6月1日 ボリビア→日本
ファストラン走れて良かったな。 電話ありがとな。声が生き生きしてたよ。
もうこれで思い残すことなくボリビアに来れるね。
実は、電話をもらった時寝ていた。最初寝ぼけて話してしたので路子の声も気付かなくてごめん。
今回の下痢は今までの中で一番ひどい。便は下痢を超え水の状態で、昨日の朝から50回ぐらいは
トイレに駆け込んでいる。
体中から水分がぬけている感じで、水分補給をしないとまずいと思い冷蔵庫をのぞくと気の抜けた
コーラのみだったので、お湯を沸かし紅茶に砂糖と塩を入れた物を作った。
紅茶を飲むと、お腹がゴロゴロと鳴って体内に吸収されずダイレクトに出るだけであった。
今朝、路子から電話をもらって、俺がベットで寝ている間に八王子から新潟まで自転車で走って、横浜
に帰ってきたんだと思ったら自分がとても時間を無駄使いしているように思えた。
昨日は朝から、何も食べれず紅茶2杯飲んだだけだったので、食欲はなかったが何か食べなければと
思い外に出た。
地球上の重力が変わってしまったかのように体が重かった。
年寄りのように背中を丸くして歩いた。ちょっと歩いただけでも心臓がバクバクした。
不運なことに日曜日だったので店が全然やってなかった。
2キロ程歩いて喫茶店に入った。オレンジジュースとフルーツのヨーグルト和えを頼んだ。
ジュースは直ぐに飲めたが、フルーツを食べる時体が受け付けなく戻したくなったが、全部無理矢理、
口の中に詰めた。
今日は、お京さんの帰国祝いでバーベキューパーティーだったのだがとても行ける状態でなく、ベットの
上でおとなしく寝ていた。
トイレに行く回数も減り、峠を越えたと思うが明日まだ調子が悪かったら、病院に行きます。
日本→ボリビア
でも、やはり、そちらにいるとお腹を壊すのが当たり前のように何度もあるのですね。
現地の人は平気なのですか?
だんだん善人もお腹を壊すたびに抵抗力が付いてその地に適応してきていることでしょう。
無理せず、調子が悪かったら病院に行ってみてもらってくださいね。
私は、今朝は7:00には目が覚めて
筋肉痛ではありましたが普通に生活ができる状態でした。
午後からはプールにでも行って体を癒してこようと思ってます。
筋肉痛治るかな?
ではお大事にね。
6月2日 ボリビア→日本
今日は田中善人死亡説が流れた。
病気を心配してみんなが電話をくれたようだが、パソコンに電話の線をつないだまま忘れていて
電話がかからない状態が続いていたためだった。
夜、歩けるほど元気になったので、エマに誕生日プレゼントを渡しに行ってその真相に気付いたの
でした。
日ごろ元気な自分が、バーベキューも欠席して連絡が取れないととなると当然だったかもしれない。
体調は全開ではなかったが、今日は会社に行きました。
昼食は、前のホームステー先で野菜の流動食のスープを作ってくれ、あと俺の大好きな皮入りレモネ
ードも作ってくれました。
そして、木からもいだレモンをお土産に5個も持たせてくれました。本当にボリビアの家族は暖かいです。
仕事の方は、頭が完全に馬鹿になってしまっていてはかどりませんでしたが、夕方ぐらいから少し頭が働き
始めました。
食欲も凄くでてきて、岸根の鬼っ子ラーメンが食べたと急に思い出してしまいました。
俺が日本でお腹がとても減った時に最初に食べたくなるのが、鬼っ子のネギラーメンでした。
夕方は、レストランで鶏肉のスープとパンを食べました。
この三日間で4kgほど痩せてしまいましたが、その分食欲が出てきた感じでお腹が異常にすくのでもう大丈
夫です。
さすがに3日も寝込んでしまったので、体力的にも精神的にも元気さを失っていましたが、明日からまたバリバリ
やれる感じです。
日本→ボリビア
回復してきたようですね。
でも、4kgも減ってしまったなんて頬がコケテしまったのでは?
