[親連れポルトガル旅行]
   リスボン〜ポルト〜ブラガ〜アヴェイロ〜コインブラ〜ブサコ〜ファティマ〜シントラ〜リスボン

[ポルトガルへ]
 何と今回は両親と3人で行くのである。たまには親孝行しようと思って。僕がモロッコ、ニューヨークと行ったので、次はアジアかヨーロッパに行きたい。が、両親は余りアジアに興味がない。となるとヨーロッパ。で、僕も両親も行ったことのない国からポルトガルを選んだ。(3人とも行ったことのないヨーロッパの国というと、ポルトガル以外には、小国を除けば、アイスランド、アイルランド、旧ユーゴ諸国、ロシア以外の旧ソ連、アルバニア、ルーマニア、ブルガリアしかないのだった。)僕としてはクロアチア・スロベニアもいいかなと思ったのだが、とにかくポルトガルということになったわけ。
 僕は土曜発、祝日の月曜着の10日間だが、両親は安い航空券にしたので、水曜発、木曜着の16日間。両親はポルトガルは僕と一緒に回るが、前後の2人だけの期間はスペインで特急列車の旅をする。
 アムステルダム経由でリスボンに到着し、タクシーで合流予定のホテルへ。ちゃんと両親はチェックインしていて安心。実は久しく実家に帰っていなかったこともあり、約1年ぶりの再会。既に11時を過ぎており、話はまた明日以降ゆっくりとということで、風呂に入って早々に就寝。

[ポルトへ]
 小雨。7時55分発のポルトガル国鉄ご自慢の特急アルファ・ペンデュラーでポルトへ向かう。ホテルの朝食が7時からだったので食べられないと思っていたが、6時45分にチェックアウトしたとき、レセプションの男性が気を遣って、レストランに聞いてくれたらOKとのこと。15分くらいで慌しく朝食をいただく。4日後にリスボンに戻ってきたとき、また泊まる予定なので、両親の大きなスーツケースは預かってもらう。
 タクシーでサンタ・アポローニア駅へ(10分、8ユーロ)。ここにももうすぐ地下鉄が通じるらしい。駅は時計台のついたシンプルな外観だが、ライトブルーに塗られているのが個性的で、南欧というより北欧か東欧の色合い。アルファ・ペンデュラーは全席指定だが、指定券は昨日両親がリスボンに着いた日に買っておいてくれた。最初市街中心部のロシオ駅に行ったら売ってもらえず、わざわざサンタ・アポローニア駅まで来て買ったそうだ。コンピューター管理されていないのかしらん?
 アルファ・ペンデュラーは、形はTGVやAVE、ICEに似ていて、カラーリングは4分の3くらいが白でその上に赤、下に青と赤の細いラインが入っている。僕らは1等車に乗った(25.9ユーロ)。シートは片側2列と1列で、新幹線の普通車よりは幅はゆったりしているが、前後はそれほど余裕があるわけでもない。イヤホンが配られ、音楽が聞けるようになっている。意外に乗車率もよい。有料だが、朝食を頼むと席まで運んでくれるサービスがあり、数人が利用していた。
 ヨーロッパの列車に乗っていつも思うのは、座席の向きが半分ずつ反対になっていること。これはたぶん大都市のターミナル駅が行き止まり式になっているため、向きを1つにすると、いちいち変えなければならなくなるからだと思うが(日本人ならいとわず変えるかもしれないけど)、なんか後ろ向きに乗ると中途半端な気分なんですよね。でもリスボン−ポルト間はそうしたスイッチバックがないのだから、向きを統一してもよさそうなものだ。
 サンタ・アポローニアを出ると、万博の跡地を再開発したオリエンテ駅に止まり、リスボンを出る。間もなく右手にテージョ川をまたぐ大きなつり橋、ヴァスコ・ダ・ガマ橋が見える。この後、いくつかの駅に止まりながら、北上を続けるが、意外に景色は面白くない。街並みが見えるわけでもなく、畑が広がるわけでもなく、山や川が見えるわけでもなく、これといって捕らえどころのない風景が続き、時折古ぼけた工場が現れるといった感じ。Villa Nova de Gaiaのあたりで、左手に少し海とビーチが見えたが、曇り空で明るい景色ではなかった。
