旗艦「赤 城」
敵雷撃機14機が北東から接近中、0726ころ信号兵が急降下3機を発見、奇襲のため対空機銃も間に合わなかった。
敵1番機の爆弾は至近弾、2番機の爆弾は飛行甲板中央から格納庫内で爆発、3番機の爆弾は左舷後部に命中した。
甲板上では戦闘機が発艦準備を整え、格納庫内には艦攻、艦爆全機があり
次期攻撃のため全機燃料を満載、魚雷・爆弾も装備中であった。
そのため格納庫内で爆発した第2弾により大火災となり、魚雷や爆弾の誘爆が始まった。
0746 南雲長官以下司令部は「野分」に移乗を始め、0820青木艦長は艦橋から飛行甲板前部に移った。
しかし機関科指揮所とは連絡がとれず消火の見込みが少ないと判断、1625総員退去を命令した。
青木艦長は艦と運命を共にするべく移乗する乗員を見送っていたが、艦がなかなか沈まないので
増田飛行長はむりやり艦長を「嵐」に移した。
翌6日0150 山本長官から魚雷によって処分するよう命令を受け、0200「赤城」は艦影を没した。
戦死者は准士官以上8名 下士官兵213名 計221名で定員は1630名、司令部64名であるが実員数は不明。
「加 賀」
来襲した敵雷撃機を回避中突然急降下する敵艦爆9機を発見、「加賀」は直ちに右に転舵して防空砲火で反撃した。
敵の第1〜第3弾はかわしたが、第4弾は右舷後部、第7、第8弾は前部昇降機付近、第9弾は飛行甲板中央に命中。
第8弾の爆発により艦長以下艦橋にあった者ほとんど全員が戦死し、第9弾は格納庫内で爆発、大火災となった。
飛行長天谷中佐が先任者として指揮をとり全力で消火に努めたが、
火勢が強く炭酸ガス消火装置発動が間に合わず消火ポンプも破壊されていた。
鎮火の見込みが立たないので、1025まず御真影を「萩風」に移し、飛行長は1400頃総員退去を命じた。
1625 前部ガソリン庫に引火して大爆発2回を起こし、1626沈没した。
戦死者は艦長岡田大佐以下約800名に及び、機関科要員が多かった。定員は1708名であるが実員数は不明。
「蒼 龍」
同艦も敵雷撃機の回避に気をとられていた時、急降下爆撃機12機(13機?)の奇襲を受け、直ちに対空砲火で応戦。
しかし間に合わず、0725、0726、0728ころ続けて爆弾が命中し大火災となった。
これによって格納庫内飛行機、爆弾、魚雷はもちろん高角砲弾、対空機銃弾も誘爆を起こし、見る間に火災は広がった。
0740主機械は全部停止、0745柳本艦長は艦を放棄することを決意、総員に退去を命じた。
柳本艦長は火傷を負っていたが、艦橋右舷の信号台に立ち全艦の指揮を執っていた。
部下は再三にわたり強硬に安全な区域に移るよう懇願したが艦長は断固としてこれを退け、
ついに万歳を連呼しながら火焔の中で、従容として守所を離れず壮烈なる戦死を遂げた。
1612 沈没を始め、1620 水中で大爆発を起こした。
戦死者は准士官以上35名、下士官兵683名 計718名 定員は1103名であるが当時の実員数は不明。
「飛 龍」
上記僚艦が被弾した後も奮戦を続けていたが、敵艦爆13機が太陽を背に急降下してきた。
回避を行ったが間に合わず最初の3弾は外れたが第4弾から続いて命中、命中弾数は4弾で格納庫内で誘爆を起こした。
機関科員の努力により一時は28ノットの高速航行を続けていたが、炭酸ガスによる消火装置は故障し、火勢のため
多くの機関科員も斃れていった。
2058 再び誘爆が起こり、加来艦長は山口司令官の許可を得て2330 総員退去準備を下令した。
6日0015 艦長は総員退去を命令、御真影、負傷者、搭乗員を先頭に、「風雲」「巻雲」に移乗、0130終了した。
山口司令官と加来艦長は温顔、従容として訣別の帽を振りながら退艦者を見送った。
おおよそ見送りが終わると、「良い月だなあ、月でも見よう」といって二人で艦橋に昇っていったという。
0210「巻雲」は魚雷を発射、沈没を確認しないで現場を去った。
戦死者は准士官以上29名、下士官兵387名 計416名 定員は1103名 二航戦司令部が23名であるが実員は不明。
ところが同艦はこのとき沈没せず、まだ生存者が残っていたのである。
◆ 「飛龍」乗員の脱出−漂流 ◆
総員退去ののちもなお相当数の生存者があった。これは退去命令が伝わらなかった者や脱出が遅れた者である。
他の3艦もこのような乗員がいたものと想像されるが、これらは「飛龍」とは異なり乗艦がすぐ沈没したので
