| 真夏のある日 |
笑うなかれ、私にも出逢いというのがあったのだ。話は3年前にさかのぼる事にしよう。
日本では私は中学、高校時代の友人達で構成される草野球チームで週末は汗を流していた。
チーム名は「YBC」、「Y・・・横浜、B・・・ベースボール、C・・・クラブ」の略で何とも単純な名前
である。数年前の区民大会で、勝ち進んだ時などは「横浜高校のOBチームなんじゃないのー」
なんていう世間の声が聞こえてきた事があったが、本当は全然関係ない。
数年前の真夏の熱い日、ベイブリッチの下の球場で試合が行われた時、メンバーの一人が女
の子を連れてきた。
とにかく熱い日だった。グランドは暑さのため土が乾燥し砂埃がひどかった。
あの時の試合に、勝ったのか負けたのかすら記憶にない。(たぶん負けた。)
ただ、今日初めて試合を応援しにきたその子が試合の休憩の合間にホースを泥んこになりながら
持って、グランドに水をまくのを手伝っている姿が印象的であった。
「こんな子も、まだいるんだなー」 そんな第一印象だった。
初めてその子と話したのは、しばらくたってからの事であった。
野球の練習の後、ファミリーレストランでみんなで食事をした時に同じ席になった。
その子はやたらとケラケラ笑う。
たいして面白い話をしているつもりではないのに、とにかくおおうけして笑ってくれる。
何だか話をしている自分までが楽しくなっていく。
大げさな表現かもしれないが、一緒に話していると心が洗われるような感じがするのだ。
突拍子もない発想をする子供と遊んでいるような、見ているだけでこちらまでが笑顔になってしまう
赤ちゃんといるような、そんな気分になるのだ。
その時の話の中で、その子は特にチームメイトの彼女というわけではなく我々野球チームのメンバ
ーの近所に住んでいるという事で試合を見に来てくれたということだった。
その後は、試合や野球チームの集まりがある度にその子を誘うようになった。
彼女も決して強くない我チームでも、みんなが汗水たらして一生懸命やっている姿をみると応援した
くなると、毎回のように練習や試合に参加するようになった。
| ジョギング |
私は、その子に会えるのがとにかく楽しみだった。
彼女は高校時代陸上部だったせいもあってかジョギングをするのが好きだった。
私もブヨブヨになった体を何とかしようと、週末は近所にある岸根公園で愛犬チャッピーの散歩ついで
にジョギングをたまにしていた。
しかし私の場合、ジョギングと言っても一周750mの公園を3周から5周走る程度だった。
ある時、犬の散歩がてらジョギングに一緒にいかないかと誘ってみた。
その時行ったのは、根岸森林公園。1.5km程度のコースを3周しかできなかった気がする。
途中で苦しくなってやめてしまった。一人だったらたぶん2周でやめていただろう。
彼女はその後も何周か走っていたので、私は完全に体力で彼女に劣っていた状態だった。
それから、週末彼女を誘いジョギングをするようになった。
一人で走るより、仲間がいた方が楽に走れるし、継続できる・・・それは二人の共通した意見だった。
だだ、この頃までには私には完全に恋愛感情があったのは間違いない。
彼女は私とは6歳も離れていて、彼女は当時23歳だった。
これから色んな世界を見て、いろんな事をやって、たくさん友達を作っていきたいと思う真っ只中であった。
たくさんの友達を作りたいという気持ちの行動の一つが我々野球チームへの参加だったのだ。
誰かとつきあってしまうと、どうしても世界が狭まってしまうから、今は恋愛とかは考えられない・・そういう
考えを持っていた。
私が、大学時代に途上国に出会え、それに夢中になれたのは、ある意味では恋愛に全く縁がなかったか
らである。
もし学生時代に恋愛に走っていたら、今ボリビアにいる事もなかったであろう。
だから、彼女のそういう気持ちがすごくわかるのだが・・・。
私は片思いをする事に決めた。
私の過去は片思いばかりなのである。(そんな事は誰も聞いてないって?)