鬼っ子ラーメンを送ることが出来ないのは残念ですがモリモリ食べて早く元気になって下さいね。
体重が減ると言えば、わたしもだいちゃんもファストラン終了後温泉で体重を測ったら4kg減っていて
ワーイっと喜んでいたのですがその体重計が壊れていただけのようで家に戻って体重を測ったら、以前
となんらかわりませんでした。
常に食べ続けていたから減るわけないかっと納得しました。
6月6日 日本→ボリビア
昨日はファストラン出場者70人のほとんどがきてすごい大きな会でした。
久々に学生の勢いを感じました。
わたしたちはOBの席に座らせてもらっちゃって人が次々挨拶にきてくれたりしてなんだか何時の間にか
歳をとったんだなーっと思いました。
その中で、走っている時途中、平坦な道では抜かれてしまうのですが、登りでは追い抜くというなんども繰り
返しすれ違い、お互い抜くときは励ましながら走り、安曇野辺りではしばらく同じペースで走った子がいました。
その時は顔も碌にみてなかったので誰だったのだろーっと思ってたのですが、向こうは女の子の出場が5人くらい
しかいなかったので覚えていてくれたようで途中、一緒に走りましたよねっと挨拶に来てくれました。
なんとその子は3年生の主将でした。 「来年も走るの?」っと聞いたら「もちろんです。」っと頼もしい返事が返って
きて嬉しく思いました。
普通就職活動だから走らない人の方が多いのになんだか気合を分けてもらった気分でした。
2次会はOBだけで食べて飲んで(わたしは梅酒一杯よ)最終電車に飛び乗って帰ってきました。
ボリビア→日本
8月のボリビア合宿の仕事分担について
隊長・・・・・・田中
掃除・・・・・・平原
洗濯・・・・・・平原
炊事・・・・・・平原
飯炊き・・・・・田中
その他、チームのメンバーは隊長の意見に従い、必要に応じて仕事をする事。
以上
コメント
8月に彼女がボリビアに遊びに来ることが決まりましたが、私たちの場合は二人でどこかに出かけることはデート
とは呼びません。 チーム活動と言っています。 そしてボリビアに来ることは合宿と呼びます。
6月10日 日本→ボリビア
昨日はYBC豊島園に行ってきました。
メンバーは山本さん夫婦、健二さん夫婦&アオイちゃん、篠原さん夫婦、康二さん、関川さん、あきらさん、小野さん、
私の12人でした。古田さんはデートかと思ったのですがやはり仕事で来れなかったようです。
乗り物を待っている途中でてすりの所によしひと&アユと書かれた愛愛かさを2つもみつけました。
小野さんが初めにみつけて、みっちゃん、こんなのあるよ!って
聞いてみますねって言っておきました。
善人しってますか?????その後、他のところでまた見つけてビックリしました。では、白状待ってます。なんて。
ボリビア→日本
豊島園で、相合傘、えっー、、、、みつかってしまったのか?
すごい偶然もあるものだ! 実は、あれは俺が、18の頃付き合ってた小泉今日子と宮沢りえを足して2で割って
2をかけて戻したようなアユという彼女がいて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
またひっかかった?路子の事だから。びっくりした? そんな訳ないだろ。
俺が知っているアユは魚のアユぐらいなもんだ。
騙されやすい路子は小野の手にも引っ掛かったのではないかな?
