5月1日 ボリビア→日本
Tengo dolor de cabeza.
頭が痛い。ただの二日酔い。
今日5月1日は労働者の日ということで祝日です。
昨日の晩は会社で、勤続者の祝典をするための大きなフィエスタをしました。
楽に300人はいたと思う。ふだん仕事では会わない人と知り合いになるためテーブル全部を周ったんだけど、
その度乾杯してたら過去にない酔いをしていまった。
大学の時に日本酒一升瓶半分を一気させられて意識がもうろうとした時以来の酔っ払いぶりだった。
朝まで続くそのフィエスタも2時ごろには、もうろうとしながら、これは本当にマズイと感じ千鳥足でタクシーを拾っ
て帰ったのであった。
朝起きると、口を開けて寝たのだろうか喉は痛いし、頭は痛いし下痢はすごいし、せっかく3連休の出だしは最悪
になってしまった。
昨日はやっぱりかなり酔っ払っていたようで、ホームステー先のママのエマに、夜中に帰ってきた時に
「ヨシなの?」
って声をかけられた時、「ヨシじゃない、ヨシじゃない」と言っていたらしいが覚えていない。
でも、もうろうとしながらもスペイン語を話してしたのかな俺は?
5月2日 ボリビア→日本
昨日の夜は、新しい新居に契約に行った。
今のホームステー先のママことエマと一緒にいったんだけど、ボリビア人の目から見ても大丈夫という事で、
今の下宿は5月15日までで、引越しは16日(土)に決まりました。
庭がある家だから、俺も花や野菜でも育てようかな?
今の家族に日本語での当て字を頼まれて考えています。
ママの エマは、、、、、、 「絵馬」
パパのエドワルドは、、、、 「会度悪人」
イバンは、、、、、、、、、、 「偉挽」
長女ヒメナは、、、、、、、 「姫女」
ヒメナの旦那さんフェルナンドは 「富得留男人」
赤ちゃんのバレリアは 「葉澪莉有」
次女のカルラは 「歌流等」
今日は、土曜日なのでエドワルドのパパのドン・ペドロやもう結婚して家を出たヒメナと旦那のフェルナンドと
赤ちゃんバレリア(6ヶ月)が昼にに来て長めの昼食をしました。
バレリアも俺の髭をなぜては、以前は泣いていたけど最近は泣かなくなりました。
夕方から、買い物の後、公園でボーっとして、町を歩いていると小さな映画館で路子が見た、ボリビアではもう
終わってしまったかと思っていた、タイタニックがやっていたのでぶらりと入りました。入場料は250円でしかも
ブームは過ぎたみたいで、場内はガラガラで中央の最高の席にポツンと一人で座って見れました。
5月5日 早朝 日本→ボリビア
ただいまー。
善人、元気でしたかー?
車中1泊、民宿2泊、テント3泊の旅からただいま無事戻りました。
怪我は虫さされ1つのみ。
疲れはまだかんじてません。
楽しい思い出がいっぱいできました。
取り急ぎご報告まで。
ボリビア→日本
お帰り、路子。良く遊んだみたいだな。
おっ テントかいいなー。今は一番良い時期だろうね。
そうだね。最初にテント買う時、路子に自転車旅行に良いのではと思って、共同出資しても
らったんだから、多いに使って下さい。
> 怪我は虫さされ1つのみ。
> 疲れはまだかんじてません。
> 楽しい思い出がいっぱいできました。
それは、良かった、良かった。
最近は少し遊び方も安定してきたようで、俺も安心して放任していられるよ。
前は、自転車乗れば怪我して、それが全然なおらないで、終いには熱射病で入院までしたのを
見てたから、心配しないほうが難しかったけど、今は大丈夫だなと思える。
トラブルがきっと自分を強くしているんだろうね。
俺も、実はトラブルだらけの人間でした。でもトラブルとかで動揺してしまう自分を何とかしたいなと
いう気持ちだけは何か強かった。
オドオドしながらしていた一人旅でトラブルもたくさんあったけど、何とかして無事帰ってくると、それが
逆にだんだんと自分の自信になっていきました。自分の弱点を認めて、それを意識して行動できるよう
になると、逆に自分の力に変えられると俺は思っています。
今も、自分がなさけないなーと思う事があると、そういうのをなくしたいなーと、その繰り返しです。
5月5日 夜 日本→ボリビア
只今、田中家より帰ってきました。
うちの父は酔っ払ってすでにソファーで寝ています。
でも、両親共々、顔あわせができてホッとしたようです。
