東京大学詩吟研究会(以下、「詩吟研」という)は、東大の学生詩吟サークルである。以上。
しかしこれだけでは当然、「では『詩吟』とは何だ?」という問いが生ずるであろうから、次節では「詩吟」というものについて少し説明する。
なお、詩吟研の活動内容(もちろん「詩吟」ではあるが……)については、その後で説明することにする。
また、先に「東大の学生詩吟サークルである」と述べたが、「東大の」とは、東大を中心に活動しているというだけの意味であって、部員は東大生に限らないということを申し添えておく(いわゆる「インカレ」というやつである)。
詩吟とは「吟詠」のことである(「吟道」ということもある)。
そして吟詠とは、日本語の(芸術的)表現技法の一つであり、簡潔に述べれば、日本語の言葉(文節)の語尾の母音を長く引き、そこに独特の旋律(「節調」という)を付加する「唄い方」のことをいう(文章による説明では分かりにくいかもしれないが、実際に聴いてみれば直ぐに理解できると思う)。
これが一般的に「詩吟」と呼ばれるのは、もともと幕末・維新の頃、漢詩(明治より前は「詩」といえば今でいう「漢詩」のことに決まっていた。日本の韻文としては「歌」があったからだ)を吟唱することが武士階級の間で流行し、今日行なわれている「吟詠」の直接の起源となったことに由来する。
すなわち「詩(漢詩)」を「吟ずる(吟詠する)」から「詩吟」である。
そのため、割合に大きな辞書でも「詩吟」の項目には、
しぎん【詩吟】漢詩を読み下したものに節をつけて吟ずること
と書かれていたりする(上記は三省堂「大辞林第二版」からの引用)。
しかしながら、今日の詩吟の本質は、先に少し述べた「吟詠」という方法論にあると考える。
そうであるから、詩吟が対象とする日本語は漢詩(読み下し文)に限られるものではない。実際に、短歌や近体詩の吟詠も盛んに行なわれているし(俳句を吟ずる流派もある)、そもそも韻文に限らず、それが吟詠に適した日本語でさえあれば、散文であっても詩吟の対象とし得るはずである(散文の吟詠については、これからの研究課題の一つであろう)。
さて、詩吟(以下、用語としては「詩吟」に統一して述べることにする)の魅力について述べれば、第一に、腹の底から大きな声を出すという原始的な喜びであり、第二に、美しい日本語を声に出して味わうという言わば知的な楽しみであろう。
身体論に基づく教育学者・齋藤孝氏のベストセラー「声に出して読みたい日本語」(草思社、2001年)では、詩吟について、次のように述べられている。
実際の詩吟を聴いてみると、窓もふるえる迫力がある。声が空気の振動だということがびっくりするくらい実感できる。魂が揺さぶられるような力がある。自分の身体を腹から背骨を通って振動させ、声の響きを通して空間全体を振動で満たすというのは、なんとも気持ちのいいことである。身体と空間が響きにおいてつながる経験は、宗教的体験の原型だ。
個人的には、(同氏の三色ボールペン方式に敬意を表して)引用した全文に赤で傍線を引きたいくらい、見事に詩吟の魅力を伝える一節だと思っている。
詩吟研の活動の基本は、詩吟の練習と発表である。
まず練習について述べる。詩吟研は、詩吟洌風流(以下、「洌風流」という。後述)という流派の指導を受けているが、これは週に1度、教場に行って先生(洌風流宗家)に稽古をつけていただいている。
さらに、不定期ではあるが、OB等の指導による練習会等が開催されることがある。
また、夏休み等には、合宿が行なわれたりする。
発表の場としては、五月祭における「春の大吟詠会」、駒場祭における「秋の大吟詠会」の他、新宿区や東京都の吟詠コンクールや、洌風流の大会などがある。
その他のイベントとしては、時節毎の行事(歓迎会、忘年会、新年会、歓送会、花見、etc.)や、(たまに)他大学の詩吟サークルとの交流がある。
先にも述べたように、詩吟研は洌風流の指導を受けている。
洌風流は新宿に総本部を置き、首都圏を中心に隆盛である。また、武道館大会や国民文化祭に毎年出場するなど、その名は全国的にも知られている(大規模な法人組織には及ばないかもしれないが、星の数ほどもあると言われる詩吟の諸流派の中では立派なものである)。
詩吟研は、創始者・初代白男川洌風先生以来、お世話になっている。
昭和38年創立の詩吟研は、すでに多数のOBを各界に輩出している。
現役生の支援のため結成されたOB会が無風会である。
吟詠指導の他、駒場祭・五月祭への支援、周年大会の企画などもする。イタリア美術についての講演会を開催した実績もある。
現役生も含んだメーリングリスト「muhoo」が、主たる連絡手段として大活躍している。
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