川口茂美の特別な夏 〜第3話〜

「ねえ茂美、この柄とっても綺麗よ? それとも、こっちのほうが今風かしら?」
 日曜日。
 私は隣町の呉服屋で、お母さんに捕まえられていた。
「ねえ、早く戻ろうよぉ…浴衣の仕立てなんて、また今度でいいからさあ…」
「何言ってるのよ。今日見てもらわないと、来週は旅行で買えないし、再来週じゃあ間に合わないでしょ?」
「でも…」
「もともと今度の夏祭りに着る浴衣が欲しいって言ってたのは、あんたじゃない?」
「それはそうだけど…」
「あ、こっちの柄もいいわね。茂美、どれがいい?」
「もお…」
 ようやく午後になって解放された私は、急いで商店街に向かう。
 私の好きな、あの人のところへ。
 まだ、名前も知らないあの人。
 でも、今日こそ名前を聞いて、私の名前を知ってもらうのだと心に決めて。


 商店街の真ん中あたり、霧島診療所の前の駐輪場。
 そこに、あの人がいつものように芸をしていた。
 通行人の失笑を受けながら。
(……?)
 私はそっと旅芸人さんに近づいて…
「あはははっ」
 大笑いした。
「な、なんだよお前、いきなり笑い出してっ!」
「せ、背中…」
 私は笑いをこらえながら、指をさす。
「背中……げっ」
 旅芸人さんの背中に貼りついていたのは、
 『宇宙からやってきた生き物です』
 の貼り紙。

「あははっ。『意外性』って昨日言いましたけど、まさかそっちの路線で狙ってくるとは思いませんでした」
「うるさいっ。客引き用に人形に貼っていた紙が、いつの間にか背中に移っただけなんだっ」
「その上、ステゴザウルスがおがおTシャツ」
「それもうるさい。ったく、せっかく居候先に恩返しするだけの金を稼ごうと、気合入れてたのに…」
 悔しそうな顔をする旅芸人さん。
 だけど、昨日の夕方のような、胸を締め付けられるような悲しい表情ではない。
「はあ…帰ろう」
「え? 帰っちゃうんですか?」
「どうした?」
「ええっと…」

 そのとき。
「あれ、もう終わりかい」
 私たちの前に、スーツ姿の男の人が現れた。
 あまり見かけない人だ。この町の人ではないと思う。
「ん? 悪いが俺は、宇宙からやってきた生き物じゃないぞ」
「わかってるよ、そんなことは。興味があったのは、そっちの人形のほうだ」

(どうやら、客だな)
(はい…)
旅芸人さんに目配せされて、私は一歩退く。

「ね、もう一度、動かしてみてくれないか」
「ああ」
 旅芸人さんは再び人形に念を込める。
 とことこ…
 男の人は人形の上に手をかざしたり、旅芸人さんの周りをぐるぐると歩いたりして、トリックがないか調べる。
「ポケットの手は…出せないかい?」
「出せる」
「それでも、人形は動きつづけるか…すごいな」
 男の人は、最後まで感心しきりだった。
「君のやっていることは、本当にすごいと思うよ」
「誉めたって何も出ないぞ」
「でも、これでは子供は見向きもしないだろう。いくらすごくても、楽しくなかったらそれは興味の対象じゃない」
「そういうことは昨日、この女にさんざん言われた」
 旅芸人さんは私を指さす。
「あはは」
 私は苦笑いする。男の人もつられたように微笑む。
「そっか…それじゃ、君の発展を祈って」
 男の人は綺麗に包装された箱を差し出す。
「何だよ、これ」
「お礼。家に帰ってから開けてくれ」
 そう言い残して、男の人は去っていった。

「なんなんだ、これ…」
 旅芸人さんはその場で包みを解いた。
「わぁ、おいしそう…」
 中身はショートケーキの詰め合わせだった。
「お前にはやらないぞ」
「わかってますよ」
「しかし、つくづく現金とは縁がないな…」
「でも、お土産にするならもってこいですよ」
「そうだな。あいつなら喜びそうだ」
 旅芸人さんは人形をポケットにしまう。
「それじゃ、いったん俺は引き上げるわ」
「あ…」
「まあ、すぐに戻る」
 そう言って、そそくさと去ってしまった。

「…また、名前聞きそびれちゃった…」
 ひとり取り残された私は、ぽつりとつぶやく。
(でも、すぐに戻ってくるんだよね…)



 太陽が西に傾いていた。
 電柱が地面に、長い影を落としている。
 夕焼けに赤く染まりはじめた、商店街。
 結局、旅芸人さんはこの場所に戻ってこなかった。
「……」
(確かに、ちゃんと約束したわけじゃないものね…)
 そう自分を納得させて、病院の駐輪場を去る。