 アルファ・ペンデュラーは、リスボン−ポルト間340キロを3時間20分で走破することになっているのだが、僕らの乗った列車は、理由はわからないが、途中のろのろ運転になり、ポルトには約40分遅れで到着。ということで、アルファ・ペンデュラーについては、列車そのもの、車窓風景、の両面とも、ぱっとしない印象だった。TGV、AVE、ICEと違い、わざわざこれに乗るためにポルトガルに来るほどのものではないかなぁ。これもポルトガルとフランス、スペイン、ドイツとの国の違いなのかもしれない。

[ポルト]
 ポルト・カンパーニア駅で連絡ローカル列車に乗り換え、サンベント駅へ。ドーム型の屋根に覆われた行き止まり式の駅。駅のすぐ脇まで丘や家が迫っていて、ちょっと息苦しいような感じ。列車を下りて、エントランスホールに入ると、壁一杯のアズレージョが出迎えてくれる。これからポルトガルのあちこちで、たくさんのアズレージョに出会うことになる。
 アズレージョとは、青いタイルによる装飾のこと。模様の描かれたタイルを並べているものもあるが、タイルを並べて1枚の絵にしてあるものが多い。タイルを並べた絵といっても1m四方くらいのものもあれば、ここサンベント駅にあるような壁全体を占めるほど大きなものもあって、かなりの迫力である。濃淡のある青だけで描かれた戴冠式や戦いの絵は、同じ単色とはいえ、白黒の絵とは全く違い、優雅な雰囲気を漂わせている。
 予約しておいたホテル・グランデへ。メインのショッピングストリートに面したホテルで、駅から歩いて10分程度だが、駅を出てすぐに石畳の坂道となり、トランクを引っ張っては歩きづらい。メインストリートではあるが今日は日曜日なので、店は閉まっており、午後早い時間というのに人通りは少ない。
 チェックインして荷物を置いた後、ますは腹ごしらえ。ホテル近くの庶民的なポルトガル料理の店へ。結構流行っていて、店内はざわめいている。ビールを飲み、タコのマリネ、タラのグリル、イワシのフライを注文。安くておいしい。満足した後は、市内観光。
 まずは市街地を一望できる高さ76mのクレリゴス塔へ。階段を登ってたどり着いた展望所からは、世界遺産に指定されているポルトの旧市街がまさに絶景。オレンジ色の瓦の波の向こうにドウロ川が流れ、向こう岸には特産のポートワインの工場がいくつも並んでいる。景色を堪能した後、坂道を下りて登って、カテドラルへ。ちょうど結婚式が終わるところで、新郎新婦が花びらのシャワーで祝福されていた。
 カテドラルの脇の階段をずんずん下っていくと、音楽が聞こえてきた。公民館ホールのような所でダンス大会が開かれていた。老夫婦やおばさん同士が手をつないで、ゆるゆると踊っている。見ていたら、一人のおばさんに無理やり手をとられ、僕も踊り、その後母も。
 ひとしきり踊った後、ドウロ川岸のサンフランシスコ教会と付属のカタコンブ(地下墓地)を見て、外に出るとレトロな路面電車が1両止まっていた。クリーム色と黄土色のツートンカラー。この路面電車はドウロ川沿いにしばらく走ってから向きを変えて市街地の方面にレールが伸びていて、1時間弱のローカルな旅ができるのだが、工事中でほんの少し先までしかいかないので、今回は乗らなかった。
 川岸のプロムナード(一部工事中)に出ると、目の前にドンルイス1世橋の優美な姿が現れる。2層構造の大きな鉄橋だが、繊細ささえ感じさせるそのデザインは、あのエッフェル。そう言われてみると、素人としては「なるほど」とうなずいてしまう。川には遊覧船も走っているが、注目すべきなのはラベーロと呼ばれる小型ヨットのようなシンプルな形の帆船。樽を積んでいることからも分かるように、これはドウロ川の上流からポルトのポートワイン工場まで原料となるワインを運ぶ船である。もっとも今はトラックで運んでしまうので、ここに浮かんでいる船は動かず、当時の名残を残しているだけだが。
 ドウロ川岸はカイス・ダ・リベイラ地区と呼ばれていて、パステル調のカラフルな建物が並び、その多くがレストランになっている。夕食にいい所はないかと探しながら歩いたが、何か今ひとつピンと来るものがないまま、ドンルイス1世橋まで来てしまった。下層部分を渡って対岸へ。
