新天地TRCでの再出発に向けて  その広さと孤立性(陸の孤島)でコミケットを巨大化させてきた晴海はある意味で楽園で した。しかし、禁断の果実に手を出さなかったにもかかわらず、コミケットはエデンを追 われてしまったのです。昨今の見本市ブームもあって、晴海において異端だったコミケッ トは、はじきとばされてしまったのです。それ自体充足してしまうイベントであるコミケ ットは企業や一般にとって何の利益ももたらさないし、どれだけ巨大化しても一般を巻き 込む影響力を持ちはしません。おおかたの人達にとって、コミケットは無意味ですし、別 世界の出来事にすぎないのです。――だからこそコミケットを求める人達にとっては特別 な意味を持っているのかもしれません。なんにしても、今思うのは場所の維持だけです。  市民プラザを追われ晴海に来たときも、コミケットはエデンを追われたアダムとイブの 感がありました。それから五年。――歴史は繰り返されます。今後はTRCをコミケット の為の場と化していかなければなりません。用意された楽園など何処にもないのです。作 り出していくことこそを考えていかなければなりません。多くの変化を受け入れ、生き延 びていくことが当面の目的ですが、そこを楽園に変えていくことは参加者全員で行ってい かなければならないことです。なあに、それはそんなに難しいことではありません。ちょ っとした人への気配り、ルールを守ること、常識を持つといったことなのです。とりあえ ず、コミケットは再スタート。参加者の皆さんも初心で今日を楽しんでください。(Y.Y) (1986年・コミケ31カタログ「代表あいさつ」)  前回の夏コミの盛況、というより参加者の多さが、またもコミケットに変化を強いるこ とになってしまいました。炎天下、一般参加者の列はTRCからあふれ、延々、競艇場の 先まで続くといった状況は、会場のキャパシティを越えていることは誰の目にもあきらか でした。幸いにも事故無く終らせることができたものの、イベントとしての危険性が問題 にされたのは仕方のないことでしょう。それ故に、いつにもまして参加者の皆さんには常 識とモラルをもって、何のトラブルもない一日を過ごしてもらいたいのです。準備会も様 々な手を打ちつつがんばりますので、参加者の皆さんもよろしくお願いします。  コミケットの責任も増大しています。各マスコミの取材、裏マンガ報道を含め、一日に 数万人が集まるようになってしまったこのイベントは一般に注目されるようになってきま した。これまでマンガ、アニメファンだけのものであったコミケットが世間に"認知"され たということだけではなく、好奇の目を注ぎ興味深く分析すべき対象へと格上げされたに すぎないのかもしれません。注目と監視は同じです。これまでよりコミケットは注意深く 行動していかなければなりません。マンガ、アニメファンは特別な人間達なのではなく、 健全な集団であることを身をもって示していく必要があるのです。バカなこと、ちょっと した考えたらずの行動が、取りかえしのつかないことに結びついていく可能性は高くなっ ているのです。自分達の活動、そしてこの場を守っていくには、スキを見せない、つけい らせない心構えでいくしかありません。  次回、夏は、また晴海で開けそうですし、64年冬からは巨大イベント会場幕張メッセ が予定されています。約束の地を手に入れるまで、コミケットは参加者の意志で生き延び ていきたいと思います。(米沢嘉博) (1987年・コミケ33カタログ「代表あいさつ」)  幕張の地での3回目――何の因果でX’マスにコミケット、とおなげきの方もあるでし ょうが、とりあえずは90年をしめくくる今回であります。そしてコミケットは正しく15 年目の冬を迎えたのです。サークル数は600倍。参加者は300倍に脹れあがり、同人 誌の内容も様様に変化しました。変らないのはアマチュアのアマチュアによるアマチュア のためのイベントということだけでしょう。しかし、実際にはプロの参加も増え、ミニメ ディアの市場化していることは否めません。そこにはアマチュア出版物故の自由さと奔放 さがあり、それが商業出版物にはない熱気と面白さを生み出しています。閉塞状況に陥り つつあるプロのマンガに比べ、規制のない面白さへの貪欲さが、表現者にも受け手にも魅 力になっているといえるでしょう。が、頒布という形で本をやり取りする時に一つの責任 が生まれてくることは知っていてもらいたいのです。表現の自由、取引の自由――それは 大人としての責任があって成立するものです。コミケットの参加者は、例え外からどう見 えようと、全員が大人であるという前提で行われています。コミケットで求められている 常識やモラル、マナー、それらは一般社会においても必要なものですし、実は今社会から 失われていきつつあるものでもあります。いい意味での大人になって欲しいと思うのです。 人のことを考え、自分のことに責任を持つ……ちょっとお説教じみてしまったようです。 