DRASTIC HOLIDAY
かけてもいないアラーム時計が7時前を指している。
目覚まし時計が鳴る前に目を覚ます……ガキじゃ無ぇだろ、と自分に照れ笑いが浮かんだ。
このところの休み全てを雨に祟られている京一は祈るような気持ちで窓辺のブラインドを指で押し開く。
が、射込む陽射しを確かめ快晴と言って良い程の空模様に満足気な息が洩れた。
『本格的な洗車もしなけりゃな、昨日思い付いたセッティングも試してみるか……』つい緩み出す頬に利き手を添え、伸び切った無精髭をなぞる。
そろそろ替え時だと思っている狭いベッドの中で、その体躯の良い身体を伸ばした途端パイプが大袈裟に軋んだ。
のっそりと身体を起こし伸ばした手の先に煙草の箱の感触を確かめたその時、玄関先に置き放しにしてあった携帯の電子音が広くは無い部屋中に響き渡った。
「……失敗したな」
呼び出し音を切っておかなかったのも、音量を最大にしておいたのも、全てが自分の招いた事で。
仕方無しに居留守を決め込んだ京一の耳に静寂が戻って来る……気配は無い。
一向に鳴り続ける電子音に痺れを切らして京一は毛布を払い除けた。
が、その一連の動作を嘲笑うかの様にふつりと切れた雑音、それに舌打ちしながら起こしかけの上半身をベッドに沈め直す。
「何ナンだ、ったく」
完全に覚醒させれらた頭を振って元凶を断ち切りに足を踏み出した瞬間、聴こえて来たのは窓の外からの唸る様なエンジン音。
無論、良く知ったロータリー車特有のエキゾスノート。
「勘弁してくれ……」
誰とも無しに呟いて顳かみを押さえた。
先刻脳裏に浮かべた休日プランがぼやけて行く。
しかしそれも、やがて来るであろう訪問者の肢体を思い浮かべた途端に完璧に粉砕された。
微かに疼きかけた自分を諌めながら、違う休日の過ごし方が京一を支配して。
「朝っぱらだからって洒落にナンねぇな」
今更ながらに相手に握られている自分の軽率な弱味が面映く思えた。
元々、向こうの手許に有る「鍵」には大した意味があった訳では無い。
何かの話の弾みで「約束」させられて渡した覚えだけがある。
以来、このアパートは厄介な「兄弟喧嘩」の仲裁場所の提供といった有り難くもない使われ方をされ、例えそれが前にも増して涼介の急な来訪を伴っているにしても割は合っていない気がする。
自分の回りでやいのやいのと騒がれるのは御免だったし、一方的に噛み付いているのは涼介の弟、高橋啓介だけで。
その様子を愛おし気に眺めながら、時折横目で京一を煽る涼介に毎回ヒヤヒヤさせられ。
結局は涼介の二言三言でケリは着き、兄弟仲良くこの部屋を出て行くのが定例だった。
馬鹿にされているのか、それとも信頼されているのか。
「んな事は絶対無ぇな」
うっかり自分で吐いた答に眉を顰め、京一は僅かな温もりの残る毛布を頭から被った。
■■■■■
「良い天気だぞ、京一」
何の躊躇もせず開かれたドアに凭れ掛かっている涼介の第一声には答えず、京一は玄関に背を向けベットに横たわったままで居た。
「何だ、寝てるのか?モーニングコールまでしてやったの……にっ?」
言いながら、大股で近付いて来た慇懃な涼介の言葉が終らぬうちに、横目で盗み見たその白い腕を掴んで引き寄せる。
「頼んでもいねぇそんなもん知らねぇな」
倒れ込んで来た上半身には、いつもの抗いは微塵もない。
「……鍵、開けっ放しだぞ」
「じゃあ、閉めてこい」
「厭だ、ね」
上目で涼介の様子を伺うが、外の光が洩れてくる程度の部屋の中では薄暗さに浮かぶ肌の白しか判らない。
珍しく第2ボタンまで外している胸元に唇を這わせながら 、恐らくは笑っているのだろうと決めつけた。
「皺になるだろ、止めろ」
喉の奥で潜もった声を立てながら言葉とは反対に委ねてくる身体を受け止める。
「じゃあ、脱いじまえよ」
「それも、厭だ……」