一番長かったのは中学二年の時に好きになったテニス部の子だった。(もっと聞いてないって?)
その後なんだかんだでそのテニス部の子には8年も片思いをしてしまった。
でも、それくらい人に惚れた方が自分でもふられたときに納得できるのだ。
この人ならふられてもいいっと思えたとき、自分は惚れちまったなーと思うのだ。
ふられた後に、「あんにゃろー、こんにゃろー」とついつい言ってしまう惚れ方はしたくないのだ。
私の片思いは早起きから始まった。
彼女との共通点であるジョギングをするためである。
彼女もジョギングが好きであったので、何も深い事を考えず誘えば喜んで出てきた。
週末、お互い必ずしも予定があわないので、ジョギングの時間は何時の間にか早朝夜明けからとなった。
彼女と会えると思えば、早起きは苦ではなかった。毎週週末岸根公園を10周走る日が続いた。
一周750mのコースを10周大周りするので10km近く走っている事になる。
何時の間にか、このジョギングも朝飯前のラジオ体操のごとくできるようになっていた。
そして、私のブヨブヨであった体は、どんどん痩せていったのであった。
「75キロあった体重が65キロになったとき、自分の気持ちを相手に告白する」・・・ある時、野球チーム
のメンバーの家に遊びに行った時にそう誓った。
後で聞いた話だが、そこの家の奥さんには、「私にはメリットが何にもないけど、何か面白そうだからまー
いーや」と思われたそうな。(ごもっとも)
そして、いよいよ、その告白の時期が来たのだった。
告白したのは、いつものように横を走っている朝の事だった。
ただ、自分の気持ちを正直に話した。
彼女が今、誰ともつきあう気持ちもなく男性をそういう目ではみれないというのもわかっていた。
その後というもの、彼女の様子が少しおかしくなった。
ある時 「田中さんの気持ちは嬉しいのだけど、そういう気持ちには答えられないし、私に対してそういう気
持ちをもっているのがわかると、今まで通りのように気楽な気持ちであう事はできない・・・」と言われた。
ガーーーーン。 そんなの分かってはいたけど、やっぱり ガーーーンであった。
とどめの一発は、「そういう気持ちはとっても重荷です・・・」の言葉だった。
その場は動揺を隠そうと笑顔でごまかして帰ったのだが 「お・も・に」という言葉がいつまでも私の頭を離れ
なかった。
いくら好きであっても、自分の存在が相手の重荷になってしまうのではしょうがないと反省した。
ただ、今までずっと続けてきた早朝ジョギングだけはこれからもどうしても続けたかった。
だから、「ジョギングだけは今まで通り一緒に続けてくれないか?」と相談した。
彼女もそれを分かってくれて、その後も週末の朝ジョギングする日々が続いた。
雨の日も、雪の降る日も、桜咲く日も、蒸し暑い夏も、二日酔いの朝も、休日出勤の朝も、二人で岸根公
園を走る日が続いたのだった。
二人は、そのうちだんだんとジョギングと草野球の時間以外を共有するようになった。
週末は特に用事がなければ、一緒に過ごすのが自然になっていった。
いつから付き合い始めたかと考えると特にあの日からという物は自分の中にはなく、初めてベイブリッチの
下にある球場で泥んこになりながらグランドに水をまくのを手伝っていた姿を見た時から私の気持ちは何も変
っていない。
| 出発の日 |
1997年12月9日。ボリビア出発の朝が来た。
出発当日 「ボリビアから戻ったら、結婚したいと思います。」
私の両親と彼女の両親へ二人そろって頭を下げたのでありました。
私の母親などは、笑顔の中に涙を浮かべて彼女に対して「よろしくお願いします」と頭を下げ、彼女はそれにつ
られるように涙をためて 「こちらこそ よろしくお願いします。」 と二人で交互に頭を下げあっていた。
その姿を見ている私までも、込み上げてしまう始末だった。
そして、その日からボリビアと日本の間で遠距離恋愛の日々が始まったのだった。