アマゾン河沿岸の町 リベラルタ (日本人移住100周年、アマゾンの奥地で行われた日本人祭)

今回の旅行の話をする前に、日本人のボリビア移住の歴史について少々話す事にします。

南米への日本人移民船第一号である佐倉丸という船が790人の男性を乗せ横浜港からペルー
に向けて出向したのが1899年、つまり今から100年前になります。
佐倉丸はペルーに無地に辿り着いたのですが、日本人は低賃金、重労働といった奴隷扱いをされた
そうです。
その後にアマゾン河流域はゴム景気を向え、新たなる新天地を求め移民者達はアンデス山脈を越え、
アマゾン川をいかだで下り今回行ったリベラルタという小さな町にたどり着いたそうです。

この村で日本人は財を築いたそうですが、第2次世界大戦が勃発しアメリカ側の連合軍についていた
ボリビア政府は日本人の財産を没収し日本人は収容所へ入れられたそうです。

そして今年はボリビアにおいて日本人移住100周年をむかえ、リベラルタの地で日本祭を行うという事で、
その手伝いを兼ねて旅行にでました。

サンタクルスというボリビア第2の都市の郊外に、オキナワ移住地、サンファン移住地という二つの
大きな日本人移住地があるのですが、その様子とは異なりのリベラルタの日系人は完全に原住民となって
生活をしていました。

アマゾン川沿いにある、ヤシの葉の屋根で作られた家で生活している地域を訪ねましたが、そこにも日本
人の血を引き継ぐ人々がかなりの数存在していました。
完全に顔は日本人なのだが、日本語は全く話せず、アマゾン河の岸辺で自給自足の生活をしている人が
沢山いるのです。

アマゾン河沿岸のリベラルタの家々

2週間前に皇族の紀宮さんが来た際に行われたサンタクルスでの移住100周年の式典は、日本政府関係
者やボリビアの大統領まで参加し、テレビで生中継されるほどの大きなイベントでした。
サンタクルス郊外のサンファン、沖縄移住地は戦後作り上げられたものなので、その歴史はまだ50年程度であり、
移住100周年の本来の由来はリベラルタにあります。
しかしアマゾンのジャングルの中にポツンとあるような町なので治安や宿泊施設や空港施設のセキュリティなどの
問題があるらしく、式典はサンタクルスで行われました。

リベラルタに着くと今も残存する日系人のおじいさん、おばあちゃんやその子孫とリベラルタの青年海外協力隊員が
力をあわせて日本祭を開催しようとがんばっていました。

人形劇の講演をするだけのイメージで出かけたのですが、サンタクルスで行われた艶やかな式典とはかけ離れ、
貧困生活をしている日系人達が貯えていた日本人会の会費を使って本当の意味での移住100周年祭をやろうと
いう趣旨に感銘し、私もリベラルタにつくなり日本祭の準備に協力することにしました。

前日は即席人形劇団の指導、会場の設営のための机の運搬、屋台で焼き鳥屋をやため、ボリビア人の
人々に混ざって首付きのニワトリを20羽さばき、500本の焼き鳥を作るなどの準備をしました。

当日は人形劇の講演を午前中に2回行い、会場には沢山の人が訪れ大盛況でした。

  
桃太郎を演じた即席人形劇団の子供達              人形劇が行われた会場

その後町の中心の公園で夜店を出すための準備をしました。
電球を公園の木に垂らし、ちょうちんをぶら下げ、焼き鳥屋、ヤキソバ屋、ワリバシ鉄砲での射的屋など日本の
夏祭のような屋台が出店されました。 夜空の下、公園の中心の特設会場で人形劇の講演を行うと舞台の周りは
沢山の観衆で埋め尽くされ、遅れてやってきたために良い場所を取れなかった子供達は木によじ登り、頭の上か
らも観客がいるような賑やかな講演となりました。

 町の中心のプラザ脇に飾られた垂幕

祭りのフィナーレは盆踊り大会が行われ、アマゾンの奥地で炭坑節が響き渡りました。
日本人、日系人達や今回の日本祭に協力してくれたボリビア人スタッフが輪になって炭坑節を踊るといつの間にか
周りを取り囲んでいたボリビア人も輪の中に入り込み会場には笑顔があふれ、日本祭は大成功に終りました。




 リベラルタで生まれ育った日系人ペドロ下瀬の軌跡を追って)へ進む

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