「こんにちはーっ、観鈴ーっ」
「はーいっ」
ドタドタ…
「あれ、茂美ちゃん、どうしたのその格好?」
「だって、今日は年に一度の夏祭りじゃない。せっかくだから、めいっぱいおめかししないと」
「…綺麗な浴衣だね」
「うふふー、いいでしょー。今年ね、お母さんに仕立ててもらったの」
「いいなあ…」
「観鈴は持ってないの?」
「うん、今まで夏祭りは、ほとんど行ったことがないから」
「そっか…」
「あ、別に気にしなくていいよっ。わたしは普段着でいいからっ」
「……」
「観鈴ーっ」
「お母さん?」
「あ、晴子さんこんにちは」
「こんにちは川口さん。それより観鈴、ちょっとうちの部屋まで来てや」
「?」
「いいもん、あげるわ」
「わあっ…」
「いい柄ですね、晴子さん」
「そうやろー。タンスの奥にしまいこんだままやったから、虫食いないか心配やったけど、きれいに残ってたわー」
「……」
「観鈴…覚えとるか、この浴衣」
「うん」
「10年前の今日、夏祭りの会場でうちとあんたが初めて会うたとき、うちが着てた浴衣や」
「うん…」
「あのな川口さん、そのころの観鈴はな、縁日で売ってるひよこのことを、恐竜の赤ちゃんやと思っててな。欲しい欲しいってせがんでたんや」
「へえ、そうだったんですか」
「あのときのうちはお金なかったし、すぐ死んでしまうのかわいそうやと思ったから、恐竜の赤ちゃん買ってあげられんかったけど…」
「……」
「今のあんたには、恐竜の赤ちゃんよりも、こういうプレゼントの方がええやろ?」
「うんっ!」
「さ、観鈴、こっちよ」
「…あれ? 茂美ちゃん、神社は向こうの方角だよ」
「こっちでいいのよ」
「そうなの?」
「実は、夏祭りに行く前に、観鈴に紹介したい人がいるの」
「え?」
「あ、いたいた。まことー! ジュンー!」
「わあ、茂美、久しぶりーっ」
「ホント久しぶりね、茂美。元気にしてた?」
「うん」
「最近ぜんぜん連絡が取れなかったから、心配してたのよ」
「そうだよー。茂美、最近つきあい悪いよー」
「ごめんねー」
「……」
「…あれ、あそこにいるのは神尾さんじゃない?」
「そうよ」
「あの子、さっきからこっちじっと見てるよー」
「だって、私が連れてきたんだもの」
「え?」
「じゃ、じゃあ、茂美の紹介したいって言ってた友達って、神尾さんのことだったのー?」
「うんっ。ほら観鈴、そんなところに一人でいないで、こっち来なさい」
「…う、うん…」
「あ、あの…川端さん、紀藤さん…」
「……」
「……」
「よい、お日柄ですね…」
「……」
「……」
「……」
「…ちょっと、茂美」
「まこと?」
「この子、大丈夫なの?」
「大丈夫よ…」
「つい最近も、癇癪起こすところ見たよ」
「それはもう、治ったの」
「でも…」
「お願い。私が保証するから、この子と友達になってあげて」
「茂美…」
「私と…この子を信じて」
「……」
「……」
「……」
「ま、茂美が言うんだったら問題ないんじゃない?」
「ジュン…」
「…たしかに、それもそっか」
「まこと…」
「ちょうどいいんじゃない? 2学期はクラス対抗のイベントが多いから、クラスの結束は固めたかったし」
「そうだねー」
「出席番号もきれいに順番だし」
「そうだねー」
「まことにとっては、補習仲間だし」
「補習のことは言わないでよー」
「ま、ってことでよろしくね、神尾さん」
「川端さん…」
「あたしも。2学期最初の再々テスト、一緒に頑張ろうね」
「紀藤さん…」
「じゃ、挨拶も終わったことだし、行きましょうか」
「そうだね、茂美」
「実は私、みんなのために、スペシャルライブの特等席を用意してるの」
「スペシャルライブ?」
「そう」
「そんなイベント、今年の夏祭りにあったっけ?」
「いったい誰が来るの?」
「それは見てのお楽しみよ」
「えーっ、本日のスペシャルライブは、国崎往人さんでーす」
「あ、往人さんだー」
「ちわっす」
