そんな妨害工作にもめげず、6時半頃までしっかり寝た。外はもう明るかった。終着駅のバーリまではまだ1時間以上あるが、目が覚めてしまったので、起きて朝の準備をしようと椅子を元に戻し、髪をとかしていると、どやどやと5人組みが私のコンパートメントに入ってきた。雰囲気は朝の出勤モード。彼らだけでなく、駅に停まる間隔が一気に短くなり、その度に乗客が増えていく。
しまいには、通路まで乗客でいっぱいになってしまった。
どうやら、この路線は、終点間際のバーリ周辺では通勤の足として利用されているようだ。予定より20分ほど遅れてバーリ駅についたが、出勤の人は大丈夫なのだろうか?
今日は、アルベロベロを中心に周辺を鉄道で回る予定なので、ゆったりスケジュール。アルベロベッロへは、ここからSud-Est線という、私鉄列車に乗ることになる。これが、ガイドブックには「2時間に1本しかない」と書かれていたので、時刻表をチェックしに行く。国鉄バーリ駅の一番端のホームだけが、Sud-Est線になっていて、もちろん改札はなく、駅舎がホーム中央に建っているだけだった。そこで時刻表をチェックすると、なんだ、あるじゃないか、1時間に1本以上。でも、注意しないと、2時間以上電車がない時間帯がある。現在の時刻から2時間後の9時28分発に乗ることに決め、バーリの街を歩く。
駅前から港へ向かって、しばし北上。朝早くてしまってはいるが、整然と区画整理された街道。ルイ・ヴィトンなどの一流ブティックなども軒を連ね、ああ、ここもファッションのイタリアかと思わせる。ところが、大通りを1本越えると、そこから「旧市街地」といわれ、路地裏に迷い込んだような町並みに豹変。城を周囲から眺め、まっすぐ北上、港へ。ここからはギリシャ方面にフェリーが出ている。こんど来るときは、ぜひ乗船してみたいと思いながら、駅へ戻る。
ホーム中央の駅舎で、アルベロベッロ行きの2等車のチケットを購入。5900リラ。私の他に、2人の日本人がいた(もちろん女性2人組)。機会があったら話し掛けようと思いながらも、きっかけなし。ほどなく列車が入線し、乗り込む。3割程度の乗車率か。
列車が発車して1時間くらいたったろうか。車窓にトゥルッリらしきものが飛び込んできた。それは、「集落」というよりも、果樹園の中に点在する「倉庫」のようであった。その当たりから、トゥルッリや石垣など、石造建築物が目立つようになる。木の文化の日本とはえらい違いに、新鮮さを感じてしまう。・・ところが、そろそろアルベロベッロに着くだろうというころ、(本当はアルベロベッロの1つ前の駅。)モダンな色彩と作りのマンション群が目に飛び込んできた。街にはぴかぴかの車もあり、ん? 金持ちの別荘地? という感じを受けた。
切通しを急カーブで通過するとすぐに駅。アルベロベッロ駅だ。ここでほとんどの乗客が下車。半数くらいは観光客のようだ。人通りのとても少ないメインストリートを歩く。すごい風に、坂が多い町で歩きにくい。ふと見つけた銀行で、両替にチャレンジ。使おうかどうしようか迷っていた50万リラ札を、あっさりくずしてくれた。
メインストリートを外れると、そこら中にトゥルッリはあふれており、まずはじめに2階立てのトゥルッリを見学することに。11過ぎにその前をさしかかるが、開いている風ではない。10時からオープンと書いてあるのに。中を覗くと、御姉さんが出てきて、招き入れてくれた。2500リラ支払い、促されるままに記帳をする。3/4/2000と書かれた日付の一番はじめ。中はずいぶんきれいで、階段などはすこし狭い。階段の途中の窓から外へ出ると、そこには、洗濯物が!! あれ?ここは入っちゃいけないゾーンなのかな? それにしても、金取ってるトゥルッリの中で洗濯物干すな!! ってかんじ? 受付にいた御姉さんは、一人だけの客を丁寧に案内してくれた。そのたびに私は「グラッチェ」といい、御姉さんは「プレーゴ」と返した。
その後、トゥルッリの群集地帯である、「アイア・ピッコラ地区」と「リオーネ・モンティ地区」を散策。本当に御伽噺の世界だった。「リオーネ・モンティ地区」の方は、生活感があり、レストランなどが点在しており、「アイア・ピッコラ地区」の方は、みやげ物やが中心で、本当に「観光客用」といった感じ。トゥルッリに泊まれるホテルまであった。今度来たときは、ぜひトゥルッリに泊まろう。
町はそんなに大きくないので、思ったよりも早く観光が終わってしまった。この分だったら、カステッラーナ・グロッテ(鍾乳洞がある)へいかれるかも!? と思って、駅へ戻る。ちょうど12時。電車は12時24分にくるらしい。が、目的地は通過してしまう。なんで? 観光地なのに、この鍾乳洞がある、グロッテ・デ・カステッラーナ駅は、半分くらいの電車が通過してしまう、小さな無人駅らしい。次の1時19分で行ったら、この後の予定(今夜も、車中泊なんだから!)が狂ってしまいそうなので、あきらめ、とりあえず昼ご飯を食べに、町へ戻る。
