっぱり、それを手本として成功した人よりも手本となっている本人を評価してしまいます こういう偏見もありまして、僕の中で明・清の頃の人は 他の時代に比べたらあまり評価が高くないのです こういう偏見はよくないことですが その偏見の中にあっても特に際立っているような人がいれば その人は文句なしに(非の打ち所がないという意味ではなく)名君だと思うのですが・・・ >皇帝個人よりも周りの名臣に光が当たってしまう時代なので 優秀な家臣が育って活躍する場があったという意味では その時代の君主も名君といえなくもないですね だからといって仁宗が名君かどうかは分かりませんが(苦笑) >武州紫さま >名君はその時の帝国のおかれた状況によって そうですよね だから簡単に比較できないんですけど それでも比較したくなるのですよ(苦笑) 別に優劣を付けたいとかいうわけではありませんが それなのに、どうして比較してしまうのでしょうね 348 盛唐の時代に 鹿角 2002/03/25 09:49 楊貴妃伝の方は長安物語に比べて寿王・玉環の別れが案外さばさばしてるなという感じです。長安物語では泣く泣くという表現だったのに楊貴妃伝は皇帝の命令だから従うという形になってます。実際従わなきゃ二人共無事ではすみませんからね。彼女の決意を知って彼はかえってほっとしてますから。それに井上氏の方は後でどんどん主客転倒していくとはいえまだ玄宗に最高権力者としての威厳があります。(少なくとも出始めの時は)     それに実際はどうだったかは知りませんが楊貴妃は李林甫をはっきり敵だと意識してるし・・・そう思われても仕方ない面もありますが。後高力士が彼女の相談相手になってあげるのもいいですね。                                      話は変わりますけど安能版隋唐演義でよう崇と張説の対立が実はよう崇のやらせだったことに彼の死後玄宗が知る場面があるんですが気付かなかった自分に対し「何て馬鹿だったんだろう」というようなことを悟る場面があるんですよね。この時期の彼を支えている人たちというのは「開元の治」と後世賞賛されるだけあって名臣揃いですよね。楊国忠なんてこの時期の彼なら見向きもしないでしょう。よう崇や宋景なんて帰るとき玄宗の見送りを受けたほどなのに・・・この真剣さが続かないのは本当に残念です。 347 名君について 武州紫 2002/03/24 22:34 女性 B型 武州 女王 田豊様が名君の名を挙げたらだれだと思うか?質問されていたので考えこんでしまいました。 たまたま朱元璋を読んで清朝に下り康熙帝は名君だなと思っていたのですが(文字の獄)の事 に触れてう・・・んと躓き・・独裁君主の怖さを思い知りました。 朱元璋の狂気を云々した後でしたのでなをさらです。 英邁さは生まれつきでしょう。ただし名君はその時の帝国のおかれた状況によって名君足りうるかどうか違ってくるかも。 なにを基準に名君というか?やはり民の生活の保障と残虐な行いが少なかったかできめますね。 ま、国が繁栄すればいいのかな。いくら考えてもわかりません。 例の菅理人さまに教わった(ボケ皇帝)が1位かな。と思いましたが、宮崎市定著(雍正帝) 中公文庫を読んでまた名君に対する考えが揺らいでしまいました。 宮崎市定だけでなく雍正帝に対する評価は学者の間で高いみたいですね。 冷酷な君主のイメージがあつただけなのですが。政治はむずかしい。 話は違いますが菅理人さま。 南條範夫の(牢獄)を読んでみようと思って目次を見ていて(聖恩限りなく)と言う項目が あってぞっとしました。その部分をチラと読んだのですが、人間の底深い不気味さを感じます。 罪が1族、友人、知人にまで及ぶというのは何ゆえなんでしょうか。 346 欠点も長所もある人間 NAGAICHI Naoto E-Mail: URL 2002/03/24 21:39 男性 28歳 B型 予州 狩猟民 >田豊さま >「凡庸」というような評価だったと思います やはりそうなるんでしょうね。欠点も長所も並にある人間。 人間なんだかだといって凡庸な人間がいちばん多い。..ちがうか。