宮城谷氏が使用した史料と思われるもの
1.『史記』商君列伝
公孫鞅の基礎史料だが、司馬遷が伝の最後の論賛で商鞅を否定するのに、宮城谷氏はかなり違った書き方をしている。わたしも長い間、商君列伝論賛の線で商鞅像を考えていたので、『孟嘗君』を読んだときには非常に驚いた。
2.『史記』貨殖列伝
白圭・郭縦はここに登場する。
3.『商君書』 かなり台詞の典拠などはここから拾っているようだ。 →『四庫全書総目提要』の『商子』についての記述を見ると、この書物は商鞅没後に法家者流が商鞅の論を綴ったものではないかとしている。 公孫鞅と秦の家臣たちとの新法問答は、『商君書』更法篇が典拠と考えられる。 秦の孝公の台詞はかっこいいが、ずばり更法篇であろう。
(『商君書』更法篇)孝公曰く、「善し。吾れ、窮巷に怪多く,曲學は辨多しと聞く。愚者は之を笑い、智者は哀しむ焉。狂夫は之を樂しみ、賢者は憂うる焉。世に拘わりて以て議するも,寡人は之を疑わず矣。」
(宮城谷昌光『孟嘗君』2巻)4.雲夢睡虎地楚簡・秦律ーもうよかろう。
とおもった孝公は、おもむろに口をひらいた。
「窮巷に怪多く,曲学は弁多しと聞く。愚者の笑いを智者は哀しみ、狂夫の樂しみを賢者は憂える。世にかかわりてもって議するも、わしはこれを疑わず」
孝公がそういった瞬間、秦は改革の第一歩をふみだしたことになる。
宮城谷氏が使ったことを明言しているもの
1.『戦国策』
2.『資治通鑑』
3.『竹書紀年』