 堤防の前で、日が暮れた。
 暗くなった夜道を、たった一人で歩く。
 その視線の先に、二人のカップルが手を繋いでこちらに向かってくるのが見えた。
(……)
 なんとなく気まずくなって、そっと物陰に隠れる。
「実はね、今日、わたしの誕生日だった」
 声が近づいてくる。
「こんな楽しい誕生日なかったから、すごくよかった」
 楽しげに話す、少女の声。
 私は背を向けたまま、やりすごすつもりだった。

「おまえな…そんな大事なこと、どうして隠してたんだよ」

(え…)
 聞きなれた、男の人の声だった。

「もし言ってたら、往人さん、どうしてくれた?」
「そらプレゼントのひとつでも…いや、そら、一緒に遊ぶぐらいのことは…できただろ」

 思わず、私は振り向いた。
 金網の向こうに見えた、男の人の横顔。
 あの、旅芸人さんのものだった。
 そして相手の女の子…

「な、観鈴」
「うん?」
「夏休みはまだまだあるからさ…もっとたくさん、遊ぼうな」
「うんっ」

 金色に近い、美しいポニーテール。
 その髪型を、私は良く知っていた。
 神尾観鈴。
 私の、クラスメートだった。

(どう…して…?)
 心臓が早鐘を打つ。
(どうして、あの人と、神尾さんが…?)
 いつの間にか、私は二人の背中を追っていた。
 気付かれないように、十分な距離を取りながら。

「ねえ、往人さん…」
「どうした、観鈴?」
 話の内容はわからないけど、二人は手を繋ぎながら、住宅地へと入っていく。
(何をやっているのよ、私…)
 自問自答しながら、私は尾行をつづける。

 そして二人は、一軒の家の中へ消えていく。
 私は門の前に近づいて、家の表札を見る。
 『神尾』
 そう書かれていた。

「……」
 その瞬間、私は理解した。
 あの人が世話になっているという、奇特な家。
 それが、神尾さんの家だったということを。

 もうひとつ、気付いたことがあった。
 終業式の前日、私の家にかかってきたイタズラ電話。
『観鈴の家からかけている。どうだ、あいつと遊んでやってくれないか?』
 あの男の人の声。
 今思えば、あの声の主は、旅芸人さんとよく似ていた。

(そう、か…)
 つまりはこういうことだった。
 旅芸人さんは、7月18日より以前にこの町に来ていた。
 そして私と会う前から、神尾さんの家に寝泊りして、神尾さんと一緒に生活していたのだ。
 私は、そんなことを何も知らないで、あの人に恋して、勝手に突っ走っていたのだった。

 そして、もうひとつ知ったこと。
(そういえば神尾さん、あの人のことを『往人さん』って呼んでたな…)
 それは、あまりにも情けない、名前の知り方だった。



 次の日の朝。
 私はまた、商店街へと足を向けていた。
 昨日の夜見た光景が、ただの夢だったのだと信じたくて。
 だけど、学校の向かい、砂浜の前に広がる堤防で。
 私はもう一度、現実を突きつけられた。

 堤防に腰をかけて、肩を寄せ合う男女。
 黒いTシャツに、大きな肩幅。
 あの人の背中は、見間違えない。
 そしてうちの学校の制服を着た、ポニーテールの髪の美しい少女。
 彼女の姿も、見間違えるはずがなかった。

 旅芸人さんと、神尾さん。
 二度見ると、疑うべきことはなかった。
(……)
 私は静かに、その場を離れた。


 そのまま、午後からは部屋のベッドに横たわって、何もしないでいた。
 考えることはたくさんあった。
 いや、考えることなどひとつもなかった。
 馬鹿なのは、私だけだった。
 私はあの人のことを、何ひとつ知ろうとしなかった。
 知ろうともしないのに、私は勝手に恋をして、
 勝手に自分の心の中で、突っ走っていただけなのだ。

 神尾さんと、あの人の顔を思い浮かべる。
 学校では見たこともないような、幸せそうな笑みを浮かべている神尾さん。
 困惑しながらも、彼女を満足そうに受け入れているあの人。
 二人は、私があの人と出会う前から、ずっと二人の時間を作っていた。
 二人は一緒に家に帰り、一緒にご飯を食べて、そして、一緒に…
 想像が飛躍するたび、私は私の愚かさに、胸を痛める。

 その胸の痛みを抑える処方箋はひとつだけだった。
 私が心を殺すこと。
 それさえできれば、この恋は最初から無かったことになる。
 だって、あの人にとっては、私はただの客でしかなかったのだから…