でも、よしひとという名前は珍しいからびっくりだな。同じ名前は小学校の時に一人いたくらいだから。
6月11日 ボリビア→日本
とうとう、ワールドカップ開幕。 テレビもケーブルテレビも、全て準備OK。
会社でもトトカルチョのような賭けが、社内回覧で回って来るほどです。
初日のブラジル戦、もう試合が始まると仕事どころではなくなった。会社にある一台のテレビの前に上司だろが、
みんな釘付けである。
得点が入るごとに、町全体が花火の音に包まれる。 ブラジルが勝ったあとの、ボリビアは大変な騒ぎだった。
ブラジルのユニホームを着たブラジル人達によるお祭りが始まる。ボリビアには、授業料が安いことからブラジル
人の学生がかなりの数いるし、移民者もかなりいるためだ。
大きなブラジルの国旗を道路いっぱいに広げて、町の中は大渋滞。しかしどの運転手も渋滞を嫌がるどころか、クラ
クションをならし一緒に騒いでいる。
車のフロントに載って旗を振る若者。 バスの上にのって騒いでいる若者。
ブラジルのユニホームやTシャツを着て、顔をブラジルカラーに塗った何十人という若者が、太鼓からラッパからブラジル
特有の打楽器をもって演奏をはじめると、サンバのリズムになり、周囲の人々が踊り出し、町はカーニバルの熱気に包
まれた。 バーンバーンと大砲の空砲のような音が鳴り響く。
空中にはビールの泡が飛び交って、みんなびしょ濡れで踊っている。
そのうち警察が来て、道の交通整理を始めたが、ブラジルのTシャツを着た一人の老人がカードのような物を見せると
警察もおとなしくなった。きっと偉いおじいさんだったのだろう。
この南米のめちゃくちゃなでありながら、誰も怒っている人がいないところが、さすが南米と改めて思った。
俺も何だか周りの雰囲気につられるように血が騒ぎ、サルのように「ワーオ」と叫んでしまうのであった。
ボリビア→日本
明日は、なんとボリビアは祝日だった。 なので旅立つ事にした。
ちょっくら撮影に行ってきます。 行き先は決めてません。 とりあえずバスターミナルから夜行バスで出発します。
会社から戻るのが、いつもより遅くなったのだけど最終バスに間に合うように、10分程でザックに荷物を詰め込み
家をでた。市内を走るバスにのって長距離バスターミナルまで向かった。途中バスの運転手が、大きな音で車内に
鳴り響いていた音楽を止めて、乗客にガソリンを入れるので、寄り道しますと言った。バスはガソリンスタンドへ入り
運転手はエンジンを止めて給油されるのをまった。その間も、再び音楽が全開にかかっていた。
給油が終わった後、運転手がキーを回しエンジンをかけようとしているがかからない。
ボリビアではよくある事なので、直ぐになんとかなるだろうと見ていた。
エンジンのキーを回す毎に、エンジンへ点火音とファンベルトの回る音が小さくなって行った。
終いにはうんともすんとも言わなくなってしまった。
運転手がボンネットを開けて、あれこれ調節しているのだが結局だめだった。
こうなったらもうあの手しかないと思い、周囲にいた二人の男性に声をかけ満席のバスを押す事にした。
顔を真っ赤にして押すと、大きなバスが少しずつ動いた。 少しずつバスは加速して、約20M動いた所でエンジンが
かかった。その後、さっきまで見ず知らずだった、一緒にバスを押した人や運転手と団結感みたいな物が生まれた気
がした。バスを降りる時「チャオ」とお互い言い合って別れた。
バスターミナルに着き最終バスに飛び乗ろうと思ったが、既に時間が30分程過ぎていた。
でもボリビアでは、時間通りに出発することはないので、まだ大丈夫だと思いチケット売り場に行って切符売りの人に聞
くと最終バスが丁度10分程前に出発してしまったと言われた。
しようがなくおめおめと家に引き返したのであった。
日本→ボリビア
あらあら大変なことに・・・・・ボリビアではよくあることだなんてすごいですね。
日本で起ったらニュースになりそうな話。 バスを押すなんて、手助けお疲れ様でした。
また明日行けばよいと思うその心の大らかさが日本にはないすばらしいユトリですね。
6月15日 ボリビア→日本
無事帰りました。 詳しくは、また報告します。
また風邪をひいてしまった。5000mの町に行って氷点下の世界にやられていまった。
最近体が弱くなってしまったのか、今、熱を測ったら38.7度あったので、もう寝ます。
日本→ボリビア
体が弱くなったわけではなくてボリビアは気温の変化が激しいから油断すると体調を崩してしまうのでしょう。
とにかく治すには寝るのが一番だと思うのでゆっくり休んで下さい。
お大事に・・・。
ボリビア→日本
今日、朝、熱を測ってみたら38.5度あった。
昨日の夜は、熱が上がり39.7度まで行ったのでかなり辛かったけど、少し楽になった。
今日は、会社に行くのはやめておく。
日本→ボリビア
おーーーーーーーい、大丈夫ぅうううううううううううううううう?