 今日のうちにポートワイン工場見学を済まそうということで、橋から一番近いカシムというブランドの工場に閉店ギリギリに滑り込んだ。ただ最後の見学ツアーはフランス語だったので、説明は全くわからず、とっとと進みたい気持ちを抑えて、大きな樽の間をガイドについて歩いていった。15分くらいで見学は終了し、お待ちかねの試飲タイム。軽めのものと重めのものの2種類を飲ませてもらった。ポートワインはとろみと甘味があり、普通のワインとは全く違う。お土産用に安いもの(5ユーロ)を4本買う。
 買ったワインをぶら下げて坂道を登り、ドンルイス1世橋の上層のたもとへ。ここからの眺めがまた素晴らしい。美しい橋、下を流れるドウロ川、川に浮かぶワイン樽を積んだラベーロ、カイス・ダ・リベイラ地区のパステルカラーの家並み、その向こうにはオレンジ色のレンガ屋根が続く旧市街。絶対に一見の価値があると思う。今度は橋の上側を渡るが、これが結構怖い。高所恐怖症の人はなかなか渡れないのではないだろうか。車がどんどん通って結構ゆれるし、風もある。歩道の幅は狭く、手すりはそれほど高くない。それでも眼下の絶景を見ながら渡りきる。
 いったんホテルに戻り、しばし休憩の後、近くのショッピングセンターの中にあるイタリアンレストランで夕食。不本意ではあるが、日曜日で多くの店は閉まっているのでやむなし。

[ブラガへ]
 今日はブラガへ行く。まず駅に向かう前に、近くのボリャオン市場をのぞいてみる。まだ開いたばかりで、客も少なく、準備中の店が多いが、色鮮やかな野菜、果物、いろんな種類の豆、生きたままの鶏、手作り腸詰、生花など、市場を見て回るのはいつも楽しい。
 サンベント駅でブラガ行きの切符を買う。2等車であるが、50kmを1時間半くらいで走るのだが、片道一人たったの1.7ユーロ。安すぎる! のんびり各駅停車でブラガ到着。駅から徒歩で旧市街へ。
 アルコ・デ・ポルタ・ノーヴァ門をくぐると、歩行者天国となり、両側に店が並ぶ。右手にカテドラル、左手に司教館。教会の鐘が鳴り出し、祈りの街と呼ばれるブラガにふさわしい雰囲気になってきた。左に入ったところに市庁舎があり、その前に市のシンボル、ペリカンの噴水があるが、水は出ていなかった。水の出ていない噴水って、どこでも貧弱ですね。
 司教館の裏手にはサンタバルバラ庭園があり、赤や黄色の花が咲いていて、目の覚めるような美しさ。そこでポルトガル人の子どもが歩いていたり、女子学生がベンチでおしゃべりしていたりして、ほんわかしたあたたかいムードが漂っている。市内を1時間ほどぶらぶらした後、ボンジェズス教会行きのバス停へ。30分に1本程度走っている。
 ボンジェズス教会はこれまた一見の価値あり。ブラガからバスで20分くらいの丘の上に立っている教会で、バスは丘の中腹まで登っていく。終点で降りたのは僕たち3人だけ。バスの運転手がポルトガル語と身振りで、「ケーブルカーならこっち、歩いて登るならあっち」と教えてくれる。ご利益を受けるには歩いていった方がいいんだろうなぁと思いながらも、まずはケーブルカー乗場に行ってみる。既に3人くらいが乗っていて、運転手は僕らを待っているようだ。いったん運転手には乗らないようなそぶりを見せたのだが、見上げてみるとかなりの勾配で結構高いところまで行ってるみたい。こりゃ歩いて登るのはかなり大変そう、と思い、両親を急いで呼んで、「やっぱり乗ります!」
 2分ほどで山頂駅に到着し、そこで運転手に乗車賃1人1ユーロを払った。運転手はケーブルカーを降りて控所みたいな所へ去っていった。どうもこのケーブルカーはバスの到着にあわせて30分おきに運行されているようだ。もし、すぐ乗っていなければ、歩いて登るか、何もない所で30分待つかになるところだった。
 山頂駅からはバロック式の美しい教会が真正面に見え、紫のブーゲンビリアが満開状態。教会の前庭の花壇もきれいに整備してある。教会に背を向けると、遠くにはブラガ市街が見え、真下にはジグザグの階段。あーこの階段を上がらずにすんでよかった。ひとしきり見学し、写真をとってから、帰りは階段を歩いて下りる。実はこの階段にも意味があるのだ。踊り場ごとに女神のような像から水が流れ出ている。よく見てみると、水は目から出ていたり、耳から出ていたり、口から出ていたり。この階段は全体で五感を象徴しているのだそうだ。下まで下りて見上げると、階段部分の壁が重なるようにつながり、てっぺんには教会が鎮座している。