(^^;) 皇帝個人よりも周りの名臣に光が当たってしまう時代なので、個人の評価も そこそこおざなりだし、ブレもあるのでしょう。 仁宗単体の評伝は、聞いたことないですし。 >その中でも特に群を抜いて、文句なしに「名君」と評されるような人物は 僕が名君と思う人物については、最近書いたばかり(この掲示板の308番) ですが、前漢の宣帝(劉詢)、後漢の光武帝(劉秀)、唐の太宗(李世民)、 宋の太祖(趙匡胤)といったとこをとりあえず考えてます。 ただし挙げてみたのも、文句なしというわけではありません。 文句はそれはそれはありますよ。(笑) 清の康煕・雍正・乾隆とかも挙げたいところですが、それぞれ僕から見ると 功績も大きいけど欠点もまた大きすぎてねえ。そこが面白くはあるんですが。 明の洪武帝・永楽帝は個人的に好かないので挙げません。(^^;) フビライ…そうかフビライもいましたね。フビライの功業も一世紀そこそこ でしたが、フビライがいたから保った一世紀のようにも思えます。 >鹿角さま >しかし相変わらずどの作品でも楊一族ってのはやりたい放題ですね。 まあ実際やりたい放題だったんでしょう。 韓国・?国・秦国の三夫人などは、皇族すらはばかる権勢ぶりだった みたいで。楊国忠は実はマシなほうかも。 >権勢を失った外戚の常として最悪の場合一族族滅ですよね。まあ結果的にそうなったけど。 そうですね。一族族滅とまでいかなくても、まず往事の権勢を取り戻すこと はありませんね。楊氏の場合、とくに成り上がりの色が強いですから、反動 も大きい気がします。 そういや最近、森福都の短編で「殿」ってのを読んだけど、これでは楊氏は 一族族滅されてないです。(^_-) 345 名作だね 鹿角 2002/03/19 09:42 伴野氏の話、今週も孔明だそうです。先週聞き逃した人もまだまにあいます。(って何が?)来週は関羽かな?番組名は「東西傑物伝」でチェックしてください。(ってまたNHKの宣伝ですね)                                 前回の続き 伴野さんから井上さんに移ることはできてもその逆は少し難しいでしょう。二人の作風がどういう風に違うかというと伴野氏は作者の感想が時々見えるのに対して井上氏は極力登場人物に寄り添うことでいいとも悪いともいわない。きついいいかたをすればあえて作中人物を突き放してる様に思えるんで。伴野氏の書き方だと作中人物をいくらでもかばえるけど。しかし相変わらずどの作品でも楊一族ってのはやりたい放題ですね。専横というお上品なものじゃなくて単に成り上がり者の浅ましさってのが露骨にみえて嫌ですね。きっと「世間体・恥・外聞」といった言葉は楊一族の前を素通りするんでしょうね。そうじゃなきゃあれほど顰蹙をかうことばかりやる訳ないでしょう。彼らの権勢は玄宗健在という前提があって成り立つものであって皇太子に譲位しなきゃいけなくなったら今までの栄華もその日のうちに終わりです。権勢を失った外戚の常として最悪の場合一族族滅ですよね。まあ結果的にそうなったけど。 344 名君について 田豊 2002/03/18 12:50 男性 24歳 A型 尾州 市民 > 管理人さま >仁宗個人を暗愚とみなすような評価は見つけられませんでした。 正確なタイトルは忘れましたが(出版社も) 「絵で見る中国史」というようなタイトルの本の中に 范仲淹が失脚した場面について「暗愚な仁宗が・・・」と書かれていました これを目にする前は仁宗のことを殆ど知らず 「桃花源奇譚」の解説で書かれていた「名君」という評価を信じて どういう功績を残した人だろうと思っていました それで最初に出会った情報が「絵で見る中国史」でして そのときは思わず我が目を疑ってしまいました 他でも調べてみると、むしろ「名君」の評価の方が少なくて驚いたものです 管理人さまの仰られるように「暗愚」という評価は「絵で見る中国史」だけのようでした 他で見かけたものでは「暗愚」とまではいきませんが 「凡庸」というような評価だったと思います 最初の印象が強烈だったために、勘違い(思いこみ)していたようです(汗) 申し訳ありませんでした いずれにしろ、僕が調べた(うちに入らない程度ですが)中では 仁宗の評価はよくないものばかりでした 