すべて艦と運命を共にしたものと思われる。
「飛龍」は沈没まで時間があった。
このため艦橋との電話連絡がとだえた機関科員を中心とした約70名が救助を待つことにした。
甲板上のランチ(小型の連絡艇)を海上に降ろそうとしたところ艦は沈み始め、一同は海に飛び込んだ。
右舷に逃れた者はカッターに乗れたが、左舷に逃れた者は1名も救助されなかった。
カッターに乗れたのは 機関長相宗中佐、機関分隊長(機械部指揮官)梶島大尉、機関長附萬代少尉以下39名であった。
しばらく救助に来るのを待っていたが現れないので、意を決してウエーク島に向かうこととした。
しかしカッターには海図も羅針盤もなく若干の毛布のほかは糧食も少量でしかなかった。
漂流開始後15日目、米水上機母艦バラードに発見され全員が収容された。
漂流の間5名が死亡、結局34名が捕虜となったのである。
◆ 「ヨークタウン」撃沈 ◆
飛龍の奮戦により行動不能に陥った 「ヨークタウン」は、総員退去の後ハワイへ向け掃海艇によって曳航中であった。
我が潜水艦伊168潜は6月7日1005 距離900Mから魚雷4本発射、これにより「ヨークタウン」は沈没した。
護衛中の5隻の駆逐艦のうち「ハマン」も轟沈した。
なおミッドウエー砲撃に向った重巡「最上」と「三隈」は、米潜水艦の回避運動中に衝突して損傷
速力が低下して取り残された。追撃してきた米空母機によって、「最上」は大破炎上かろうじて脱出したが、
「三隈」は6月7日午後 三時にわたる航空攻撃によって沈没した。救助されたのは237名に過ぎなかった。
その後駆逐艦「浦波」と「磯波」も衝突事故を起こし、特に「磯波」は11ノットしか速力が出なくなってしまった。
◆ 戦果・損害 ◆
日本軍 | 米軍 | |
戦死・行方不明 | 3064名 (内 搭乗員121名) | 364名 (内 搭乗員210名) |
撃 沈 | 空母4 重巡洋艦1 | 空母1 駆逐艦1 |
損 傷 | 重巡1 駆逐艦4 | |
喪失飛行機 | 285機 (他に水偵4機) | 147機 |
◆ 本作戦失敗の原因 ◆
本作戦の失敗をレベル別に整理すると以下のようになる。
戦略/聯合艦隊司令部のレベル
1 目的の二重性
真の目的はミ島占領ではなく米空母群を補足撃滅することにあった。
2 情報軽視と危機管理の不十分
戦略的奇襲が成立すると判断していたが、敵の暗号解読は行えなかった。
これに対し敵は、我が暗号の解読に成功、我が作戦企図、作戦計画を
かなり詳細にしっていたのである。
3 兵術思想転換の不徹底
航空決戦思想に矛盾する作戦目的に沿わない艦隊編成
4 山本長官の出撃と無線封止
主力部隊が無線封止となり、山本長官自らの出撃も
適切な作戦指導を行い得なかった。
戦術/第1機動部隊司令部のレベル
1 不十分な索敵
索敵機の発進遅延、見落とし、索敵コースのずれ、位置の誤認、等
2 航空決戦の戦術的敗北
護衛戦闘機なしでも攻撃隊を発進させるべきであったかどうか はわからない。
しかし結果としては先制奇襲の大原則に反して戦機を逸し、大敗北を期したのである。
先に記したように、空母は攻撃力は大きいが防御力は脆弱である。
このため先制攻撃こそが最も効果的な防御手段ではなかったか?
◆ 本作戦失敗の影響 ◆
1 正式空母4隻の喪失によって当面空母部隊を活用する積極作戦は企図できなくなった。
まして長年訓練を重ねていた第1、第2航戦の域にその戦力を高めることは、当分の間望むことはできなかった。
2 搭乗員をどの程度失ったかは被害隠匿のため特殊な人事処理を行ったので正確には不明である。
しかし空母こそ失ったが搭乗員の損耗は思ったより少なかった。また救助された搭乗員の士気は向上の傾向があった。
これは来襲した米航空部隊の低劣な技量を目の当たりにしたことと、「飛龍」の少数機による攻撃が戦果をあげた
(当時 敵空母2隻を沈没させたものと判断されていた。実際は1隻のみ) ことによる。
この次には我々が仇を討つのだと意気込んだのであった。
3 搭乗員は救助されたが、飛行機自体は全機=約300機が失われた。
海軍空母機は基地飛行隊よりも戦闘の機会が少ないので生産要求数は少なかった。
また飛行機の増産も計画どおりには進んでおらず、特に零戦の補給が間に合わない状況であり
生産力が不十分であった海軍にとっては非常な痛手であった。