CIVER/KS
新場書房
Kazan Shinjow
Presents
ShortStory
「Kanon」倉田佐祐理

 むかしばなし 〜ある物語の断片〜

 巡る時はいつでも悪戯好きでちょっと考えもしないような物をひとの前に提示して見せてくれる。
 それは偶然。誰が意図してそれが起きたという訳でもなく、何らかの目的があってなされた訳でもない。
 出来過ぎているようにも感じる。けれど、そんな風に受けとめるのは勝手過ぎる。この事をそう捕らえてしまうのはあまりに主観的に物事を眺め過ぎている。
 思うのは勝手。それを押しつけてはいけないし、押しつけられ過ぎてもいけない。それは知っている。教えてもらっている。
 だから、余計な事は口にしない。胸の奥にだけ秘めておけば良い。

 キコキコキコキコキコ……

「佐祐理お姉ちゃん。祐一お兄ちゃん達が帰ってくるまで何かお話をしてよ」
「え? お話ですか?」
「うん。外にも出られないし、ぼく退屈だよ」
 時は冬。色々な事のあった冬。辛い事も、新たな出会いも永遠の傷も負った冬。
 雪。この辺りの冬にはいつも当たり前。雪が降らない冬などありはしない。
 外は冷たい大気に満ち、灰色の厚い雲が青いはずの空を暗く、どんよりと覆っている。
 深々と天と地とを結ぶ点は白い雪。天で凍りついた澱みなき物。
「お話……お話ですかぁ。う〜ん。一也さんはどんなお話が聞きたいんでしょう?」
「えっとねぇ。佐祐理お姉ちゃんと祐一お兄ちゃんの話とか、舞お姉ちゃんの話とかがいいなっ」
「佐祐理と祐一さんや舞のお話ですか? どういうお話が面白いんでしょうか……」
 せがまれて佐祐理は首を捻る。自分と祐一や舞の事などどう話したら良いものだろうか? 確かにここ数年3人で暮らしてきて、その生活は至極楽しかったし、幸せだと感じる事も出来た。
 だが、その感覚は他人に話して直ぐにわかってもらえる物であろうか? まして、自分の言葉で上手く伝えられるような類の内容なのだろうか?
「ん〜。じゃあ、祐一お兄ちゃんって、ホントは佐祐理お姉ちゃんと舞お姉ちゃんとどっちが好きなのかな?」
「あはは―っ☆ それは厳しい質問ですねぇ」
「だって、二人ともなんていうのはちょっとズルイよ。ぼくがどっちか……」
 そこまで言って一也は真っ赤になって佐祐理から目を逸らす。ハッと息を呑む音が聞こえたから、そこまでは無意識に言ってしまったんだろう。こういう無邪気さを見ると、この子がまだ中学生にもならないのだなというのを実感する。
「どっちか……なんですか?」
「な、なんでもないよっ」
「え〜? 気になりますよぉーっ」
「……」
 ちょっといぢわる心を起こして突っ込んでみる。不自然な反応。祐一あたりなら平気で何か返してくる所だろうが、一也はまだまだ女性に不慣れなようであった。笑顔の佐祐理に見せる表情が思い浮かばないのか、苦虫を噛み潰したような顔を作るとぷいと顔を背けてしまった。

 キコキコキコキコキコ……

「あっ。手伝いますよ―っ」
「いいの。ぼくがひとりで出来るようにならないといけないんだもの。佐祐理お姉ちゃんはそこで見ててよ」
「……はい」
「あっ! ええっと、ホントにダメそうだったら言うからそん時はお願いします」
 佐祐理は一也の反応に目を瞬く。直ぐにその反応が自分の返事に対しての気遣いだという事に気が付く。笑って、一也に頷いて見せる。
「……」
 それから静かに一也の行動を見ている。集中して、一生懸命に不慣れな物を動かそうとしているその姿を。
 生涯をもって彼はこの全てに慣れていかなくてはならない。最早、それは揺るぎ無い事実として当人にも周囲にある人間にも認識されていた。
 外であろうと、このようなちょっと狭い部屋のような中でも彼は大きな車輪を抱えて生きていかねばならない。
 そして皮肉な事に、それが故に彼との出会いはあり得たような物であった。