「慶暦の治」にしても、仁宗というより范仲淹や韓gらが評価対象になっていたもので (仁宗が范仲淹らを退けたということもあって評価の対象外になっていました) 仁宗を評価する点が見つけられなかったわけです 今回のことで、まだまだ一方的に偏った視点で物事を見ているのだと 改めて自分の未熟さに気付きました 目から鱗が落ちたような思いで、本当に勉強になりました ありがとうございました 話は変わりますが 名君について皆様方に質問します 仁宗の話で「名君」について色々考えたのですが 歴史上名君と呼ばれた人物は星の数ほどいるのでしょうが その中でも特に群を抜いて、文句なしに「名君」と評されるような人物は いったいどれほどいるのだろうと思って自分なりに挙げてみました まず真っ先に思い浮かんだのが唐の「李世民」なんですが その後がなかなか続きませんでした 時代が異なれば評価基準も異なりますから比較できないのは当然ですが それでも5人くらいは出てくるかと思ったのに、自分でも意外に思いました 取り敢えず、後漢の劉秀と元のフビライ・ハーンも上位(?)に入ってくるとは思いますが 他に名君として挙げるとしたらどのような人物が思い浮かびますか? 343 比翼の鳥、連理の枝 NAGAICHI Naoto E-Mail: URL 2002/03/17 23:06 男性 28歳 B型 予州 土匪 >田豊さま >確か、一年とかそれくらいで失敗してしまったとか何とか・・・ 慶暦の新政(慶暦の治)は、 慶暦三年(1043)に范仲淹を参知政事に登用してから、五年(1045)の間に 守旧派の巻き返しで終わってますね。 范仲淹・富弼は外官に出て、杜衍は相を罷めさせられ、余靖・尹洙・欧陽 脩は左遷されてます。 慶暦期は、慶暦の党争の時代としてネガティブにとらえる見方もあるよう です。のちの新法・旧法の党争のはしりでもあって。 >その理由が、暗愚な仁宗が范仲淹を退けて旧体制を支持したからとかいうような話だった >と思います 結局は守旧派の圧力に抗しきれなくなったみたいですね。 ただ手元にある本をちらほら見てみたんですが、 仁宗個人を暗愚とみなすような評価は見つけられませんでした。 むしろ好意的に評価しているものが多いようで。 佐伯富さんあたりも、仁宗が范仲淹を信任していたことを積極的に捉えて いるようです。 >飽子さま ご教授ってほどのこともしてませんが、糸口になれば幸いです。 >鹿角さま 井上靖『楊貴妃伝』は何年か前にいちおう読んでます。 皇甫惟明とかいう人物が出てきて、楊貴妃とからむのかなあ…と期待させ ておいて、結局肩すかしを食った覚えが。 長恨歌をうまく使ってたように記憶してます。 >楊貴妃と弟の成器(ってあのーそれって隋唐では兄ということになってるんですけ >ど・・・)の関係 成器は李憲の本名ですから、睿宗の長子で玄宗の兄ってことになりますね。 井上靖氏のミスじゃないかと思います。 ちなみに蛇足、6年前になりますが僕は西安の華清池には行ってるんですよ。 浴池は…キタナかった!ハッキリ言って。(爆) あそこは西安事変のときの弾痕とともに印象に残ってます。 342 名作は時代を超える・・・ 鹿角 2002/03/15 09:49 管理人様はとっくに読んでるかもしれませんが今回は「楊貴妃伝」(井上靖 昭40年 中央公論社)について 何というか・・・女の戦い(楊貴妃VS梅妃)が怖い・・・二人の間で小さくなってるであろう玄宗に同情します。       長安物語では玄宗が楊貴妃をどんなに愛しているかということは伝わってくるのですが逆の立場はどうなのだろうと。「伴野さん女の書き方はいまいちやなー」と(あくまでも井上さんと比べて、ですよ)井上氏はヒロインである楊貴妃と同じくらいの努力をかけて玄宗をかいてるから・・・伴野さんの場合は主役である玄宗ほどには力をいれて楊貴妃を書いていないような・・(って何生意気いってんだか・・)だけど玄宗も人間なんですねー楊貴妃と弟の成器(ってあのーそれって隋唐では兄ということになってるんですけど・・・)の関係に嫉妬したりするんですから・・・一番好きな場面は長安物語でもあったけど彼が彼女の髪に歩揺を挿してあげる場面かな。