うちの父が飲みすぎるから善人のお父さんまで一緒に付き合わせてしまい、体が悪くなるのでは?っと
心配してしまいました。
堅苦しくなくよかったと思います。 善人の手紙もしっかり読んできました。
みんな笑いながらもとても嬉しそうでした。
善人のお母さんの煮物やサラダとてもおいしかったですよ。
善人はお母さんが料理をしないと言ってましたが、それどころか、わたしも習いたいくらいでした。
また善人が帰ったらみんなでお食事しましょうということで終わりました。
ボリビア→日本
とりあえず、5月5日とういう日が終わって良かった。
こういう事って、すごく気を使って疲れることのように思えるのだが、路子なら上手くやっているだろうと安心して
、時差の中、熟睡していられました。
俺が寝ている間に、そういう出来事が終わっているいるというのも、不思議な感覚でした。
まー、とにかく、俺がいない中、本当にお疲れ様でした。
コメント
この日は、私の実家で彼女の両親を招いて食事をしたようです。 ボリビア出発当日に結婚するという報告をしたの
で、親同士の顔合わせがまだだったのです。そこで親同士がせめて挨拶だけでもという話になり、この会が行われ
ました。通常こういう会はガチガチになって、みんな疲れてしまうものだというイメージでしたが両方の父親が意気投
合し飲み会が盛り上がったようで、二人ともベロベロになったそうです。
こんな中、私はボリビアで高いびきで寝ていたわけです。 楽させてもらっていますねー。感謝、感謝!
5月10日 日本→ボリビア
今日は、またYBCの応援に行ってきました。
14:00から緑園で練習して17:00から19:00まで三ッ沢球場で試合をしたのですが結果は2−10
くらいで負けてしまいました。 最近みんな勝てず、悔しそうでした。
ちょっと盛り下がっている状況です。
でも、山本さんがみんなに声を出して行こうとか、カバーに入るようにしようとか、一生懸命みんなを盛り
立てようと頑張っています。
来週こそは勝てるように善人も祈っててください。
あと、今日は母の日だったので善人の家にもこの間のお礼を言いに顔を出しました。
カーネーションとパンを持って行ったらとても喜んでもらえました。
みんな元気にやってます。
コメント
1997年度は神奈川区民大会で順調に勝ち進み、準決勝まで残ったのですが、このシーズンは試合を
やったと聞けば負けたという話ばかりでした。
やっぱりホームラン王兼得点王の不在って大きいのかな?(ちょっと嬉しいような・・)
5月11日 日本→ボリビア
5月10日は母の日だったんだね。 そういうのってもう何年も忘れてしました。
俺の母親にパンとカーネーションなんて、男家族でずっときたおふくろには、
そうとう嬉しかっただろうと思います。 どうもありがとう。
久しぶりの会社でした。リフレッシュした気分で元気に出社しました。
やっぱり遊ばないとだめだなと今回の旅行で思いました。
「思いっきり遊ぶ人は、何に対しても一生懸命できる」
それが持論である自分ですが、今回の
他の隊員の話を聞いていると、もっともっと上手く遊んでいる人がいるんだって感じました。
仕事に関しても、何か肩の力が抜けた感じで、ただ仕事をして問題を解決して結果を残すのは
日本でもできるので、ボリビアでは、楽しみながら仕事をする事を学ぼうと新たな視野をもって仕事
することにしました。
今までは机のパソコンに向かって書類を作成する事に多くの時間を費やしていたけれど、資料を作成
しながら、これからは休憩がてらチョクチョク他の課や知ってる人のいる所にいって世間話をしてサボる
事にも時間を費やそうと思ってます。仕事で実績を残すことだけでなく、人としてみんなに愛されたらなー
と思っています。
コメント
サンタクルス隊員会議から戻った後のメールでした。 詳しくはこれを読んで下さい。
5月14日 ボリビア→日本
ボリビア禁酒日記 第1日目
朝、会社に行くと早速酒の誘惑が待ち構えていた。美味しいラム酒を買えるという話だった。
昨日から禁酒をしていると説明して断った。
ボリビアでは、食べ物に寄生虫がいるからそれを殺すためにアルコールは飲んだほうが良いと、
さらに誘惑が入る。 昨日、ドクターから禁酒命令の電話を受ける前、昼にビールを飲んだが、
それからは仕事の後も飲まなかった。
