7月1日 日本→ボリビア


今日も会社でうれしさが隠せず、黙々と仕事をしている途中に「もう明日から7月だねー」って
突然前に座っている同僚の子に話し掛けてしまいました。
そしたらその子もわたしのニヤけた顔をみて察したらしく、夏休みも、すぐだねって・・・
やっぱり7月って響きはよいですね。
たしか、去年の7月はちょうど、入院した月、忘れもしない七夕の日に病院でぼーっと過ごした3日間。
あの時、善人にも本当に心配をおかけしました。
でも、あれがあったから自分の気持ちに気づけたのだと思ってます。あれから色んなことがありましたね。
なんて、浸っていると夜が明けそう・・・。


コメント
去年の入院とは、彼女が相模湖で行われた自転車の大会出場した際、暑さのため熱中症になってしまい
大会の最中に倒れ救急車で運ばれるという事件でした。


7月6日 日本→ボリビア


ニュースです。 なつみさんが7月20日ご結婚されるようです。
古田さんがこの前最後に二人で飲んできたようですよ。
みんなで500円くらいづつ出し合ってお祝をあげるそうですが善人も参加しますか?
昨日の野球も残念ながら負けてしまいました。 ジャクソンズと5ー13で。
次回はもう26日までないのでボリビアへ行く前に一度は勝ち試合をみたいものです。
今日からまた会社がはじまります。 夏バテしないように過ごさないと・・・
早くボリビアで涼みたいな。(なんて寒いんだよね)


コメント
奈津美ちゃんとは、草野球チームの篠原の大学時代の友達だった事が縁でよくみんなで一緒に遊んだ。
実家が埼玉で床屋のチェーン店をやっているため伊豆の熱川に別荘をもっていて、頻繁にその別荘に
みんなでおじゃました。
我々メンバーの中では、エースの古田と二人で飲みに行くなど仲が良かったのですが恋愛までは発展ませんでした。
奈津美ちゃんも結婚を考える歳になり我々と遊んでいても結婚相手は見つからないと悟り、その後、彼氏が無事にで
きて結婚したそうです。長い間別荘にご招待ありがとうございました。
末永くお幸せに!


7月7日 ボリビア→日本


職場が変わって勤務時間を一時間だけ早あがりしてにスペイン語を習う事が許されなくなってしまった。
またしばらくは仕事漬けの毎日になりそうだ。
細かいことも色々言われて、もう怒ったから、鬼のように仕事をしてやる!!
また世界中で一番働くサラリーマン協力隊員になるのだ。今度の課題はPHSをコチャバンバに導入する計画だ。
PHSは日本の技術だけど、今はアジアを中心に普及しているのだ。現実になるにか分からないが、やってみるのだ!
何か、今日は、機嫌が悪いから、もう寝るのだ!
俺ね、普段は温和っぽいけど、仕事とかだと、ホント切れる時があるんだ。
日本での会社の協力隊のOBの人に一つだけやっては行けない事として、「喧嘩」と言われたのを今日は頭に浮かんだよ。
一度喧嘩をしてしまうと、任期中には取り戻せないし、全員を敵にまわすことになってしまうと言っていた。
多分、その人の苦い経験から、言ってくれたのだと思う。


日本→ボリビア


スペイン語教室通えなくなってしまって残念ですね。
やはり職場が変わると、そこの職場の規範に今度は合わせないといけない事が出てきますよね。
規範ってわたしも嫌いな言葉ですが、団体生活上では、なくてはならないものなのでしょう。
でも、鬼のように仕事をするだなんて言わないでください。
仕事が趣味になってしまっては、日本に善人が帰ってきた時、寂しいので。
でも、PHSをボリビアにも導入させるなんて・・・ 急に発展しちゃうような・・・。すごい!!!
なんだか日本にすぐ追いついちゃうような・・・。
日本で使用するより断然、安価な価格で利用できるのででょうか?それでないと普及していかないですよね。
現実になるとよいですね。 頑張ってください。

今日は七夕だというのに何も星がみえなかったです。
そう言えば、生まれてから一度も天の川ってみたことがなかったです。
ボリビアは毎日、満天の星空ですか?


コメント
このPHSをボリビアに導入する計画はつぶれてしまいました。 将来的な需要予測、市場状態のデータPHSのアンテナ
を張り巡らすためのこちらの地図を元に、日本の休職中の会社を通して日本の通信装置メーカへ相談する形をとったので
すがこちらでは儲かる見込みがないと言うことで終ってしまいました。


日本→ボリビア


昨年の花火を見にいったのは、7月20日と8月1日だったような。
一回は大黒、一回は神大寺の丘の上からだったよね。
花火に関しては「見たい!」と路子が俺に何かを求めた事がうれしかったな。

天の川は、サハラ砂漠を縦断した時に、満点の星空の下で野宿をしながら見たことがある。
本当に川だった。 星がビューン、ビューン流れて、眠くなるまで流れ星を数えた。
ボリビアも町の外れから星が奇麗だ。行った事がないティティカカ湖にある太陽の島からの夜空は奇麗だそうだ。


7月9日 ボリビア→日本


俺を見送った全く同じ飛行機でボリビアにくるのだな。不思議な感じだろ?
しかし始めての一人旅なのに、トランジット(乗り換え)が2回で30時間の旅はすごいよ。
この経験をすれば、もう世界中どこでも行けるよ。(空港までは)
でもロスからサンパウロは同じ飛行機で機内清掃のため一度降ろされるだけで待ち時間も一時間だけだから、
丁度良い休憩だよ。
サンパウロの乗り換えが長かったよ。5時間。仲間がいたから苦ではなかったけど、一人はちょっと可哀相で、
それだけが気がかりだ。
でもね、逆に色んな人と話ができて面白いよ。飛行機の中や、待合室で隣になった人と話したりするのも面白い。
もうそこから旅が始まっているしね。
俺が始めてフィリピンに行った時、飛行機の中でイヤホンのさす場所が分からない程、何にもできなかった。
機内食の時に「Chiken or beef」と聞かれても、聞き取れなくて「は?」という感じであった。
たかが5時間程のフライトだったが、いくら空の上とはいえ気持ちも地に足が付いていなかった。
機内で入国カードが配られると、もうほとんどわからなかったから辞書をひきながら書いていたら一つ離れた席の
おじさんが話しかけてきてれて色々と教えてくれた。
その飛行機は世界有数の危険ゾーン、マニラに夜遅く着く便だったから、一人旅、しかも海外初めて、泊まる所も決め
てない事を言うと、それは無謀すぎるということで、その人の現地の知り合いと一緒に俺が地球の歩き方で目星をつけ
ていた宿まで送ってもらった。その後、その人のおそらく現地愛人らしき人と3人で食事をしておごってもらった。
別れるときには、ここに居るからとその人が泊まっているホテルまで教えてくれた。