 階段を下りきると、今度は森の中に道が続いている。ここを下りて行くとバス停のところに出るのか少し自信はなかったが、結果は問題なく、バス停へ。と思う間もなく、ちょうど折り返しのバスがやってきた。そしてブラガへと戻る。
 列車の時間まではまだ1時間以上あるし、駅までちょっと遠いので、バスターミナルへ行ってみた。切符売場でポルト行きを聞いてみるとあと5分で出るというので、急いで切符を購入。バスに乗り込もうとすると運転手が切符が2枚しかないよというので、両親をバスに乗せて、僕はまた切符売場に戻ってもう1枚買う。さっきちゃんと3枚って言ったのに、2枚しかくれていなかった。急いでいてちゃんと確認しなかった僕も悪いけど。列車は1時間半かかったが、バスはもう少し早いらしい。バス代は列車代の倍以上の3.7ユーロ。
 日差しがぽかぽかと暖かく、うたた寝しているうちにポルトに到着。郊外のターミナルにつくのかと思っていたら、市街中心のリベルダーデ広場まで連れて行ってくれた。時間は4時。ちょっと中途半端な時間。そこで僕と母は土産を買いにいくことに。父は適当に町をぶらつく。6時頃にホテルに集合ということにした。父は買物が嫌いで、母と二人で旅行に行くと、母はいつもろくに土産も買えないと嘆いているが(かといって、外国の町を一人では歩けない)、今回は僕が一緒なので、父と別行動も取れるというわけ。
 ガイドブックで目星をつけておいた店をいくつか回る。民芸品店でポルトガル名物のニワトリの置物を5、6個、布地屋で母が自分でスカートを作るための布を2種類、お菓子屋でビスケットを1箱。父親ほどではないにしても、僕も買物は好きというわけではないので、ちょっと焦らせてしまったかも。どれを買うのか迷っているのはいらいらしないのだが、何個買うのか、あるいは○○さんには買っていくかいかないかを迷っていると、けっこういらいらする。そんなことは出発前に決めておいてくれよという感じ。まぁそうは言っても、父と二人の時はほとんど取れない買い物タイムが、早くも2時間も取れたから、一応喜んでもらえたかな?
 ホテルに帰ると父はもう戻っていた。ちょうど別れた広場でマニアが集まってクラシックカーを何台も展示していたので、車好きな父もそれなりに楽しめたようだ。
 今夜の夕食はポルト名物トリッパを食べに行く。トリッパとは牛の腸のことで、これを濃い目のトマト味に煮込んである。においがあるのではないか、噛み切れるのかと、名物にうまいものなしの想像をしていたのだが、意外にもおいしかった。歯ざわりはしこしこするが、決してゴムのようではない。その他、アサリと豚肉の炒めもの(意外な組合せ!)、キャベツの入ったスープ、カルト・ヴェルデもおいしかった。帰りにカフェに立ち寄り、アイスクリームをなめる。父はここでもビール。
 ホテルに戻ると風呂のお湯が出ない、タオルが足りないと苦情を言うと、ボイラーが壊れたので、お湯は出ず、ランドリーで乾かすこともできていない、と言われる。一応4つ星ホテルなのに。僕はぬるい水をささっと浴びたが、両親は結局翌朝になってから風呂に入った。

[アヴェイロ]
 小雨の中、ホテルをチェックアウトし、再びサン・ベント駅へ。今日はブサコ・パレス・ホテルに泊まるが、アヴェイロとコインブラで途中下車して、短時間の市内観光をする。サン・ベント駅の切符売場で、窓口のお兄さんにポルトからコインブラまでの切符を買って、アヴェイロで途中下車できるかと聞いたら、コインブラの切符は隣だから隣で聞けというので、隣に行ってお姉さんに聞いたらダメだというから、じゃぁアヴェイロまでと言うと、アヴェイロの窓口は隣だというので、さっきのお兄さんの所で、アヴェイロ行きを買った。どうもコインブラは地域をまたがるが、アヴェイロは同じ地域内ということのようだが、なんで行き先別に分けるかね。アヴェイロまで1.7ユーロ。相変わらず鉄道運賃は安い。
