CHINA 〜中華人民共和国:長春 04 OCT - 04 OCT 2003〜 | |
CHINA 旧満州国の首都新京が置かれた 中国東北地方の長春。 旧日本帝国の関東軍が作った 建物なども数多く残っています。 戦争の痛手な歴史を残す街です。 |
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《04 OCT 2003》 中国東北地方の都市哈爾浜に来ているのだが観光は一日で終了してしまい 翌日残り一日が空いてしまったのでいろいろ調べていたら旧満州国の首都新京が 置かれた長春まで高速バスで3時間半とあったので日帰りで行く計画を立てた。 本来なら列車で向かおうと思ったのだが駅に行ってみると「満席」の表示ばかりで やはり中国の列車は席が取り難いと実感してバスターミナルへ向かった。 哈爾浜駅前にあるバスターミナルからは各地へミニバス(マイクロバス)と豪華バス (日本の観光バス程度)が発着しているので早速二階の切符売り場へ出向いて 長春行きの豪華バスを発見してもらうが簡単に買えて助かった。 出発時間も近づいていたので一階に降りて改札をくぐるが、どのバスなのかさっぱり 判らずに係員に切符を見せるとバスまで案内してくれた。 横4列シートの観光バスの様なタイプでちょっと狭いがこの距離で片道1200円くらいと 安いし列車が取れないので文句は言えない。 定刻にバスターミナルを離れると暫くは市街地を走り郊外から高速道路に入った。 車内ではミネラルウォーターのサービスが有るので一人一人にボトルが配られて 飲み物の心配も無いままに3時間半のバスの旅を満喫する。 どこまでも続く平原と空を見ていると昔の日本人が戦争で何の為にこんな所まで 来る必要が有ったのかとつくづく思った。 高速を降りると長春市に入りイカニモ中国といった風景の中を抜けて中心部である 長春駅近くのバスターミナルに到着した。 哈爾浜とはまた違った雰囲気の街で中国らしいと感じていたのだが開発が進んでいて 高層ビルなども乱立しはじめているので発展途上である。 長春駅前からタクシーを拾って偽満州皇帝博物館へ行くが、ここは秦最後の皇帝で 満州国の皇帝でも有った溥儀皇帝(ラストエンペラー)の皇宮です。 関東軍に利用されて満州国の皇帝として担出されたが秦王国の復活を夢見るも 日本軍に利用されて、その夢も儚く消えてしまいました。 彼の住居で有ったところが博物館になっているのですが正直気分は重いです。 ただ彼は殺害される事も無く戦争終了後は北京にて一般人として生涯を 送られたとの事なので、それがせめてもの救いでした。 その後はタクシーをチャーターして偽満州国八大部といわれている旧日本軍の 建てた建造物を見て周ったのですが現在は病院などに使われており 実際に中が見れるはずだった国務院も改装中で残念ながら見学できませんでした。 ただ外から見てもしっかりした作りの建物のばかりで壊されずに使われているのは 良かったと思う反面いつまでも忘れる事の出来ない侵略の悲劇を物語っているのも 事実で複雑な心境で見て周りました。 戦争だから仕方ないと云う一面もあるかもしれないのですが侵略戦争は決して 良い事ではないし過去の事でも反省は必要だと思います。 13時から17時迄と短い時間しか滞在できなかったのですが帰りの最終バスも 席を確保する事が出来たので無事に哈爾浜へ戻る事が出来ました。 今回の訪中は日本では教育されない隠された歴史を自らの目で見て肌で感じる為 だったので長春にも行けた事を有意義だったと思わざるを得ません。 本来の訪中目的である哈爾浜に関しては別に作成してますので良かったら 見ていただき何かを感じていただけますと幸いです。 |
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現在の長春駅駅舎だが近代的で 大きな駅ビルになっており駅前には 日本人が満州帝国時代に利用した 大和ホテルが現在も残っており 高層ビル建設が進む中歴史の 産物も残る街へと変わりつつある。 |
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偽満皇宮博物館の同徳殿。 日本人の設計によるものだが 溥儀皇帝は盗聴器が仕掛けてあると 疑い結局この宮殿を利用しなかったと いわれている。 |
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緝煕楼は溥儀皇帝が大半を過ごした 生活の場である。 緝煕とは徳が光り輝くと云う意味で 二階の西側が皇帝生活区であった。 |
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偽満州国国家機関後の一つ総合法衙。 現在は中国人民解放軍四六一医院。 |
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満州国の交通インフラや流通を 担った部署として残る交通部旧址。 現在は吉林大学新民校区となっている。 |
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偽満州国司法部旧址として残るのは 吉林大学新民校区の建物。 和漢折衷様式で造られており 中国式アーチ型窓や日本式の玄関が 特徴的な建物。 |
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偽満州国民生部旧址として残るのは 労働者や兵士を集めた機関であった 国民民生部の建物である。 強制的に労働者をかき集め侵略戦争に 従事させたと言われている。 現在は吉林省石油化工設計研究院。 |
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偽満州国経済部旧址として残るのは 吉林大学三院の建物である。 中国と西洋の様式を持ち合わせた 興亜式の造りである。 |
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