好きだといわずにいられない
−白い世界へ2−

水無月 初香


 いつのまにか、少しずつ風が柔らかくなってきた。季節は春にさしかかろうとする冬の終わり。
 それでも、まだ時折ふく鋭い風のせいか、海岸沿いの道はすいていて活気がない。
 少年は歩みを止め、眼下に広がる海を見下ろす。
 吹き付ける風に、少年の短めでセットもされていない髪が、さらさらと煽られる。
 その風に乗って、微かな音が少年の耳へ届く。
 少年は行く先にある目に見えぬそれを見つめ、顔を綻ばせると、小柄な身体を精一杯動かして、音のしたほうへ再び歩き出した。



 海岸道路沿いにそこはあった。
 一見では何の店だかわからない店構え。小さく掲げられた看板からそこがBARであると知れる。
 開店前だからか、看板のネオンはついていない。
 少年を導いた音はここから聞こえていた。
 ピアノの音に吸い寄せられるようにして、少年は店の扉を開いた。
 照明の落ちた店内には一条の光。
 その光の先には一台のグランドピアノと、一人の男。
 男は、少年の存在に気付いていない。
 項が隠れる位に伸ばされた髪を揺らしながら、演奏に没頭している。
 バタン、と少年の後ろで扉が閉まる。その音に反応して男が手を止めてこちらを振り返った。
「アキ。いつもより早いな。」
「今日から店に出るってきいて、なんかうれしくなっちゃって…」
 アキ―深山アキト―は、そう言ってピアノのほうへ近寄っていく。
 アキトをピアノの傍らに引き寄せると、男は再び鍵盤に向き直る。
「笙ちゃんのピアノ、久しぶりな気がする。」
 彼、葉月笙哉は、この店の専属ピアニストだ。先日ステージ上で事故にあい、入院していた病院から退院したばかりだった。
「俺も、すげぇ久しぶりな気がする。早くピアノが弾きたかったよ。こんなに弾きたいって思ったのははじめてだ。」
 いくつものコンクールで章をとってきた笙哉が、初めて音を奏でることに幸福を見出したのは、アキトと出会ってからだ。
 笙哉の作り出す旋律をなぞるアキトの声でしか、笙哉の音楽は完成しない。それどころか、笙哉自身もアキトなしでは不完全なのだ。
 それはアキトも同じで、笙哉に出会ってからどんどん世界が変わっていく。

 相手の過去のことなど気にはしない。聞きもしない。
 互いにとって、その存在が唯一絶対である事実だけが、彼らの真実。

 照明すらついていないステージの上で、アキトには彼の姿のみが輝いて見えた。
 彼の隣に自分の場所があることを、誇らしく思う。
 耳慣れた笙哉の音に声をのせる。

 少し震えた、伸びる声。
 透明な声と、美しいピアノの旋律が絡んでいく。
 重なったその音は、聞いてるほうが恥ずかしくなるほど甘い。
 二人の間に、言葉は少ない。
 だけど、それよりも濃い音が、二人の間には流れていた。
 頬を少し上気させて歌うアキトと、笙哉の目が合い、ピアノの音がやんだ。
「笙ちゃん?」
 不思議そうに見上げるアキトを手元に呼びながら、その耳元に笙哉が囁いた。
「歌って。アキトの声が聞きたい。」
 子供みたいな笙哉の我侭にアキトがくすりと笑うと、再び歌いだす。
「アキトの声好き。髪も、腕も。」
 笙哉の腕が、アキトの細い体をきつく抱きしめる。

 その人の、そのすべてが愛しい。
 その口から発する声も、吐息さえ。
 自分のそばにいつもある、そのぬくもりを確かめる。
 誰よりも愛しいその存在に、好きだと言わずにいられない。

:あとがき:

うわっ! さむっ!
…砂吐きそうなぐらい寒いです。短い上に意味も落ちもない(爆)
しかし、この二人だと、始終こんな感じなんだろうなぁ…ただひたすら甘いって言うか…進展ないって言うか…
縁側で茶ぁ飲んでるじじばばじゃないんだから…(笑)


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