「茂美ーっ、電話よーっ!」
 不意に、1階から上がった、お母さんの声。
 私は起き上がって、部屋を出る。
「紀藤さんからよ」
「…ありがと」
 階段の途中で、お母さんから子機を受け取る。
 部屋に引き返してから、保留ボタンを解除する。
「もしもし…まこと?」
「もしもし茂美ーっ、元気だったー!?」
 流れてきたのは、友達の元気のよい声だった。

「それにしても、毎日暑いよねー。夏休みに入ってから、やたら日差しが厳しくなったと思わない?」
「……」
「雑誌で読んだんだけど、今年はとくに紫外線の量が多いんだって。あんまり調子に乗って日焼けしてると、シミとかできちゃうらしいよ?」
「……」
「あたしもそれ読んでから怖くなって、通学するときはいっつも、日陰を選んで歩いてるのーっ」

 受話器の向こうから、まことの楽しそうな話し声。
 それを聞きながら、私の沈んだ心がだんだんと落ち着いていく。

「ねえ、茂美、聞いてるのー?」
「う、うん、聞いてるよ。そういえばまこと、毎日補習行ってたんだよね」
「そうなのよーっ、あの暑い制服着てね、ホント大変だよ」
「授業とか、どうやってるの?」
「それが、毎日小テストあるのよ」
「えーっ、大変ねー」
「でも、それはなんとかなってるの。適当に白紙でぼおっとしてたら、先生がそれとなくヒント教えてくれるのよ」
「あはは、何それー」

 会話するという目的以外に、たいした意味もない会話。
 だけど心を紛らわすには、こうして友達と話すのが、ちょうどいい。
 それなのに。

「…でもさあ、今日ちょっとした事件があってね…」
「事件?」
「神尾さんよ。神尾観鈴」

 忘れるつもりだった、神尾観鈴の名前。
 突然、友人から聞かされる。

「茂美も知ってるよね、神尾さんの癇癪。あれがね、今日の授業中に起こったのよーっ」
「え…」
「あれってさ、いつもはこちらから話しかけたり、近づいたりするときに起こすじゃない? でもね、今日は別にあたしたち何もしてないのに、突然、授業中に泣き出したのよ」

 私は言葉を失う。
 彼女…神尾さんは今朝、あの人に肩を抱かれて、目を細めていたはずだ。
 それなのに彼女は、その数時間後、突然癇癪を起こして泣き出したという。

「結局あんまり泣き止まないから、先生と男子でむりやり保健室に連れて行ったんだけど、あとが大変でねー。補習って、いろんなクラスが混じってやるでしょ? あたしたちのクラスはあの子の癇癪のことは知ってるけど、別のクラスのひとたちが、むちゃくちゃ引いちゃって。ホント、恥ずかしかったわよー」

 思い出すつもりのなかった記憶が甦る。
 数ヶ月前。
 1学期の始業式の日、私は神尾さんの後ろの席だった。
 クラス替えの直後で少々心細かった私は、神尾さんに友達になろう、と声をかけた。
 神尾さんは笑ってくれた。
 笑顔のかわいい子で、きっとこれからも、友達になれると思っていた。
 それなのに、突然泣き出した。
 私をひたすら拒絶するように、激しく泣いた。
 どうして私が彼女を泣かせてしまったのか、理由を聞いても教えてくれない。
 理由は、別の人が教えてくれた。
 あの子はそういう病気なんだ、だから近づくな、と。
 なんとなく気まずくなった私は、彼女に声をかけるのをやめた。
 それっきり。
 それっきりだった…

「…茂美」
「ねえ、茂美!」
 耳だけが、現実に引き戻される。
「そうそう、ジュンに聞いたよ。茂美、好きな人できたんだってー?」
「……」
 だけど頭の中は、幻想を漂ったまま。
「ねえ、誰なのよーっ? ジュンには内緒にするから、あたしだけには教えてよ、ねえーっ」
「……」
「茂美ー?」
「ごめん…また電話するから…」
 ピッ。
 私は一方的に電話を切って、もう一度ベッドにうつぶせになった。

 いったい、何なのだろう?
 何が不満だと言うのだろう?
 訳のわからない怒りに、胸をかきむしられる。

 あなたには、あの人がそばにいてくれるんでしょ?
 私より、ずっと幸せなんじゃなかったの?
 私は心の中の神尾さんをなじる。
 そのたびに、自分の心が傷ついてゆく。

 ずっと、忘れたつもりだった存在。
 決して、私の夏休みにはかかわることがないだろうと思っていた、ただのクラスメイト。
 神尾観鈴。
 いったいそんな彼女が、どうして今になって、何のために…
 私の前に立ちはだかってくるのだろう…?


(つづく)



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