軟らかに涼介を抱き締める手が背中を上下し、その指がやがて黒髪に絡まる。
「人の休みに押し掛けて来やがって」
言いながらもシャツをたくし上げようとした京一の手を白い指が押し止めた。
後頭部を押さえ込みながら京一は唇の端を上げて、涼介の耳に熱くなった舌を差し入れてやる。
「ぅん……」
僅かに首を竦め、それを剥がそうとする仕種と、割り入れてくる膝との差が京一を煽る。
引き寄せた涼介の耳に直接合された京一の唇が、今日は『お前に付合わされるんだろ?』と動いた。
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湿った吐息をその薄い唇から洩らしながらも一向に涼介は着衣に手を掛けず、それどころか両手を京一の肩に預けて珍しくも無抵抗な行為に終始している。
「いつまでそんなもの着てる気だ?」
聞こえているはずの涼介は答えない。
たくし上げようとする京一の手と、やんわりと払い除ける涼介の手が柔らかい布地の下で攻防を続ける。
「ぁ、ふ」
焦れた様に絡んで来た足が京一を擦る。
甘咬みした首筋が僅かに赤味を帯びたのを見て取ると、もう片方の手で器用にベルトを外し一気にスラックスを引き降ろした。
「なんだ、下はイイのか?」
皮肉たっぷりの物言いで膝までズリ下げた服に目をやる。
「ど、うせ、下は……見えやしな、い、からな……」
上がって来た息のせいで途切れがちな声に涼介特有の彩が滲む。
「はん?」
問い質そうとした唇を白い指が差し押した。
「このままでして、くれ」
潤んだ瞳で覗き込まれて、観念せざるを無い事を知る。
首に絡む衣擦れの音と微かな麝香系の香が京一を強く刺激した。
「やけに粧し込んで来たんだな」
指先に触れる天鵞絨の手触りと、それに続く膚の感触を京一は充分に愉しんでいた。
「勿っ体……つけるな、よ」
喘ぎの合間に洩れる切な気な声で涼介が上目に睨みをきかせてくる……が、所詮それは色香を増すだけの仕業で。
「勿体つけてんのは、こっちだろ」
擦り合わせている下腹部の昂揚を京一は利き手で煽りながら、涼介を執拗に嬲り始める。
「ふ、ぁっ」
器用に動く京一の指に呼吸さえも速められた涼介の胸元が忙し無く上下する。
「ぁあ、きょ……い、ち」
後2つではだけるというシャツのボタンに京一が手を掛けた時、涼介の朱色の唇に薄い笑みが乗った。
「愉しみを持っ、て行く、な……」
■■■■■
ワークパンツのジッパーを上げながら京一は部屋に脱ぎ散らかした服を足で避けつつ台所に向かった。
冷蔵庫を開け、目ぼしい物が見当たらないと、部屋の中を振り返りながら未だパイプベッドの縁に胸から上を預けたままの涼介に声を掛ける。
「おい、飯でも食いに行くか」
「ん……お前、車出せよ」
掠れた声で応えた顔の前に無遠慮に缶ビールを差し出す。
それを見た涼介の眉間が顰められ何かを言おうと口を開きかけた。
「冷えてるもんはコレしか無ぇ」
見越した京一の台詞が追いかけてきて、開いた口はそのまま涼しい笑みに変わった。
「ふっ、相変らずだな」
呆れたふうな物言い、それでもプルタブに白い指がかかる。
造型の良い喉が上下して液体を飲み下し、一息吐く……その一連の動作を見つめながら京一は部屋の奥に踏み入った。
備え付けのクローゼットを開け、積み重なっている服の一番上にあったTシャツを掴むと頭から被る。
「またその格好か?気の利かない奴だ」
楽しそう投げてくる涼介の皮肉を聞き流し、ベルトに通したチェーンウォレットをポケットに差込んだ。
「そう言えば、お前FC何処に止めた?」
思い出した様に京一が訊ねる。
いくら休日とはいえ、そう駐車場事情が良いわけが無い。
「何の事だ?」
小首を傾げて見つめ返してきた涼介の手から缶を取り上げると京一は一口飲み干した。
「朝っぱらから、煩せぇロータリー音響かせてただろうが」