その後、旅を重ねる毎に自分でも自信みたいな物が持てるようになって、昔の自分のようにオドオドしている一人旅の人を
見ると逆に話しかけて手助けしてあげるようになった。パキスタン乗り換えでエジプトに行った時の飛行機が成田で欠航に
なったときがあった。空港のチェックインカウンターで俺の前に並んでた女の子は泣いてしまっていた。
その子はパキスタン乗り換えイギリス行き、向こうで半月程の短期留学をするという事だった。
その航空会社(パキスタン航空)はたしか週に一便しかなかったため泣いていたのだ。
これがマイナー航空会社でかつ安チケットの理由である。でも、俺はごねかたを知っていた。他の乗客が引き上げた頃、
再度カウンターに行き、「向こうで大事な会議があってどうしても今日中に行かねばならない。」などとインチキな因縁を
ネチネチつけて他の航空会社で行く交渉をした。
その時、ついでに彼女の交渉もしてあげた。後程、成田空港のアナウンスで自分の名前が呼ばれ、俺はエジプト航空で、
彼女はJALで無事出発ができたのだった。
俺は何かこういう助けるのって順番の気がしている。だから路子もきっと困った時には誰かいるだろうし、一つ一つの苦い
経験が自分の新しい自信を生むよ。
まーこれは何に対しても言えることだね。でも一人で行動すると自分という物がよくみえるものだよ。
自分の弱い所、強い所を客観的にみると面白いよ。
何か自分で書いていて今の自分の生活を言っているような気がしてきた。
何かを感じるという事は、とっても素晴らしいことだよね。
日常の生活に慣れると、そういうのってどうしても失われていくからね。
きっと路子の目から見る今回の旅は、全てが刺激でいっぱいになる事だろうね。


日本→ボリビア


善人の旅の経験を読みすすめるほど、心臓のドキドキが増してきました。
ああーほんとにもうすぐボリビアへ向けて飛び立てるんだねー。
わたしは、自信がないことには、より消極的になってしまうので飛行機の中では、
小さいわたしがより小さくなってるような気がします。
子供に間違えられそうなのが心配の種です。
でも、その方が親切に誘導してもらえるかな?

とにかく泣いても笑っても30時間。
善人に会うまでは途中で諦めないので気長に待っててくださいね。


7月10日 ボリビア→日本


ナツミちゃんへの祝電、よろしく頼みます。
押し花も、メロディーもない、普通のやつで良いです。
________________________

ムーチャス・フェリシダーデス・セニョリータ奈津美!
南米ボリビアからも祝福しています。
サンバ・サンバ・ナツミちゃん・サンバ!

             コチャバンビーノ・てるひこ
________________________


日本→ボリビア


相変わらず、ヨシヒトの表現力のすばらしいなーって笑ってしまいました。
奈津美ちゃんの電報なんとしても送っておきますね。
ちょっと不明なところがあって、今のところ、場所は確認できたのですが、式の時間も、新しい名字もわからなく、
古田さんに聞いたら、この前聞いたけど、忘れちゃったとのことで・・・。
名字がわからないと送れないよね。
あっ、今思い付いたのですが、その「赤坂野木会館」ってところに問い合わせてしまえばよいのか。
奈津美さんって方が7/20に結婚されると思うのですがって・・・。
なつみさんの漢字は”奈津美”でよいのですよね?(念のため確認)
この電報が当日読まれることを想像するだけで、また笑ってしまいます。
でも、身内だけでやるようなので読まれるか???だけどね。

昨日、大笑いしたものがありました。
おそらく犯人はヨシヒト???
やまもと家のスケッチブックに似顔絵が書かれてあったのですが、その中に篠原さんの似顔絵が、あまりに特徴と
らえられていて、みんなでお腹を抱えて笑ってしまいました。
「ツライ時これを見たら和むね」って容子さんが言ってましたよ。


7月10日 ボリビア→日本


こちらに持って来てもらいたい物のリストができた。
週末も、もう数えるほどしかないだろうから、今から言っておきます。
____________________________
乾燥しいたけ 1袋
子供が喜ぶお菓子(チョコレート、ペコちゃんミルクキャンディー適当に3人分程)
日本ぽいタオルやふろしき。 2、3本
絵皿(日本ぽいやつ) 2枚(安物で良い)
355mlの缶ビールキリンラガー、サッポロ、アサヒ(各1本)
日本酒、パック 500ml 2本、大 1本。
そば焼酎パックで大 1本。(酒は俺は飲まない、全部土産だからご安心を!)
柿の種(ピーナツなしで大きい袋か缶)  2個 
焼きそばソース(粉末だけって売っていたら) 10
ラーメンスープ(醤油味) 10
ゴマ油 1本
ちょいと寿司太郎  2袋
紅しょうが      3袋
神風とか必勝とか合格とか日本語が書かれたの鉢巻  4本
烏龍茶(パック状の物)  2袋
ギターの楽譜(ニューミュージック系) 1
俺の部屋の机の本棚から、青か銀色の表紙のMBAハンドブック
という名前だと思った本。経営学の本なのだけどMBAとは書いて
あったとは思った。
プリンターインク(カラー) Canon BCI11Color 3
日本のタバコ(マイルドセブン。成田のDuty Freeで) 1カートン
_____________________________

とりあえず、今のところは以上です。
よろしくお願いします。


コメント
日本からボリビアに荷物を郵送する場合、だいたい1Kgあたり一万円以上かかってしまいます。
船で送った場合は、値段は3分の1程度になりますが4ヵ月ほどかかります。
そんな訳で彼女がボリビアに来る時にごっそりと日本食を頼んでしまいました。


7月11日 日本→ボリビア


検査結果、肝臓は更に悪くなっていた。
医師より自宅療養をしながら通院の指示を受けました。
会社にはとりあえず一週間の休みをもらいました。
来週に再度検査をします。

JICAの医療担当者に経過を連絡したところ、日本の顧
問医師と相談して措置を決めるとの事でした。

でも、俺はピンピンしているので大丈夫です。


日本→ボリビア


なんだかこわいよー。

自宅療養するなんて、安静にしてなくてはならないくらい悪いのですね。
肝臓は自分が悪いと気づいたら、そうとう悪いので今、まだヨシヒトは自分が大丈夫と言いますが、
油断してはいけないと思います。
ヨシヒトが元気に帰ってくることを願って、わたしは、去年の12月見送ったのだから・・・


コメント
この時期、体の調子が異常に悪い日々が続いていました。最初は風邪が全然治らないだけかと思っていたのですが
病院に行き検査を重ねる毎にどうやら風邪ではなさそうだということになって行きました。
もともと、肝臓の機能が私の場合悪く体力が落ちると著しく体がだるくなります。この前の月に風邪やら下痢で会社を
休んでしまったので、その後も体調が回復しない状態で仕事をしていました。


7月12日 ボリビア→日本


しばらく、何も考えなくない。
ごめん。


コメント
自宅療養と朝晩と1日2回病院に通う日々が始まり、協力隊を続けて行けるのかさせえ見えない時期でした。
暗いメールしか書けない状態だったので、ベットの上で不貞寝状態でした。


日本→ボリビア


わかりました。 ヨシヒトがまた、話したくなるまで待ってます。
でも、わたしのことは考えなくても、体のことだけは考えてください。
わたしが、よしひとを信じる気持ちはずっと変わらないので。


7月13日 日本→ボリビア


きちんと食べてますか? 食欲はなくても3食きちんととってくださいね。
野菜は出来るだけ食べるように心がけてください。
今日はまた会社からでもメールだしますね。
ヨシヒトはのんびり過ごして一日も早く、気持ちも体も元気になることを願ってます。