 キコキコキコキコキコ……

 津守一也。(ツモリイチヤ)
 彼は車椅子を駆って生活している少年であった。



 なんでもないような日のなんでもない時。強いて言えばもうじき1日が終わろうとしているという時間帯だったというぐらいか。祐一、佐祐理、舞の三人はいつもと同じように学校へ行ってからバイトへと顔を出してそれから一緒に帰って来たところであった。
 季節は秋口。穏やかな風の過ごしやすい気候。薄暗い中に映えた紅葉がその偶然の出会いを彩っていた。
「……祐一」
「ん?」
 歩道の隅に不自然に人がいることに最初に気がついたのは舞。車道側から上に登れず、苦戦しているのを瞬間的に見て取ったらしい。
「車椅子か。助けないと」
「行きましょう」
 ごく自然にその車椅子に近づいていった。それを三人がかりで歩道に上げた。
「おい、大丈夫か?」
「あうっ……う、うん」
 車椅子に近づいて祐一はその乗者に声をかける。暗がりだから良くはわからなかったが、声でなんとなく男の子のような感じはした。
 乗者はピクリと反応して祐一の方を見る。その目には困惑の色が強かったが、当の祐一は気がつかない。
「上がらないんだろ?」
「……そ、そうです」
「祐一、怖がらせてる」
「え」
「そ、そうじゃないんです……そ、そのいきなりで、吃驚して」
 舞のツッコミ。その段に来て祐一は自分があまりに配慮の足りない行動をしていた事に気がつく。声をかけるにしてもまずはどういう状況か聞いてみるのが先だったろう。
「あははっ。ごめんなさい。別に怪しい者じゃないんですよ―っ」
「……怪しい奴は自分から怪しいって言わないけどな」
「う。祐一さんのいぢわる」
「ええと?」
「困ってるみたいだから、手伝いにきた」
「あ! お、お願いしますっ」
 妙なボケツッコミをはじめてしまった佐祐理と祐一を尻目に舞が簡潔に目的を言う。相手はそれで納得してくれたようで、懇願という感じで声を吐き出した。
「すまん。最初に言っておけば良かったな」
「いえ。ぼくの方こそ察すれば良かったんです。わざわざすいません」
「気にしないで下さいね。困った時はお互い様ですよ」
「それじゃ、俺が後ろから押すから二人は横から押さえながら引き上げてくれるか?」
「……わかった」
「わかりました〜っ!」
 祐一がてきぱきと指示を出し、二人はその指示に従う。乗者はなんとも済まなそうに顔を俯かせていた。
「すいません。ご迷惑をおかけします」
「そんな風には思ってないぞ……せ〜のっ!」
 その時、祐一は自分が上げようとしたこの車椅子という物がどれだけ重い物なのかをはじめて知ったのだった。