というのも、大きくなったコミケットには少なからぬ社会的責任というものが生まれつつ あるからです。自由さは、そしてそのにぎわいはいつの時代も一部から敵視されていきま す。それから生き延びていくためにも、自ら恥じることなく、どうどうとしていたいので す。それは参加者全ての人にも言えることだと思います。(米沢嘉博) (1990年・コミケ39カタログ「代表あいさつ」)  現在、コミケットは存亡の危機を迎えています。既にお知らせしたように諸般の事情に よって、夏コミの会場・日時が変更になった訳ですが、新しく会場として使用する晴海国 際貿易センター側から、借りるに当たって厳しい条件が付けられており、それが守られな かった場合、開催中でも即刻中止、以後晴海はコミケットには会場を貸さないと言うもの です。つまり、夏コミの内容によっては、40回でコミケットは打ち止めとなり、この問 題は他の会場、即売会にも波及する可能性が大きく、同人誌界そのものの存続を危うくす ることになります。コミケットだけでなく、同人誌界の未来が夏コミの成否にかかってる といっても過言ではありません。  こうした状況認識を持った上で、この緊急告知を読み、宜しく協力をお願いしたいと思 います。――まずお知らせしておかなければならないのは、これまでの経過でしょう。新 聞やテレビの報道で御存知のように、2月末、東京のマンガ専門店など3つの書店が「ワ イセツ図画販売目的所持」で書類送検されました。対象になったのはいわゆる美少女系同 人誌数冊だったわけですが、それだけではとどまらず、同人誌系の印刷所、発行者、描き 手など70数名が5月までに書類送検されるという大きな事件に発展、折からの「有害図 書」問題とからんで「同人誌=ワイセツ図画」という悪いイメージか生まれていきました。  さらに、千葉の警察にコミケットで売られていたとして同人誌数冊が個人によって持ち 込まれ、これによってコミケットと会場側が任意の事情聴取を受けた訳です。これは4月 に入ってからのことでしたが、半公共施設であり、国際的なコンベンションセンターとし てのイメージを大切にするメッセとしては、こうした事が起こった以上、同人誌関係に会 場を貸す訳にはいかないという判断が下された訳です。  場の維持、生き延びることを準備会としては選択しようと確認し、コミケット40の会 場、日時、を移すことで夏コミをなんとか開こうと動いた結果、晴海の国際貿易センター と話をまとめることが出来た訳ですが、これについては次のような条件が付加されました。  夏コミの会場に於て、「ワイセツ図画」と見なされる同人誌が1冊でも持ち込まれ、売 られることが無いように万全の対応策をとるというものです。  1・印刷所の協力でチェック修正を行う。  2・サークルに通達し、自主規制してもらうよう指導する。  3・当日厳重管理体制をしいて販売物をチェックする。  ――といった内容です。当日「現行犯逮捕があった場合は即刻中止、後日発覚「事件」 となった場合は冬コミ中止、以後一切コミケットには会場を貸さない。それは、何かあっ た時には、コミケットがくなってしまうことを意味しています。晴海以外で一万以上のサ ークル、 十万以上の一般を収容出来る会場はないのですから。  マンガにおいて、「ワイセツ」の具体的規準などありませんし、自由な表現の場を目的 としているコミケットとしては、ジレンマの部分もありますが、マニュアルにある「法律 に触れる物の販売禁止」の項をより具体的にする形で、サークルに協力をお願いすること になります。当局の示したワイセツの判断としては「性器の露骨な描写」が主なものです。 これは、男性器、女性器を問わない為、美少女系、男性向け創作サークルだけでなく、ア ニパロ(やおい)耽美系サークルも表現に気を付けてもらわなければなりません。この表現 に関しては、「商業誌」に準ずるということで、具体的に禁止項目として後述し、修正、 チェック、表現についての判断を準備会として提示しておきます。 「ワイセツ図画」と見なされる物については、二部以上持ち込んだ場合「販売目的所持」 が適用されますし、通販、無料配布の場合でも「ワイセツ図画頒布」の罪に問われます。 また、これらは発行者のみならず同人会員、描き手、印刷所、売り子、準備会、会場まで が「ほうじょ」の適用を受け、ひっぱられます。つまり、軽い気持ちで対応すると、大変 なことになってしまうということを知っておいてもらいたいと思います。  ただ、間違ってほしくないのは、「有害図書」とは、地方自治体における「青少年保護 条例」に基づくもので、指定されたものを未成年に販売した時にだけ罪に問われるわけで、 青少年を「悪いモノ」から守のが目的なのです。ですから、そうした内容のものを未成年 に売った時に問題が発生しますから、サークルとしては自主的な判断で、明かに子供、未 成年と思われる一般への販売は自粛してもらいたいと思います。