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罪と罰         マジェンダ藤原  



「何か良い事でもあったのか?」
 苦笑混じりの涼介の声が、背もたれたソファの真後ろから聞こえてくる。
 立ち上る芳香に、忙し無くチャンネルを変える手を止めて振り向き、啓介は差し出されたカップを受け取った。
「べ、別に…。何でもないよ」
「そうか」
 決して踏み込んでは尋ねようとはしないけれど、涼介は微かに片眉を上げる。
 その無言の数分に焦れて、啓介は音をたてながらカフェ・オレを啜った。
「啓介。明日は頼んだぞ」
「うん」
 咄嗟に言われた言葉に返事だけはしながら、すっかり忘れている用事とやらに、啓介は思いを巡らせる。
 隣に腰を降ろした涼介の、新聞を捲る気乗りの無さそうな手元を見つめ、その日付けに目を見張った。
― やっべぇ、明日かよ。
 史浩との打合わせに行かないで済む言い訳を必死に考えながら、カップの縁に歯を立てる。 
「あのさぁ、アニキ…」
「何だ」
「やっぱ、行かなくちゃ駄目、だよね」
「トップが出席しない打合わせなんか、意味が無いだろう?」
「えっと…その…。オレ、明日行けないんだ。ごめんっ」
 大体の予想通りの答えを聞きながら、涼介は手元のカップを静かにテーブルに置く。この数日間の機嫌の良さから考えて、啓介の頭の中を誰かが占めている事は薄々気が付いていた。
「理由を聞いても、いいのか?」
 押さえた口調に、ようやく兄の機嫌を損ねた事に気が付いて、啓介は慌ててカップから口を離す。
「ふ、藤原とさ、会う約束してたんだ。それ、忘れてて…」
 その名前が啓介の口から出た事に、幾らかは驚いて。必要以上に懸命な啓介の身振り付きの言い訳を聞きながら、涼介は込上げてくる笑いを噛み殺した。
「それで、何処までなんだ。藤原とは」
「ど、どこまでって、そんな…」
「啓介」
 首筋まで染めながら、頭を掻く啓介に、言い含める様に涼介は聞き直した。
「何処へ行くのか聞いたつもりなんだがな」
 単純な引っ掛けに、素直に反応する弟が愛おしくて。苦笑混じりで再度持上げたカップに口をつけ、静かに紅茶を飲み干した。
「あっと、その…」
 照れ隠しにテレビのボリュームを上げながら、啓介は隣を盗み見た。けれどそこには、すっかり興味を無くした様な涼しい横顔が居るだけだった。

■■■■■

「で、涼介さんに言っちゃったんですね」
 半ば呆れた声で、拓海は目の前の啓介をまじまじと見直す。その大きな瞳に照れて、わざと乱暴に紙ナプキンを引き抜く。
「しょうがないだろ、アニキには嘘つけ無ぇんだ」
「自分が黙ってろ、って言ったくせに…」
「お前、煩いよ!藤原」
「別にいいですけど、俺…、明日から赤城に顔出せなくなっちゃうかも知れない」
「あっ」
 いくら「高橋兄弟」と言う後援があったとしても、ついこの間までの敵地へと拓海は一人で出掛けて来なくてはならない。ましてや、これから始まるプロジェクトの事など、未だ一部の人間にしか知られてはいないのだ。
 しかも、此処に二人で居る事は、少なくとも「高橋涼介」のフォローは期待出来ないと言っても強ち間違いでは無い。
 漸く啓介は、自分が拓海に少なくは無いプレッシャーをかけた事に気がつく。
「……悪りぃ」
「いえ…」
 片や、啓介の心配とは別の所で困惑している拓海は、頬杖を突きながら、ぼんやりと窓の外を見ていた。
 何度か打合わせに参加している拓海は、その度に仲睦まじさを見せ付けられて、十分に牽制されているのは判っていた。
 少なくない二人の隙間をぬっての、自分が割り込んだ存在である事も拓海は承知している。
― 涼介さん、怒っちゃってるだろうなぁ。
 咥えたストローを所在無さ気にかじりながら、啓介が上目使いに見遣る。
「ごめん、藤原」
 傍目にも判る程すっかり悄気返った啓介に、先の呟きを撤回したい程の引け目を感じて。
― 何でこの人、こんなに判っかり易いんだよ…。
 今にもテーブルに突っ伏しそうな啓介の落ち込み具合を見て、拓海は込み上げてくる居たたまれなさを振払おうと頭を巡らせる。
「そうだ、どっか…」
「…ん?」
「これから、走りにでも行きますか?」
 唐突な拓海の申し出に弾かれた様に、明るい表情が直ぐさま顔を上げて頷く。
「じゃあさ、お前のハチロクに乗っけて」
 言いながら、既に右手には伝票を掴んでいる。そんな啓介が3つも歳上だと思い出し、拓海は半ば呆れて言葉を続けた。
「いいっすよ。何処行きますか」
 微笑んだ拓海の顔を、機嫌を直したと勘違いしたらしい啓介は、瞳を輝かせながら親指をたてる。
「峠、峠に決まってんだろ!」
 待きれない様子で勢良く立ち上がった啓介に慌てて、仕方なく拓海は飲みかけのアイスコーヒーを一気に啜る。
 途端に、吸込み過ぎて咽せた拓海を見下ろして、啓介が屈託もなく笑った。
 込み合う会計の順番を待ちながら、拓海の目に止まったのは、レジ前の雑多な棚。
「キャラメルかぁ」
 独り言の様に呟いた拓海の目の前を、啓介の腕が遮る。黄色い箱を店員にちらつかせて。
「ほら、よ」
 いきなり投げて寄越されたキャラメルの箱を、拓海は慌てて両手で受け止めた。
「啓介さん、これ」
「ぅん?」
 レシートを唇に挟んだ啓介が、財布をしまいながら振り向く。
「いくらでした?」
 食事まで奢ってもらっている手前、ただ見ていただけとは言い出せない拓海はポケットに入っている財布を握って啓介の後ろを追い掛ける。
「食いたかったんだろ?それ」 
「えっと」
 満面の笑顔の啓介に逆らえる筈も無く、渋々と拓海は頷く。
「…はい」

