喰えない男 バーバレラ須藤
「ただいま、サービス期間中ですので」
カードの明細書と一緒に、手渡された小さな箱。カタカタと鳴る『粗品』と印刷されたその中身は、おおよその検討がつく。
「ありがとう」
礼を述べながら、明細書と一緒に助手席に置く。それを、店員の誘導で道に出た後、最初の赤信号でコンソールボックスの中にまとめて放り込んだ。カーアクセサリの類いは、この車を手に入れてから一度も付けたことがない。速く走るために不必要なものは排除する。それが、赤城レッドサンズのリーダー、高橋涼介の信条だった。
速く走る。
それも、公道という未開拓のステージで。
その理論の構築のためには、自分に替わって、速く走れるドライバーが必要だった。自分と同じか、それ以上の。そうして選んだ結果、まだ未成年の彼を引き込むことになった。
藤原拓海。彼のプロジェクトへの参加が決定的になったら、藤原家を訪ねようと決めていた。目的は、保護者である父親に挨拶するためだ。
夕べまでごねていた弟の膨れっ面を思い出す。
『アニキが行くことねぇよ。あいつだって、承知してるんだろ? それでいいじゃねぇか』
確かに、そうかもしれない。けれど、そうとも言いきれない。だから、涼介は、今日の訪問を申し入れた。拓海は驚き、戸惑っていたが、結局は承諾の返事をくれた。涼介の申し入れを断りきれる人間は、そう多くない。
『あ、今、何処ですか?』
「ちょうど、商店街が見えてきた……このまま、入っていいのか?」
『いえ、ウチの近所、あんまり駐車スペースがないんです。だから、その手前の……』
言われた側から、ハンドルを切って時間貸しの駐車場へ乗り入れた。
「今、駐車場に入った」
『そ、そうですか。それじゃ、そこで待ってて下さい。迎えに行きますから』
「いや、商店街に入る。途中で落ち合えるだろう?」
学校を出るのが、予定より遅くなってしまった。遅れた分を取り戻そうと、涼介は商店街を急ぐ。すると、いくらも歩かないうちに見慣れた影が走ってくるのが見え、次いで『藤原豆腐店』の文字が見えた。なるほど、車を止めるスペースなどあるはずがない。
「すっ、すいま、せん。わざわざ、来て、いただい……けふっ」
勢い込んで、咽せた背中を擦ってやりながら、苦笑いが漏れる。あれだけの走りをするくせに、どうしてこうも違うものか。
「こっちこそ、急で悪かったな。プロジェクトが本格的に動く前に、どうしても、親父さんに挨拶しとかなきゃって思ったんだ」
「そんな……オヤジは関係ないですよ」
子供扱いが気に入らないのか、拓海はふと目を伏せる。尖らせた唇が誰かによく似ていて、思わずくすくすと笑ってしまった。
「なんですか?」
「あ、いや。……ところで、親父さんは?」
「居ます。……おい、オヤジ! 涼介さん、来たよ!」
狭い店内は、水で洗われたせいで外よりも空気が冷たい。微かに残る大豆の香りの中、豆腐の製造機を興味深く見回していると、目当ての人物がひょこりと顔を出した。
「初めてお目にかかります。高橋涼介と申します。この度は、息子さんに……」
「うん? ああ、まぁ入んな」
照れ臭そうに、指先で頬を掻いて。折り目正しい挨拶の口上を邪魔されても、不思議と不快には思わなかった。ただ、変わった人だ、と思ったのが初対面の印象だった。そんなところが、息子と似ていなくもない。
「オヤジ! ……すいません、涼介さん」
恐縮して謝る拓海に、安心させるように微笑った。
男所帯とは聞いていたが、なるほど殺風景で何もない。上り框のすぐ向こうの茶の間へ通された涼介は、先程の口上を、今度はきちんと言い終えた。
「わざわざすまねぇな」
出された菓子折りをひょいと片手で持ち上げ、胡座を掻いた姿勢そのままに体を巡らせて、背後の仏壇へ乗せる。その奥には、小さな額に入った女がいた。
「奥様ですか?」
「ああ」
「……」
「……」
会話が続かない。仕方なく、涼介の方から話題を持ち掛けた。
「息子さんのドライビングテクニックは、お父様が……」
「文太だ」
「は?」
「お父様はやめようや」
言いながら、また頬を掻く。どうやら、照れた時の癖らしい。それへ微笑って見せて、涼介は続けた。
「文太さん、でよろしいですか?」
「ああ」
「息子さんの……拓海君の技術は、文太さん直伝、というわけですか?」
藤原文太という男について、ある程度の予備知識はある。走り屋であったこと。そして、その技術は今もって健在であること。
「いや。特に教えた覚えはないな」
「でも、まだ18であれほどの技術は……」
「5年も秋名を走ってりゃ、あれぐらいにはなるさ」
「……」
「……」
「……5年?」
「ああ、5年だ」
「中学1年生の頃から……ですか?」
「ああ。峠の上のホテルに、配達があるんでな」
論点がずれている。
「オヤジ、あんまり余計な話するなよ」