逆に、そうした内容、つ まり反道徳的な内容、過度な残酷描写、縛り、露骨に描かれている性描写、ワレメ(一本 の線)等は「ワイセツ図画」として法律に触れるわけではないのです。――しかし、いず れ、こうした青少年問題も同人誌に波及してくる可能性は残っています。また、現在のと ころ問題にはなっていませんが、小説、パソコンソフトにも及んでいくと思われます。た った一つのサークルによってコミケつと、同人誌界が終了することもありうるわけで、そ うしたことを考えた上で、活動を続けていただきたいと準備会では考えます。この件に関 する対応については、この夏だけではなく「刑法第175条」(明治時代に制定)がある限 り、続くと考えてください。ポルノ解禁という状況でも生まれないことには、ここまで大 きくなってしまった同人誌における「性表現」は、常に厳しい条件下におかれていると考 えてもらっても結構です。即売会という場、イベントは、非常に基盤が弱く、会場がなけ れば、貸してもらえなければそれで終りということをよく知っておいてほしいのです。  それで、お知らせしておかなければならないのは、コミケット39における資料の一部が 警察によって持って行かれており、それによって無作為に調査が進められているというこ とです。特定のジャンルだけのようですが、こうした連絡を受けた場合、全て「任意」で あるかどうか確認した上で、任意の場合、是非行かなければないないものではありません し、自分の発行した本を持っていく必要もありませんし、ましてや、自分の買った本、集 めた本については、何の関係もないことを知っておいてもらいたいと思います。ヤブヘビ とか、正直者はバカを見る――とまでは言いませんが、調査は、調査であって、どう協力 するかは個人の意志の問題です。法律にふれる部分についてはキ然としていることだと思 います。その一つが、本には発行者、連絡先の奥付を必ず入れる。それが無理な場合、印 刷所名を明記し、定価ではなく頒価とするなど、責任の所在をハッキリしておくことだと 思います。海賊出版、闇ルートと言われない為にも、これはやっておく必要があると思い ます。――責任のハッキリしない委託販売についてもある程度規準が必要ですし、バック ナンバー、コピー誌、チラシなども後述してあることを守った上で販売して頂きたいと思 います。  大きくなってしまったことで、いやがおうでも注目を集めることになってしまった同人 誌は、それ故に一つのツケを払う時期にきているのかもしれません。そして、そのツケは 皆さんが思っている以上に大きく、対応を一つ間違えると、未来を喪失してしまう結果に なりかねないほどのものなのです。とにかく40回目の「夏コミ」は、天下分け目の回に なることでしょう。そうした状況をよく認識した上で、参加して欲しいと思います。それ に対して準備会では、これまでより厳しい形での対応をとらざるを得ません。協力を宜し くお願いしたいと思います。 (1991年・コミケ40アピール「緊急告知」)  40回――本来ならにぎにぎしくも最大の規模で行われるはずだった今回ですが、様々 な状況の変化の中で、まさに波乱の幕開けとなってしまいました。幕張から晴海へ、そし て日時の変更。とまどわれた方も多いと思います。言えないことも沢山あります。しかし、 それはコミケットが生き延びていく為にとらざるを得なかった方法だとお考え下さい。コ ミケットは場の存続にしか意味がないはずなのですから……。そうしてまだコミケットの サバイバルゲームは続いていくことは知っておいてもらいたいと思います。そう、気を抜 くとコミケットは何時失ってしまうかわからないほど、基盤の弱い物なのです。これまで にも何度もコミケットは危機を迎えました。生き延びられてきたのは、偶然となりゆき、 そしてコミケットを続けていこうとする人の尽力だったことはまちがいありません。コミ ケットは用意されているものではなく、用意していくものなのです。それは準備会だけで はなく、サークル、一般参加者全てに関わっていく問題でしょう。  今回の問題の多くは、人の多さ、巨大さでなくそこで頒布されるものの内容に関わると ころから発生しました。表現の自由について準備会はそれを守り、ここの内容には介入し ないことを約束しています。が、それを守るには力が必要なのです。コミケットには見せ かけの巨大さと華やかさがあります。それが何処かで永遠を保証するような幻想を抱かせ るかもしれません。しかし原点に立ち戻って考えるならコミケットには何の力もありませ ん。コミケットは常に危うい、それ故に魅力的な空間なのです。安定と保守はコミケット には無縁なのかもしれません。それでも、コミケットは続けていこうとする意志の力が寄 り集まることによって、永遠を求めていくことになるはずです。それがコミケットに参加 するということだと考えます。 (1991年・コミケ40カタログ「代表あいさつ」)