彼の思いがなんとなくつたわってきていいなと思っちゃいます。                                       341 ありがとうございます〜! 飽子 2002/03/14 17:54 女性 21歳 A型 播州 市民 御教授、感謝致します。 明日には図書館に行って、さらに詳しく調べてみようと思っております。 本当にありがとうございました。 340 参考になりました! 田豊 2002/03/14 12:58 男性 24歳 A型 尾州 市民 > 管理人さま >20代ではじめても一見識ついたころには中年になってる まさに「少年老いやすく学なり難し」ですね(汗) 仕事と小説を両立して・・・という情況だと なおさら難しいでしょうね 幸い、一応は文章を書く仕事に就いていますが(本当に一応) 歴史に関しては遠ざかっていますから相当な覚悟が必要になりそうです(苦笑) >「慶暦の治」と称揚されて これが結局失敗に終わったという話は聞いたことがありまして 確か、一年とかそれくらいで失敗してしまったとか何とか・・・ その理由が、暗愚な仁宗が范仲淹を退けて旧体制を支持したからとかいうような話だったと思います そういうこともあって、さらに西夏と色々あったりということが目について どこをどうしたら名君になるのかと思っていたのですが・・・ 確かに、管理人さまの仰ることには一理あります たいへん参考になりました! 339 少年老いやすく NAGAICHI Naoto E-Mail: URL 2002/03/14 02:01 男性 28歳 B型 予州 侍郎 >田豊さま >ただ「手っ取り早く」というのが問題なのでしょう(汗) 僕が言いたかったのは、本気でやるなら腹をくくりましょうって話です。 中国史の小説書いて出版している人たちに、最近はそんなに若い人って いないでしょう?歴史ものというやつは、深い知識や教養の裏づけが 不可欠です。どこぞのジュニア小説みたいにはいきません。 一昔前みたいに漢文が幼少のころからの当然の教養という時代じゃあり ませんから、20代ではじめても一見識ついたころには中年になってる。 そのくらいのつもりでスタートしないと途中でコケます、たぶん。 偉そうに言うわたくしゃ、スタートラインにすら立っていないんですが ね。 >仁宗を「名君」と評価したものは一つも見つかりませんでした 僕も宋の仁宗を名君と呼ぶのはためらうんですが…。 彼の治世の中期には、韓g・范仲淹・欧陽脩らの名臣が政権にあり、 司馬光・王安石が頭角をあらわし、周敦頤・邵雍らの名儒が活躍し、 「慶暦の治」と称揚されて、後世の士大夫が理想とした時期があった んですよ。大体このころが北宋の最盛期とされてます。 仁宗個人も、性は仁孝寛裕で、喜怒を顔に出さない人物だったとか。 以上は、岡崎由美・王敏監修『中国歴代皇帝人物事典』(河出書房新 社)を参照したんですが。 名君と呼ぶのは、そこらを積極的に評価したものじゃないでしょうか? 治世後期になると、遼・西夏に圧迫され、財政は赤字に転落と、北宋衰 退の原点になるんですが。だから名君と呼ぶにはどうもねえ。 >飽子さま はじめまして。 僕も伝説系は詳しくないんで、細かいことは分からないんですが…。 中国の神話で、 太陽には三本足の烏がいると考えられていてこれを「金烏」と呼び、 月には兔がいると考えられていてこれを「玉兔」と呼んだそうです。 あと、以下のような文が出てきました。ご参考になれば。 -- 日は太陽の精、積みて烏の象(かたち)をなす。烏は陽の類、その数は奇なり。 月は陰精の宗、積みて獣の象をなす。兔は陰の類、その数は偶なり。                        張衡「霊憲序」 -- 金烏は長(とこし)なへに飛び、玉兔は走る 青鬢長なへに青きは、古よりあることなし                        韓j「春愁詩」 -- 兔走烏飛して相見ず 人事依稀として速やかなること雷電の如し                        荘南傑「傷歌行」 338 初めまして 飽子 2002/03/13 14:10 女性 21歳 A型 播州 市民 中国史に興味を持ってここ数日いろいろ文献を読み漁っていたのですが、 ふとした疑問を持ちましたので、このサイト(いつも楽しく閲覧させて 頂いております)の管理人様や、また訪問者様なら、なんらかの解答を 下さるのではないか、と浅はかながら書き込みさせて頂きます。 