自己紹介

インドネシア、ギルトラワンガンにて島の子供達と

田中 善人 (たなか よしひと)
1967年10月8日 横浜生まれ
1997年12月より青年海外協力隊のメンバーとして2年間ボリビアで生活し、1999年12月下旬に帰国。
日本に帰国した一週間後に遠距離恋愛の末、結婚。もうすぐ二人目の子供が生まれます。

生きがい       ・・・世界を歩いて写真を撮る事

今まで行った国   ・・・フィリピン(3回)、インドネシア(2回)、タイ、パキスタン、ロシア、
               エジプト、イスラエル、スペイン、モロッコ、アメリカ、オーストラリア
               もちろんボリビア、ブラジル、アルゼンチン、チリ、パラグアイ
               
本職         ・・・ 某大手電話会社の社員
               

ボリビアでの仕事 ・・・ コチャバンバという町の電話会社でボランティアをしていました。

ボリビアとの出会い

私と途上国との出会いは大学時代でした。私は工学部機械工学科だったので女子の生徒数がゼロの
男子校状態で毎日を過ごしていました。
大学に入学するまでは、女子大生とバラ色の学生生活・・そんな妄想を抱いていたていましたが、女性が
周りにいませんし、とにかく私はもてなかった。
女性と話す機会があったとしても意識しすぎてしまい上手く話せなかったり、ひょっとしたら鼻息が荒くなり
、目が血走っていたかもしれない。
女性の口からは出る言葉は決まって 「田中さんって、恐い」であった。

大学入学当初の生活と言えば、学校の授業が終れば、パチンコ屋に直行して蛍の光が流れる閉店ま
でいるような毎日であった。常連客とも仲良くなり、パチンコ屋が閉店してもその仲間と毎晩酒を飲むよ
うな乱れた生活をしていました。何かが違うと思いはじめたのは大学2年の時でした。

機械科には、アドベンチャー部(探検部のようなもの)に属していた3名の友達がいた。
夏目秀行、中野和義、江崎守彦、彼らは、マンガ 「どくだみ荘」に出てくるようなアパートに住み、サンダル、
ジャージ姿で町を歩き、おしゃれもせず、女性には縁がなく、アルバイトをして稼いだ金を旅行や探検に費やし
ていました。その活動写真など見るうちに私は発展途上国というものに、とても興味を持ちはじめました。
これだ・・・・。 テニスでもスキーでも合コンでもデートでもパチンコでもない、今しかできないのは
これだっ・・・。 単純な私はそう思ったのでありました。

そんな学生時代からもう十年以上経ちましたが、この途上国を歩くとういう時間がいつの間にか自分
にはなくてはならない物になっていました。
脳の核を刺激されるというか、忘れていた感情を思い出させてくれるというか、自分の弱さを素直に認
められるというか、(最近、はやっている「というか」を引用してみました。)そんな時間であり、何よりも
いつまでも自分を熱くさせてくれる時間なのです。

そんな、こんなで、社会人になっても休暇の大部分を途上国を歩く事に費やしてきました。
そして、自分の中で「さらに本物の自分」を目指したくなっています。。
自分は本当に途上国が好きなのであろうか?、旅行ではその国の良い面の方が大きく見えるものだし、
日本での生活に対する逃避になっているのではないか? 途上国が好きであっても実際そこで人々の中に
入って生活し、それでも好きと言えるのであろうか?・・・などの疑問をもっての協力隊へ参加し、南米ボリビア
という地で生活する事になりました。
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