台所から、拓海が顔を出す。どうやら、夕飯の仕度をしていたようだ。長居はできない、と涼介は思った。けれど。
「この兄ちゃんが聞いたんだぞ?」
「兄ちゃんじゃなく、涼介さん!」
「ああ、そうだったな。んで、アンタ、飯は喰ってくだろう?」
首を振るのも忘れるほど自然に誘われて、
「ご迷惑ではないですか?」
それでも、お伺いを立てる如才なさは忘れない。
「拓海のやつ、朝からアンタが来るって大騒ぎで用意してたから。喰ってってもらわねぇと」
「余計なこと、言うなよ。オヤジ」
文句を言いながらも、拓海は、詮を開けた瓶ビールとコップを父親に押し付ける。
「おう、すまねぇな」
家族とか親子とか。
「あの……大したモンは、出せないですけど……」
暖かい、もてなしとか。
「それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらっていいかな?」
自分には縁遠い、居心地の良さに負けて。
「すぐ、仕度しますから!」
拓海が台所へ駆け込み、入れ違いに醤油の香ばしい匂いが茶の間を満たす。
「アンタ、酒は?」
「いえ、車で来てますから」
「そうか」
「はい」
酌をしようと手を伸ばしたが、いいよいいよ、と断られた。
「それで、先程の続きですが……」
「うん?」
「確かに、5年というキャリアは大事ですが、それだけで、あれほどのテクニックが身に付くとは思えません。だから、貴方は、豆腐の配達をさせる時……」
「……」
「何か、しましたね?」
ずばりと核心を突いてきた涼介に、にやり、と笑ってみせて。
「俺は、『豆腐を壊すな』と教えた。ただ、それだけだ」
「それは……」
「お待たせしました!」
食卓に並んだ皿の一つに、薬味の乗った豆腐を見つけて。涼介は、考え込む。
(豆腐を壊すな……か)
拓海が席について、ささやかな晩餐が始まって。涼介は、真っ先に豆腐に箸を付けた。小皿にとった後も、じぃっと豆腐を睨みつけたまま先に進まない。それを見て、文太は苦笑いを漏らす。
(これだから、走り屋って奴は……)
いつになく、そわそわと落ち着きのない息子のために、文太が口火を切った。
「この煮っ転がし、お前が作ったのか?」
「え、うん」
「前の時より旨いな」
「そう?」
「へぇ。これ、藤原が作ったのか?」
ようやく、涼介が会話に加わった。箸は動いて、件の小鉢に伸ばされている。
「ええ。あの、美味しい、ですか?」
「うん、美味しい。驚いたな。藤原が、料理上手だとは知らなかった」
「前のは、焦げて食えたもんじゃなかった」
「そうかぁ?」
「ああ」
まぐれ当たりだ、とからかう文太の言葉に、涼介は笑った。それを見て、拓海もようやく笑った。会話は、食卓に相応しく和やかに。涼介は、もてなしを無駄にしないため、箸を進めていった。
峠では見られない『秋名のハチロク』の日常も、彼を育てた『伝説の走り屋』の素顔も。涼介には新鮮で、興味深かった。
「ところで、アンタ」
この呼び名にも慣れた。不満そうだった拓海も、諦め顔だ。
「親父さんの後を継いで、医者になるんだってな」
「はい」
「いつまで、走るつもりなんだ?」
「……もう『走り』は、引退しました」
ほう、と唸って。文太は、向かいに座った青年を見つめた。若い面に似合わない、悟りきった黒い瞳とぶつかって、苦笑いしか浮かんでこない。
(ガキのくせに、無理しやがって)
そう思いながら。未だに『峠』を駆ることのできる、自分の身軽さを有り難いと思う。気が向いた時に、好きなだけ。それとも、走ることを純粋に楽しむことができるのは、自分が歳を取ったせいだろうかとも考えて。今度は、自分自身に苦く笑った。
「けれど、『峠』にはまだ拘るつもりです。このプロジェクトが、終わるまでは」
期限付き、か―――。
この『走り』に魅入られた若者が、全てを切り捨てられるものか。否。そのための、集大成なのだろう。
「ま、せいぜい、ウチのバカ息子をこき使ってやってくれ」
それぐらいしか、言ってやれない。けれど。
「そのつもりです」
涼介は綺麗に微笑んで見せて、文太を閉口させた。
(まったく……喰えねぇ兄ちゃんだな)
ふと。この青年が、それ程までに入れ込む『プロジェクト』とやらに、好奇心が湧く。
「それで?」
「……」
「そのプロジェクトとやらは、県外遠征だって話だが。どこいら辺を走るつもりなんだ?」
涼介は、静かに頷いて。
「関東全域の、峠を」
居住まいを正したのは、無意識だろう。
「ふぅん」
文太は、ポロシャツの胸ポケットから煙草を取り出した。
「どの辺りから攻める?」
「まずは栃木から。何件か、オファーも来てますので」
栃木、と聞いて。ライターを持った文太の手が止まる。
「……塩原辺りへは?」
「ええ、行くつもりですが?」
「ふぅん」
「……」
ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべた文太に、涼介は心の内で溜め息を漏らした。
(聞いて、教えてくれる人じゃない……だろうな)
それから。何度か『昔話』を聞き出そうと水を向けたが、のらりくらりと躱されて、その度に涼介を苦笑させた。拓海を交えての会話は、他愛のないものに終始した。なにやら文太に誤魔化された気がしなくもないが、涼介もそれなりに楽しめた。
「あ、駐車場まで送ります」
そう申し出た拓海が、部屋に上着を取りに行く間。狭い土間に立った涼介は、上り框の文太を見上げた。
「豆腐を…」
「あん?」
「豆腐を、とうとう召し上がりませんでしたね」
「見てたのか?」
「ええ。先程の謎掛けが気になって、つい」
なんとしてでも、この答えだけは聞きだしたい。そう含ませた涼介の問いに、文太はバツが悪そうに頬を掻いた。
「好きじゃねぇんだ」
「は?」
「嫌いなんだよ、豆腐が」
「ご自分で、豆腐を作っているのに?」
「嫌いだって、作ることはできるさ」
「それは、そうですけど」
「アンタだって、自分じゃイヤだと思っても、出来ることはあるだろう?」
「……」
「同じだよ」
「そうかもしれませんね」
ふいと目を伏せて微笑った涼介の頭を、節くれ立った大きな手がくしゃりと撫でる。
「ぶ、文太さん!?」
目を見開いて。思わず身を竦ませた涼介を、文太が笑う。
「なんだ。頭を撫でられた事がないみてぇだな?」
「ありますが……それは、子供の頃の…」
「俺から見たら、アンタは、充分子供だよ」
「……」
「たまには、こうやって褒められるってのも、良いだろう?」
「そう、ですね」
バタバタと賑やかな足音に、文太の手が離れる。その温もりを惜しむ自分を戒めて。涼介は、改めて夕食の礼を述べ、先に立った拓海の後を追って藤原家を出ようとした。その背中へ。
「アンタの車に、缶ホルダーはあるか?」
いえ、と首を振りかけて、昼間スタンドで渡された箱を思いだす。
「あります」
「そうか」
サンダルを引っ掛けて。文太は戸棚から紙コップをとりだした。
「オヤジ、いい加減にしろよ」
「いいじゃねぇか。この兄ちゃんの乗ってる車は、確か……」
「FCだよ」
「そうだったな」
呆れ顔で見下ろす拓海と、楽しげにコップに水を満たす文太と。
「ほれ」
「は?」
水の入った紙コップを手渡され、涼介は目を見開いた。
「アンタなら、これぐらい平気だろう」
「……」
「これを缶ホルダーにいれて、家まで零さずに帰ってみな」
あっ、と声をあげた涼介に、にやり、と笑って見せて。文太が言った。
「そしたら、また褒めてやるよ」
そうしたら。もう一度、この人に逢えるだろうかと、涼介は考える。
今まで、誰かに認めて貰いたくて生きてきた訳じゃない。まして、褒めそやして欲しいなどと、考えた事もない。ただ、この藤原文太という男の記憶の中に、自分の存在する場所を作ってみたいと思った。親の言いなりになって公道を去った男ではなく、公道を極めた一人の『走り屋』として。
この男にだけは、決して笑われたくない。そのために、自分の成すべきことをすればいい。終わるためではなく、始めるために。 自分に残された―――否、与えられた時間は、まだ充分にある。
その手始めに、この興味深い課題に臨んでみるのも悪くない。
「その言葉、忘れないで下さいね」
一変して、挑戦的な笑みを浮かべた涼介に、文太はただ、くつくつと楽しげに笑っていた。
□□□
「すいません。ウチの親父が失礼なことばっかり……」
シャッターが閉まり、人気の無くなった商店街を、拓海と歩く。今にも零れてしまいそうな、コップの水に気を付けながら。恐縮して詫びを繰り返す拓海に、涼介は笑って首を振った。
「謝ることはないさ。それに、良い親父さんじゃないか」
「そうですかぁ?」
駐車場へ着いて。
「ちょっと、持ってくれないか」
FCの傍らに立った拓海に、紙コップを渡した。コンソールを探り、件の箱をとりだす。その中身は―――。
「マスコット、ですね」
手の平に転がったプラスチック製の兎と、紙コップとを見比べて。涼介は声をあげて笑いだした。
「りょ、涼介さん?」
「……帰ったら、親父さんに伝えてくれないか?」
「は?」
「褒めてもらうのは、次の機会にお願いしますってな」
ぽかんと口を開け、立ちすくむ拓海の手からコップを取り上げて。
涼介は、水を一息に飲み干した。
まだ、全ては始まったばかりだと、自分に言い聞かせながら。
END.....
もし、『藤原文太』という男と出会えていたら。
涼介の人生観も、もうちょっと変わったかなぁ……なんて思いながら書いてみました。
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