良く飲みにいっていたメキシコ料理屋の前を素通りして、その近くの美味しいワインとチーズの売っ
ている店の前からバスに乗って家に7時に帰った。7時に家に帰ったところで家族は誰もいなかった。
お腹がとてもへっていたので、直ぐに何か食べたくて、冷蔵庫の中をのぞいても何も入ってなかった。
いつもなら、こんな時、近くの串焼きステーキ屋に一杯引っかけにいくのだが、パンとチーズでその日
の夕食は済ませた。昨日部屋で飲んだ缶ビールが半分ほど残った状態で机の上に置いてあった。
中身を流し、缶をごみ箱に捨てた。
急に病人になったような気になった。時々痛む腹の部分も肝臓であるように思えてきた。
全体的に体がだるいのは年のせいでなく肝臓のせいなのか。
「酒を止めて長生きするぐらいなら、酒を飲んで早死にしたほうがましだ。」 酒飲みの論理が頭をよぎる。
肝臓が悪いのは、完全に家系の遺伝であり、父親もまたそうであった。
禁酒を3ヶ月してみて、その後に再検査をして状態を見るという事だった。
なんか、執行猶予付きの囚人のようだ。
もともと悪いのは分かっていたが、改めって言われたのは、やはりショックであった。
でも健康あっての遊びだし、健康あってこそ、ボリビアにいる事ができるのは確かだ。
とりあえず、目標3ヶ月、禁酒に挑戦することにする。
日本→ボリビア
肝臓とても心配です。
健康であってこそ、仕事も遊びも充実できるものですよね。
お願いだからお酒を我慢してください。
お酒を止める方法、うーん。
わたしがお酒はを飲みたくなるのはその場の雰囲気に左右されるので決して一人で
飲もうと思ったことがありません。 なので、善人が止めなければいけない辛さを同じ
ように感じることが難しいのです。
同じ立場で考えるとすると、わたしがパンを食べることを止めることかな?
いや、もっと大変なのでしょう。
善人は以前、痩せようと努力してそれを達成することができましたよね。
何か目標をみつけてそれをいつも忘れないようにしておくとよいのでは?
あとはお酒を飲む時間(夜)はできるだけ早く寝て早起きにすれば少しは誘惑から逃れら
れるのでは? 朝に楽しみをみつけるとよいでしょう。
善人のお父さんも、3月にドクターストップでお酒を控えているようです。
ガンマージーティーピーの数値が悪いとかで・・・。
うちの父も同じ時期にストップがかかりました。 父は1ヶ月全く飲みませんでした。
自分の体はやはり自分でコントロールしなければ誰も押さえられないのでしょう。
これから先まだまだ人生は長いのですから体を大事にしてくださいね。
5月17日 ボリビア→日本
ようやく引っ越しが終わって落ち着きました。引越しの日をSabado(土曜)とDomingo(日曜)
を今だにどっちがどっちだか混乱してしまうので、自分では土曜のつもりでしたが、日曜と言って
しまったようでです。大家さんがいなくて引っ越しが遅くなってしました。
ホームステー先の家族のワゴンで引っ越しを手伝ってもらいました。
ホームステー先のママこと、エマが、これを持っていきなさいとダンボール箱をくれたのですが、
開けてみると、ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ、インゲン、チーズ、卵、砂糖、塩、紅茶、お皿、コーヒーカップ
、スプン、ナイフ、フォーク、ナプキン等が入っていて、一つ一つ出す事に、涙があふれてきました。
そして電話もくれて、チーズがあるから、冷蔵庫にちゃんと入れなさいと、、ホームステー先にはフローラという
まだ15歳のお手伝いさんがいるんだけど、この子は俺の話にいつも涙を流して笑ってくれて、昨日は、
「YOSHIいかないでしょ?、なんで行くの?」とダダをこねられてしまいました。
とても良い家族に恵まれた事に改めて感謝しました。
こんな感じで今日一日が終わりました。
日本→ボリビア
明日は常安家に泊りに行ってきます。
なので自宅のメールをみるのは火曜日の夜(日本時間)になると思います。
それでは、避暑地での生活を楽しみにしてます。
あと、エマ ママが下さった野菜たちできちんと栄養とってくださいね。ホントよい方ばかりで幸せですね。
みんなと別れちゃったのは寂しいけとそんなに遠くないのですよね。
またちょいちょい顔だせるくらいなのかな?