 銀色のステンレス車両でアヴェイロへ。アヴェイロの最大の見所が実はアヴェイロの駅。駅舎全体がアズレージョで装飾されているのだ。もちろん駅名表示もアズレージョ。アヴェイロやその周辺を描いたアズレージョが駅舎を覆っている。アヴェイロのもう一つの名物のモリセイロという小舟を描いたものもある。電車から降りた観光客も、早速写真&ビデオタイム。アズレージョの前のベンチで列車を待っている人を隣のホームから見ると、何だかその人までアズレージョにまぎれこんだよう。ホーム側だけでなく、正面玄関側もアズレージョ。こちらには今夜泊まるブサコ・パレスやポルトのドンルイス1世を描いたものもあった。
 駅を出てまっすぐ伸びる石畳の道を、モリセイロの浮かぶ運河へと歩く。途中、名物のお菓子オヴォス・モーレスを買って食べた。最中みたいな皮の中に、卵の黄身を練ったものが入っている。1つ0.4ユーロ。お目当ての運河までは徒歩約20分。モリセイロが10艘ほど浮かんでいる。モリセイロは細長いベネチアのゴンドラみたいな木製の船で、反り返った舳先と船尾にカラフルな女性や動物の絵が描かれているのが特徴。船体も青や黄色に塗られていてかわいらしい。実際に動いているのを見られなくてちょっと残念。昔は肥料にするために海から海草を運んでいた船だそうだ。

[コインブラ]
 アヴェイロ滞在2時間で、再び列車に乗る。今度はコインブラまで。コインブラまではポルト→アヴェイロとほぼ同じ距離なのに、地域をまたがるせいか2.8ユーロと少し高い。コインブラ市内観光をする前に両親のトランクを預けたい。駅構内には荷物預かりもコインロッカーもなく、ガイドブックの投稿にあった駅前のカフェで1つ4時間4ユーロで預かってもらう。ここで身軽になってから、駅近くのポルトガル料理のレストランでランチ。
 その後バスで丘の上のコインブラ大学へ。ここはヨーロッパ最古の大学の1つ。門をくぐると広い中庭があって、三方を建物が囲み、1辺には建物がなく、眼下にモンデゴ川と川沿いに広がるコインブラ市街が見える展望台のようになっている。ちょっと分かりづらい切符売場で入場券を買う。最大の見所の図書館は時間指定のチケット(4ユーロ)。それまでは入口の鉄の門(といっても鉄製ではないが)のすぐ右手の建物内のホールなどを見学。入口正面の建物内には礼拝堂がある。ここは目の覚めるような世界。全体としてピンクの印象でルノワールの絵の世界のように感じた。小さいながらも3000本の管を持つパイプオルガンも見もの。
 時間が来て図書館の中へ。薄暗い天井の高い部屋の壁に沿って本棚が作られ、びっしりと書物が並べられている。3mくらい上にもバルコニーのように通路が作られている。手を伸ばしても届かないスペースのためには梯子が準備してある。部屋の中にはテーブルと椅子。窓のカーテンが開けられていて、そこから差し込む光がスポットライトのようで、図書館全体をぼんやりと照らしている。教会よりも厳粛・荘厳な雰囲気。ここで昔の学生達はランプの灯りを頼りに、黙々と勉強していたのだろうか。中世の雰囲気が体感できる空間である。20分くらいその雰囲気に浸った後、大きな扉を開けて外に出ると、まぶしい光。でもそこも大学の中庭だから、図書館の中世の余韻は消えることはない。時計塔や糸杉の陰から、学生が出てきそう。
 大学の脇の坂の細道を歩いて下っていく。タイル専門の土産物屋があったので入ってみる。15センチ四方くらいの様々な絵タイルが並べられている。両親もタイルは買おうと思っている土産なので、結構念入りに見る。幾何学模様のもの、動物や鳥の素朴な感じの絵、ドアなどに貼るとよさそうなアルファベットや数字など。アズレージョのものもあるが、ここでは地元のコニンブリガ焼という、カラフルナものが中心。いい感じではあるのだが、これという強く気を引かれるものがない。亀の絵のタイルがあれば、すぐに買ったのだが。タイルはポルトガルの土産の定番の一つだから、まだまだ店はあるだろう、ということで、その店は出て、道沿いの土産物屋をのぞきながら、坂道を下りていく。結局最初の店がいちばんよかったが、また坂道を登っていくのもしんどいし、リスボンにはきっといい店があるだろうということで、コインブラでは何も買わなかった。(しかし、最初の店を越える店はリスボンでも現れず、ちょっと後悔。やはりここかなと思ったところですぐ買うのが鉄則のようだ。)

