参考文献注記

四書五経 上海古籍出版社

「四書五経宋元人注」という名でも出ている模様である。この別名?通り朱子学者が宋〜元に掛けて書いた注つきの本を影印したもの。(『春秋左氏伝』は杜預注)なお、底本の記載は無く佐野公治氏の大著『四書学史の研究』でも底本は不明としているが、この本のばら売りバージョン(『論語』『大学』『中庸』で一巻だったり『孟子』だけ別に出したりしている)では清の武英殿本だと明記されている。

国訳漢文大成 国訳漢文大成出版会

戦前、大正時代に出た書き下し本のシリーズで、日本語訳はない。当時はこれでも「国訳」だったのだろう。晉唐小説や『(大宋)宣和遺事』、『二十二史剳記』、『資治通鑑』などマニアックな訳書がそろっている。古本屋では2500円くらいで神保町では出ている事が多い(500円で売られてたこともあるが・・勿論見てぱっと買いました(^o^))ようだ。装丁は天金(本の上に金箔が塗ってあるもの)でとても綺麗。大正時代のロマンを感じさせますねえ。なお、当時は漢文の国訳とは何事か!原文で読め原文で!というクレームが寄せられた、そうな(^^;)・・今ではとうてい考えられない話。まあ、それだけ漢文業界は閉鎖的なのであった…

中国の思想 全12巻 松枝茂夫・竹内好監修 徳間書店

諸子百家の思想書を訳したもの。部分訳だが、梗概を伺うに足る量となっている。底本には『漢文大系』使用が多いようだ。

この訳書は、「中国文学研究会」の人々が中心となって翻訳したものである。「中国文学研究会」とは、昭和九年初めに東大支那文学科の在学生と卒業生が結成した新しい中国研究を志す学術団体である。彼等は江戸時代の学問を引き継ぐ東大の漢学も、内藤湖南の後継たる京大支那学をも越えて新たな道を切り開こうとしている人々である。そのため、江戸以来の読みに拘っている類書に比べると、原文を深く読み込み、訳文の日本語が読みやすいのが特徴。口語訳のみで読ませる工夫をしているためか、諸子百家研究家たちの間ではあまり評価の対象にならないが、寧ろジャーナリストや現代中国研究者の間では名著の評がある。

儒教とは何か 加地伸行 中公新書

儒教の通史ですが、数年前にこの本を読んだときのショックは忘れられないです。ぐいぐいのこの論旨にひきづりこまれていき、著者の唱える「儒教宗教説」にのめり込んでいきました。・・・
ただ、改めて読み返してみると自分の論旨に合わない事実に対して容赦なく切り捨てているんですね。(例;南朝の儒家に范真という無神論者がいるんですが、著者はこれを儒教が分かってない馬鹿だと粉みじんにしている。でも、無神論者の儒家がいた事実は尊重すべきじゃないの?)これはちょっと歴史学者としては問題じゃないかな?・・そういう所に引っかかるところはあるのですが、まあ、割り引いて読めばかなり使える本ではあります。家族からすべてがはじまるんだ、という意見には賛同できるしね。世間の風に当たると、家族の温かみってホント身にしみて分かりますからね。

孔子伝 白川静 中公文庫

圧倒的な論旨と文章力で迫る本で、ファンも多い本です。改めて読み返しても圧倒される思いがし、著者の真摯な態度に頭が下がるのです。ただ問題が無いとは言えません。上の『儒教とは何か』と同じく自分の論旨に合わない事実に対して容赦なく切り捨てる傾向があるんだよなあ・・特に第一章の孔子の生涯を述べた部分は著者の空想がかなり入っているようで、眉につばを付けて読まないと足をすくわれかねない危険なところがあります。著者は孔子が政治をやったことを否定したくて仕方がないらしく、多数史料の残る政治家としての孔子について否定していますが、考証も注意深く読むと首をひねる箇所が多い。良く知られている第一章の
「孔子は巫女の子であった。父の名も知られぬ庶生子であった。尼山に祈って生まれたというのも世の常のことではなさそうである(56ページ)」
という文章は、魏の王粛のでっちあげた有名な偽書『孔子家語』が元になっているのです。しかも、著者はこれしか根拠を挙げていない。説得力に乏しい気がします。僕は昔、この本を金科玉条の如く考えていましたが、これすらも孔子の生涯を知る上ではたたき台にしかならないかも知れません。

それ以降の孔子の思想を述べた部分、これは非常に深い。しかし、ここも何か疑問は残ります。

荘子(内篇) 福永光司 朝日新聞社(中国古典選12)

この本についてはとやかく言うことを避けます。素晴らしすぎて、どうもこの本の良さをどう紹介しても本物より落ちる気がするからです。僕は中学生の時にこれを旅行先の白河の本屋で買い、ずっと読み続けていますが未だに読み飽きることが無く、ずっと側に置いています。悲しくなったとき、つらくて誰にも頼れない時に読むと、励まされます。

道教百話 窪徳忠 講談社学術文庫

道教についての軽いお話集。『列仙伝』『神仙伝』『聊齋志異』などから短い話を集めて紹介し、コメントを付けて道教を解説している。一般向け道教解説書ではこの本をネタとして使うことが多いようだ(同じ話をあっちこっちの本で見る)入門としては入手も簡単だし(道教関係の本は入手が難しい本が多すぎ!)いいんじゃないかなあ。もちろん、これですべて分かるわけではないし、『老子』や『荘子』などの道教経典に関しては余り書いていないです。 著者の窪先生は道教研究の草分けの一人。えのきどいちろうが非常に褒めていた先生である。

