四庫全書総目提要の巻57『晏子春秋』の項目に、以下のような記述がある。
「晏嬰の学は実は墨家である。墨子の集団は斉国に居た。 晏嬰が多く兼愛を尊び、厚葬を否定するのは、往々にして墨子の道を聞いて影響を受けたのであろう。 孔叢子の詰墨に出てくる話は皆晏子に出ている。」(意訳)
というようなことを柳宗元・薛季宣が述べているという。四庫全書総目提要には、 「墨家はわずかに墨子、晏子の二書だけである」と述べており、 どうも晏嬰=墨家というのはそれなりに信じられていたようである。
この「晏嬰墨家説」は、後世更に議論が深められ、色々な説が出ているが、 現在の所の結論では、そもそも成り立たないようである。そもそも、四庫全書総目提要が誤っているのだが、 『晏子春秋』は晏嬰の著作ではなく、後の人の偽作のようである。
古今偽書考に書いてあるところを総合すれば、 ・現存の『晏子春秋』は晏嬰と関係が無い。
・『晏子春秋』に書かれている晏嬰の記事は、全て唐の魏徴のものである。
・清の管同はいう。
「史記には『晏子春秋』のことがかかれて居ない。この書は管子・孟子・荀子・韓非子・韓詩外伝・劉向の書(説苑を指すか)から 剽窃して孔子を当てこする為に作られたものであり、元ネタは墨子の非儒篇である。(中略) 文章も薄っぺらでどうしようもない。六朝の人間の偽造であろう」
付:墨子関係の異説
もう二つほど、墨子関係では変な説が四庫全書総目提要に出ているので、これも書いておく。
一つ目は墨子の本名に関する説。
「墨子の本名は擢烏(正しくは擢には手偏が無い)という。母がカラスを夢に見て墨子を産んだので名前は烏なのである。 墨家思想を述べたので姓を墨としたのである」因樹屋『書影』の説だそうだが、本当なのだろうかとこれにはさすがに首をひねってしまう。
四庫全書総目提要の筆者も「この説は何を根拠にしたのかわからないので、史書の典拠とすることはできない」 とこぼしているほどである。
もうひとつ、これも相当おかしい説である。
「仏教徒たちは慈悲の教えを墨子から取ったのである。韓愈の『送浮屠文暢序』に、 「儒名墨行,墨名儒行」といい、仏教を墨家としているのは、蓋し真実をついたものだ。」これはどうみてもおかしい。釈尊が慈悲を説かれたのは墨子より前だからである。原始仏典に既に慈悲の教えは出ているので、 「仏教徒たちは慈悲の教えを墨子から取った」という考え方は歴史的根拠が無い。こういう考え方がなぜ出てくるのかといえば、 朱子学には「元来仏教というものは真理を偽る教えであり、しかも中国の思想のパクリである」という考えが根強くあり、 朱熹にも「仏教は元々四十二章経しか持って居なかった。中国へ来て色々な思想をパクって経典をこしらえたのだ」という発言が あるのである。四庫全書総目提要の筆者は朱子学を学んでいるので、こういうことをいうのであろう。
(2007年02月10日 10時46分16秒のブログより、加筆訂正)