そしたらフローラちゃんの笑顔もまた見れますよね。
コメント 常安家とは、双子の姉のユキちゃんの新婚家庭の事。
5月18日 ボリビア→日本
今日は朝から路子から電話が入って元気な一日でした。
午前中は市場に行って、毛布、トイレットペーパー、便所を洗う道具、調味料入れ、ドンブリ、部屋の入口に
引くマット、テーブルクロス、電気のアダプターを買い、昼はエマの所で送別昼食をして午後また市場に行き、
枕2、シーツ、ベットのカバー、ごみ箱、洗濯用バケツ、濡れた食器入れ、ボール、スポンジ、洗剤、コップを
買いました。
更に一度家に荷物を置いて、今度は食料品の買い出しに行き、醤油、マヨネーズ、粗引き胡椒、油、ケチャップ
、ラーメン、ピクルス、缶詰め、オレンジジュース、コーラ、キャベツ、長ねぎ、ウインナー、鶏肉、トマト、スパゲッティ、
そして焼き立てのパン(ここのはすごく旨い)を買いました。
主婦は大変なんだなーと思いました。本当に疲れました。くたくたの体で料理をしました。
サンタクルスに行った時、芸出しの景品でもらった日本そばをゆでました。まだ包丁もまな板もないので、キャンプの
時のようナイフで長ねぎをきざみ、生卵ものせて食べました。
食べ終わったあとは、今度は洗い物をしました。
洗濯もしなければならないのですが、もうそんな気力はありませんでした。
自分はだらしない性格なので、逆にすごくそれに注意して清潔に几帳面にと心がけようと思っています。
そうしないと大変なことになってしまうからです。
日本の6畳の部屋ですら足の踏み場もない程だった俺が、同じ事をここでしたらいったいどうなってしまうのか自分でも
想像すると恐ろしいです。 俺の決意が継続するように路子も応援して下さい。
路子から電話をもらった後、山本夫婦から電話がきました。
俺がいなくなってから、みんな家に来なくなったといってました。
青木とも話して、自分がみんなの近くにいるように思えました。
国際電話なんてかけちゃったら、山本家は当分肉は食べれないだろうなーと心配してしまいました。
5月19日 ボリビア→日本
風邪が悪化してしまった。昨日は寝袋生活から脱出し買ったばかりの毛布で寝たのだけれど、
明け方、寒さで目が覚めた。肩と足の先が冷え込んでしまっていて体中に寒気が襲う。
もうボリビアは冬を迎えようとしているようだ。
でも季節が全然わからない。日中は半袖で充分なほど暖かいが、太陽が沈むと急に冷え込む。
それでも、半袖の上からフリースを着れば寒さを感じる事はない。よく分からないのは明け方の
冷え込みである。寝る時は毛布一枚で充分なのに、明け方はそれではしのげない。よく考えて
みれば、今は富士山の八号目の秋といった所だから、そこに毛布一枚でキャンプしたようなもの
だから風邪を引いても当然だった。
新居は窓が多く明るい分だけ、前のホームステー先より冷えるようだ。
そんな訳で、昼間であるのにベットの上で鼻水をすすりながらメールを打っている。
少々体調が悪いので、会社には行かなかった。
オレンジジュースにパンにチーズを食べ、体を温めるためお湯を沸かし、路子からもらった味噌汁を飲んだ。
寝袋にくるまり、その上から毛布をかけてるけど寒気が取れない。
パブロンを飲んで一日寝れば治ると思うから心配無用。
日本→ボリビア
一人暮らしをはじめて最初に風邪なんて・・・辛いですね。熱などが出たりしないとよいのですが・・・。
やはりきちんと毛布とあとかけ布団は備えて置いた方がよさそうですね。
暖房設備はあるのでしょうか?それほど必要ないのかな?