相当具合が悪いようだけど。。。。。
具合がわるくても何もしてあげられないのがもどかしくて・・・
メールで大丈夫って心配して、回復したというメールを待つばかりで・・・。
もし、どうしても治らないようだったらホームステイ先に連絡してそちらで休ませてもらった方がよいですよ。
甘えにくいかもしれないけど、具合が悪い時に一人でいるのはとっても心配です。
それと、少し楽になったらお医者さんに行ってください。
気をしっかりね。
ボリビア→日本
熱も37度まで下がり、夕方から物を食べれるようにも成りました。
喉の痛みもひき、明日は会社に行けると思います。
昨日の晩は体温計が40度の手前まであっという間に上がって、周りの物がフラフラに酔っ払った時のように歪んで、
クルクル周り始め、意識が遠のくように寝ていました。
この年齢で40度近く、熱が出ると子供ができない体になっていないかと少々心配です。
今回の旅行は、結局、行きには飛行機は使わずバスを乗り継いで移動しました。
何となく、北を目指しました。途中でポトシ行きの夜行バスの乗った。
ポトシはボリビアでも一番標高の高い所にある町で、パスは途中から氷点下の中を走り始めた。
ボリビアのバスは日本のように暖房がないのでバスの窓は内側にも冷凍庫のように霜が凍りついていた。
宿の人が、朝晩は氷点下15度だと言っていた。
ポトシは、鉱山資源で栄えた町でスペインの植民地時代インディオ達は奴隷のように働かされた。
今でも少々鉱物が採取しているようなので次の日、現場を見学行く事にした。
父親が病気であるため、昼間はガイド夜は鉱山で働き家族の生活を支えていると言う20歳の青年と伴に小さなバスを
乗り継ぎ向かった。途中鉱山現場の下にある小さな村で、コカの葉とタバコを買った。
これは、現場で働く人へのお土産として後々、役にたった。
飯場に着くと、膝の下まである長靴と、ヘルメット、カッパを借りて、ランプを持って洞窟の中に入った。
穴は段々狭くなり頭を腰の辺りまで下げて進んだ。途中、50Kgもあるという鉱物を地上まで運ぶ老人にあった。
一日50回も往復するのだそうだ。そんな生活をもう35年もやっていると聞いて溜め息が出てしまった。
更に奥へと進む。まだ出来たばかりの穴らしく頭と肩がようやく入る穴に這いつくばって進んだ。
その先はまた中腰で進める大きさになっていた。今度は上に行くためにロッククライミングになった。
ロープ一本で垂直の壁を上った。途中人がようやく一人入れる穴で働いている人と話したりした。
昔は6ヶ月間も穴の中で生活させられたと言っていた。 コカの葉を噛んで寝ずに働き続けたそうだ。
今でも、鉱山労働者はその辛さをごまかすために、コカの葉を噛んで働いている。
コカの葉、砂糖のようなスティック、タバコこれだけで何ヶ月も働くという。昼の12時、午前中に仕掛けたダイナマイトが
爆発する時間らしい。穴の中にいた自分はバーンバーンとういう音に度肝を抜かれた。
さすがにもう危ないと思い穴からでた。しかし穴の中で働く人達は穴からは出ない。だから耳がやられている。
約2時間程、闇の世界にいただけで地上に出た時は太陽の光が眩しかった。
次の日、スクレという町に更にバスで向かった。 スクレの町には、ヨシヒトという赤ちゃんがいるからだ。
孤児院に行くと、子供達がみんな握手とベッソ(頬へのキス)をしてくる。約40人の子供達が次々とやってきた。
みんなとても明るくて元気だった。
夕飯を一緒にどうぞと、園長先生が言ってくれたので甘える事にした。長い机にずらっと子供達が並び、その中に自分も
入って食事をした。
みんなが俺の事を興味深く見ていた。誰もが食事中は黙っていた。この孤児院では食事中は話してはいけないのだそうだ。
俺のとなりの子供の食事がすすんでいないので頑張って食べなと言うが食べれないようだった。
病気なのだと園長先生が言う。
食事の後、ヨシヒトと名づけられた赤ちゃんを見せてもらう事になった。まだ3ヶ月の赤ちゃんであった。
ヨシヒトはマツゲが長く、目が真ん丸でちょっと色黒く、髪の毛がクリクリと天然パーマで、嘘のように俺に似ていた。
子供達も本当にヨシヒトとその赤ちゃんを呼んでいて、少々照れくさかった。
コメント
このヨシヒトという名の赤ちゃんは、もちろん私の子ではありませんよ。
この町に住む隊員が、この子のお母さんに何か良い日本の名前はないかという話になり、「善人」の意味がスペイン語で
一番理解されたのでその名前になったそうです。
日本→ボリビア
さすが善人回復が早いですね。 今回はしばらく熱が下がらないのではと心配してました。
よかったです。
気温差が激しいボリビアでは重ね着ができるようにいつも上着を数枚持ち歩いた方がよいのでしょう。
でも、旅行は私の想像もつかないところに行ったのでしょう。
鉱山の穴で働いている人たちホント色々な人がいるのですね。
6月17日 ボリビア→日本
昨日下がった熱も解熱剤のおかげだったらしく今朝も頭がいたく、熱があった。
午前中、病院に行ってきた。
扁桃腺がかなりはれているため、抗生物質を一週間飲むようにと薬をもらった。
昨日は、おか湯をまた作ろうとしたが煮ている時にねてしまっておこげになってしまった。
でもセンベイのようでうまかった。
前のホームステー先に頼るのはしたくない。
一人で生活すると言う事はそういうことも一人で克服しなければならないからだ。
日本→ボリビア
またまた、熱が出てしまったのですね・・・。
病院でもらった抗生物質は効いてきましたか?