 わからないもの。自分には知り得ぬもの。ひとの気持ち。男のひとの気持ち。誰かの心。その心が向いている方向。
 今もまだ感じる。長く長く時間の海を泳いできたというのに。やっとやっと自分の居場所と思える所も見つけたというのに。
 それでも構わない。いや、そうでなければいけないのかも知れない。
 永久に時が流れてもきっと忘れてはいけないし、忘れる事は出来はしない。どれだけ心地良くとも、どれだけたくさんの幸せを貰おうとも、ただひとつだけ、自分が何の上に立っているのかそれだけは忘れてはいけない。
 それは犠牲。自分が求めてしまった犠牲……
「……一也さん、寒くないですか?」
「え? 大丈夫だけど」
 不意にそんな事を聞いてしまったのは思い出したから。幸せな現在の生活に拭い落とされかけていると錯覚していた自分の闇を魂の奥底に自覚したから。
「外は寒そうです。一也さん、寒かったら遠慮なく言って下さいね?」
「ありがとう。でも、そんなに気を遣ってもらわなくても平気だよ」
 返ってきた答えはあまりに予想していた答えと重なり過ぎていた。佐祐理はちくりと何処かで痛みを感じる。
「……二人とも早く、戻ってきたらいいのに。寒いのにわざわざおやつの買い出しなんて馬鹿みたいですよ」
 それでも、ちょっと空とぼけた様子でいつもの通りに笑顔でそれだけのことを言って返す。最初に口篭もったのはその痛みに言葉を模索してしまったから。
「ぼくに気を遣ってくれてるのかな?」
「えっ」
 佐祐理は一也の呟きに彼の表情をまじまじと見てしまう。
 少し短めの黒髪。出会った頃よりは幾らか伸びてきたんだろうか? 華奢に感じられるその肩。細い腕。首。肌の色は健康的で顔はそれなりに整っている? わからない。優しげで穏やかで……そして儚げで。

 キコキコキコキコキコ…… 
 
 車椅子。車椅子。車椅子。車椅子。車椅子。車椅子。車椅子。車椅子。車椅子。
 全ての違い。決して重なり合いはしない。全ての符号が一致してしまったとしても、それはそれでないし、それであるという事を望む事は決してない。
 感傷に過ぎない。自分だけの思いこみに過ぎない。そんなものは好意じゃない。自己満足の為に繰り返される行いに過ぎない。
 それが自己完結できる類のものであれば誰も傷つけまい。イヤな思いをさせることもあるまい。絶望を抱かせる事もあるまい。自分の正統性を確立する事も出来るだろう。
 だが、だが、だが、だが、だが、だが、だが、だが、だが……

 キコキコキコキコキコ……

「だって、ぼくはまだまだ子供だからさ」
「どうしてそう思うんですか?」
「……なんとなく」
「なんとなく、なんですか?」
「うん。なんて言ったら良いのかわからないんだけど、ぼくはまだお兄ちゃんやお姉ちゃん達よりもなにも知らなくて……」
 そう言って顔を伏せる。彼が感じているものは一体どんな事なのだろうか? 自分との隔たり? 年齢的な差? それとも……
 自然、佐祐理の視線も下がってしまう。彼の足へと。
「そんなの当たり前ですよ。佐祐理達の方が年上なんですから、一也さんより色々な事を知ってますよ。佐祐理は普通より頭が悪いからハッキリそうとも言えませんけどね。あははっ」
「そうじゃないよ。そうじゃなくってさ……」
「一也さん」
 佐祐理はひゅっとその場にしゃがみこみ、俯き加減の一也と視線を合わせる。吃驚したように一也がその顔を上げ、車椅子がぎぃと音をたてる。
「佐祐理達と一緒にいるの、辛いですか?」
「え……」
「いま、ちょっと思ってしまいました。昔話にあったんです。自分がそう思っていても他人がそう思っているとは限らないって」
「……」
 佐祐理の一言に一也は複雑な表情をした。佐祐理は逆にその表情を見てちょっとひとの悪い笑顔を浮かべた。
「祐一さんや舞とは関係ない話になりますけど、この昔話でもお話しましょうか? まだ、二人とも帰ってこないみたいですし……」
「う、うん。お願いします」
「あはは―っ。そんなに畏まらなくても良いですよ。どうって事ない昔のお話なんですから♪」
 窓は白く白く曇っていた。きっと外は酷く冷え込んでいる事だろう。
 おやつを調達しに出た二人はまだ戻ってこない。あの二人の事だから、おやつの品目で言い争っているというのが大方遅れている理由だとは予想出来るが、こうも遅いとやはり心配にもなる。
 佐祐理は話し始める。自分と他人のお話を。話し始める。昔の昔のお話を。
 戻ってこない二人の事を気にしながら、ゆっくりと口を開く。戻ってこない時間を思いだしながら、ゆっくりゆっくり話し出す。
 その、短い短い『むかしばなし』を。