日本→ボリビア


よしひと。 もう寝ましたか?
早寝早起きが健康の基本なのでお休みの一週間は22:00消灯ー6:00起床の生活がよいのでは???
眠れないかな???
昨日は、パン教室に行き教える立場に立って、一人一人色々なロールプレーイングをしてきました。
人前に立って、話すのは会社の研修依頼だったのでちょっぴり緊張でした。
そのパン教室の理事長の話は自分にとってまたやる気が湧いてくる内容でした。
その中のひとつ、
”和顔愛語”という言葉がでてきました。
意:笑顔であいさつ
ここから、すべてがはじまるということです。
いつもこれを心がけていれば、自然と、人が集まってきて、その集まってきた人たちからまた自分が吸収し、
成長することができると・・・。

今日もまた、パンのアシスタントに行ってから帰ります。
そして、明日は香織さんと横浜VS巨人戦をみに行く約束をしました。外野席なので並ばなければ・・・。
香織さんが並んでおいてくれると行ってくれたのだけれどそれは申し訳なさすぎるし、一緒にその間、お話もできるし・・・
明日はお休みしちゃおうかと思います。
本当は半休で充分、野球は間に合うのだけど・・・
ボリビアの準備もしなくちゃいけないし・・・
なんかわたし怠けてる???
たまにはよいかな?おゆるしを・・・。


7月14日 ボリビア→日本


土日と安静にしていたら、今日は体調が良いです。 午前中は病院で検査をしてきました。
今週は、検査と投薬の日々が続きます。 毎回血を抜かれるので、両腕は麻薬中毒者のようです。
先週は自分で大丈夫と過信していた物が、医師の対応、協力隊事務所の対応がかなり深刻な方向
に進み全身から血の気が引く思いでした。

今はとても穏やかな気持ちです。暗い気持ちでいる方が俺にはやはり長続きしないし安定しなかったようです。
心の中のモヤモヤした物もなくなり、少し自分を取り戻した感じです。

前向きに一つ一つ冷静な判断を下せる事が自分の長所だったはずなので、こんな時こそ、冷静になろうと思います。


日本→ボリビア


少し元気になったようでほっとしています。 でも、毎日通院しているのですか?
こちらからだと、ヨシヒトの具合が今どうなのかがはっきりわからないのがもどかしいです。
よしひとの報告からきくので、きっとよしひとはわたしに心配かけないように書いてきてくれてるような
気がします。
8月まで残り半月になりました。 毎日指折り数えて過ごせそうです。
よしひとももうちょっとの辛抱ですよ。


7月15日 日本→ボリビア


1、2回裏、ロースの満塁ホームラン等で6点ベイスターズが先制点をとり、今日の試合は余裕かなーっと
思いきや5回に満塁フォアボールで押し出しの1点、その後松井の満塁ホームランで4点で計5点で簡単に
1点差まで追い上げられました。
でも、7回またもやローズがソロホームランを打ち、2点差で9回表まできました。
そこで横浜の大魔人佐々木がでてきて理想的な勝ち方だと思い、喜んでいると最後の一人の時、ショートの
石井が簡単なボールをとりそこね、そこから横浜が崩れていきました。
その後、佐々木がフォアボールを繰り返し、満塁で2点返され、7ー7の振り出しにもどってしまいました。
もう帰る準備をしていたのに・・・そして、9回裏これで延長になっては勝ちはないと思って胃が痛いよーっと言い
ながら香織さんと祈るようにみていたら、最後に石井がヒットを打ち自分で点を取り替えして試合終了!!!

もう、涙がチョチョ切れてしまいました。
ホント勝ったからとてもよい試合に思えました。
これで、負けたらせっかく会社休んできたのにーーー・・・と嘆くところでした。
ああーまだドキドキが消えません。

ウォー、ウォウ、ウォッ、ウォッ、ウォー、横浜ベイスターズ!!!
なんて、ヨシヒトはだんだん悔しくなってきちゃったかな?
でも、今年は横浜に優勝させてあげてもよいと思いません?
わたしが生まれてからまだ優勝したことないし・・・。

今、4ゲーム差で横浜が首位です。 続いて中日がと巨人が並んでいます。
このまま9月も首位が続いたら、また見に行こうと香織さんと約束して帰ってきました。
どうか、わたしがボリビアへ行ってる間も勝ち続けてますように。。。
ヨシヒトが帰ってきたら、今度はベイスターズ側で応援行こうね。
前、巨人側でみたもんね。交代、交代でみないとね。 ヨシヒトと行ったときのことを思い出してみてました。
あの時も、ちっともそんな予定でなかったのに、急に見る事になったんだよね。
だふやのおじさんから券勝って。
香織さんにその話をしたら笑ってました。
っと野球の話はこの辺にして

ヨシヒトの検査結果はどうだったでしょうか? ウィルス感染してるとどうなるの?入院しちゃうの?
投薬ってどんなものを打ってるの?報告まってます。
病は気から、だから


日本→ボリビア


今年の優勝は、もちろん巨人だけど、香織ちゃんと路子が球場まで見に行った時は勝たせてあげても良いかな。
夏のボーナス、ボーナス!勝利の後のビールはさぞかし美味しいことでしょう。

今日も病院に行きます。朝検査や投薬、夕方に検診をするというのが今週の日課のようです。
今日はウィルス性の急性肝炎に感染しているかの検査結果がでます。
なので、少々そわそわしたような気持ちと開き直った気持ちが葛藤しています。
でも、自分の体は自分が一番分かるので、大丈夫だと思います。
今は岸根公園を10周、楽に走れるような気がするほど体が軽いし、爽やかな気持ちです。


7月15日 ボリビア→日本


さて検査結果ですが、ウィルス性肝炎の検査結果は全て陰性→「正常」ということで大丈夫でした。
そして、肝機能の検査結果もかなり良くなっているので、もう来週には仕事に戻って良いと言ってもらいました。
パチパチ! 昨日の野球からハラハラ続きで小心者の路子は心臓がパンクしそうになっちゃたよね?
ごめんな。
とりあえず一安心です。ご心配をおかけしました。
あとは、検査結果からJICAが日本の顧問医師と相談して指示が出されますが、おそらく、また数ヶ月後に
再検査が言い渡されるだけだと思います。
これで、路子と8月に旅行できます。会社には寛大な理解をもらっているので路子が心配するような事はなく堂々
と休めます。
気分的には今晩は盛大にフィエスタで冷えたビールを飲みたい気分ですが、それはもっと良くなってからにします。

では、路子も安心して、ボリビアまでの日々を過ごしてください。
路子が風邪引いたなどというオチがないように、体調を調えてください。
色々とありがとうな。


日本→ボリビア


今日はずうっと朝から連絡待ってました。
ヨシヒトの心配通り、心臓のドキドキが消えないまま・・・ 午前中にメールが入らないから
入院しちゃったのかなーって・・・
わたしは、自分で空港から病院に行くことを覚悟してたところです。もちろん両親には内緒で・・・。
ああー、よかった。 検査結果もひとまず良好で。
ボリビアに行ったらチチャで乾杯ですね。