いっぱい食べていっぴ寝て早く元気になるとよいですね。
6月18日 ボリビア→日本
病院でもらった薬が自分には強すぎるのか合わなかった。 二種類もらって、一つは抗生物質もう一つは良く分から
ないのだが、やたら喉が渇く薬だった。
医者が喉が渇くから水分を沢山補給するようにと言っていたが、一時間も寝ていられないほど喉から舌からカラカラに
乾いて苦しくて起きてしまう。舌の感覚がなくなるほど乾き、カニのように泡を吹く始末であった。
何度も悪夢にうなされて起きた。
料理をしていると、周りがドンドン赤くなっていって、終いには柱が燃え出して家が火事になり、火を消している夢。
日本に突然自分がいて、呆然としていて、路子に会おうとは思うんだけど突然帰ってきたって路子には路子の世界が
あるからと、遠くから元気そうな姿をみて結局、俺は一人で居酒屋で酒を飲んでいるんだ。それが凄い夢の中で辛い感
情でうなされて、気づくとやっぱりボリビアに自分がいて少しほっとしたところで目が覚めるとまた喉がカラカラで汗がびっ
しょりだった。 おかげで、一日でこの薬にはこりてしまった。
路子には、自分の意志で何でもさせる事が一番だと分かっている。路子は自分がしたいと思って行動する事が一番だと。
付き合う事も、結婚も路子が自分でそうしたいと思う事が一番良いと思いながら、俺は強引に進めてしまった気がする。
もちろん、結果としてうまく行く自信があるから強引にでも進めてしまうのだけど。
路子にいつも、あれこれ俺が先に言ってしまうから、それが良くないなーと思っている。
本当は、もっと路子の意志を一番にしたいんだよな。
日本→ボリビア
よしひとーーー。
そんな弱気にならないで。
風邪を引いているとどうしても気分が後ろ向きになってしまうと思いますが、わたしのことで後ろ向きに
なってしまうのはちょっと寂しいです。遠くから見てるなんて・・・そんなこと考えさせてしまったのですね。
善人は日本にいるときも、わたしがいくら冷たいことを言っても、いつも前向きな言葉で返してくれて、最後は
笑ってましたよね。
きっと「このガキャー」って思うこともいっぱいあったと思うのに・・・。
でも、わたしが素直に言えず、テレてわざと冷たく言ったりしてるのも解ってくれてたと思うからあんなに楽しく
過ごせたのでしょう。
でも、ごめんね。
わたしが今、善人に寂しい思いをさせてしまっているのでしょうか?