『烏飛兎走(うひとそう)』 『烏兎匆匆(うとそうそう)』 という言葉がありますよね? 月日が経つのが早い様、を意味する言葉で、カラスは太陽(日)に、兎 は月に住む、といわれている、という中国の伝説に由来するらしいんで すが、ここで疑問に思ったのが、 「なぜカラスが太陽?」 ということでして。 どなたかこの題材(?)になった元の伝説(神話?)を御存じないで しょうか? なぜだかすごく気になるんです。 初めての書込みがこのような内容で申し訳ありません。(中国関連の ようで、そうでないような。び、微妙ですね…) それでは、この辺にて。 失礼致しました。 337 承知しております 田豊 2002/03/13 13:00 男性 24歳 A型 尾州 市民 > 管理人さま >いや、全くというわけではないんですよ。 危うく誤解したままになるところでした ご指摘ありがとうございます >本気で趣味の範囲を越えてやるのなら、日本語の資料に頼っていては他人の二番 >煎じ以上のことはできませんよ これに関しては重々承知しております そもそも、「誰か」が記録した時点で、その記録者の視点(主観)を通したものになってしまうと思っていますから できる限りそういったフィルターを通してない情報 つまり原文を直に読んだ方がいいのは当然のことだと思います が、僕の話はそれ以前の話でして、単純に「なにも知らない」状態ですから 手っ取り早くその時代に触れておきたいと思ったりするわけなんですね ただ「手っ取り早く」というのが問題なのでしょう(汗) それで、こういう状態で小説を書いているからでしょう 当然、出版もしていませんから身近な人からは「趣味」で一蹴されてしまうわけです それほど事情も知らない人にそう言われてしまうのは仕方がないことですが 身近な(それも親密な友人)に「仕事(プロ)」と「趣味」だけで判断されてしまうのが どうしようもなく悔しくて、悲しかったりするのです 考えてみれば些細なことですね(苦笑) 少なくとも身近な人には単純な枠組みで判断してほしくないという自己満足でしかありませんが 中華史の話から大きく逸れてしまったので一つ中華史関連の話を入れておきますが 宋の時代に興味を持ったきっかけの一つで、井上祐美子さんの「桃花源奇譚」がありまして その話の主人公になっていた宋の仁宗について分からないことがあります 「桃花源奇譚」の文庫版の解説のようなところで 仁宗を「名君」と評していたと記憶しています(だれがそう書いていたのかはちょっと忘れましたが) それで自分なりに仁宗のことを調べてみると 意外なことに仁宗を「名君」と評価したものは一つも見つかりませんでした 西夏と戦争して財政難にしたとか 「ハンチュウエン(変換できませんでした)」を失脚させた暗君だとか そういうものばかり見つかりました それで、どうして「名君」という評価が出てきたのかが謎なのですが もしその理由が分かるようでしたら教えてもらえないでしょうか 336 多少厳しいこと言ってますが NAGAICHI Naoto E-Mail: URL 2002/03/13 01:15 男性 28歳 B型 蓬莱 仙人 >孟徳さま >建国当初、朱元璋陣営ではどのくらいの位置にいたんですかね? 呉元年(1367)、太史令。 洪武元年(1368)、太史率更令を兼ね、御史中丞を授かる。 洪武三年(1370)、弘文館学士となり、誠意伯に封ぜられた。 ということですから、高官には違いないですが、地位やステータスとしては 丞相級より何段か低いことになります。 ただ洪武四年(1371)には病を理由にして郷里に帰って隠棲生活に入ってますね。 >田豊さま >史書(正史)を翻訳しても業績が認められないという理由には正直驚きました いや、全くというわけではないんですよ。 費やす労力の膨大さに比して、あまり高い業績としては学界で認められないって 意味です。やはり大学の研究者とかは、新しい発見をして論文をものして学会に 発表することが本分になりますしね。 (ここを誤解されて安易に言いふらされては困りますんで) でも多難ながらも翻訳をやってきた(また今もやろうとしている)研究者はいる わけですよ。 まあ現今の出版不況で、さらなる困難が追い打ちかかってるわけですが。 (数年前のちくま文庫『漢書』も採算とれなかったらしいし。廉価でやるには出 版社の腰が引けてますね) >国家事業として二十四史を翻訳してくれたらということには大賛成なんですけど 二十四史の現代日本語訳が全訳で網羅されたらというのには、僕も大賛成です。 しかし自国の正史ならともかく、他国の正史翻訳が「国家事業」として行われる ことはないでしょうね。 実際行われたらそれはそれで弊害も出ると思います。 「国家事業」の権威づけされた正訳が一人歩きし始めるんじゃないかと。 漢籍の翻訳ってのは、訳者によって解釈が結構分かれるものなんですよ。 あまりひとつの解釈を絶対化はしてほしくないってのはあります。 >同じような時代の「宋史」が翻訳されていないのは何故でしょう? 明徳出版社から出てる『遼史』『金史』の訳もほんの一部だけの抄訳のはずです が。 まあひとつには『宋史』は大分冊ですからね。 たとえば中華書局版の『史記』校点本が、三家注つきで全10冊におさまってま すが、『宋史』校点本は全40冊にもなります。 全訳すれば単純計算でも『史記』翻訳の約4倍の労力。 しかも、『宋史』は正史のなかでも悪史のひとつに数えられていて、史料的価値 は低いのですよ。(これは旧法党・新法党の党争のため生じた曲筆された資料が 元だったりとかいろいろ) わざわざ翻訳の労を取りたがる人もいないし、商業ベースにも乗りにくいでしょ うね。正史の訳業の中では絶対後回しにされるとこでしょう。 僕も宋代はあまり詳しくないので、本の紹介とかはあまりできないんでごめんな さい。中公の中国文明の歴史シリーズのほかでいくと、陳舜臣『中国の歴史』四 ・五巻(講談社文庫)とか宮崎市定『世界の歴史6宋と元』(中公文庫)くらい しか持ってないです。宮崎市定さんの本をいろいろ漁ってみるのもいいですね。 宋代を東洋のルネサンスと位置づけた論文とかあったりして。 中公文庫などで今は手に入れやすいもの多いですし。そのうち絶版になる可能性 高いからホント今のうちという話もあります。 >「趣味」の一言で片づけられてしまうのが腹立たしいのですが うーん、僕の場合じっさい「趣味」の域を出てない(知識がぜんぜん足りない) ので、あまり言われても腹は立ちませんが。野望がないわけでもないですね。 死ぬまでにエラそうなこと書いた本でも一冊書ければいいなあと。 >そんなわけで史料(知識)集めからと考えているんわけですが 本気で趣味の範囲を越えてやるのなら、日本語の資料に頼っていては他人の二番 煎じ以上のことはできませんよ。 僕も宋代の基本史料は知りませんが、『宋史』『続資治通鑑長編』は最低いるん じゃないですか?本気なら漢和辞典引き引き当たってみてはいかが? 学校では東洋史でも中哲でも中文でもなかった人で、独学で漢籍読めるようにな った人は、ネット上に何人かいますよ。 とりあえずネット上の中国書専門店紹介しときます。 http://www.frelax.com/sc/index.html >鹿角さま >果ては安禄山が楊貴妃とできてたなんて話 太宗と武則天は知りませんが、安禄山と楊貴妃がそういう関係だったという説は ありますよ。物語の話でなくて、実際の歴史の話でです。 >いわゆる「開元の治」で具体的にどういう事蹟を残したかいまいちわからない・・・ 僕もじつは良く分からないです。(^^;) 太宗を模範として、あまり大きな改革みたいなことをしてないようにも感じられ ます。 流民・逃戸の減少(宇文融) 兵制の改革(張説) ぐらいが目立つところですか。 335 「宋」の時代を書いてみたいが・・・ 田豊 2002/03/12 12:52 男性 24歳 A型 尾州 市民 > 孟徳さま おお、守屋さんの「孫子の兵法」でしたか! 同志じゃないですか!