コメント
最初に血液検査を行った際、肝機能の数値が異常なデータを記録していた事から肝炎を起こしていると診断されました。
さらに、肝炎にはウィルス性のA型、B型、C型という急性肝炎があります。A型肝炎は食物から感染し、協力隊員も感染
する人が多くいます。 検査結果はウィルスは存在しなかったので、風邪等が長引き体力が著しく落ちたためにもともと悪
肝臓が悪化して肝炎にかかったとの事でした。 彼女には本当に心配をかけてしまいました。


7月16日 ボリビア→日本


病気騒動も落ち着きを見せたところで、路子がボリビアに来て俺と会うに前に話しておかなれけばならないことがある。
路子のドキドキが止まったばかりで、またドキドキさせてしまっているが、この際だから言ってしまう。
うふん、覚悟して良く聞けよ。では、言うぞ!
その前に、最近ベースターズ(今は大洋とはいわないのか?)が勝ちつづけているようで、俺のいない間は優勝させてあげ
ても良いかな、俺も横浜市民だしね。
予断になったが、では本題に戻ることにする。 耳の穴をかっぽじってよーく聞けよ。良いな!
うふん、それでは言うぞ!
あっ そうだ、こないだ山本からメールが来て仕事が大変だと言ってた。
毎日3時間残業でその後に飲みに行くから帰るのが夜中の1時過ぎだってさ。
青木が可哀相だな。あまりに生活が変わりすぎて。
おっとごめん、また横道にそれた。そろそろ温和な路子もしびれてきたな。 言いずらいことなので、、、、。

うふん、では今度こそ3度目の正直で言うぞ。
その前に 「善人への変わらない愛を約束します。」と3回唱えてから読んでくれな。
唱えたか?よーし
では、今、打ち明けよう俺の秘密!!!!ジャーン!

みんなが、肝臓とともに2年もつか心配している物があるんだけど、路子もココまで言えばもう分かったよな。
そう俺にとって減少傾向にある細胞スペイン語だと「Cabello」、、(日本語では、ながーい友達と書く髪の毛)
そう、8ヶ月経つと減っているのだよ。いつも今までは一緒にいたから、そんなに感じなかっただろうが、8ヶ月
ぶりに見ると違いを感じると思う。
空港で会った時に「違うこの人はヨシヒトじゃない!!」なんて叫ばないように今から心構えをしておいてくれ! 
でも路子は今の俺しか知らないのに小学校からの写真で俺をウソのように全部当てたという人生始まって以来
の人間だから大丈夫だろう。
他の人なんかに昔の写真を見せると「えーうそー、詐欺ー」なんてボロクソに言われたよ。
路子に何で分かるのと聞いた時、「目は変わっていない。」と言われ、改めて赤い意図を感じてしまった思い出がある。

ついでに他の告白をしよう。俺の進化に関わる話。この話は俺という人間の今にいたるルーツをたどる上で聞いて損は
ないと思うよ。
子供の時から俺は人一倍成長が早かった。常に人の1.25倍の速度で成長していくようだ。
小学校1年の時から背は大きく6年まで大体いつも、後ろから二番目以内だった。
恥ずかしい話だが小学校5年の林間学校の時には既に下の毛が5、6本生えていて抜いた覚えがある。
6年の時はもう充分立派に整っていた。(聞いてない?)そして6年の終わりには何と、身長165cmの上、のど仏まで
出ていた。当時小学校を卒業するまでに、のど仏があったのは3人だけだったと記憶する。
そして中学1年には170cm、脇毛まで生えてきた。当時他の奴も脇毛が生えているか気にしながら水泳の授業を受
けたものでだった。
中学3年になる頃には現在と同じ176cmまで成長していた。当時は早く大人になる事は非常に嬉しかった。
中学では高校生に見られちょっとませた雰囲気らしく年上の先輩からもてたものだった。
(また聞いてないね?) (聞いてくれよー俺の幻の思い出を!)

ではもう少し話そう、1年上のバトミントン部のちょっと不良で大人の雰囲気を漂わせた、俺もあこがれていた吉田さんから、
修学旅行のお土産などをもらい、その他バトミントン部の先輩2名からももらったという嬉しき思い出がある。
そんな感じで中学3年で俺の成長は止まったのだった。
高校では大学生に見られ、またまた「田中くんって大人だよねー」などと言われ同級生や先輩などから良い思いをしたり、
なんと高校2年生の時などは山口と二人、女子大生と生意気にも飲みに行くと言う事をしていた。
しかし成長の後に続く物は老化であった。

高校を卒業してから急に太り出した。一年で10キロ以上太った。おそらくホルモンのバランスが崩れたのだろう。
19歳から髪の毛が異常な程に抜けるようになった。
20歳の時には頭を洗った後などは明らかに自分でも薄くなっているのがわかった。
針ねずみのように剛毛だった髪がその後全部生え変わったように柔らかい髪の毛に変わった。
大学2年頃には、ハゲ、デブの2拍子がそろった新たな自分が生まれたのであった。
女性に与える印象に関しては中学、高校時代からは180度変わり、以後ずっともてない人生が続くのであった。
それまでとの人生とのギャップからか、自分のどこかにいつの間にかコンプレックスを持つようになり女性のいる場所
へ自分を置くことを避けた大学時代だった。

しかし、おかげで今の自分があるのは間違いない。女性との付き合い方は学べなかったが、途上国という伴侶にめぐり
会えたのだから。 まーこれが隠された俺の秘密である。コンプレックスはずっと持ち続けてきたが路子とめぐり会えたこと
で、どっかに飛んでいってしまったようだ。

ずいぶん長々としたメールになってしまいました。
何を暇なことを考えているんだと、あきれないでくれな。

ウィルス性肝炎の疑いが晴れたのだけど、金曜まで療養指示が書かれた診断書を会社に出しているので一応まだおとなしく
自宅療養していて暇な時間を過ごしているから大目にみてくだしゃれ!
では、長々と失礼しました。


日本→ボリビア


読み終わって、上にスクロールしてみると、ほんとにながーい文でしたが、読んでるときは吸い込まれるように
読んでいたのであっと言う間に感じました。
善人の学生時代をまるで見てきたかのように伝わってきてうれしかったです。
でも、善人も思ってるように、きっとわたしたちが高校時代に出会ってもすれ違ってるだけでしょうね。

人の成長ってほんとそれぞれ違うんだなーって思いました。
特に、わたしとはホント正反対って言ってもよいくらい・・・。
ちょっと羨ましくも思いました。
考えると人間の体はホント神秘的ですね。

でも、善人、老化なんて言葉は使わないように・・・。表現がわるい。進化っていったほうが・・・(それも変かな?)
髪の毛のことで、善人への気持ちは変わりませんのでご安心を・・・。
それより、気にしすぎて、心が病んでしまう方が、なお、歳とっちゃうよ。

では、わたしの成長過程も教えてあげましょう。
=============================
生まれたときは
由紀子3???g
路子27??gの双子にしては大きい赤ちゃんでした。
でも、物心ついた時からすでに小さく、好き嫌い(食べ物)の激しい子供でした。
おまけに人見知りがすごーく激しい可愛くない双子だったことでしょう。
幼稚園の入園テストでは、母から離れると二人でビービー泣いてしまい3回目の再々面接で、廊下のすぐ横で父と兄
に見守られながらやっとOKがもらえたほどでした。