わたしは、善人が支えになってくれてるから、いつも安心していきいき飛び回っていられるだなっと思って過ご
してます。
善人が確かに何も言わなかったら付き合ったり、結婚の約束もしたり、まして、親に報告したりもしたくなかったと
いうよりは、わたしの力ではできなかったと思います。
今はホントによかったと思ってます。そして感謝しています。善人が後押ししてくれたから今の環境があるからです。
6月19日 ボリビア→日本
今日から仕事に戻りました。
まだ食事はできませんが、もう大丈夫です。
長々と心配をかけましたが、病気の話は打ち切りにして、また通常のメールに戻る事にします。
日本→ボリビア
元気に働いてますか? 打ち切りにされても困ります。
元気になってくれないと・・・なんて。
看病もしないでメールで治って、治ってっと言ったってそんなに簡単に治るわけないですね。
ごめんごめん。 無理せず生活してください。
<ボケ日記>
今日、パン教室の帰りは少々長旅でした。
東京駅から座るために一本後の東海道に乗り、目が覚めると電車のレールにビニールがかぶさってしまったとかで
電車を止めて点検しはじめていました。
よかった、座っててっと思いながら、もう一寝しようかと思ったのですがなんだか気になって眠れなくなってしまったので
本を読んでいると、15分くらいしてようやく動きはじめました。
よかったよかったと思って時計をみると、思ったより時間が経ってるよな気がしました。
そんなに長く停車してたのかなーっと思いながら首をかしげていると、「次は戸塚、戸塚」っと駅員さんの声。
ギョっと思って外を見るとやっぱり見なれない景色。
乗り越した上に電車の中に閉じ込められていたなんて・・・。座れてよかったっと優越感にひたっていた自分が
恥ずかしくなって、一人で笑いを堪えて逆のホームに行きました。
座らなければ乗り越すこともなかったのに・・・。
まあ、いいや睡眠たっぷりとれたし、金曜日だし・・・っと自分を慰めて終バスに走って乗り帰ってきました。
コメント
この頃は、慣れない一人暮らしのためか病気ばかりしていました。彼女には心配や悲しい思いをさせていまっていました。
ボリビアでの楽しい話ばかりを話していれば良いのですが、それはそれで嘘になってしまいます。
地球の裏側にいても病気になどなると彼女には、やはりこの時のように甘えてしまいました。
6月21日 日本→ボリビア
あーあー。 また負けてしまった。
山本家からがっかりして帰ってきたところです。今日のクロアチア戦勝ってほしかった・・・。
せめて点をとって負けてほしかった・・・。
さあ気を取り直して・・・来週のジャマイカ戦は頑張ってほしいところです。
でも、うちの大きい兄は今日の試合までみて帰ってくることになってるのできっと来週の仕事は気を落として
手につかないでしょう。 今日は予防接種に行ってきました。
5分もかからず終わってしまったのでちょっと山下公園を一人でフラフラしちゃいました。
10:00前から結構人がいるもんだなーって。朝からもうカップルたちも出てきてました。
きっとわたしたちみたいに朝に強いカップルじゃなくてチームなのでしょう。
ボリビア→日本
日本、負けちゃったな。
前回のアルゼンチン戦の健闘でこちらでも日本は注目を浴びていた。
なんといってと中田は、良い選手だと絶賛。
あとは、川口も判断力、反応の速さなど、こっちでも通用するまでいわれていた。
今回のクロアチア戦は、こちらの解説も最初から日本優勢、テレビを見ていても、ナカタがボールを持つと、
「ナカタ、ブエノ フガドール」(ナカタ、うまい選手)とナカタだけでは呼ばれないほどだった。
あー残念! 日本チームの悪い癖。
勝てそうもないチームには健闘して、勝てるだろうというチームにはあっさり負けてしまう。
試合を見ていて、前半途中から、誰もいない所にパスをしたり、簡単にゴールの前までボールを持っていかれる
のを見ていたら、これは負けるなあと思って何とか前半0点に抑えて、休憩で岡田監督、選手に喝をいれてくてと
祈るように見てたよ。
後半唯一、見てて面白かったのは、野人岡野だった。
ひたすらボールをもっている人を追っ掛ける姿を見て「おかのー」と一人の部屋で叫んでしまった。
6月24日 ボリビア→日本
現地特派員の田中です。ついにボリビアにおいて戦争が始まった?