(笑) 「孫子」はいつでも手に取れるよう、近くにおいてありますよ 小説を書く際にも何かと必要になりますからね 僕は今、「宋」の時代に惹かれています 歴史に入門したきっかけは三国志でしたが 宋の時代には、他の時代にはない魅力(とは少し違うかも)があって 例えば崖山で何万もの人々が国に殉じたりしたあたりとか 一言では言い表せない何かを感じてしまいます そういうこともあるからなのでしょうか 宋の時代を最初から最後まで通して書いてみたいと無謀なことを考えていたりします けど、当然そんな知識もなければ史実を元にした作品を書いたこともなく(汗) そんなわけで史料(知識)集めからと考えているんわけですが 宋の時代の本は殆ど見たことがありません たぶん、探し方が悪いだけなのでしょうが・・・ そんなわけで、今のところは史実を元にしたものは後回しにして(というか手が着けられない) 今までの歴史に対する想い入れを元に架空の話を作っています 「歴史」でもなければ「文学」でもないような中途半端なことをしているわけですね(苦笑) 今更ながら、もっと早く歴史のおもしろさに気付いていれば、と思う今日この頃であります 334 隋唐の時代に 鹿角 2002/03/12 09:53 >管理人様 ずれレスで恐縮です。かえってすいません。「まーた隋唐演義ってばフカシこいてるー(だってね太宗と嘯后が一夜を共にしたとか 彼と若き日の武即天が熱愛だったとか果ては安禄山が楊貴妃とできてたなんて話のあとにそういうことがでてきたからまた始まったぐらいにしか思ってなかったんですよ。よう崇と張説の仲が悪かったのは実はよう崇のやらせだったなんてのもあったし・・・・李憲もでてきてくれるのは嬉しいんだけど・・・「長安の夢」の記述に従えば彼は楊貴妃が玄宗と知り合ったかどうかギリギリの740年に死んでるから楊貴妃がわざと玄宗に嫉妬させようとして彼を招いたというのはどっちだよといいたくなってしまう・・・幽霊でもよんだのかって)でどうせその類のトンデモだろうと、軽い気持ちでいったんですけど・・・                                                    だけど若き日の玄宗ってばこんなにもかっこいいのにどーして楊貴妃途知り合って以降はどんどんバカになっていくのがとても悲しい・・・(若き日の彼のカッコよさでは隋唐演義か゛一番!かな  なのにどうしても楊貴妃途の話がメインになってしまうのでいわゆる「開元の治」で具体的にどういう事蹟を残したかいまいちわからない・・・(個々の話ばかりがででくるのに・・・)      333 彼ら英雄に1歩でも近づきたい 孟徳 E-Mail: 2002/03/12 00:33 男性 29歳 A型 備州 皇帝 "孟徳"でござる。 昨日、神戸へ行きましてそこの本屋で 「司馬法」「尉繚子」「李衛公問対」「貞観政要」を手に入れました(ついでに「戦争論」も)。 やっぱー大都市は違うなあ、"孟徳"の居城 備中国岡山には全然置いてないのに。 今、読んでます。次は「宋名臣言行録」を手に入れなくちゃ。 >田豊殿 "孟徳"も守屋氏の「孫子の兵法」が最初の出会いです。 今も本棚に大事に置かれていて「孫子」の内容を忘れそうになると読み返しています。 日々勉強ですねー >「趣味」の一言で片づけられてしまうのが腹立たしいのですが >ここまでくると「歴史」とは無関係になりますね(笑) 大丈夫、理解してくれる人は理解してくれるし、興味を持ってくれる人は持ってくれるし 応援してくれる人は応援してくれます。 「歴史学」とか「歴史文学」であるとか 自分の著書(表現)のジャンル名にこだわる必要はないと思う。 自分の表現に敬意を払い自分の感覚を大切にして存分に筆を走らせればいいと思う。 田豊殿にしか書けない表現や田豊殿独自の切り口もきっとあると思うしね。 "孟徳"も文章を書くのが好きだし、歴史について想像、考察、追及したりするのが好きなので 田豊殿がどんな眼で歴史を斬りどんな言霊でそれを表現するのか ファン(笑)の1人として楽しみにしてますよ。 とにかく「歴史を想像する」、これは最高に面白い!! 