 ひとりの女の子がいたんです。その子はお父さんの言う事を聞いて育ちました。そうして、ある程度まで成長して「真っ直ぐに育った」「立派な子だ」って色々な場所で会う人会う人に良く褒められる女の子になりました。
 その女の子は「お前は私の誇りだよ」って、お父さんにも褒められました。女の子はそれを嬉しく思いました。同時にお父さんがちゃんと自分を育ててくれたから自分はこうしてみんなに褒められるような女の子になれたんだなって感じとりました。
 時間が経って、その女の子に弟が出来ました。歳がたくさん離れてます。女の子からしてみればそれはとてもとても可愛い弟でした。自分と同じようにお父さんとお母さんから生まれた血肉を分けた存在ですから、女の子には弟が大事に思えたのでした。
 その女の子にお父さんは言いました。「普段はお前がこの子の面倒を見てやってくれ」と。女の子は元気良く返事をしました。「はい。ちゃんとお世話します」って。そう、言ったんです。



「佐祐理お姉ちゃん」
「はい。なんですかーっ?」
「……その女の子は弟の面倒を見たって、赤ちゃんの頃から見ていたの?」
「えっ」
 言われて佐祐理はちょっと言葉を端折り過ぎた事に気がつく。弟が成長していった部分の下りがすっかり抜け落ちてしまっていた。
「はえ〜。間違えてしまいました。ええとですねぇ、その弟が幼稚園に上がる頃です。お父さんが女の子にそうお願いしたのは」
「幼稚園かぁ。その時、女の子って幾つぐらいだったのかな?」
 一也の表情は変に神妙な感じに見えた。実際問題としてそれほどの変化はないのだろうが、喋っている内容のせいか佐祐理にはそんな風に感じられるのだった。
「10歳ぐらい……だったんじゃないでしょうか? 学校とかにも行っていたんだっていうお話ですから」
「じゃあ、ぼくと同じくらいかぁ」
「きっとそうですねっ」
 場を和ませるように唇を穏やかに綻ばせて、佐祐理は『むかしばなし』の語りに戻る。一也も雰囲気を読んで車椅子に深く腰掛けた。その時に音は鳴らなかった。



 女の子は弟にしっかりした子になってもらいたかったんです。ひとに褒められるような、父親に誇りに思ってもらえるような、そんな人になってもらいたかったんです。だから、面倒を見るという事はお父さんが自分に教えてくれたような事を弟にも教えてあげれば良いんだって思ったんです。
 女の子は一生懸命でした。ホントにホントに弟の為を思って、自分の知っている事を伝える為に色々な努力をして頑張りました。時には無茶な事もしました。厳しい事もしました。弟にとっては辛いんじゃないかと思うことも時にはやってみました。それもこれも、全部弟の為でした。
 でも、そう思っていたのに、一生懸命だったのに、ある日弟は死んでしまったんです。なにも言わず、突然にして。女の子は最初、何がなんだかわかりませんでした。どうして弟が死んでしまったのかわかりませんでした。でも、すぐに気がつきます。「自分が弟を殺してしまったんだ」と。
 泣きました。悲しくて悲しくて仕方がありませんでした。自分は良かれと思っていたのに、ホントはそれが弟を蝕んでいただけだなんて悲し過ぎました。
 お父さんもお母さんも女の子の事を悪く言いませんでした。むしろ、お前は良くやったって言いました。人を殺しておいてなんで良くやったなんでしょう? 女の子にはわかりません。ただ、一つだけわかる事がありました。自分は悪人だから裁かれなければいけないんだって……

 

 そこまで話して、佐祐理は大きく息を吐いた。どれだけ脚色しようが、いい加減な気持ちで話そうが、この『むかしばなし』の内容はシビアに過ぎる。笑顔のままで話していたらそれこそ怖過ぎる内容でもある。
「これでおしまいです。どうでした?」
「その後、女の子はどうしたの?」