先ほどから、ミサイルや大砲が夜空をまっています。
隣の家からも先ほどから、何十発ものミサイルが発射されています。
もう町全体が煙りに包まれて、大変な騒ぎです。
路子のボリビア行きも絶望と見られます。私も、一発ミサイルを打って応戦します。
今夜はとても寝れる状態ではありません。
ボーン、ボーン、ボーンこんな状態がもう3時間は続いています。
本日はボリビアは冬至です。一年で一番日が短い日。なので、フィエスタなのだそうだ。
火をたいて盛大に燃やす祭りらしい。コチャバンバの中心では焚き火が禁止なので、変わり
にみんな花火を上げている。この規模が凄い。みんなが打ち上げ花火をもってボンボン上げている。
湾岸戦争の時の夜のように小さな花火が夜空を舞っている。
本当に戦争が起きたかと思ったよ。
花火で雨が降ってしまうほどだ。コチャバンバは盆地だから花火の煙で雲のようにフタをされて雷がなって
雨まで降ってきた。
うー、フィエスタと聞くとムズムズしてくる。
前のホームステー先で、酒飲んで盛大にやっているらしい。若い女の子が沢山きてるから・・・・・とイバンから
お誘いがあった。酒飲んで騒ぎたいよー!!!!!!!!
でも、まだ咳が止まらないし禁酒中だから寝ようっと。
日本→ボリビア
またまた、恐ろしい件名は心臓に悪いです。
それにしても、ホントにボリアの人たちはお祭りが大好きなのですね。
しかも、家族ぐるみでやって・・・。
日本でも飲んで騒いでというものはあるけれど、親も一緒にパーティーみたいなのってほとんどないですしね。
体が完全に治ったらまた参加できるのでそれまで我慢我慢。
母の知り合いで、肝臓が悪くなり、若いのに絶対安静の寝たきりになってしまった人がいるそうです。
それでも、発見が早かったので、何年かの治療で回復するようですが・・・。
風邪が治っても油断しないようにね。 まだまだ、これからだしね。
6月26日 ボリビア→日本
今日のサッカー、ジャマイカ戦の結果は言わないでくれ。
同じ時間にアルゼンチン戦があってこっちでは時間をずらして放送される。
打ち上げ花火を用意して、夜10時から見ます。
日本→ボリビア
日本、ワールドカップが終了しました。
今日は、下の兄が帰ってきていたため、家族、4人で見てました。
しかし、前半にジャマイカに点をとられてしまったため、父、母は諦めて寝てしまいました。
残った、兄と私で画面にへばりつくように応援したのですが・・・
結果は1−2 でも、点がとれてよかった。ゴン中山選手にはよい記念になったことでしょう。
川口選手があれだけゴールをよく守ってくれたから日本は1点差ですべての試合が終われたのでしょう。
今度は4年後に期待して・・・。善人とも一緒にみれるしね。
日本→ボリビア
ごめん。
言っちゃった。 ゆるして。
コメント
ワールドカップの試合は、主な人気のある試合はボリビアでも生放送されますが、それ以外の試合は試合が終ってから
夜中に放送されます。 この日の日本対ジャマイカ戦は、こちらでは誰も気にかけていないような試合でしたので当然試合
が終った後にボリビアでも放送されました。先に負け試合と聞いてしまったがっくりでした。
6月28日 ボリビア→日本
●Salten^a(サルテーニャ)
サルテーニャとは、ボリビアの独自の食べ物で、挽肉、野菜、ウズラ、オリーブなどが入ったトロッとした具を
卵が沢山入った黄色いパン生地で餃子のように包んで焼いたパンである。
俺はこの食べ物が大好きで、色んな店を食べ歩いた。
そして一番旨いと思う店を発見したのだが、昼までには、いつも売り切れてしまう。
今日は土曜なので、午前中にその店に行った。
小さな店なのだが朝から沢山の人が来ていた。午前の仕事が終わった帰りにいつもその店に行ってサルテーニャ
があるか聞いていたのでもう顔を覚えられていた。
サルテーニャには、Carne(牛挽肉の物)とPollo(鶏肉の物)があるが、この店ではCarneの方が断然旨い。
しかし今日は残念ながらCarneはもうなかった。
前に並んでいたおばさんが箱にいっぱい(30個ぐらいかな)買って行ってしまった。
しょうがないから、Polloを二つ買い、公園のベンチで座って食べた。
今日は天気が良かった。
冬だというのに、若者達は半袖やランニングを着ている。 俺も昼間はTシャツでも寒くはなかった。
ブラジル、チリの試合があったから、もう町は大騒ぎ。
どちらも陸続きの隣接国だから、かなりの人がボリビアにも住んでいるためだ。
花火が得点が入る度に花火がボンボンあがっていた。
勝利のあとはブラジル人の大カーニバル、何度見ても楽しそうだ。 しかしブラジルは強いなー。
今日ジーコとドゥンガがテレビのインタビューで話してたけど、少しポルトガル語が理解できたから何か嬉しかったなー。
あと、フランスでワールドカップのショーみたいなのでJメンズ隊のようなブリーフに筋肉質の男達が何十人も踊ってたぞ!