幼稚園に入り友達ができると、そんなのは吹っ飛んでしまい、小さいという劣等感から、運動はまけないぞーっという
負けず嫌いな性格が生まれ、お転婆な、髪型(当時は父が切っていた)もやる事もまさに双子のモンチッチでした。

小学校入学してから、二人ともすごく困ったことは、やはり、給食。
野菜というものがほとんど食べられなかったわたしたちは給食の時間が憂うつで・・・
残すと怒られるので、ポケットに隠して、トイレに流したりした、苦い思い出があります。
でも、卒業するころにはなぜか、給食大好きになってしまったのが不思議です。

3年生迄はお転婆な性格は変わらず、喧嘩したりもしてました。
でも、4年生での転向という環境の変化が二人を変えたようにも思います。
たった、道路挟んで隣の今の家に引越しただけの転向でしたが・・・。
知らない人の中に入る不安から・・・潜在的な小心者の部分かな?
でも、それは、よいのと悪いのと半々でしたが。
今まで、自分勝手に過ごしてきたのですが、人の事をすごく気にするようになりました。
相手がどう思ってるのか、何を求めてるのか?っとか気をつかいやさんになってしまったのです。
周りからは、とても「優しい子」なんて言われ、また、双子で、運動ができることで目立ち、マスコット的存在になってモテて
しまったのです。
クラスのほとんどの男の子が好きなんじゃない?って言われるほど・・・(あのころは好きな人って一人じゃなかったけど)
でも、目立つ反面、いつも由紀子と比べられなんか自然と競いたくないのに競わなければならない状況に置かれてしま
いました。
でも、どちらかと言うと、由紀子の方がわたしよりやはりお姉さん。家でもわたしより聞き分けのよい素直な子だったので
父、母にも由紀子の方が好かれていると思ってました。
学校で、二人が同じ人を好きになった時も、由紀子が始め、同じクラスだったこともありますが、結果はやはり由紀子の
ことの方が好きだったようでした。

中学では早くも諦め、他の人が好きになってしまいましたが・・・。
晴れて、自分からわたしたバレンタインのチョコの人も渡しただけで満足してしまい、付き合おうと言われても何をしたら
よいか分からず、余計さけるようになって、結局おわり。
由紀子も同じく、付き合おうと言われた途端に冷めてしまった。 へんな双子でした。
わたしたちは意識しすぎる女の子だったらしく、男の子とはなしするなんて・・・・っというまさに昔の女の子でした。

比べられたくないねーって、二人とも思いながらも、中学では体操部の方が陸上部よりも盛んでおもしろそうだった
ので一緒に体操部に入りました。
あの当時、先輩ってこわーい存在で、
わたしたちは小かったから(なんと中一で139cm)、ドンドン先生に補助してもらって上達していったのですが、先輩の
目が恐くて、遠慮してたような気がします。
嫌われないように、目をつけられないようにいつも気にしていました。
今思うとホント無駄な神経を使ってなんてバカな・・・って思うのですが。
先輩が卒業していなくなると、思う存分練習でき、市の大会で入賞したり、県大会も出場できました。
でも、ここでも、由紀子の方がさすがお姉さんって感じで、県では平均台で入賞し、メダルをもらってるのをみて、羨ましくも
悔しくも思いました。
今思うと、技術というより精神的に、自分の方が下だったからだと思います。
高校は絶対違うところに行こうと二人で固く誓って勉強ではちょっとだけ上だった私は川和に。
由紀子は県鶴にって思ってた矢先に。
高校も体操やる?っという顧問の先生の勧めにわたしは思いっきり首を横に振りました。
嫌いではなかったのですが、体操はとても精神的に強さを必要とする運動で心の揺れがすぐ演技にでてしまい、怪我と
いつも背中合わせなのです。
あの緊張感がたまらなく恐怖に思えてました。
由紀子もやらないって言ってたのですが、先生の勧めに興味をもって、体操の道を選びました。
そして、体操に力を入れている、学区外の高校を選びました。

こうして今まで、ずうっと一緒だった私たちでしたが、高校からは、わたしと由紀子が違った道を歩きはじめたのです。
ちょうど切りがよいのでこの辺で。
続きはまたそのうち・・・。


7月18日


路子の昔の話、面白かったぞ。なかなかいーねーこのシリーズまた、第2弾、第3段とやろうな。
しかしながら、恋愛の話はいくら過去とは言え嫉妬していまうので、それは知らなくても良い過去の事としたいと思います。

早いね、またあっという間に一週間がたってしまったな。
路子のボリビアに来るまでの週末は今回を含めてあと2回のみ。
そう考えると、ちょっとあせるだろ? 旅の仕度は順調ですか?
自分の仕度よりも俺の頼んだ荷物の用意の方が大変だろうけどよろしく頼むな。

奈津美ちゃんの祝電の件、どうもありがとう。路子があの文章をモジモジしながら読んで申し込むのを期待してたのだが、FAX
で申し込むとは賢い方法を使ったな。

俺の期待していたストーリーとしては
____________________________

路子 「電報を申し込みたいのですが・・・」
相手 「では内容を言って下さい。」
路子 「ムーチャス・フェリシダーデス・・・・・・」
相手 「はー?ムーちゃん 下痢、死にそうです?」
路子 「いえ、ムーチャス・フェリシダーデス・・・・です」
相手 「はー?何ですかー?それ日本語ですか」
路子 「スペイン語です。」
相手 「それならそうと最初から言ってくださいねー。」
    「最近は日本語だか、何語だかわからない、コギャル語って
    いうですかー、あれが多くて大変なんですよー。」
路子 「すいません。(何も路子が悪い訳でないのに謝ってしまう。)
相手 「ことろで、それってどういう意味ですかー?」
路子 「??? 結婚おめでとうだと思います。」
相手 「そんな、はっきりしない事では困りますね。責任もって発言して下さいよー。」
路子 「すいません(お客なのに、路子の方が腰が低い)」
相手 「では、もう少しはっきりしてから、また連絡ください。」
路子 「すいません、そうします・・・・・。」

電話を切った後、ボソボソひとり言をつぶやく路子であった。
_____________________________
こんなやり取りを期待したのだが・・・。
これは、極端だとしてもモジモジ照れながらあの文章を読む路子を期待してたよ。

出発まであと14日?


7月17日 日本→ボリビア


ほんとあと、もう2週間でボリビアへ旅立てるのですね。
今日は旅支度をしました。
おっとその話をするまえに、
電報のこと、声を出さずにはいられないほど笑ってしまいました。
わたしは、善人と出会ってから、いつも自分では思い付かないようなことを言ったり、やったりしてくれるので、
密かに楽しみにしていました。
きっとおばあさんになったら笑いしわがいっぱいできちゃうと思うけどよい?