 キコキコキコキコキコ……

 車椅子。自分にはそれは必要ない。五体は満足であるし、先へ進む事に過不足不自由を感じる事はない。今という時を充実させる事に躊躇いはないし、それを貰っている事を知ってもいる。誰よりも幸せな事を理解している。
 生きる事を簡単に放棄しようとした事。その事を思い出す。聞いてみたいと思う。彼が、この純粋さが、過去に描き出した暗い物を抱えるという事についていかなる言葉を持ち得るのかを。
「消えてしまいました。自分がイヤになって、この世界も嫌いになって、何もかも肯定していける空間が怖くなって何処かに消えてしまいました……」
 細い、何処か薄暗い笑顔。彼が不審そうに、不満そうに頬を膨らませる。
「そうなんだ……なんか、ずるいね」
「ふぇーっ。ずるい、ですか〜?」
 佐祐理は一也の発言にちょっと驚きを感じる。確かに、あの場での安易な死を選ぶというのは卑怯だと感じる面もあるかもしれないが、それをこの少年が持っているとは正直佐祐理は考えていなかった。
「うん。上手く言えないけど、消えちゃったらなにも感じられないと思うんだ」
「はい。きっとそうですね」
「辛いって感じる事から逃げちゃっただけなんじゃないかなぁ? ぼくがその立場に立ったわけじゃないから簡単に言えることなのかもしれないけど」
 一也は一息にそれを言って、自分の足を見た。何か思い出すところでもあるのだろうか?
「あと、佐祐理お姉ちゃん」
「なんですか?」
「それってホントに弟の為にならなかったのかな? ただ弟を追い詰めていただけなのかな?」
「どうしてですか?」
 一也の言葉に声が高くなる。どういう解釈をしたら今の話の女の子側に向くような言葉が出てくるというのだろうか? 一也は真っ直ぐな目で続ける。なにも知らないが故の強さ。それを大きく感じる。
「弟も一生懸命だったんじゃないのかな? お姉ちゃんが構ってくれるんだもん。良いところを見せたかったんじゃないのかな? どれだけ辛くっても頑張って見せたかったんじゃないのかな?」
「……そういうものでしょうか?」
 違う。そんなに生易しいものじゃない。一弥を苦しめた。一弥を惑わせた。一弥の事なんて考えなかった。
「あ、それが追い詰めるって言う事なのかな? でも……」
 一也の声が遠くなる。佐祐理は彼の言葉が自分の中の何かを刺激した事を自覚した。
 一弥は笑おうとしてくれた? 最後に笑いかけようとしてくれた? 一生懸命にになってくれていた?
 どうだった? どうだった? どうだった? どうだった? どうだった? どうだった? どうだった? どうだった? どうだった? どうだった

