【タイトル】501
【 名前 】見習い
【 日付 】2000/09/11 14:17:11

11月9日、深夜。 

 くずれた姿勢で、ぼんやりとディスプレイを眺めている。どうせぼんやりしている 
だけなのだから寝てしまえばいいのに、と自分で思うけれど、なんとなく立ち上がる 
きっかけがつかめないでいた。 
 もうすぐ冬コミの当落発表だな、と思う。カレンダーの11日のところに赤く丸がし 
てあった。結果の投函予定日。 
 フライングにはいくらなんでも速いかな、と思いながらリロードしてみて、その結 
果に目をみはった。 

256 名前:どーでもいいことだが。 投稿日:2000/11/09(木) 23:56 
コミケ、終わりだってさ。 

 悪趣味な匿名掲示板。ガセネタだって多くて、いつだってあてになんてならない。 
けれども、おかしな情報がいち早く流れることが多いのも事実だった。 
 とりだしたスレッドをせわしなくリロードしつづけながら携帯に手を伸ばす。画面 
の中では一瞬の沈黙の後につづいた混乱のメッセージで溢れていた。 
 メモリの中から探した番号に呼び出しをかける。深夜にも関わらず一瞬で繋がった 
相手に、自分でもわかるくらい奇妙な明るさで切り出した。 
「サカミさん、こんばんは。美津枝です」 
 友達の友達の、そのまた友達、みたいな男の名前はどういう字を書くのか知らない。 
何度か飲み会で同席したときの印象のほかには、ただコミケのスタッフをしている、と 
いうことを知っているだけだった。 
『ああ、ひさしぶり。どうしたの?』 
 優しい声に少しだけ安心する。 
「あの、今ネット見てて。2チャンネル、ってページなんですけど、そこでコミケが 
こんどの冬で終わりだ、とか言ってる人がいて……ウソですよね?」 
 あまり要領の良い聞き方はできていないような気もしたが、とにかく一気に言った。 
すぐに返事がもらえないのはきっとあまりにも突拍子のないことだからだ。
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【タイトル】502
【 名前 】見習い
【 日付 】2000/09/11 14:18

だから電話の向こうで聞こえた気がする舌打ちの音は聞かなかったことにする。 
「ヤだなぁ、いっつもそうなんですよ。ウソだったり大げさだったり。そのたびにび 
っくりさせられて、いい迷惑ですよね。あたしもそんなページ見てるから悪いんです 
けど、たまに面白いこともあったりとかして……」 
『本当だよ』 
 勝手にまくしたてていた言葉が、ちょうど息継ぎをしたところで止められる。頬が 
ひきつるのがわかった。 
「……ウソ……」 
 ようやく搾り出した言葉も、もう一度同じ言葉で否定された。 
『いろんな事情があって、この冬限りで活動休止なんだ。情報流してあげるわけにも 
いかなかったんだけど……誰かがリークしたみたいだな。どうしてあとたった1日が 
待てないんだか』 
 右手は相変わらず画面をリロードしつづけている。どんどん繋がっていくレスの内 
容にだんだんとリアリティと危機感が増えてゆく。 
「そんな……もっとやりたいこと、あったのに。あたし、新刊の原稿もやってないの 
に……」 
 机の上には原稿用紙すら出ていなくて、らくがき段階のクロッキー帳が置いてある。 
最後だとわかっていたらもっとやれることがあった気がする。せめて夏のイベントが 
終わった時点でそれがわかっていたら、友達に声をかけまくって記念本を出すとか、 
新刊を山ほど用意するとか、もっと最後にふさわしいことができたはずなのに。 
 今、美津枝の手元にあるのは白い原稿用紙と脱力感だけだった。 
『手、つけてなかったのか。俺から青封筒もって行ってるんだから、取れるのはわか 
ってただろう? やっておけばよかったのに』 
 声質だけ優しくて、実はけっこう辛らつなことを言っているサカミに反論する気力 
もなく、電話口でただ頷く。 
 元々サカミから青封筒をもらうときに、これならば落ちる心配がなくなるから早く 
から原稿にかかれます、と言ったのは美津枝だった。その時は本当にそう思ったはず 
だった。
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【タイトル】503
【 名前 】見習い
【 日付 】2000/09/11 14:18:11

「なんとか、します」 
 何度か深呼吸を繰り返して、ようやく落ち着いた声が出せた。予定どおりに11日に 
通知が投函されていたとして、美津枝のところにとどくのは週明けだ。夕方帰宅して 
からそれを見ることを考えたらまるまる4日早く知ることができたことになる。締め 
切りまでに1つ増えた週末を有効に使えばいい。 
『そうだね、まだひと月半ある。がんばれるよ。美津枝ちゃんたちはがんばっていい 
本をたくさん作って。俺たちスタッフはちゃんと場を用意しておくからさ。最後のコ 
ミケらしく華々しくやろうよ。見てなって、トラブルなんかおこさせないからさ』 
 最初の勢いをなくしてしまった美津枝を慰めるように、今度はサカミが明るさを装 
った口調で言った。 
 挨拶をして電話を切ったあと、美津枝は涙をこぼした。他にイベントだってあるの 
に、どうしてか全てが終わってしまうような気がした。そんなに思い入れがるつもり 
はなかったけれど、やっぱりコミケは特別だったのだ。 
 メーラーを立ち上げて、この先の週末に入っていた予定をキャンセルするメールを 
送る。最後のコミケに向けて、本づくりに時間をめいいっぱい割きたかった。 
「冬コミ当日、は忙しいだろうから年明けかな。サカミさん呼んで、本渡して、おつ 
かれ様の飲み会ひらかないとね」 
 本ができあがっている前提で楽しい計画をたててみる。 
 サカミの顔を二度と見れなくなることなど、もちろん考えてはいなかった。
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