7月19日 日本→ボリビア


今日は一日家にいて、
パンを焼いてみました。ボリビアで作ろうと思ってるアニマルパン:あんぱんまん、ドラエモン、キティちゃん
カメ、カタツムリ、ゾウ・・・ETC

中にクリーム状のものを入れるのはきっと子供ではむずかしいので、市販のキットカットやナッツチョコを入れ
てみて、実験しました。
食べるのがもったいないくらいかわいかったけど、中身の違いをみるために次々半分に切って食べていってたら、
ちょっと苦しくなってしまいました。
昨日遅く寝たのに目が覚めたのが5:30でそれから作っていたのでとても時間的に余裕がある一日でした。

ごろごろしながらボリビアのガイドブックを読んだり、うちに$がすこし余ってたので、母にだしてもらったり、
もう気分は出発一日前でした。

明日は、午前中YBCの勝ち!試合を見に行った後、夜は、久々に家族みんなが集まります。
下の兄の初ボーナスでみんなにおごってくれるようです。
っと言っても、わたしが「小さい兄ちゃんの初ボーナスで食べに行こう!」っとはりきってカレンダーに予定を書い
たから行くことになったのですが・・・。
初めは、両親とわたしの4人でって思ってたのですが、幸か不幸か、その日に限ってみんな参加でき、おまけに従
兄弟も来ているので全部で9人。
それでは、あまりに兄のフトコロが傷むので、わたしも責任とって、出資する事にしました。

久々みんなでワイワイ食事ができるので楽しみです。


7月20日 ボリビア→日本


今日は昼間以前撮ったバレーリア(昨年11月に生まれたばかりの赤ちゃん)の写真を渡しに前のホームステー先
へ昼食を兼ねて訪問した。
俺の病気の事を心配してくれていたので、元気になった顔を見せに行く意味もあった。
門のところでジャック(犬)が出迎えに来てくれた。
ホームステーしていた時は、ココという俺にとてもなついてくれていた犬がいた話はしたことがあったと思うが、まだ2歳
ぐらいだったのだけど俺が5月にサンタクルスへ隊員会議に行って戻ると、死んでしまっていたのだった。
いつも俺の部屋にいたり、一緒に寝ていたりしてたからチャッピー同様にショックだった。
ココは前から調子が悪くて俺も何度か病院に連れていってあげたりしていたのだが、チャッピー同様、俺の前では死なな
いようにがんばっていてくれたように思えた。
ココはいつも俺のそばにいたし、俺もココを可愛がっていたからジャックは俺にはあまりなつかなかったのだけど、今はとても
なついてくれて犬にもやはり嫉妬のような感情があったのだと思っうのだった。

昼食の後、久々という事でみんなでトランプをして遊んだ。
ジャックに朝から何も餌をあげていない事に、イバンが気づき残り物がなかったためハンバーグを焼いて餌として与えたの
だけど、その時のジャックの反応が面白くて腹を抱えて笑ってしまった。
ジャックとイバンの会話を路子にも話すことにしよう。

イバンがハンバーグを焼いて皿にのせてジャック前に出して
「ほーらジャック、餌だ。」
ジャックはそのハンバーグを見て、目をパチクリさせる。
イバンの方を見上げて目を輝かせながら
「えっ これ おいらの飯?」 と ジャック。
「そうだよ、ジャックのご飯だよ」 とイバン。
さらに目を輝かせ、シッポをふるジャック。
「今日はおいらの誕生日かい?」とジャック。
このやり取りを聞いて大爆笑してしまった。もちろんジャックが話す訳がない。
イバンが話した冗談。 トランプをしながら何度も思い出し笑いするほど俺の笑いのツボをつく冗談でだった。

トランプが終わり、俺の大好きなレモンをもらおうと思ってエマにレモンはあるかと聞くと木にはあるけど手持ちがないという
ので、今日は俺が収穫することにした。家の屋根に登り木の枝を手でかき分けながら熟したレモンを探してもいだ。
レモンの枝はバラと同じようにトゲがあるので収穫が終わり気づくと、体中にひっかき傷ができていた。
20個ぐらい取って5個だけもらうことにした。
夕方からイバンがサウナに行こうと言うので、一緒に行くことにした。
前に一度、ボリビアでサウナに行ったことがあったのだが、スチームサウナで、しかも温度もぬるく俺の大好きな日本のサウナ
とは違っていたので、その後サウナに行こうとは思わなくなっていた。
しかし今日行ったサウナは部屋の中に蒸気機関車の燃焼室のような物があり日本のように100度近い温度でものすごく汗をかく
ものだった。
サウナで限界まで耐えて、外にあるひんやり冷えた水風呂に入る。
久々にあの懐かしい快感がよみがえった。ボリビアの露天風呂ならぬプールでのぼせた頭を冷やしながら空を見上げるとピンク色
に焼けていた。
サウナの後、またホームステー先に戻り夕飯までご馳走になってしまった。
その時、路子の話題が出て、食事は路子のために何を作って欲しいか聞かれたので、特に好き嫌いはないので、ネズミとか
コウモリとかトカゲとか普通の物で良いですと言っておいた。
健康食が好きだから、ミミズのハンバーグなんて好きだと思いますと気を利かして言っといたよ。


7月20日 日本→ボリビア


勝ったよー!!!
YBCが初めてブルドックスに勝ちました。 10−8!!!
今日は、わたしも初めて最後までスコアをつけたので初、初が重なって余計うれしかったです。
きちんとつけられたかは???ですが・・・。
今日は、いつも来ている、山本さんや篠原さんあきらさんが欠席だったにもかかわらず、打率もよく、3回には8点
をとりみんな絶好調でした。
特に小野さんはランニングホームランを打ってくれました。守りも古田さんが相変わらず、鋭い球を投げきってくれて、
最後はライトフライをレフトの健二さんが横から走ってとってり、とったあと、回転してファインプレーでかっこよく試合終了。
梶原さん曰く、最後回転するかどうか一瞬ためらってから回ってた。っと言ってましたが・・・。
きっと、今ごろ、あおいちゃんに喜びの報告をしていることでしょう。

そうそう、もう蒼いちゃん歩くようになったそうです。 早いですね。
だいぶ女の子らしくなってかわいくなっていましたよ。


7月21日 日本→ボリビア


昨日は夕方から、家族で食事をしに行ったあと、家族で花火を墓地に見に行きました。
南米から善人にも、みえそうなくらい大きい花火でした。
やっぱり花火はなんか心が落ち着きます。 善人帰ってきたら絶対見に行こうね。
そして、家族がみんな帰ったあと、わたしも山本家に顔を出しました。
久々に山本家に康二さん、小野さん、篠原さん、あきらさん、古田さんが集まっていました。
みんなは山本家から花火が少しみえるということで7:30ころ集まっていたようで、わたしが行ったころ
には特にもう山本さんは赤い顔をしてご機嫌でした。
やっぱり大勢集まったほうが山本さんも嬉しいのでしょう。

いよいよ、わたしもボリビアへ行くということで山本さんが気を付けてねって心配してくれました。
おおかみに襲われないように。。。って。
なんのことかと思ったら、おおかみは善人のことでした。
古田さんは南米版”Tバッグ”を買ってきてと言ってました。
善人に選んでもらってくるねって言っておきました。だからよろしくね。

容子さんが行くまえにご飯を食べに行きてと言ってくれてるので来週の水曜日におじゃますることになりました。

家族にも気を付けてねって言われ、みんなに応援されて、余計ワクワクしてきました。
ほんと後2週間もないんですね。


7月22日 日本→ボリビア


おはよ  良く寝たか?  5時頃目が覚めちゃっているような気がするからモーニングメールだ。
そわそわかー。 仕事はがんばる必要ないけど気持ちが落ち着かないというのは、不安定だろうから、
あんまり続くと疲れちゃうだろうね。特に路子は。

