「女装萌え」という鉱脈

 女装をされたことはあるだろうか?
 私の場合は5,6歳のころ、姉と姉の友達にスカートを履かされそうになって、泣かされるまで抵抗したという記憶くらいしかないが、とりあえず今年のコミケのコスプレブースで男・亞里亞男・巴里華組なんかを見た限りでは、やっぱり女装などするもんじゃない、と思える。
 しかし、マンガの世界においては、男キャラの女装というのは、頻繁に現われる現象である。まあ少年マンガにおける女装は、だいたい最後にバレて袋叩きにされるというコミカルなオチが待っているのだが、ここで問題となるのは、女装したキャラがやたらと可愛いということである。例えば「花右京メイド隊」においては、全ての種類のメイド服を完璧に着こなしたのは太郎しかいないし*1、「エイケン」における女装伝助の人気は、確実にグレース鈴とちはるの上を行くであろう*2
 おそらくこれは、少女マンガにおけるショタの延長としての女装が、少年マンガに輸入された影響であると思われる*3。しかしながら、その女装が確実に「萌え」を欲する読者たちに受け入れられ始めているのも事実である。チャンピオンの話ばかりして恐縮だが、半年ほど前のチャンピオンの次号予告で「6大ヒロイン花盛り」と銘打って6作品のキャラを出したとき、そのうち2人までが男だった、という異常事態まで発生している*4。いまや「女装萌え」というジャンルは、少女マンガの手を離れ、新たな萌え要素の鉱脈として、市場を形成しつつあるのだ*5

 しかしながらこの状況は、歴史的に見れば決して異常事態ではない。日本最古の書籍である「古事記」「日本書紀」にも、「女装萌え」のエピソードは立派に綴られているのである。せっかくだから、古代日本のヒーローとして知られる倭建命(ヤマトタケルノミコト・日本武尊)が、熊曾の国に単身乗り込むところを「古事記」*6から引用してみよう。

「ここにその樂(うたげ)の日になりて、童女(おとめ)の髪の如その結はせる御髪を梳り垂れ、その姨(おば)の御衣御裳を服(け)して、既に童女の姿になりて、女人(をんな)の中に交り立ちて、その室の内に入りましき」

 つまり、倭建命は叔母さんの服を借りて、童女に変装して宴会の中に潜りこんだのである。そして、

「ここに熊曾建(くまそたける)兄弟二人、その嬢子(おとめ)を見感(みめ)でて、己が中に坐(ま)せて盛りに樂しつ」

 このあと頃合を見計らって、倭建命は隠し持っていた剣で熊曾建兄弟を殺害するのだが、ポイントは宴会に参加している女人の中から、熊曾建がわざわざ倭建命を隣に座らせた、ということだ。つまりは女装の倭建命が一番萌えちゃった訳である。
 ここで、このエピソードが史実であるかどうかを是非する必要はない。少なくとも「記紀」の成立した8世紀半ばには、建国のヒーローが女装して、それに敵が萌えてしまうというストーリーを、読者が納得して受け入れられる土壌が出来あがっていたということが重要なのだ。ちなみに日本におけるメガネの伝来は、1551年にポルトガル人宣教師が大内義隆に献上したものが最初とされる*7つまり「女装萌え」は、「メガネっ娘萌え」よりも800年以上も昔から、日本人にとって認知されていたのである

 ということで結論。

 「女装萌え」は、歴史と伝統のある立派な萌え形態である。みんな、自信を持って萌えて良い。

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*1 3巻参照。
*2 1巻(9/6発売)参照。
*3 最近アニメ化された作品だけとっても、「Dr.リンにきいてみて!」や「フルーツバスケット」などに女装キャラや女装エピソードが描かれている。
*4 「6大ヒロイン」の内訳は、「フルアヘッド・ココ」のミルカ、「ななか6/17」の七華、「しゅーまっは」の彩ちゃん、「ファントム零」の真由、「オヤマ!菊之助」の菊之助、「ぷろぶれむちゃいるど」のまりや。むしろファントムが浮いていた。
*5 ここで「女装萌え」を論ずる以上、「ストップ!ひばりくん」の存在も忘れる訳にはいかないが、連載が途中で投げ出されたことから考えても、やはり15年早過ぎたということか。
*6 「古事記」と「日本書紀」では微妙に記述が違うのだが、とりあえず手元にあったのが「古事記」だったもので。
*7 ちなみにヨーロッパの文献においてメガネの存在が初めて記されたのが1289年。それでも「古事記」からは500年以上後の話である。

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