「あぁ、あれなら啓介のFDだぜ」
心外だと言わんばかりの表情を作った涼介が、両手を突いて立上がった。
再度口を付けようとした缶を離して、京一は涼介を睨み付けた。
「お前……」
二の句の出ない京一が溜息と共に頭を振る。
それを無視しながら涼介はベッドに腰掛けた。
「今朝は早くに起こされてな。昨日いじった足回りがエラク気に入ったとかで、どこか走りに行きたいってせがまれて、まぁ丁度良い所まで乗せて来て貰った、と言うわけだ」
涼しい顔でそんな言葉を吐いてはいるが内心の嬉しさは弛んだ口元に、はっきり浮かび上がる。
そんな涼介とは逆に最近忙しくて構って貰えないのだろう啓介が兄の魂胆も知らずに嬉々として車を走らせているところを思い浮かべて京一は心から同情した。
「『一緒に』ってぇのじゃ無かったのか?」
「さぁ、な」
無条件に可愛がっている弟にでさえ、これだ。
「暫く家に帰れないじゃ無いのか?お前」
「いや、暫くは此処に来られなくなる方が確率的に高いな」
上目使いに煽られて、京一は暫く唸った。
「冗談だ、馬鹿」
吹き出した涼介の直ぐ横に腰を降ろすと、京一は投げ出された白い足を摩った。
「さっさと仕舞っちまえ、行くぞ」
■■■■■
アパートの前の道を隔てた駐車場までの京一の足取りは重い。
丁度部屋から出たところで運悪く右隣の住人と鉢合わせた。
軽く挨拶を交わしているところに出て来た涼介を明らかに好奇の目で見ているのが判る。
ふと涼介の佇まいを見て青ざめる、態とらしく色香たっぷりに微笑んでいたのだ……僅かに乱れている様相のままで。
頭を抱えたい気持ちのまま作り笑いでその場を凌いだが、踵を返した途端に歩幅は早くなった。
それでも後ろから摺り寄ってくる様に歩く涼介に辟易しながら、愛車の薄汚れたドアに鍵を差込んだ、
「洗車ぐらいしたらどうだ?」
シラッと言い放つ涼介に開いた口が塞がらない。
それでも半ば諦めた様に力無く京一は呟いてみた。
「お前さえ来なかったら、そうするつもりだったんだがな」
聞こえてはいるはずなのに返事すらしない涼介が顎をしゃくる。
『さっさと開けろ』
と、物言わぬ視線を車体越しに京一に向ける。
泥の跳ね上がったホイールを見つめながら京一はまたひとつ溜息を吐いた。
「どこへ行く気だ?」
乱れた黒髪を手櫛で整え、涼介がナビに滑り込んでくる。
「さあな、但し……」
イグニッションキーを回しながら、京一は瞬時に辺りを見まわす。
「そんな面したお前を乗せてなんぞ地元で走れるか!」
乱れた襟刳りや皺がはっきり見て取れる袖が先刻までの情事を宣伝しているかの様に映る。
京一は確信する、気のせいでは絶対にない事を。
むしろ今はそれが涼介の狙いだとも判る。
「ったく、この露出狂め」
一瞥をくれて毒づいた。
「その露出狂の横に居る自分の立場を考えた方がいいぞ」
切り返された言葉が、この場の優劣をクッキリと示した。
「おい、もう一段ぐらいボタン閉めろ」
「ん?」
襟の乱れ具合をバックミラーで確認しながら満足そうな涼介に、無駄だと判っていながら溜息混じりの注意を促す。
「見えてるんだよ、痕が」
「これ、か?」
ひらひらと襟を指で摘んで涼介が笑う。
「大体、お前は何しに来たんだ?」
「そんなに理由が要るのか?」
一向に締まらない涼介の口元の艶やかさに不覚にも視線が落ちた自分に京一は舌打ちする。
アクセルに足を置いたまま、行き先の選択に意識を集中させようとした瞬間、ひんやりとした感触が邪魔をした。
「ふぅん」
白い指先が京一の顎のラインをなぞっている。
「なっ、何だ!?」
慌てて踏みかけた足を退ける。
「いいや……」
未だシートに凭れ掛かったままの涼介が無遠慮に覗き込んでいる。
「嫌いじゃ無いな、これ」
わざと剃らなかった髭は、どうやら厭な効果を与えた様で。
「や、止めろ」
「どうして?」
「……気色が悪い」