風邪だからと油断しないで、お大事にしてくださいね。 これを読む頃には回復してるとよいのですが・・・。
今日は夜、会社から帰ってきてから田中家に行ってきました。
っというのも協力隊の方から視察旅行の案内が届いたようでそれをわたしに参考にみてみてら?
っとわざわざご連絡をもらったので、ちょっとお邪魔してもらってきました。
とても私がボリビアへ行くことを心配して下さってました。
5月20日 ボリビア→日本
だいぶ調子が良くなった。
今日も会社には休みをもらった。仕事に行けなくもなったがもう一日休みをもらって、布団などの身の周りの
物を買いに行く事にした。
昨日はろくな物を食べていなったので、朝、腹がペコペコだった。サルテーニャ(肉まんみたいなやつ)を買っ
て食べた。
その後市場に行って、布団らしき物を買った。この国には布団という物は存在しないらしい。
寒い場合は毛布を何枚も重ねるようだ。だから俺の買ったのは厚手のベットカバー。
毛布ももう一枚買って二枚になった。
あと、金物市場に行って、鍋、フライパン、包丁等を買った。
米も買った。帰って来て、早速、鍋で米を炊いてみた。
もちろん、うまくいった。まだ、米炊きの腕は衰えていないようだ。待ちに待った、炊き立ての米で、塩ウニと塩辛
を食べることにした。密閉された瓶を開いて、ウニをご飯の上の乗せて食べると、それは、まさしく本物のウニであった。
インチキなダイダイ色のウニクラゲとは訳が違う。口に中のウニの香りを味わうために、鼻のほうに空気を送る。
美味い、うまーい。もったいないので、少しだけ食べた。
コメント
ウニは私にとって一番の大好物である。しかし海のないボリビアにウニがある訳がない。そこで、彼女が日本から
塩ウニの瓶詰めを送ってくれたのだった。 ホームステー先の家族は日本食が送られてくると何でも食べたがるので
この塩ウニだけは密かに隠しておいたのだ。そしてこの日、いよいよこのウニの瓶開けたのだった。
5月23日 ボリビア→日本
昨日の地震の関係で、色々今日は大変だった。
JICAや日本大使館からの生存の確認やら、会社の国際部や前の職場へメールしたり、
他の国の隊員からメールが殺到したりと、、、、。
ニュースなどを見るにしたがって事態の深刻さに驚いた。
ボリビアは地震がほとんどないので、建物は耐震構造にはなっていないため、被害が大きくなったと
考えられる。幸い俺は、平屋の一軒家だったので大丈夫だった。
ボリビアでしかも同じコチャバンバというのも凄い話だよね。
昨日のNHKのニュース、読売新聞の国際欄で取り上げられたらしい。
まだ、たまに少し揺れたりするが学者の話だと、もう大丈夫との事なので、安心してください。
俺の親は多分ニュースには無頓着なので、気が付かなかったとは思うが、もし騒いでいたら生きている
と伝えておいて下さい。
日本→ボリビア
おうちが丈夫でよかった。
でも、また来るかな?
今日帰ってからもメールみるので無事かどうかだけでもご返事ください。
メールが途絶えると心配なので・・・。
こちらにはまだ情報が入ってないようです。
っというかわたしもTVや新聞をまだよくみてないので・・・。
これからみてみます。
コメント
ボリビアにて過去2番目に大きい地震がこの時発生しました。
参考までに以下は、この件に関して毎日新聞で報じられた記事です。
下記は毎日新聞から抜粋したものです。
参考にしてください。
ボリビアからの報道によると、アンデス山中で22日
未明に起きた地震の被害は、同日夕(日本時間23日朝)までに死者60人、負傷者も
数百人に達した。AP通信は「なお約1000人が行方不明」と伝えている。
地震の規模は同国史上最大のマグニチュード(M)6・8。震源も深さ65キロと浅
く、震央となった人口約5000人の村アイキレではスペイン植民地時代に建てられた
教会が倒れ、レンガを積み上げただけの家屋はほとんど倒壊した。
近くのトトラでも村に通じる道路が寸断され、軍のパラシュート部隊が救援活動に当
たっているが標高約2200メートルの山中で、負傷者の搬送は遅れ、生存者はぼう然
としたまま家族の死を悼む間もなく救援物資の到着を待っているという。
同日夕現在、日本大使館に邦人に犠牲者が出たとの情報は入っていない。
<以上 毎日新聞より>
