明末人物伝
死闘を続けた人々の軌跡


中国史で最も面白いのは明末清初だ、といわれたのは井上裕美子氏、だったかな?確かにダイナミックな歴史の転換点であり、女真族・明王朝・盗賊の三つどもえの死闘は後世の人間から見ればめくるめくような物語を見ているかのようだ。面白いと言えばそうともいえる。

しかし、僕はこの時期の歴史を「面白い!」ということをためらってしまう。 何かおもしろがるのが不謹慎に思えてくるほど凄惨な記事が多く、悲しすぎるのだ。王秀楚の野史『揚州十日記』は南京攻防戦を庶民の目から記録した史料だが、読んでいて絶句し、暗澹たらざるを得ない。罪のない多くの人々が死体として道を埋めている描写など、もはや先に読むのが辛くなるほどである。

そんな凄惨な時期に生まれた知られざる人物を、ここでは二三紹介しよう、と思う。彼らの必死な生に救いはあったのだろうか?


明末の遺老たち

明末の遺老とは、明末期に清との戦いに敗れてその後清王朝に仕官せず在野の士として学問を続けた中国人学者達をさすことばである。

彼らは「何故、文化が繁栄していた明王朝は文化的に劣る満洲人に攻め滅ぼされたのか?」という問題を常に考えつづけ、(彼らにとっては、明滅亡は中国滅亡と同じことであると考えられた)その結果「明の思想家たちが『性理の空談』をするばかりで、なんら現実社会に関わらず、中国には沢山の問題があったのに、『性理の空談』に逃避して愚にもつかない閑談義ばかりしていた為に、明は滅亡してしまった」と考え、現実社会を変革できうる政治思想を展開するに至った。

彼らの基本的な姿勢としては、殆ど読書を重んじなかった明末陽明学を批判し、反対に経学と史学を重要視し、経学から「宇宙の原理法則(道)」を学び、史学から各時代ごとに社会がどのように変革してきたかを学び、そして経学と史学から得られた膨大な知識から現実社会の問題ととりくんだことがあげられる。

普通、明末の遺老としては顧炎武・黄宗羲・王夫之・顏元を挙げ、特に顧炎武・黄宗羲・王夫之を明末三大遺老(明末三大儒)という。

顧炎武・寧人(1613−1682、亭林)
堅実なる反体制の人。清朝考証学の端緒を開いた学者。幼少の頃から学問を好み、「千里の道をゆき、万巻の書を読む」をモットーとした。明末清初の混乱期に清朝打倒の地下工作を蘇州などで推進したが、失敗し、その後は清王朝からの仕官の薦めを断り、ロバ2頭にたくさんの本を積んで山東や山西で開墾事業を経営しながら実証的な歴史研究を行った。著書『日知録』など多数。

黄宗羲・太仲(1610-1695、梨洲・南雷)
陽明学者劉宗周の弟子で、新陽明学・湘東学派の学祖。穏和な革命家。父黄尊素は東林党人の領袖で、父と同志たちが政治改革運動を行ったことが彼の思想に非常な影響を与えたと言われる。異民族・満洲族の侵略に抵抗、日本まで援軍を求めに来たこともあるが、援軍は徳川家光に断られた。明滅亡後、『明夷待訪録』を著わして、政治・制度・経済・軍事などの多方面からあるべき中国人国家のシステムを論じ、また専制政治を強烈に批判した。さらに、明末の陽明学が堕落して観念論をふりまわす理屈のみの学問に陥っていた事を嘆き、実証的な史学研究を重視し、中国初の本格的学術史『明儒学案』を書いた。そのため彼の弟子からは歴史学者が輩出した。思想的には「夷狄を中国に居住させるな」と強烈な民族主義を説いた王夫之などよりは温和で、晩年は清初期の漢民族虐待を改め、善政を敷いた清の康熙帝を支持し、正史『明史』の編纂に協力した。『明儒学案』に続く『宋元學案』を執筆中に死去。著書多数。『明夷待訪録』で人権宣言に似た考えや、民主主義・責任内閣制度・議会政治などに近い主張を行ったため、清の乾隆帝はこれを禁書に指定し『明儒学案』も朱子学優位に改竄したものを『四庫全書』に収めさせたが、清末期の革命家たちは『明夷待訪録』をアングラで印刷して回し読みし、黄宗羲を「中国のルソー」として崇拝してやまなかった。

王夫之・而農(1619-1692、船山先生)
怨念の歴史学者。明末の遺老の中でも最も凄惨な人生を過ごした人。石船山に隠遁した事から船山先生といわれ、王船山と呼ぶことが多い。若年にして異民族・女真族の侵略に抵抗、家族や友人を失い郷里を捨てるという苦難の日々の中、山野を駆け巡り義勇軍を指揮したが、敗れてのち少数民族の村に隠遁した。しかし、この村も安寧な住みかではなかった。王船山の詩には、かれの家をスパイが見張っているということにおびえ、スパイをののしっているものもある。(『王船山詩文集』)じぶんで「活き埋め」とさえいった生涯を過ごした彼は女真族に怨念を抱いており、「夷狄は人ではない、夷狄を中国に居住させるな」と強烈な民族主義をとなえ、余り当時の学者たちと交流しなかった。自分でも修羅といっているが、阿修羅にも似た精神状態で生涯を過ごしている。

著書は多い。歴史哲学書「読通鑑論」「宋論」や、ダイナミックな易の解釈書『周易外伝』を著わし、 後世の心理学者フロイトらに大きな影響を及ぼしたが、存命中はアングラでしか読まれていない。あたりまえで、「読通鑑論」など清にとっては危険思想である。夷狄(清を念頭に置いていることはいうまでもない)は悪として認識されている歴史書なのだから!この本の価値はそのギリギリの視点から、儒教的な歴史観に良く見られる形式主義が消えており(というよりかまっておれない、というのが本音だろう)、歴史の真相をえぐり出している眼力の凄さにある。今読んでも『三国志』に関する彼の見解のギリギリさ加減は尋常ではなく、生ぬるい『三国志』関係書を震え上がらせるものがある。その思想は曾國藩により発見され、近代中国の革命家達に愛読されたが、死んでからおおっぴらに王船山の本が読まれるようになるまで200年も掛かっている。

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