 キコキコキコキコキコ……

「ねえ佐祐理お姉ちゃん?」
「あ、はいっ」
 車椅子の音。呼びかけられてふと現実に帰ってくる。視線を上げるとそこにいたはずの一也はいなかった。
「一也さん?」
「こっちだよ」
 いつの間に来たのか、一也は佐祐理のすぐ隣にいた。車椅子の動く音すら聞こえなかったというのだろうか? それだけ佐祐理は自分の思考に没頭していたのだろうか?
「さっきのお話、最後だけ変えちゃおうよ」
「え?」
「ダメなら一也アレンジでも良いや。そういうのを作ったって別に良いでしょ?」
「……どういうお話にするんですか?」
 にっこりと自分に笑いかけてくる一也に今更ノンフィクションだと言うわけにもいかず、佐祐理はちょっとだけ苦笑した。
「……悲しいお話はイヤ」
「そうだな。もっともっと前向きな話にしないとな」
 いきなり後ろから二種類の声がした。
 良く知っている声がニ種類。抑揚のない台詞運びと状況を面白がるような響きのある声。
「わっ!」
「きゃ〜っ」
 一瞬遅れた二人のリアクション! この場にいなかった人間の声がいきなり聞こえてくるにはちょっとタイミングがおかし過ぎる。
「うおっ? なんだなんだ?」
「……どうしたの?」
 平然としてそこにいる二人。赤の他人ではないにしてもドアの開いた形跡も窓から入ってきた感じもない。以前、一也を驚かせようとして天井を破って入って来た事はあったが、それをやったら普通は気がつくだろう。
 佐祐理は側の一也の様子を見る。考えにふけっていた佐祐理が気がつかないまでも、普通に入ってきたのなら、一也がすぐに気がつくだろう……彼は首を捻っていた。
「い、いつ、帰って来たんですかぁ〜?」
「ちょっと前だぞ。いつものボケがなくて俺は少し寂しいぞ」
「祐一兄ちゃん、好きだよね。『おかえりなさい。あなた。お風呂にしますか、御飯にしますか?』って、佐祐理お姉ちゃんに言わせて……」
 呆れ調子で、それでも笑いながら言う一也の後を継いでそのまま祐一が続ける。
「う〜ん。御飯にするかな?」
 それでぴんと来たのか、いつものようにノリツッコミが始まる。
「はいっ。わかりました。今から準備しますね〜っ」
「い〜や。ここでいい」
「え?」
「お前をここで食ってやる!」
「きゃ〜っ」

 ぼかっ!

「祐一、オヤジ臭い」
「はうっ!」
 舞のチョップが祐一の後頭部に炸裂する。
「あははーっ。舞、ナイスツッコミ―っ」
「ありがと」
 いつものように笑いが広がる。小さな小さな幸せの空間に穏やかな笑いと温かな雰囲気と優しさとが満ち満ちていく。
「あははははははっ! 絶妙だよね。このコンビネーション」
「おう。トリオを組み始めてから一番初めに習得したボケツッコミだからな」

 ぼかっ!

「いてッ、なにすんだよ!」
「お笑いトリオは組んでない」
「誰もお笑いとは言ってないだろがっ」
「……紛らわしい」
「あのな」
「祐一さん、舞は嬉しいんですってば!」
「おお! そうかっ」

 ぼかっ! ぼかっ!

「あははははははははははっ。舞お姉ちゃんって、律儀にツッコむよね」
「ツッコミ担当だから」
「あははーっ! 佐祐理が大ボケ担当ですよーっ」
「いや、素という話が……」

 ぼかっ!

「佐祐理の悪口言わない」
「……」
「あはは〜っ」
 
 

 女の子は一生懸命に生きる事にしました。それはもしかしたら物凄く辛い事なのかもしれません。これから先も自分が正しい事、良かれと思ったことが間違っていたり、誰かを苦しめる結果を迎えてしまう事もあるかもしれないのだから。
 でも、女の子は生きているのです。まだ、生きているのです。生きている人は死んでしまった人達よりも多くの事、たくさんの事が出来るのです。辛い事もあるでしょう。厳しい事もあるでしょう。死にたくなるような事だってあるかもしれません。
 だけど、それと同じように楽しい事だってあるかもしれない。幸せな事だってあるかもしれない。笑える事だって、生きている事を感謝出来る事だってきっとあるに違いないのです。
 それに、ひとりで生きているわけではないのです。自分がもし消えてしまったりしたら誰かが悲しむかもしれません。そうです。弟が死んでしまったとき、自分はとても悲しかったではありませんか。そんな思いを誰かにさせるのは決していい事ではありません。
 弟の事はきっと一生残る記憶になるかもしれません。けれど、それでいいのです。むしろ忘れてはいけません。
 ただ、女の子が弟の事を大事に想うように誰かもまた女の子の事を大事に想っているのだから、その気持ちを拒み続けてはいけません。
 女の子の前に続いて行くのは過去ではなく、現実であり未来なのですから……





 戻る

テレワークならECナビ Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!
無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 海外旅行保険が無料! 海外ホテル