■■■■■

 冷たい風の吹く駐車場を小走りに横切って、拓海よりも先に「ハチロク」のドアの前に立った啓介の勢いに急かされながら、先ず助手席側から鍵を差し入れる。
「サンキュ」
 嬉々として乗り込んだ啓介は、躊躇いも無く目の前の古惚けた把手に手を掛けて勢いよく引き下げた。    
 開いた中から転げ落ちた箱を見つめた途端、その顔が不貞腐れる。
 漸くシートベルトを絞め終えた拓海は、アクセルを軽く踏み込んだところだった。
「…返せよ、さっきの」
 突然突き出された右手に、面倒臭そうに拓海はポケットから取り出した黄色い小箱をのせる。
「何だよ、これ」
 ボックスの中に入れっ放しにされていた小さな箱を摘み出されて、拓海は首を傾げた。
 暫らくしてから思い当たった、違うクラスの女子の顔。
― 白石って言ったっけ…。
「なぁ、藤原」
 強く呼ばれて、反射的に返事をした。
「はい」
 目の前に突き付けられた箱を煩そうに掌で避けながら、拓海はハンドルをきる。
― 俺、運転中なんだけどなぁ。
「こんなのくれるヤツがいるんじゃ無ぇかよ」
 如何にも責めている啓介の声に、鈍い拓海も事態を呑み込んだ。
「忘れてたくらいですよ、そんなの」
「ふぅん」
 手の中で玩んでいる箱を振りながら、啓介が未だ何か言いたそうにしている。
― 何だよ、この人。
 謂れも無い当て擦りをされても、それ以上の説明が出来ない拓海は、何も言い返せない。
 ふと気がつくと、隣で啓介が勝手に包み紙を開けていた。
「食べたいんでしたら、どうぞ。俺、あんま甘いものって…」
「要らねぇ」
 言い終わらないうちに、啓介は剥き終った箱をダッシュボードの上に放り投げる。
 乱暴に丸めた包装紙を手持ち無沙汰に握り締めながら、不機嫌を隠そうともしない顔が車窓に映っていた。
 余計な音も無い車内は、車が揺れる度にカタカタと小さな音だけが響いて、気まずさが漂う。
 それが何となく面白く無くて、拓海は峠に続く県道を走りながら、啓介を振り向かせる手段を思い巡らせた。
 暫くして見えて来た右手にある小さな牧場は、閉園時間も過ぎて閑散としている。この時間にならバスも当分は来ない。
 色褪せた看板の下の少し広い空き地に車を寄せながら、拓海は素早く左右の様子を確かめる。
「…何だよ、調子良く無ぇのか?」
 気遣いは車の事。それでも口をきく切っ掛けを掴めた啓介の口調は少しだけ軽い。
 先に沈黙に焦れた啓介の、わざとらしく伸びをした胸元を拓海の手が擦り抜ける。
「うわっ、危ねぇだろ」
 煩い不平も今は聞こえない振りをして。手荒に開けた箱の中身に安心しながら、拓海はシートから乗り出した。
「啓介さん、ほら」
「ぅん」
 小ぢんまりと並んでいる一粒を摘んで、指ごと啓介の口の中に捩じり込む。
「あにふんら、よ」
 目を見開いて驚く啓介にも動ぜずに、拓海は静かに据わった声で囁いた。
「ちゃんと食べて下さいよ。せっかく俺が貰ったやつなんですから」
 抑えた言い方とは裏腹に、乱暴に啓介の舌の上に押しつけて、そっと指を引き抜く。
 すっかり大人しくなった啓介が、もごもごと口の中で小さく謝った。
 その横顔に、あっさりと気が晴れた拓海は、指先に付いていた溶けた欠片を今度は自分の唇に擦りつけて、舐めた。
「やっぱ、甘いや…」

