川口茂美の特別な夏 〜あとがき〜
 みなさま、拙作「川口茂美の特別な夏」に最後まで付き合っていただき、まことにありがとうございました。ひょっとしたらいきなりこのあとがきから読んでいる方もいらっしゃるかもしれませんが、そういう面倒くさがりの方にはさっさと結末を報告しておきます。物語はハッピーエンドでした。川口茂美の尽力によって、神尾観鈴の呪いはすべて解かれました。国崎往人も消えることなく、晴子も観鈴の母親として、新たな人生のスタートを切りました。そしてこの結末こそが、本SSの最大の目的だったのです。

ドラマの完全性

 非常に私見なのですが、私はドラマというものは、理想化された人間関係のモデル計算だと考えています。現実世界ならば60億人分を考えなければいけない人間関係をある程度の人数に限定して、その中での登場人物の反応を計算していく、それがドラマのシナリオであると考えているのです。計算によっては、ある特徴的な結果を出すために極端に理想化されたモデルを用いる場合があるとしても、その範囲内において人間関係の計算がきっちり組み立てられていれば、よいドラマとして評価されるわけです。
※例えば「機動戦士ガンダム」は宇宙戦争という現実を離れた設定をしながら、戦う人間たちの悲哀をきっちりと書ききっている。ONEやKanonも同じことで、「えいえんのせかい」や「奇跡」という設定のなかで、感動のドラマを生み出している。否定派というのは、ほとんどがその設定そのものを頭から否定していて、そのために我々のような人間と意見が合わなくなる。また肯定派においても名雪シナリオの評価が低いというのは、クライマックスを突然、設定の範囲外から起こしてしまったためで(つまり交通事故)、あまりにも唐突な印象をプレイヤーに与えてしまっているのである。
 その点で考えれば、『AIR』という物語は「家族愛」を表現するために非常に極端なモデルを設定していますが、少なくともその範囲内において、人間関係の計算は完璧であります。つまり、観鈴に往人、晴子という登場人物に「1000年の悲劇」という初期条件を与えたいわば『AIRモデル』においては、観鈴が死を迎えるのは必然的な結果であり、それが必然的であると読み手に思わせるだけのシナリオだからこそ、『AIR』は名作たりえるわけです。
 長くなりましたが、私が言いたかったことは、「AIRのラストは納得できない」という声がありながら、それでも「AIRには感動した」と思うのは、そのシナリオのそつの無さにあるということです。だから我々SS書きが『AIR』のラストを捻じ曲げる場合には、「シナリオ」ではなく「設定」そのものに少し手を加える必要があるのです。もっとも「設定」というものはSSの根幹であり、その変更は必要最小限に留める必要があります。

『AIRモデル』の破壊

 では、AIRにおける設定、いわば『AIRモデル』において、観鈴が死んでしまう要因というのはどこにあったのか。それは『系の閉鎖性』にあると、私は考えています。ようするに、観鈴と往人、あるいは観鈴と晴子の世界は、それ自体で自己完結してしまって、外界に広がりを持っていないのです。
 このことは、観鈴シナリオの後半のほとんどが、観鈴の部屋の中で展開されることに象徴されます。観鈴の部屋の中は完全に二人だけの世界であり、その中には観鈴の実父が入れないばかりか、観鈴の救済者たるべき往人と晴子も、決して二人同時に入ることができないのです。このような閉じた人間関係では、閉空間における分子の運動がいずれ平均化され「熱的死」を迎えてしまうように、その結末には「死」しか待っていません。実際にこの閉鎖系で、往人は人形に取りこまれ、観鈴も死んでしまいました。つまり、この状況を打破するためには、閉鎖された『AIRモデル』を開いた系にする必要、すなわち外部の人間を入れる必要があったのです。
 ここで我々は、閉鎖された観鈴の部屋から、往人がたった一度だけ外部に向かって助けを求める事例を発見します。そう、7月29日の川口茂美への電話です。
 「俺だけじゃどうにもならない。誰かの助けが必要なんだ」
この台詞が、往人の危機感を象徴しています。結局この電話は観鈴によって切られ、それ以降物語は、完全に二人だけの世界に突入していき、実際に選ぶべき選択肢も存在しなくなります(夜の選択肢はCGを見るためだけ)。まさにこの電話こそ、物語のターニングポイントだったわけで、川口茂美の重要性というのは、ここにあったのです。

