昭和19年 | ||
10月22日 | 0800 | 栗田艦隊 ブルネイを抜錨 |
1431 | 「能代」と「高雄」敵潜発見(誤認) | |
1751 | 前路警戒中の96陸攻 敵潜発見 | |
2400 | パラワン水道の南口に到着 | |
10月23日 | 0250 | 「愛宕」敵潜電波聴知、全部隊 対潜警戒厳 |
0530 | 速力18ノット、之字運動再開 | |
0633 | 「愛宕」魚雷4命中、「高雄」魚雷2命中 米潜「Darter」による攻撃 | |
0635 | 「愛宕」沈没 機関長以下360名戦死 | |
0657 | 「摩耶」魚雷4命中 「羽黒」「妙高」魚雷回避 | |
0705 | 「摩耶」沈没 艦長大江大佐以下336名戦死 「武蔵」に769名移乗 |
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0915 | 宇垣第1戦隊司令官 一時指揮権を把握 この後も‘幻の潜水艦’に対する疑心暗鬼による誤認が続発 |
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1623 | 栗田長官 「大和」に移乗 旗艦変更 | |
2107 | 「高雄」応急修理終了、航行可能となる。護衛は「朝霜」と「長波」 実に被雷後15時間余も停止したまま敵潜伏在海面に留まり得た |
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10月24日 | 2400 | ミンドロ海峡の北西入り口に到着 |
0759 | 対空配備の輪形陣を形成 | |
0800 | 「矢矧」から索敵発進、以下「能代」「鈴谷」「榛名」から夫々射出 | |
0810 | 「大和」3機の米軍機発見 | |
1026 | 第1次対空戦闘45機 「大和」対空戦闘開始、各艦続いて砲撃開始 | |
1029 | 「武蔵」魚雷1命中 「妙高」魚雷1命中 1138に戦列離脱 | |
1206 | 第2次対空戦闘約58機 「大和」と「武蔵」に攻撃集中 | |
1220 | 「武蔵」来襲する敵機16、直撃弾2、至近弾5、魚雷3命中 | |
1323 | 第3次対空戦闘約50機 「大和」直撃弾1、至近弾1 | |
1350 | 「武蔵」来襲する敵機33、直撃弾4、至近弾5、魚雷5命中 栗田長官は、激化する空襲から、我が航空総攻撃は基地・機動部隊ともに奏効 していないのでは?と懸念した。敵の空襲を一手に受けている印象を強くしたのである。 |
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1426 | 第4次対空戦闘18機 「大和」直撃弾1、 | |
1459 | 第5次対空戦闘約100機以上 「長門」「藤波」「利根」「濱風」損傷 この日もっとも激しかった戦闘となり、「武蔵」の被害甚大 |
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1530 | 栗田長官は西方反転を下令 一時空襲を避けることを決意 | |
1624 | 宇垣司令官 「武蔵」に対し保全を努めるよう命令 | |
1714 | 東方に再反転の命令下達 | |
1800 | 「武蔵」右舷内軸のみ稼動、かろうじて自力航行可能 | |
1821 | 日没 | |
1830 | 「武蔵」警戒艦の「利根」戦列復帰 警戒は「清霜」「島風」「濱風」 | |
1855 | 天佑ヲ確信シ全軍突撃セヨ の豊田長官から電令受信 | |
1935 | 「武蔵」沈没 「朝霜」「浜風」救助開始 | |
10月25日 | 0000 | サンベルナルジノ海峡突入 レイテ湾に向けて艦隊南下 |
0215 | 「武蔵」生存者救助作業終了 |
このように「武蔵」は、魚雷20本、爆弾17発、至近弾20発を受けて(諸説有)沈没した。
生存者は副長・加藤憲吉大佐、防御指揮官・工藤計大佐以下1376名で、
艦長・猪口敏平少将、砲術長・越野公威大佐、航海長・仮家実大佐らは戦死した。
「武蔵」は、栗田艦隊の「被害担当艦」(猪口艦長)となることによって全艦隊の犠牲を一手に引きうけたため、
他の被害は「妙高」「清霜」が中破されたに留まった。
しかし不沈戦艦と全艦隊の期待を集めていた「武蔵」が沈没したという事実は、同型艦の旗艦「大和」であっても
敵機の集中攻撃を受けた場合不沈ではあり得ないとの不安を抱かせるに至った。
栗田艦隊はブルネイ湾出港以来の潜水艦攻撃と対空戦闘によって
戦艦1、重巡4、駆逐艦4 を戦列から失っていたが、艦隊全体の戦力は
戦艦4、重巡6、軽巡2、駆逐艦11 と依然として強力なものであった。
なお、この日合計して259機が栗田艦隊に対して空襲を行い、
激烈な対空砲火にも拘わらず、撃墜は18機であった。
西村艦隊とのレイテ同時突入を断念
栗田艦隊のサンベルナルジノ海峡通過の予定時刻は24日の夕刻であった。
シブヤン海での空襲とそれによる一時反転で予定よりも6、7時間遅れることなり、もはや25日黎明時の
レイテ湾突入は困難であった。
夜明けまでに敵上陸点に到達しなければ、再度の敵空母機による空襲は不可避であり、
24日のような対空戦闘が再開されればレイテ突入は阻止されることになる。
おなじ頃、南方のスリガオ海峡を北から西村艦隊がレイテ湾に向っていた。
西村艦隊への空襲は1度だけで、栗田艦隊との同時突入を目指すべくほぼ予定どおりに進撃を続けていた。
栗田長官は両艦隊の同時突入予定を断念し、西村艦隊の進撃を遅らせるという調整を行わず
西村艦隊の単独突入を2145に命令した。
そして西村艦隊にはオルデンドルフ少将指揮の強力な迎撃艦隊が待ち構えていたのである。