■■■■■

 拓海は思う。恐らく啓介も知らない自分と涼介との間にある、誰にも言えない小さな確執を。
 入り込めないと諦めていた隙間に何故か自分が居る、今は。
― あの人の事も嫌いじゃ無いんだけどなぁ。
 差し掛かるカーブを慣れたシフトチェンジで凌ぎながら、容易く車体を滑らせる。
 その途端、小さく口笛を吹いた啓介の唇に目がいって、拓海は慌てて前方に向き直った。
「もう一回やってくれよ。今のヤツ」
 啓介の声が、愉しそうに上がる。
「いいっすよ」
 一呼吸置いた拓海の口元が、見る間に引き締まる。徐々に凄みを増す目付きに、啓介の好奇心も疼き出す。
― こいつと、走るんだよな。オレ。
 直ぐ横には、流れる景色の前に「秋名のハチロク」の片鱗が微かに浮ぶ拓海が居る。
 沸き上がる言い様のない高揚感に浸りながら、啓介は全ての走りを感じようと、シートに深く坐り直した。

■■■■■
 
 陽の落ちた市街地を走りながら、ほんの数十分前までの「熱さ」を二人は各々に思い返していた。FDの置いてあるファミレスの駐車場に着くまで、互いに押し黙ったままで。
 帰り際、啓介は思い出した様に、一度降りかけたハチロクのドアに手をかける。
「どうしたんですか、啓介さん」
「ん、別に」
 屈んだまま素早くボックスを開けて、その中にキャラメルの箱を放り込む。
「これでよしっ、と」
 先に降りた拓海には、一部始終が見えていたけれど。
― 案外、可愛いトコあるじゃねぇ?やっぱ…。
「じゃ、な」
 何事も無かった様に振り向いた啓介が、笑って言う。
「ご馳走様でした」
 緩まる頬を気付かせない様に、拓海は深く頭を下げた。
「藤原…、その、さ…」
 足元のアスファルトを軽く蹴りながら、啓介の照れた強気の声が拓海の耳元に近寄ってくる。
「アニキには、オレが上手く言っておくから。心配すんなよ、な?」
 自分では拓海を十分に安心させたつもりの台詞で、啓介は半日放った自分の車へと歩き出す。
「…心配するな、って言われてもなぁ」
 これから先、あの啓介の明るさを頼ってもいいものか。拭い切れない不安を感じながら拓海は無理矢理笑顔を作って、その背中を見送った。

■■■■■

 今では当たり前になった二人だけの夕食を終えて、啓介は上機嫌でライターを取り出す。
「昨日は、楽しかったか?啓介」
 唇に挟んだ煙草に火を近付けた瞬間に不意に尋ねられて、思わず返事が勢い込む。
「う、うん。まぁ、ね」
 何かを思い出している様な、やに下がった弟の顔を見て、涼介の悪戯心が騒いだ。
「そう言えば、な。啓介…」
「なに?」
「藤原に告白された事があるんだ。随分前に、な」
 慌てて振り返った啓介に、余裕の微笑みを投掛ける。
「嘘、だろ…」
 ゆっくりと首を振る涼介の脳裏に浮ぶ、数カ月前の拓海との会話。
『俺…、涼介さんの事…凄ぇ格好良いと思ってます』
 傍から聞けば、それは単なる「信望者」の告白。けれど、涼介には全てを話すつもりなど更々無い。
「あ…いつっ」
「何だ。藤原から聞いて無いのか?」
 親指の爪を噛みながら悔しがる啓介を見て、少しだけ気を晴らした涼介は、俄然この真相は言うまい、と思い直した。

■■■■■

END

可愛らしい話を、と思いながら書き始め……。気が付いたら遠いところまでイってしまっておりました。
せっかく頂いた「お題」を、尽く外してしまったと反省m(_ _;)m




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