ボリビア側の報道では、その後、地震で死者は200名以上という事でした。
5月28日 ボリビア→日本
今日、ボリビアはDia de madre(母の日)でした。
会社の同じフロアーには3人の秘書がいて、みなさんお母さんなので仕事中にフィエスタ
(お祝い会)をしました。
同じフロアーには約30人程の社員がいるんだけど、何かお祝い事があると誰かがフィエスタ
の最初に代表で祝辞を述べます。今回は、そのご指名が俺にまわってきました。
日本語でも突然言われて話すのは大変なのにスペイン語でだとガラにもなく緊張しながら話しました。
挨拶の内容は
「母の日、おめでとうございます。ここまではスペイン語完璧ですよね?」
周りが笑ってくれる。(こちらの話には必ずジョークが必要)
「日本にも母の日があり、同じ5月にあります。
日本では、母の日にはスペイン語での名前は分かりませんが、カーネーションという花を贈ります。
このように、職場のみなさんで母の日を祝う事は日本ではありませんが、私はこのボリビアの習慣が
素晴らしい事だと思います。
お母さんのみなさん今日はおめでとうございました。」
といった内容でした。、、、、、、、いや、そのように話したつもりでした。
最近はスペイン語が話せないというコンプレックスよりも下手ながらも周りに理解してもらえるという事に
自信がもてるようになりました。
昼はコチャバンバのママであるエマの家にお祝いに行き一緒に家族で食事をしました。
ボリビアは母の日にバラを贈るので、バラ一本とチョコレートの詰め合わせをプレゼントしました。
結局、夕食もご馳走になって巣立ちのできない子供のようです。
5月29日 ボリビア→日本
ファストラン、いよいよ明日だね。 体調はどうだ?
金曜の晩には出発するのか?それとも明日の朝? これが出発前の最後のメールになるのかな。
天気だといいね。 同じ走るのでも気分が違うだろうからね。
何事も経験というものが一番大事だと思うので、この大会に出ることは路子にとっては未知の世界な
はずなので、あまりムキにならず、経験を少しずつ積むんだというような気持ちで走ってみて下さい。
俺が応援してるから完走しなければとは、あまり思わないでな。
最後まで、行けそうだなと思った結果として完走があって欲しいです。
完走しても、完走しなくても、雨が降って中止になってしまっても、全てが笑いの材料であればそれで良い。
もちろん、天気も良くて、少々ハプニングもあっても、最後まで完走できる事が、一番路子が喜ぶ顔を見れる
事とはわかっていますよ。
路子が走っている間もどうしてるかなと思いながら応援(心配も)しているので、無事に戻って元気な声を聞か
せて下さい。
日本→ボリビア
今、去年同様だいちんから中止の電話が入らないことを祈って一人家でひっそりしています。
もう夜ご飯も食べちゃったし、あとは明日のために早く寝るだけ・・・。
まだ荷物をまとめてなかった・・・。
今の予報だと午前中は雨で午後から回復して晴れてくるようです。早まればよいのですが・・・。
今のところ中止モードかな? 明日、朝、八王子集合なのであるとしたら明日6:00ころ家を出る予定です。
中止でも、せっかく月曜火曜と有休をとったのでどこかへ行ってくるつもりです。
幸い日月と晴れるようなので・・・。
怪我はしないよ。安心しててください。
おはよう。雨は今のところ降っていません。
でも、お昼前に強い雨が降るようで午前中の確立は100%です。
でも昨日中止電話がこなかったようでとりあえず8:30に八王子
多摩御陵に集合です。
それでは行ってきます。
コメント
ファストラン・・・・毎年ゴールデンウィークに行われる東京の高尾山から、新潟の糸井川まで走る自転車の大会。
この大会は彼女の一年の目標であり、一番楽しみにしている大会である。日ごろこのためにトレーニングしていると
言っても良い。この前の年は雨のため中止になってしまい、一年間の思い入れが無残に砕け、その後はしばらくの間
ぬけがら状態になっていました。 そして、気を取り直して一年間この大会に向けてトレーシングしてきたのです。
ところが、この年も何だか天気予報では雨。、中止になった時のショックを緩和するために、期待してはしゃぐ気持ちを
押さえようとする葛藤がうかがわれます。
結局、この年は天候に恵まれ無事に大会が行われました。