332 「宋」 田豊 2002/03/11 12:47 男性 24歳 A型 尾州 市民 > 管理人さま 毎度毎度、丁寧な回答をしていただき、ありがとうございます 史書(正史)を翻訳しても業績が認められないという理由には正直驚きました けど、言われてみればその通りだと納得できる理由ですね(苦笑) 漢文を読めることが前提であれば、確かに苦労してまで翻訳しようとは思わないでしょう 田中芳樹さんの「中国武将列伝」に書かれていたと思いますが 国家事業として二十四史を翻訳してくれたらということには大賛成なんですけど やっぱり実現しないのでしょうね・・・(泣) 少し話は逸れますが、「遼史」「金史」が翻訳されているのに 同じような時代の「宋史」が翻訳されていないのは何故でしょう? 宋の時代(北宋・南宋)に関して詳しく知りたいと思っているのですが この時代を中心に扱っている本を殆ど見かけないんです 今のところ知っているのは「中国文明の歴史」シリーズの一冊くらいです この一冊だけでは物足りないわけですが こういう情況ですと、漢文を読めないというのは非常につらいですね 日本で人気の三国志関連の本であればいくらでも見つかるのですが・・・(苦笑) > 孟徳さま 僕が小説「孫子」を読むようになったのは 守屋洋さんの「孫子の兵法」という本を読んだからでした 僕も中学生くらいの時に「孫子の兵法」を読んだんですけど 「孫子」の影響は大きいです >実はこの想像こそが最高に面白いと"孟徳"は思いますね。 そうですよね! 僕はその「歴史を想像するおもしろさ」に取り憑かれて 想像したものを何かの形で表現したかったわけです そのとき、たまたま小説を書いていたから そのまま小説で歴史を表現することになったんです 前にも書き込みしたことですけど そうなってみて改めて歴史の知識がないことを思い知りまして 大学に行って勉強でもしてみようとなったのですが・・・(苦笑) 孟徳さんが仰られているように「歴史学」とか「歴史文学」とかにとらわれず 「我が道を行く」ではありませんけど 自分の思うがままに表現することが大切なんでしょうね けど、こういうことを言ってしまうと 「趣味」の一言で片づけられてしまうのが腹立たしいのですが ここまでくると「歴史」とは無関係になりますね(笑) 331 田豊殿の試み 孟徳 E-Mail: 2002/03/09 10:41 男性 29歳 A型 備州 皇帝 "孟徳"でござる。 >永一殿 ありがとうございまする。疑問解けました。 "劉基"は非常に優れた智者だと思っておりますが 建国当初、朱元璋陣営ではどのくらいの位置にいたんですかね? 才能の割にはそれほどの高位でもなかった? >田豊殿 "孟徳"を孫武は敬服しております。 他に中華で敬服するのは韓信、曹操、姫旦ですね。 海音寺氏の「孫子」は呼んだことがありませんが「孫子」はもちろん愛読書です。 齢14の時が「孫子」との初めての出会いで以来、ずっと影響を受けてますね。 >田豊殿の試みに少し・・・ >「歴史の真実は一つではない」という話を聞いたことがありまして >これには続きがあって「ただし事実は一つ」というものです >これは、一つの事柄に関しても色々な立場などによって捉え方が変わるということですよね >だから事実は一つでも真実は無数に存在するという話になるそうです うん、そういう意味では真実は無数に存在する、というのは納得できます。 とすれば田豊殿の試みも広義の「歴史学」と読んでもいいと思います。 ちなみに純粋な「歴史学」はこの「事実」の方を解明し、歴史の主催者(事実の主催者)の 捉え方を解明していくことではないかと"孟徳"は考えます。 でも田豊殿の試みは実に面白い!"孟徳"は興味津々ですね。 「歴史学」と言われようが「歴史文学」と言われようがこだわる必要はないと思います。 存分に田豊殿の主観と想像で書き綴って欲しいな。 例えば歴史上のある人物1人をとってみても「歴史学」の研究で明らかになっているのは その人なりのほんの一部にすぎないわけであとは全て感じる人の主観と想像に 任されています。だから同じ人物を対象としても 人によって様々な評価や捉え方があるわけで・・・ 実はこの想像こそが最高に面白いと"孟徳"は思いますね。 当然これは「歴史学」でも何でもないですが。 大いに主観と想像で存分に書き綴ってみればいいのでは?それを事実と思わせるぐらいに熱く(笑)。