入ろうかな〜と思ったレストランに、日本人2人組が入るのが見えたのでやめた。で、観光客なんていねえだろうなあ。って感じのレストランに入る。テーブルは10組ほど。客は他に1人。僕が昼を食っていると、もう1人いたその客は、金を払わずに帰ろうとした。つまり、食い逃げ。店のオヤジは怒ったけど、なんか2人でトランプを始めた。よく分からん。
鍾乳洞は諦めたので、次の目的地はターラント。マルティーナ・フランカ駅で乗り換えるんだけど、着いたら、列車が2台停まっている。行き先も何も書いてない。分からん。長い方か?短い方か? 駅員に聞こうと、探していると、短いほうの列車が行ってしまった。結局駅員らしきひとは見つからず、恐る恐る長い方の列車にのり、「ターラント?」って聞いてみる。(基本的に、語尾を上げれば、すべての文章は疑問文になるのだ。)「Si」という返事がもらえたので、ホッとして列車に乗り込む。乗客は中学生・高校生らしき子どもたちが多く、なかなかにぎやか。僕の座っているボックスにも、何人か相席してきたので、MDを見せ付けてやった。(ちょっと珍しそうにしてた。)検札がきたときも、少年が教えてくれ、気さくな感じだった。
しばらくすると、いきなり左手の視界が広がった。高い木がほとんど無く馬だかロバだかわかんないのがあちこちで放牧されている。いつの間にか若者たちは去り、それと交換に、大粒の雨が落ちてきた。傘が無い。ま、いいや。と思っていたら、ターラントにつく頃にはほとんど止んでいた。
ガイドブックによると、ターラントのバスの1日券は、1200リラ。ホント? 他の町の1回券より安いんですけど。ところが、チケット売り場が見当たらない。駅の売店に戻って購入。1回券?1日券?は?って僕の言っていることが通じないらしい。それもそのはず、この町では、1回券と1日券の区別は無く、1回使ったバスチケットは、その日一日有効らしい。ホントに1200リラだった。8番のバスにのり、(ガイドブックに治安が悪いからあまり立ち入らないほうがいいって書いてあった)旧市街地を通り過ぎ、橋を渡った、新市街地のところで適当に降りた。Baliもそうだったけど、ホントにはっきり違うんだよね。旧市街地と新市街地って。面白い。特にすることはなかったので、散策をしたり、バスに乗ったりしてのんびりすごした。
駅へ戻り、16時34発のブリンディシ行きの電車(今度は国鉄)に乗る。1時間半のほとんどを寝ていた気がする。ブリンディシは、アッピア街道の最終点であり、ギリシャ行きの船が多く出る町だ。夕方の町をゆっくり観光しよう。
駅前にでると、旅行会社が立ち並び、バックパッカーがあふれていた。まずは、アッピア街道の終点を目指す。駅からゆっくり歩いて20分くらい。道は残っておらず、海へ向かって階段と記念碑(工事中)だけがあった。ちょっと感動するにはものたりなかった。
そして、この町でイタリア最後の晩餐を・・・と思って黄色いガイドブックの地図を頼りに歩くが、1件も見つけることができず、まったく持って「地球の迷い方」になってしまった。まあ、次のレッチェでもいいや。と思って、港の近くのスーパーで、車中泊に必要なものを買い、駅へ戻る。
本当は、このままブリンディシでゆっくりしていてもいいんだろうけど、やっぱり夜行列車には、始発駅で乗らないと!!の思いで、レッチェへ行くことにしたのだけど、駅へついても列車が一向に来ない。どうやら、途中で故障か何かで送れているらしい。反対方向の列車はどんどん来て、定時に通過していくのに。レッチェ行きはぜんぜん来ない。結局2時間近く待たされた。(でも、今回の旅行中、電車が時間どおりに来なかったのは、このとき位かな?)最初にきたICには、「あっ予約してない」とか、馬鹿な思い違いから乗り過ごし、次のRepに乗る。
レッチェの町は、もう暗く、すでに乗車予定の電車が3番線に停まっているではないか。結局めぼしいレストランで優雅に食事している時間がなくなってしまったので、Barでピザを食べる。そして、だれもいない(と思われる)列車に乗り込む。ドアは手動で開いたが、中は真っ暗。座席だけでもKeepしておこうと、中に入ると、コンパートメントの車両と、オープンサロンの車両の両方があった。迷った挙句、オープンサロンを選択。(だって、今まで2泊は、両方コンパートメントだったし、オープンサロンの方が逆に安全かな?って思って。)レッチャを出発したとき、オープンサロンの車両の乗客はわたしを含めて2人。がらがら。ブリンディシに停車。誰もこの車両には乗ってこない。しばらくして、オープンサロンは、暗くならないことに気づく。明るすぎる。これでは寝れない、と思い、コンパートメント車両をチェックしに行くと、半分くらい空室だったので、結局移動。部屋を暗くして、横になって寝る。
夜中に老夫婦が僕の部屋に入っていた。(老夫婦で僕はちょっと安心。)眠かったので、目で挨拶をし、そのまま眠りにつく。
行きとおんなじ、小さい飛行機に乗って、いざ、フランスへ!!