「……」
「……」
「あのさ、茂美…この人、何者?」
「観鈴、二人に説明してあげて」
「うん。往人さんは旅人さんで、夏休みの間じゅう、うちに居候してるんです」
「ありていに言うと、観鈴と同棲してるのよ」
「えーっ!?」
「この人と、神尾さんが!?」
「…おいおい茂美、思いっきり誤解される言い方をするな」
「だって事実でしょう」
「あのなあ、家にはちゃんと親の晴子もいるし、そんなやましいことはしていない」
「えーっ、親の名前も呼び捨て?」
「ひょっとして、親子どん…」
「そこ、妄想走らせすぎだぞ…」
「まあまあ、みんな落ち着いて」
「元はと言えばお前のせいだろうが」
「…ともかく今日は、国崎往人さんのライブショーなんですよ」
「そうだったわね」
「ま、お前ら期待しとけよ。今から、すごいパフォーマンスを見せてやるからな」
「というわけでスタートです。国崎往人さんアーンド人形さんの、スーパーイリュージョーン!」
「…ねえねえ神尾さん、この人とどこまでいったの?」
「えー、恥ずかしいよーっ」
「お前ら、俺の人形劇を見ろーっ!」
トコトコ…。
タッカタッカ…。
「へえーっ」
「結構、ダイナミックな動きするわね」
「そうだろー」
タタタタ…。
ノッシノッシ…。
「ところで往人さん」
「なんだ?」
「向こうのほうはあんなに賑わってるのに、どうして往人さんは、こんなひと気のないところでやってるのかな…?」
「あのな観鈴、ああいう縁日で芸をするには、なわばりをちゃんと決めて、ショバ代とかも払わないといけないんだ」
「そっか…」
「かわいそうに、コネもお金もないのね」
「じゃあこの人、神尾さんのヒモなんだね」
「…そこ、私語は慎め」
「往人さん、そろそろ取っておきを」
「ああ。ラジオ体操第1〜!」
ワッサワッサ…。
「おおっ…」
「相当ギクシャクしてるけど、すごい動きね」
「それにしても、いつ見てもすごいよね。往人さんの法術」
「法術…?」
「うん。手を触れずに、念じるだけで物を動かす能力のことだよ」
「念じるだけ…?」
「うん」
「あはは。確かに巧妙に動かしてるけど、こんなの、糸で吊ってるのバレバレじゃない」
ひょいっ。
「おわっ!」
プチプチッ。
「え…?」
ポトッ。
「……」
「……」
「ほらね」
「お前…どうして、そんなことするかなあ」
「だって、いたいけな女の子に、真実を伝えてあげなくっちゃ」
「だからって、糸を全部切ることはないだろう」
「あはは。そんな簡単に切れるとは思わなくて…」
「糸…?」
「ああ。これが、人形劇のタネ明かしさ」
「でも前に見たときは、確かに…」
「あのね、観鈴。往人さんの法術は、なくなってしまったの」
「え…」
「空にいる少女を助けるのが、そもそもの法術の目的だったんだ。お前が助かった時点で、俺の法術はその役目を終えたんだよ」
「そんな…」
「でも、法術でなくても…俺の人形劇、面白かっただろ?」
「うん…」
「この人形は、俺が子供のころからずっと一緒に旅してきた、大事な相棒なんだ。法術でなくても、俺はずっと、この人形と大道芸で生きていきたい」
「往人さん…」
「どうせ、俺にまともな仕事なんてできないからな。な、観鈴…それでもいいだろ?」
「うんっ」
「…だってよ。よかったな、許可が出たぜ、相棒」
ピクリ。
「え?」
「さあ、スタンドアップだ、相棒!」
ピョコン。
「え? え?」
「ちょ、ちょっと! 人形動いてるよ!」
「たしかに私、全部糸を切ったはずなのに?」
「さあ、フィニッシュは人形による床体操の極致、後方宙返り五回転半ひねり、スーパームーンサルトだ!」
スタタター…
ダンッ。
ヒュルヒュルヒュル〜
スタッ。
「……」
「……」
「……」
ペコリ。
「…以上、国崎往人さんアーンド人形さんの、スーパーイリュージョンでした! 拍手ーっ!」
「すっごーい!」
「この人、なかなかやるじゃない!」
パチパチパチ…!