でも毎日が、より楽しくならないか? 俺は旅の前はいつもそうだった。
目標があるっていうのはエネルギーになるっていうか、マラソンのゴールまであと少しとなった時のように。
うかれて空回りしがちなんだけど、そんな事、気にならないぐらいにね。
俺の出発前の慌ただしさを見てみろ、あれほどのすさまじいのはそうはないぞ! 
研修終わってからは毎日、地が足に付いてなかったよ。
まー、そわそわ、わくわく、出発前の日々を楽しむことだね。


日本→ボリビア


モーニングメールをありがとうございました。 モヤモヤしてたものが少しとれました。
今日はよく寝たし、元気に会社に行けそうです。

ワクワクしすぎて、ワクワクするばっかりで、何をしたらよいかわからなくなってしまっていたようです。
それでちょっとフアンだったり焦ったりしてしまったのでしょう。


7月23日 ボリビア→日本


一つほっとしたことが今日あったので取り急ぎ報告です。
それは俺の健康についてです。
こちらの病院の検査結果をJICAボリビア事務所から日本の顧問医師へ送付した結果の連絡を今日ラパス
から受けました。
さてその結果ですが、ボランティア活動継続はOKの連絡でした。
場合によっては日本へ強制送還ということも考えられたので良かったです。
しかし、やっぱり禁酒命令と食事制限という条件付きで、人生の楽しみの半分以上を奪われた感じです。 
でも今がんばれば治るそうなので、考え方をかえて病気を完治させるための2年間と思うことにします。
医療担当者いわく、ボランティアという良いことをしているのに、その間に体を壊すという事はもったいない、それが
一番心配だそうで、検査を引き続き1ヶ月毎に定期的に行うように言われました。
だだ、ふりだしの戻っただけなので、より自分の体を意識して生活するようにします。


ボリビアだけでなくスペイン語をはなす人々の間で使われる面白い表現を紹介しよう。
くしゃみをした時、その人に「サルー」と言います。
これは日本語に訳すと「お大事に!」といった感じだと思う。
面白いのは、バスなどに乗っている時、くしゃみをすると見ず知らずの周りの人が「サルー」と言ってくれます。
それに対して「グラーシャス」とお礼をいうのも習慣なのです。
更に続けて2回くしゃみをすると今度は「ディネーロ(dinero,お金)と言われ、更に続けて3回くしゃみをすると
「アモール(amor,愛)と言われるのです。
面白いと思わないか? 俺はこういうやり取りは大好きで南米らしくて好きだ。

英語もそうだけど、スペイン語には会話の受け答えのようなものがあり、一番簡単
な例だと、    Thank you! You are welcome.
スペイン語だと  Gracias!   De nada.      です。
日本人はこのような受け答えが上手でないように思えます。
日本語でまず、「ありがとう」に対して「どういたしまして」と決まり文句として当たり前のようには返せないと思いま
せんか?「ありがとう」 「うん」 「はい」 といった返事で返す方が多いよね。 
だから日本人は最初は「Gracias!」と言われても「De nada」が返せず、笑いながら頷くか、「Si」と言ってしまうのです。
これは大げさにに言えば文化の違いだから、路子も予備知識をして頭に入れておいてください。

今日は夜、家の中で面白い生き物を発見しました。何だと思う?
クモは10匹ぐらいいます。ネズミは天井裏でたまにゴトゴトしています。
蟻んこは列を作って、甘い物を嗅ぎ付けて来ます。 そんな事は日本でもある事で、ボリビアらしいと思う物が部屋に侵入して
きました。それはスペイン語だと、、、、、escorpionと書きます。英語でもこの言葉にとても似ています。スコーピオン、そう
サソリが部屋に入って来たのです。刺されなくて良かったと思ったら急にそいつが可愛く見えてきて捕まえて飼うことにしました。
しかしサソリって何を食べるんだ?
キュウリでもあげておけば良いのかな?肉食か草食かといったら肉食っぽいよな。
名前は何にしよう? 一緒に考えよう。

では、候補を色々あげて、その中で良いのにしよう。 まずは俺から、 Qちゃん、サッシー、サソリッチ、太郎、ポチ、たま、
キャサリン、バンセル(ボリビアの大統領の名前)、みっちゃん、ブギブギ。
路子も最低10個はあげてくれよな。 


日本→ボリビア


さっちゃん、ソーリー、ソリリン、おぶち(日本の総理大臣:今日決まったばっかり)
よしみ(二人の名前をとった)、てるみ、ちゃっぴー、チャーリー、がっちゃん、てんてんちゃん・・・
こんなもんでどう?

何をたべるのかな?いろいろ置いてみるとわかるかな?
善人が食べられちゃうかもよ? でも、ほんとに刺さない?ちょっぴりおそろしいな。
夜逃げ出して刺されないように注意してね。

やっと今週が終わりました。
関東は未だ梅雨明けしておらず、今週も雨が多かったです。 明日も雨。
明日は、善人の家に行って、経営学の本をとらせてもらおうと思います。


7月25日 ボリビア→日本


本日未明、サソリのおぶちさんが亡くなりました。現在、その原因を究明中ですが、隣人の話し
によると先日命名された「おぶち」という名前に対してかなり悩んでいた模様。
おぶちという名前をつけられたことから自分の命が短命だと悟り自殺をしたのではないかという意見
が有力である。尚、名前の命名者は平原路子さん(24)で、「こんなことになるとは?」と遺憾の念で
ショックを隠せない模様。

おぶち:ボリビア、コチャバンバ州に生まれる。
享年1日。

おぶち政権も過去最高の短期政権になるとマスコミでは予測している。
(7月24日、13:00 YBCボリビア新聞)


日本→ボリビア


やだー、わたしが殺したみたいじゃない???
でも、かわいそうに・・・。
ほんとショックで寝込んでしまいそう・・・。(いつも寝てるけど)
サソリのおぶちさん、御冥福をお祈り申し上げます。


7月25日 日本→ボリビア


今から3年以内を目標に路子はパン屋かパン教室を始めなさい。

だから、これから具体的なイメージを固めて行くこと。
どういうスタイルのパンを作りたいか?
何か柱となる他の店と違った特徴、コンセプトを持って欲しい。
頭の中で漠然と考えているだけでなく、思い付いた事を紙面上に残していくように心がけること!