日本でも写った?
なかなかすごかったなー、何かヒントを得たような気がしたよ。
腰の振り方がポイントだな。
日本→ボリビア
朝からIBYとの野球の試合に行ってきました。 結果は3−4。でも、おしかったんだよ!
7回裏2アウト2ストライク 満塁まで3−0で勝ってたのに、よーし今日は朝から気分がよいぞーっと思ったら、
大きいライトフライを打たれ、一挙に同点、最後にキャッチャーの後ろにボールがこぼれてもう一人ホームベースへ。
試合終了。
まだ夢の中であってほしかった。
でも、みんな相変わらず、その後はニコニコとガーデンでモーニングを食べてる姿はとても微笑ましかったです。
山本さんが転勤になり三ツ境勤務の営業なってしまいました。 よって土日休みではなくなってしまうそうです。
それが急なことで7月1日からとのこと。 なんだか寂しい気分です。
いっつも山本さんがあんなに一生懸命人数を集めてくれたりして誰よりも野球が好きだったのに。。。
でも、ずうっと休みにならないわけでもないし、今日みたいにIBYとの試合なら8:00には終わるので間に合うかな?
容子さんも来れなくなってしまうと思うとそれも寂しいです。
6月29日 日本→ボリビア
寺本康子さんから昨日、メールをもらいました。この夏はボリビアに行けないようですが、
あれこれと、心配して準備のことなどを教えてくれました。
あと、昨日の夜は、一人で大崎家に遊びに行きました。ハワイのお土産をもらったのでそのお礼に
パンを焼く約束をしていて、それを渡しに行ったら、結局、ミートスパゲティーをごちそうになってしまい、
なんだか余計お邪魔しに行ったことになってしましました。
田中さんはカレーを食べに来てくれたなーって、あと、昼に電話をかけてきてくれたりして・・・。
懐かしんでいましたよ。
それと、建物の写真送ってもらってないなー。って。 楽しみに待ってるそうです。
色々善人の話をしているうちにドンドン時間が過ぎていってしまったのですが、いきなりお邪魔して遅くまで
いるのも何なので22:00ころ(十分おそいけど)帰りました。
さすがに、昨日は朝5:00前から起きてたので帰ってきてお風呂に入ったら睡魔が襲ってきてすぐ寝てしまいました。
日本→ボリビア
今日はミチヨ隊員の送別会でフィエスタだった。ビーフカレー、ロールキャベツ、ローストビーフなどご馳走を食べた。
ワインとビールもちょっと飲んだ、、、、ごめんさない。明日肝臓の検査に行こうと思ったけどしばらくやめておく。
香織ちゃんとこに遊びにいったみたいだな。
俺もちょうど路子が香織ちゃんの所に遊びに行かないかと思ってたから良かったよ。
香織ちゃん、大崎が帰りが遅いから、あんまり山本のところにも顔を出せないから、山本の家のように俺の変わりに
訪問しておいてくれないかと思っていたんだよ。 そうだ香織ちゃんからカレー教えてもらってみな。ルーを熟成させて
作るらしくなかなか本格派なんだ。
俺の変わりにカレー曜日はお邪魔しておいで。残業がない日は、昼間電話して、カレー曜日か確認したものだ。
YBCは本当に最近勝てないなー。俺がいなくなってから一回も勝ってないのではないか?
コメント
大崎家とは、野球チームのメンバーの夫婦の家庭の事。 大崎とは幼稚園、小学校、中学校、高校まで一緒であった。
小学校時代、マラソンが学年で1、2を争うほど早かったため「馬」というあだ名だった。
香織ちゃんとは、大崎の奥さんで職場恋愛の末結婚したそうです。 とっても美人の奥さん。