触れるか触れないかの微かな感触が、くすぐられる事の苦手な京一にざわざわとした悪寒を走らせる。
「我慢しろ」
目の僅かに据わった涼介が次の瞬間冷たく言い放つ。
その言葉に睨みを効かせたつもりだが相手は動じる訳も無く。
「俺が、楽しい」
と、勝利者然として涼介が宣った。
二の句の告げない京一は軽い咳払いの後、ぼそぼそと小さな声で言い返した。
「……ふざけるな、馬鹿やろう」
途端に踏まれるアクセルに大きく身体が揺れると、耐え切れないという風に涼介が声を上げて笑い出した。
「いい加減にしやがれ!さっさとベルト締めろ!」
駐車場から暫く走った細い通りで、前方を気にしながら涼介に覆い被さってナビ側のベルトを引き出す。
丁度折り重なる恰好になった事に気が付いて、京一は慌てて腰を落とした。
「地元では大人しくしてるんだろ?」
左手で金具を羽目ながら、完全に笑っている瞳が京一の視界に入る。
「喧しい!」
ウインカーを点しながら右折車線に入るなり見上げた信号に機敏に反応した左手がサイドブレーキを引き上げた。
途端に重い車体が擦れた音を立てながら停止線上にタイヤをのせる。
突如前のめりになった上半身に涼介が抗議の声をあげた。
「気をつけろよ、俺と二人っきりで事故ったらどう説明するんだ?」
目の前の信号機の赤を見つめながら、京一は呟いた。
「誰に、だ」
僅かに涼介の長い睫毛が臥せったのを見て、慌てて京一はその表情越しに隣の車に意識を集中させた。
「ふん、珍しいな」
休日だとは言え、地元の人間しか知らないような道のせいか対向車、追走車ともに姿も無い。
そんな場所で見慣れない車と並んだ。
ましてや、中に居るのは観光客らしい女の二人連れ。
「あれは……」
何だ?と言いかけた京一の横で、それを窓越しに軽く眺めただけの涼介が気の無さそうに口を開いた。
「FIATだろ、500Fだな」
「それくらいは見りゃあ判る」
ちらりと運転席を見遣った涼介が正面を向いたままで喋り出した。
「あの車のエンジン形式だと、恐らく100F.000で総排気量は499.5CC。最高出力はざっと18bhp/4400r.p.mと言ったところだな」
「おっ、おい涼介っ」
「車両重量は約520Kg、動力性能は最高速度95Km/h。まぁ、遅い車だが……」
「わ、わかった。もういい……」
そうか?と表情一つも変えずに涼介の講議が終わる。
色気の無い車内にはシートから伝わるエンジンの振動だけが響き渡っていく。
早く走る事以外に生まれた車に乗る人々。
走る事に執着する自分達。
隣り合わせただけの2台の車には一体幾つの隔たりがあるのか。
もう一度右側に視線を向け、 改めて京一は隣の車窓を覗いてみる。
無遠慮に見返している向こうの車内は、どうやら涼介に見蕩れているらしい。
出来るだけさり気なく牽制の視線を投掛けてみた。
仕方の無い事だとは分っているが少しばかり面白く無い。
「迷ったのか、なっ」
心にも無い親切心を口に出した途端、腕を力尽くで引張られ京一の唇が涼介のそれと重なった。
不意打ちの事に唖然としている京一と、当然全てを目の当たりにした隣の車内。
短い信号待ちも終わる頃だった。
「なっ、何しやがる!」
「俺がココに居るのに、女に色目なんか使うな」
親指で自らを指す涼介の憮然とした顔に、京一は言い返す気力も無くハンドルに深く凭れ掛かった。
「京一……青だぜ」
瞬いた目に緑色のランプが飛び込んで来て反射的にクラッチを繋ぐ。
四輪駆動特有の唸りをあげながら無駄のない線を描いて、黒い車体は僅かに下降して行く道を曲がった。
秋晴れの日光市街に活気が溢れ出した頃、その喧噪を避けるかの様に一台の車が見た目鮮やかに走り去った。
END
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