日本→ボリビア


パンの道へ進むにはこれからしなければならないことを最近、考えていました。
飾りパンを習いはじめたのも、せっかくパンをやってるのだから形に残るものを・・・、そしてもしパン教室や
パン屋をはじめた時、その部屋飾りパンで飾れたらなーって思ったりもしました。
最近思ってたことは、パン教室ではホームメイド協会の指定分校としてだったら開けるというのが今の現状です。
協会のカリュキュラムにのっとった進め方でないといけないのです。
だから、授業料も決まってるし、教えてよいパンも決まっている。
なので、勝手に値段を変えたり、作るパンを変えたりできません。
それがちょっと不満な点かな?でも初めはこのほうがよいのかな?って。
あと、今、通っている教室では、オーブンもいっぱい置いてあるし、発酵機というものを使って発酵させているため、
費用とスペースがかなり必要なため、心配でした。
が、家で教室を開いている人の話を聞をきいてみて、今、家にあるもので、ほとんど間に合うようです。
なるべく、最初に投資をしなくて済むようにしたいと思ってるわたしにはこれも重要な点でした。
あとは、人数がどれくらい集まるかが?ですが、その案内を出したらもう始めないと行けないし・・・。

まず、会社を続けることができません。
これが今のわたしの一番のネックとなっているところだと思います。
これはパン屋をはじめるにも同じです。
今のわたしの技術では、家で手作りのパンを作る技術と、工程しか知りません。
一度に売るほどのパンを作るには、どうしたらよいかも???です。
きっと、大きい機械、大きいオーブン、が必要だし、人手もどれくらいいるのかがわかりません。

それを知るにはどこかのパン屋に行って、修行をしないといけないなーって思ってます。
そうすると、やっぱり会社は続けられません。
そんなの当たり前ですよね。
何かを始めるにはやっぱり捨てなくては行けない物が多かれ、少なかれ出てきますよね。
わたしの最も弱いところは、この失うことへの不安と勇気のなさだと思います。
それが、今回、会社という、5年も続けてきたわたしにとっては大きいものすぎて。先に進めないのでしょう。
前にも言ったと思いますが、会社の仕事が好きなのではないのだけれど・・・。
その、周りの、職場の人や同期と離れることに躊躇いを感じてるのかな?
いつか、辞めるのだからと思えばそうなのですが・・・。

善人に言われて、今気持ちがまた揺れているのは確かです。
でも、この話はちょっと中断してもよいですか?
これからわたしがどうしたいのかをもうちょっと考えさせてください。
今、考えると、どうしてかわからないのですが、苦しいのです。


ボリビア→日本


まず、何故今から俺がこんなことを言ったかというと、路子の性格を分かっているつもりであるからである。
そこで、3年という時間的目標を設定しました。
自信が持てるようになったから、始めるということが路子にできるでしょうか?
どこかでやはり、思いきらなければならないのではないでしょうか?
漠然とした物事を現実な形に絞り込んで行くこと、、、、これは路子の苦手な部分だとも分かっています。
しかしこれは俺の得意とするところです。
路子は何かを始める時は自信よりも不安の方が大きい状態で始めることが多いのではないでしょうか?
しかし、一度始めた事への集中力と努力、その実力はスゴイと思います。
路子にとっては、何となく始まっていたというのが一番良いのですが、残念ながらパンに関して俺から始める
ことはできません。でも後ろから後押しすることは出来ます。

今、路子が何ができるのか言えば、漠然とモヤモヤ頭の中にある物を、俺にもわかるように表現していっても
らいたいのです。
まずは、まとまった考えではなく、多くの発想やアイディア、コンセプトを出して欲しいと思います。 
今回の路子からの返事で、
「手作りの味を伝える。」
「保存料などを使わない、質にこだわったパンを作る。」
「小人数で家庭でできるパン教室」
という考えが聞けましたが、もっともっと表現して欲しいのです。

そして、まだ天然酵母に自家製の種を入れる技術は路子にはまだないという事が分かりました。
それが出来るようになるには3年では足らないのでしょうか?
3年という目標をもって勉強していけば、可能なのでしょうか?
つまり、自分のイメージと実力のギャップを3年間で埋めていってもらいたいのです。
何がしたいのか理想がなければ、埋めていくギャップが生まれないよね。

路子を追いつめてパン屋やパン教室を始めさせるつもりはありません。
路子の弱い部分を補っていくこと、チャンスを与えてあげること、これは俺の仕事だと思っています。

俺とせっかく出会ったのだがら、色んな事に挑戦して欲しいと思います。
失敗を考える前に、何がしたいのか主張してください。
明らかに駄目そうな事には俺はGOサインは出しません。
俺を説得してやりたいことをやるんだという気持ちでがんばってください。


7月26日 日本→ボリビア


昨日、結局チケットが送られてきました。
まえの日に会社に電話があり、もう準備できてるし、1日は混雑しているので送ったほうがよいのでは?っと言われたため。
チケットを確認したあと、時間も確認しました。
それによると、
サンタクルスには8/2の朝8:50に到着する予定です。 便名はRG884です。
初めから書くと、
RG835 成田 8/1 19:00発(日本時間)

サンパウロ 8/2 5:50(ボリビア時間)(待ち時間1:50)
サンパウロ 8/2 7:00

サンタクルス 8/2 8:50 (お迎えよろしくね)

です。

善人が前行ったときのフライトスケジュールと比べたら若干違うようでした。
それではサンタクルスにお昼ごろつくようになっていました。
今回はサンパウロでの待ち時間が少ないため、早く到着するようです。
あと、ロサンゼルスで一時着陸するとも書いてなかったのですが・・・。善人のときは一回とまったのですよね?

行きは早い分、帰りはサンパウロでの待ち時間が5:00くらいありました。
帰りは悲しんでるころだから、余計待ち時間が長いと寂しいかな? なんて、そんなこと今から心配してしまった。
行きが無事到着すればもう大丈夫でしょう。

コチャバンバから朝起きてサンタクルスに来れるのかな? ちょっと遠いよね?
寝坊しないようにどうぞよろしくお願いします。
もういよいよです。 今日は、荷物をダンボールに詰めはじめました。
来週の今日はもう空港ですね。


ボリビア→日本


メールでは良く分からないが、路子最近元気がなくないか?
旅行前にマリッジブルーならぬ、ボリビアブルーにでもなったか? 
パン屋の話でモジモジさせる前からそう感じたが、気のせいか?


日本→ボリビア


今日は家にいました。 善人の家には火曜日の夜、会社が終わってから行くことになりました。
月曜日までちょっと出かけてるようです。 善人のご両親もほんと仲がよいようですね。
野球も、今日は予定では午前中、緑園でしたが、昨日から雨が降り続いていたので中止だと思って、
特に連絡をしなかったのですが、お昼前に午後から三ツ池公園でという連絡を容子さんから連絡をもらって
迷ったのですが、午後由紀子もくると聞いてたし、何処もいかないと言ったばかりだったし、今週はなんとなく
家にいたい気分でやめてしまいました。
でも結局、野球はなかったようです。なんか手違いで試合場所が違っていて出来なかったそうです。
わたしが行かなかった理由は、たいしたことはないのですが、ちょっと口熱といって口に熱をもって腫れてしまって
口内炎にもなり、食べるのが痛かったせいもあるのでしょう。
でも、容子さんからも後から電話もらっちゃって
なんか元気ないみたいだったけど?って心配させてしまいました。


日本→ボリビア


今日、善人の家にもおじゃましてきました。
相変わらず、善人の部屋はきれいに片付いていましたよ。

本も机の棚に並べてあってすぐわかりました。

善人のご両親は善人の体のことをとても心配していましたよ。
そして「善人によろしく伝えてね」っと言われ、お餞別まで頂いてしまいました。
何かよいお土産ありますか?
ああー、とうとうジョアンナちゃんにも会えるのですね。
楽しみです。
でも、わたしに人との触れ合いができるでしょうか?
ちょっぴり不安。
でもジャエスチャーもあるしね。
今日は早く寝て、明日は山本家でごはんを一緒に食べてきます。
あまり遅くならないようにしようと思います。


スーパー遠距離恋愛へ戻る












テレワークならECナビ Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!
無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 海外旅行保険が無料! 海外ホテル