外から与えられた情報と環境、裡に潜む不変の要素──それらが絶えず不可思議なフィードバッグと自己生成的な干渉を繰り返し、人間は意識と無意識の狭間を泳ぐ、ゆらぎある存在となった。 |
皆さんがこれから目にしようとしている僕の趣味は雑多で、混沌としているように見られるかもしれない。だが、離散的な飛びがあるように思えるそれらに、ある種の周期性や連続性を見出されるであろうことは想像に難くない。 |
その理由は、趣味というものが個人の──人格というと大袈裟であるけれど、価値形成過程と密接に関わっていて、あくまで統一的に形成されてゆく人間の内面を如実に反映したものであるからだろう。 |
趣味とはカオスやフラクタルに似ていると僕は感じている。趣味にはその人となりが凝縮されていて、よく観察をすれば、微妙に異なってはいるが、まさに個人の部分的な複製モデルが至る所に現れていると気づくであろう。 |
趣味を他者に公開し、伝えることはそれなりの意義がある。
他者は遠隔地にいながら、(時には慎重を要すものの)その情報を解析することによって、個人の概形を推測することが可能になる。趣味が個人の判断に役立つ情報を含んでいるのは確かであり、コミュニケーションのきっかけとなろう。 |
僕の趣味趣向のエッセンスを抽出し、紹介することにより、今まであなたが見過ごし、触れる機会を持たなかったサムシング・エルスを提供できるかもしれない。あなたの好みに合致したセンス・オブ・ワンダーが発見できれば幸いである。
高林廉
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