大東亜戦争は終結し、阿波丸事件はアメリカ側の提案のように戦後の交渉となった。
わが国は非占領国ではあったが、アメリカ側に賠償交渉を続けていた。
日本側の要求は次のとおりであった。
１ 乗船者２００３名の人命に対する損害賠償
２ 生存者の家族に対する４ヶ月分手当て
３ 積載荷物に対する損害賠償
４ 阿波丸の４ヶ月間の予想利益
５ 阿波丸の代船
昭和２０年１１月 ９日 まずＧＨＱに対する斡旋を依頼したことから開始された。
昭和２１年 ５月２８日 武内・終戦連絡事務局長がＧＨＱに督促し
昭和２１年１２月１４日 文書を以って再度督促した。
以降賠償交渉は続けられたが、なかなかまとまらないまま時間が経過していった。
賠償権の放棄
昭和２３年 秋 ＧＨＱシーボルト外交局長から
｢戦争終結以来のアメリカの対日援助に免じて、阿波丸事件の賠償請求権を放棄して欲しい｣ という申入れがあった。
今日であれば全く考えられない話である。
しかし当時のＧＨＱと日本政府との力関係から考えると、申入れそのものはやむを得ないものあった。
昭和２４年 第５回国会に与党議員提出の決議案の形で、同４月７日の衆議院議員本会議に上程された。
与党 民主自由党（自民党の前身）の緊急提案というかたちで請求権放棄の決議案が出された。
提出議員は広川弘禅代議士他７名で、決議案の主な条文は以下のとおり。
１ 我国は昭和２０年４月１日発生した米軍艦艇による阿波丸撃沈事件に基づくすべての請求権を自発的かつ無条件に放棄すること
２ 政府は速やかに米国政府と審議を開始し、前記請求権の放棄を基礎として本事件を友好的に解決すること
３ 政府は国内措置として、本事件の犠牲者を慰藉するため適宜な手段を講じること
次に岡崎勝男・今村忠助両代議士より、決議案趣旨と賛成意見として以下の説明があった。
１ 比較的小額の阿波丸事件の賠償に固執することは、公平の観念や米国国民の感情を考慮する上からも当を得ない。
２ また阿波丸は、協定された海域から数浬それて航行していたことを考慮すべきである
３ 米国では責任者を既に処罰している と聞いている
４ 以上から 『武士道精神』 を以って請求権を放棄し、すみやかに米国の経済援助を受けて日本の再建を急ぐべきである。
これに対して野党 労農党・岡田春夫代議士から以下のような強い反対意見があった
１ 米国はその責任を認めており賠償問題はこの上に立った話であるのに、日本側から賠償請求を放棄するとは本末転倒である。
２ 内閣自らの責任ではなく議会での（与党による）決議という形をとるのは、責任転嫁であり独立国家の再建を目指す姿勢ではない。
このように一部の反対もあったが、最終的には賛成多数で可決されたのであった。
昭和２４年４月１４日 吉田外務大臣とシーボルト外交局長との間に、日本の賠償請求権放棄に関する署名調印が行われた。
昭和２５年８月 １日 『阿波丸事件に関する法律』 が施行された。
これにより死亡した者と船主である日本郵船に対して見舞金が支給された。
日本郵船は阿波丸の代船として７０００トンの貨物船の建造を計画し、これに対する見返り資金融資を申請したが
ＧＨＱ財政部の反対によって特別融資をうけることはできなかった。
撃沈の謎
１ 事前に電報で阿波丸について聞いていたのに、確認することなくレーダー攻撃を行ったのはなぜか？
２ クイーンフィッシュによれば当日の海上は濃霧のため艦種識別が困難であったという。だが濃霧など発生していない、という報告もある。
３ 軍法会議での艦長・ラフリン中佐の処罰、についての詳細は明らかにされていない。
４ 帰途、日本に帰る外交官、技術者などと戦時禁制品である金属、生ゴムなどを積んでいたがそのことはアメリカ側も知っていた。
ということは、艦長個人の過失ではなくアメリカ海軍による意図的・計画的な撃沈（謀略）ではないか？
５ 救助を肯んじたのはたった１名だけ という米潜水艦報告は果たして事実か？
乗員の大部分は民間人であった。１名のみ救助した措置は撃沈船を阿波丸と確認するためではなかったか？。
このような謎をのこしたまま、
闇に葬られた事件として『阿波丸事件』の真相はついに明らかにされることはなかった。
残ったのは、政府・与党の 安易なる追従主義 と 艦長個人の過失とは断じられない大いなる疑問 であった。
この事件で収容された生存者は、コック長 下田勘太郎氏只一人。
米側はこの人物を必要以上に遇し、東京ではマッカーサーと会見したほどであった。
しかし米国に対する思惑もあってか多くを語ることはなく、沈黙を守った。
参考 日本商船隊戦時遭難史／呪われた阿波丸 文芸春秋社 ほか