信長の野望 戦国・安土桃山時代
※ ここのアイコンは、すべて「32x32」を「64x64」表示しています。
※ 並び方はローマ字表記時の先頭アルファベット順です。「a→z」
表記説明 [ひょうきせつめい] 年/月/日
ico
gif
戦闘1 政治1 知略1 <フリーゲーム「戦国史」の評価法による独断の能力値と見解
簡単な列伝など。
明智光秀 [あけちみつひで] 00/06/11
ico
gif
戦闘4 政治6 知略8 謀将
斉藤家家臣、後、足利義昭の幕臣として信長との関係を取り持つ。
室町幕府滅亡後は信長に付き従い、各地の戦闘に従軍して活躍する。
1582年に本能寺の変を起こし信長を殺害、その後、秀吉に討たれるのは有名な話。
ただし生死不明で「後の南光坊天海である」等、まことしやかにささやかれる。
総じて、こういう反逆に失敗した者の資料は、後世に残らない運命か・・・。
朝倉宗滴 [あさくらそうてき] 00/02/09
ico
gif
戦闘7 政治4 知略4 名将
初代頭首、朝倉孝景の息子。妾の子なのに家督を継いだ元景に対して反乱を画策するが途中で断念。
朝倉家重鎮として朝倉三代に仕える。各地で興った一揆をことごとく平定、1535年には近江小谷へ出陣し六角家を撃退、
浅井朝倉同盟を結び、1544年には美濃へ出陣、斎藤道三と共に織田信秀を破っている。
1555年、加賀の一揆勢との戦いの途中、陣中で頓死する。 信長の桶狭間合戦の5年前。
「宗滴教訓条」においては最後に「信長に注意すること」と示している。
足利義輝 [あしかがよしてる] 00/04/04
ico
gif
戦闘4 政治3 知略2 剣豪
足利幕府、第十三代将軍。幼時より、細川・三好間の政争に巻き込まれるも、傀儡とはならず、
幕府としての権威を高める為に多くの外交政策を取っている。
しかし1565年に松永久秀に建策された三好三人集に二条城を包囲され暗殺された。
襲撃に際しては、自ら剣を取り奮戦したと言う。 ついた異名が抜刀将軍。
浅井亮政 [あざいすけまさ] 00/01/05
ico
gif
戦闘6 政治4 知略4 下克上
戦国浅井家初代頭首。浅井長政の祖父。小谷城城主。
京極家の被官であったが、高清高佳(次男)が次期頭首に選ばれるとこれに反発。
京極高広(長男)を擁立して高佳勢力を駆逐する。朝倉家との間に浅井朝倉同盟を結び、
北近江に勢力を確立。近江国守護の六角家に対抗しつづけた。
伊達正宗 [だてまさむね] 00/03/06
ico
gif
戦闘6 政治7 知略8 謀将
異名を独眼竜。家督相続後、瞬く間に南奥を平定する。遅れて来た英雄と言った感。
豊臣秀吉勢力に臣従後、秀吉の数々の謀略を潜り抜ける。関ヶ原合戦では東軍に従属し
対上杉家の重要な役割を担う。その後、徳川政権下で62万石を領有する大名となる。
「伊達」の語源。
蒲生氏郷 [がもううじさと] 00/01/05
ico
gif
戦闘6 政治5 知略5 名将
近江蒲生家、蒲生賢秀の子。幼少のころに織田家に人質として差し出され信長に気に入られる。
本能寺の変後、秀吉と共に弔い合戦で活躍。後は秀吉に仕え武功をあげる。
小田原征伐後に会津に転封増禄されるも、天下取り難く都から離れた事を嘆いたといわれる。
会津黒川を会津若松(近江国日野町の若松森にちなむと言われる)と改名した張本人。
文禄の役のため名護屋に在陣中に病にかかり、京都蒲生邸で病没。享年40歳。
羽柴秀吉 [はしばひでよし] 00/03/24
ico
gif
戦闘3 政治9 知略8 出世頭
木下藤吉郎。豊臣秀吉。天下人。
縁者のツテで信長の小人となり次第に出世、姉川の合戦の後旧浅井領中12万石(今浜)を拝領する。
中国方面侵攻中に本能寺の変が起こり迅速に毛利戦から撤退、光秀討伐、
賤ヶ岳合戦で重鎮柴田勝家を破り織田家後継者としての地位を確立する。
1587年九州征伐、1590年の小田原城攻め、その後奥羽征伐により天下を統一。
その後2度朝鮮に出兵、泥沼の戦いを経て、両国とも疲弊することとなる。
1598年、朝鮮出兵中に病に倒れそのまま病没する。
信長を手本にして先見的な内政を行った事も事実だが、秀吉自身の才能も大きく起因しているとされる。
大内義隆 [おおうちよしたか] 02/05/26
ico
png
戦闘3 内政5 知略3 文化人
中国地方の豪族大内家第三十一代頭首。尼子家と抗争を繰り返しながらも九州地方に橋頭堡を確率する。
大内家の全盛を迎え、山口に西国の京と言われるほどの繁栄を興した。
しかしその反面、文芸に傾倒し過ぎて部下の統率が混乱。 重臣、陶晴賢の反乱により大内家は滅亡する。
■ メインへ