ヒロイン・川口茂美

 本SSの最重点課題は、川口茂美をあの電話によって、観鈴の家に行かせることにありました。いわば7月29日に「神尾さんの家に行く」「神尾さんの家には行かない」という分岐を、川口茂美視点で設けようとしたわけです。
 しかしながら、この分岐において「神尾さんの家に行く」を選ぶことは、非常に理不尽なことであります。なぜなら川口茂美は観鈴の友達ではなく、しかもこれから家族旅行に行く用事があるからです。「友達でもない人間の見舞いのために、家族の大事なイベントを放棄するわけにはいかない」これは普通の人間として、当たり前の選択肢であります。
 そこで私は、新しい設定として、「川口茂美と国崎往人は先に出会っており、しかも茂美は往人に片思いしている」というものを設けました。すなわち『恋』という心理状態によって、茂美に理不尽な行動を取らせるだけの必然性を与えたのです。観鈴シナリオの流れを邪魔しないように、また名乗りあわないことで、観鈴と茂美の関係を往人に気づかせないように、出会いのパートを作っていきました。というわけで、ここに裏ヒロイン・川口茂美が誕生したのです。

川口茂美の設定について

 川口茂美は外部からやってきた『AIRモデル』の破壊者です。ですから、従来のKEYヒロインにはないものを、茂美には持たせることにしました。それは「大家族」です。Kanon、AIRといったKEY系ゲームは、家族のつながりがよく描かれていますが、実際その家族の単位というものは、ほとんどが『母と子』という程度の非常に小さなものでした。今回の川口茂美には「開いた系」を象徴させるためにも、家族はできるだけたくさん設定し、幸せな環境を用意したのです。実際に私が、きっちりこの設定を消化できたわけではありませんが、特に第4話のラストで、核家族にはない家族のぬくもりを感じとっていただければ幸いです。

国崎往人と神尾観鈴について

 この二人の本編での関係において、不満点をひとつあげるとすれば、「やることやっといて『友達』はないだろう」というものがあります。実際問題、これまで他人とのつながりを持ったことのない観鈴にとって、『家族』と『友達』と『恋人』の違いは渾然一体となっていて、もし観鈴を死なせないとすれば、彼女の今後の成長のためにも、「往人さんは『恋人』である」という意識に目覚めてもらう必要があると考えていました。
 そのために抜擢されたのが、川口茂美です。茂美が同性の『友達』になることで、異性である往人さんを『恋人』として意識させる、そのために、茂美にはラブストーリーにおける偉大な斬られ役を演じてもらいました。当初は茂美の往人への気持ちはずっと秘めたままにするつもりでしたが、やっぱり気持ちのふんぎりをつけさせるためにも、告白イベントをつけて良かったと思っています。

神尾晴子について

 この人と観鈴の関係については、本編でひたすら丁寧に描かれているので省略しますが、私が思っていたのは「これまで10年間無事に育てたのだから、十分家族としての役目は果たしていただろう」ということです。ですからエピローグでは、「幼子と母親」という関係ではなく、「大人になろうとする少女と年長の助言者」という関係を与えたつもりです。

その他のキャラについて

 佳乃、美凪の他の二人のヒロインは、川口茂美の割を食って全く登場しませんでした。実際に出そうかとも考えていたのですが(特に美凪はクラスメートですし)、下手に出演させたところでバランスが崩れるので、やめました。どうせ観鈴の問題が解消すれば、二人の問題も解消するでしょうし。とはいえ今回の完全なハッピーエンドへの青写真は、佳乃シナリオが参考になっており、その点では二人のシナリオというのはおまけではなく、非常に重要なシナリオだったと考えています。
 あと神奈と裏葉と柳也の関係を、観鈴と茂美と往人になぞらえている部分がありますが、だからといって茂美が裏葉の転生である、という設定をしたわけではありません。茂美はあくまで第三者的に、そのような因縁からは自由な人物であり、だからこそ1000年の連鎖を断ち切ることができたのだと考えてください。

 ということで、「川口茂美の特別な夏」はこれで終わりです。そしてこの物語をもって、私の『AIR』の解釈に代えさせていただきたいと考えています。もともとシリアス路線は得意ではないので、今後はAIRの設定を楽しむようなコメディ調のSSを書いていきたいと思っています。それでは、また次回作で…

   2月17日 えぬ



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