朱子語類 張伯行輯 台湾商務印書館

『朱子語類』のダイジェスト版。人人文庫の一冊。

朱子学の基本用語ー北渓字義訳解 陳淳 佐藤仁訳 研文出版

朱子学というと寛政異学の禁だとか、観念論だとか尊王攘夷だとか悪いイメージしか言われることが少ないですが、僕は本来朱子学は観念論でも外国蔑視の論理でもなく、変容するウチにおかしくなったんじゃないかな?と考えています。なぜなら、朱熹が話したことを直に聞いている人々は尊王攘夷なんていってないですから。・・そもそも尊王攘夷って日本人が作った言葉らしいですしね。で、朱熹の頃の朱子学というものを知ろうと考えたときにはこの本が一番だと思います、ちゃんと日本語訳されているし。『朱子語類』も良いけど入手できる訳はないし(あちこちの学界で部分訳はあるが入手は困難。単行本であるのかどうかも不明)、本当に『朱子語類』は朱熹が言ったことを弟子がノートしただけのものですから取っつきも悪いですし。これは朱熹の弟子の陳淳が自分なりに朱熹の思想の概念をまとめたものです。入門書として民間で尊ばれた、非常に良い本です。(日本の江戸時代の学者が逆に悪口を言ってたりする・・)

正史についてまとめ。

耶律楚材とその時代 杉山正明 白水社

この本は余りよい出来の歴史書とは言えません。

一般に蒙古初期の宰相とされる蒙古に仕えた文人・耶律楚材の事蹟は誇張されていることを 述べたものですが、元時代研究の旗手である杉山氏の論考にしては、史料の読み方が粗雑で、まだまとまりが無い印象を受けざるを得ません。後書きで杉山氏も不充分な論考であることを告白しておられるが、確かに耶律楚材伝としては未完に終わっており、上々の作とは言い難いものがあります。

これまでの耶律楚材の事蹟を述べる文章とは異なる視点、すなわち耶律楚材を嫌っていたらしい金の 文人・元好問の耶律氏に関する記録『故金漆水郡侯耶律公墓誌銘』(元文類・巻51に収録されているらしい)や南宋の人が耶律楚材を「書記」と表現した文章を発掘したことはこの本の成果でしょうが、元好問の記録では耶律楚材を「大権をとる者」と表現し、耶律一族で唯一金に殉じなかった耶律楚材を暗に謗っている。これまでの漢人から尊崇されていた耶律楚材とは違った視点の記録で、金代の耶律楚材観を伺うことが出来ます。また、耶律楚材は中書令を称したが、これは唐の官職で「宰相」のことである。しかしこの実態は「書記」の権限しか持っておらず、これは経歴詐称であると杉山氏は論じています。これらは一応この本でウリに出来る部分です。

しかし、この元好問の残した記録は公正な態度から書かれたものではないわけです。杉山氏はこれまでの耶律楚材伝の史料は故人を顕彰する意図で書かれた墓碑銘の焼き直しであり、公正中立な立場から書かれたものではない。墓碑銘の筆者宋子貞も胡乱な人物だとして退け、この元好問の史料などを元にして耶律楚材はひどい人間だったとしていますが、元好問の文章も公平な立場から書かれたものでないわけで、この史料を元にすることはますます真実から遠ざかることになりはしないのでしょうか?それから「中書令」を宰相と取ったのはこれまでの研究であり、古代志向の強かった耶律楚材は漢の「中書令」の積もりで使った可能性もまたないとはいえないと思うのです。また、これまでの耶律楚材伝の種本である宋子貞の記録を杉山氏が憎悪むきだしで批判しているのはどんなものでしょうか。どうも杉山氏の史料批判は感情論に陥っている箇所が多いように思えます。しかも『元史』耶律楚材伝で既に宋子貞の記録を『元史』で採用するにあたり、『元史』の筆者宋濂が訂正している部分の指摘が多く、(僕はこのことから少し『元史』の価値を見直した)屋上屋の感を免れません。

ウェブ上では耶律楚材に関して話す時、ややこの論考を拡大解釈しているものがあるようであるが、良い事ではないと思う。新たな面を切り開こうとした意欲的な論考ではあるが、頭から信じこまず批判的に読まれるべき論考だろうと僕は思っています。尚、耶律楚材研究のありかたについてはモンゴル史家の大葉昇一氏の発言が参考に成ります。

「惜しいことに楚材のことを伝えるのは漢文史料だけで、モンゴル側史料は何も語らない。そのため、楚材の地位は低く、便利扱いされただけの存在だったと見る向きもあるわけだが、むろん名臣楚材の姿は虚像ではない。モンゴル側史料が中国出身者の功績を問題にしないところが問題なのであり、そこにむしろ征服者側の政治姿勢の限界をみるべきである。(『耶律楚材--チンギス・ハンが国を委ねたモンゴル帝国の忠臣(特集ワイド 歴代皇帝をつくった名軍師) 』歴史読本96年11月号より)」
<2005年1月追記>この本は学界でも殆ど注目されていない状態で、諸評でもとりあげたものはないようです。


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