「観鈴」
「…?」
「ほら、観鈴も拍手」
「あ…うんっ!」
観鈴は笑っていた。
母からもらった浴衣を着て。
新しい友達に囲まれて。
大好きな人の、芸を見て。
ずっとずっと…楽しそうに、笑っていた。
長かった夏が、終わろうとしていた。
「往人さん…どうしても行っちゃうの?」
「ああ。この町は、芸で身を立てるには小さすぎるからな」
海からの風がそよぐ、バス停。
私たちは、旅立つ往人さんを見送りに来ていた。
夏祭りのあと、往人さんはリニューアルされた人形劇で地道にお金を得ることができた。
そして、遠くの大きな都会への、旅立ちを決めたのだった。
「あのな、観鈴…これから俺の行く街には、俺たちのような大道芸人が集まる、有名な公園があるんだ」
「……」
「俺はそこに腰を落ち着けて、自分の芸を磨く。今まで他人の芸なんてまともに見たこともなかったからな。いろんな芸を見ながら、もう一度勉強しなおそうと思うんだ」
「往人さん…」
「ほら、泣くなよ観鈴」
往人さんが、観鈴の涙をふく。
「これでお別れなんかじゃないんだ。電話だってするし、手紙だって書く」
「……」
「そして、この相棒と一緒に、一人前の大道芸人になれたら…俺は必ず、この町に帰ってくる」
「……」
「必ず、お前を、迎えに来るよ」
「往人さん!」
観鈴は往人さんの胸に飛び込んだ。
「必ず…帰ってきてね。約束、だよ…」
「ああ…」
「…うっわー。見てられへんなー」
「そうですね」
「娘のあんなシーン見せられたら、お母さん、堪らんわー」
「近いうちに、おばあちゃんになるかも知れませんよ」
「うわっ、それはもっと堪らんわ」
「…せやけど、ホンマによかったん、川口さん?」
晴子さんは急に小声になる。
「え?」
「あんた、居候に惚れてたんやろ」
「……」
「隠さんでもわかるわ。うちもダテに歳は重ねてへんからな」
「……」
私はしばらく考えてから、答える。
「はい、好きでした。そして、今でも好きです」
「…えらいはっきり答えおったな」
「だからもし、往人さんがこの町に帰ってきたとき、観鈴より私の方が素敵な女の子になっていたら…往人さんには観鈴より、私の方を選んでもらいます」
「そっか…ほんだらその時は、うちは全力であんたのことを妨害させてもらうわ」
晴子さんは笑う。
「なんたってうちは観鈴の母親やからな。観鈴の幸せの障害になるやつは、徹底的に排除しとかんとなー」
「わ、それはずるいですよー」
煙を吐きながら、バスがやってくる。
私たちの周りは一瞬、もあっとした熱気に包まれ、次の瞬間、開いた扉からクーラーの冷気が吹き出てきた。
「…それじゃ、俺そろそろ行くわ」
往人さんは観鈴の体を離した。
「往人さん…」
「観鈴…」
「……」
「……」
「元気でな。友達、いっぱい作れよ」
「うん…」
「…晴子」
「……」
「観鈴を頼んだぞ」
「ああ、任せとき」
「俺が帰ってくるまで、観鈴に悪い虫がつかないように、しっかり監視してくれよ」
「あほか。お前が一番…悪い虫やったわ…」
「…茂美」
「……」
「……」
「……」
「お前のおかげで、強くなれたよ」
「往人さん…」
「…そろそろ、いいかい?」
運転席から、咳払いと一緒に運転手の声がした。
「あ、ああ。すまない」
往人さんは慌ててバスに乗り込む。
「さようなら…はちょっと違うかな。とりあえず、みんな元気で」
扉が、ゆっくりと閉まる。
ふたたび、私たち3人はもあっとした熱気に包まれる。
ブロロロロ…
そしてバスは、黒い煙を吐きながら、去っていく。
「往人さんっ!」
私たちはバスの後を追いながら、呼びかけた。
後ろの窓から、往人さんの代わりに、人形が手を振っていた。
「…ほな、うちもそろそろ仕事に戻るわ」
晴子さんが、バイクにまたがる。
「しばらくサボってた分、取り返さんとあかんからなー」
「…今日も、遅いの?」
「でも、できるだけ早いこと帰ってくるわ。あんたの夕飯も作らなあかんからな」
「夕飯は私が作るよ…」
「夏休みももう終わりやで。そんな時期に、あんたに手間はとらせれんわ。夏休みの宿題、まだ残ってるやろ?」
「あ…」
「ほな、あんたらも早よ帰りやー」
高いエンジン音を残して、晴子さんが去っていった。
「……」
「……」
「宿題…」
観鈴がつぶやく。
「そういえば、忘れてたわね…」
私も暗澹とした顔になる。
「……」
「……」
「…ま、ここで暗い顔をしててもしょうがないわね」
「そうだね…」
「とりあえず帰ったら、みんなに電話しないとね」
「うん」
「それで、それぞれが出来てる分を確認するの」
「うん」
「そして、みんなで一つの部屋に集まって、お菓子でも食べながら宿題写し大会、しましょっ」
私たちが過ごした特別な夏は、もう終わりを迎えていた。
だけど。
秋も、冬も、春も…
私たちの季節は、まだまだ続いていく…。
「うんっ!」
(終)