[ブサコ・パレス・ホテル]
 駅前のカフェで預けたトランクを返してもらい、タクシーで今夜の宿泊地、期待のブサコ・パレス・ホテルへ向かう。パレスまで約30キロ、40分くらい。運転手にいくらくらいかかるか聞いたら、30ユーロくらいという。出発前にホテルに問合せたところ25ユーロくらいと言われていたので、安心して乗り込む。黙っていてもメーターがちゃんと倒されたので、更に安心。メーターの数字はどんどん上がっていくが、小刻みなので額自体はそれほど増えていかない。結局メーターは25くらいだったが、チップとトランクに荷物を入れたのを足して30ユーロ払った。それにしても30キロ走って3600円である。ポルトガルの物価はまだまだ安い。
 コインブラから30分ほど走るとミネラル・ウォーターの出るルーゴという村を通過し、間もなくブサコに至る。ブサコは全体が森の国立公園になっていて、次第に木の影が濃くなり、渓流沿いに紫陽花が咲いているのが見え、山を登るに従って空気もさわやかになってくる。タクシーでホテルの敷地に入るときゲートがあって、予約の有無を聞かれた。名前を告げると、レセプションに連絡を取り、確認できて初めて行ってよし、ということになった。
 そこからもうしばらく山道を登ると、遂にブサコ・パレス・ホテルが目に飛び込んできた。もちろん外観は写真で見て知っているのだけど、実物を見て「今夜はここに泊まるんだ」となんだか興奮してくる。母も驚きと喜びの入り混じった声をあげている。ホテルの前には大きな庭があって、夕方の光の中をゆっくり散歩している人がいる。
 スムーズなチェックインの後、部屋まで案内してもらう。このホテルはもともと王がブサコに狩りに来たときに使う離宮だっただけあって天井が高く、薄暗い廊下に赤い絨緞が敷かれている。西洋の城というよりも、昔の日本のお屋敷を歩いているような気がした。部屋は角部屋だった。ドアを開けると控えの間があり、その先が寝室。我々はトリプル利用のため、この控えの間のあるデラックスタイプ。控えの間のない普通のツインもあり、少し割安。寝室はクイーンサイズのベッドが2つに、ソファー2つと古風なデザインのクローゼット。残念ながらベッドに天蓋はついていなかった。驚いたのがバスルームの広さ。6畳くらいはある。バスタブは平均的日本人なら、身体を伸ばしても余裕の残る長さがあった。当然、主寝室には両親が休み、僕は4畳くらい(バスルームより狭い!)控えの間のソファーベッドで寝る。
 暗くならないうちに我々も庭に出てみた。改めてホテルを外から眺める。見る角度によって形が違うが、庭の方から見ると、白っぽい四角い箱が3つ重なった上に塔が立っていて、ケーキのような感じがする。近づいてみるとマヌエル様式という凹凸と曲線のくどいような装飾が施されている。パレスという名にふさわしい。庭の池にパレスが映りこんで、そこを静かに水面を乱しながら白鳥が滑るのを見ていたら、何だか中世にまぎれこんだような気がした。
 ホテルの入口近くのテラスにはアズレージョ。エントランスホールを右に曲がると赤い絨緞が敷かれた幅広の階段があり、横の壁にはアズレージョの大壁画。映画のセットのようだったので、両親を階段から降りて来させ、その様子をビデオに撮る。
 部屋で一休みした後、レストランへ。ディナーは8時から10時までと短く、8時にテーブルを予約しておいた。オープン直後のため、2、3組しかまだ客はいない。メニューはフィックスされた本日のコースか、前菜、メインをそれぞれ4、5種類の中から選ぶコースのどちらかで、どちらも30ユーロ。高級ホテルのメインダイニングにしては安いと思う。それに完全フルコースでメインは魚と肉の2皿なのだ。3人それぞれ異なる皿を注文。そしてワインはここでしか飲めないというホテル特製のブサコ・ワインの白で、爽やかでなかなかおいしい。
 料理はウェイターが銀の皿に銀の蓋をしてワゴンに載せてテーブル近くまで持ってきて、そこで台をセットし、蓋を開け、陶器の皿に移しかえて、テーブルに置いてくれるという、何やら芝居がかった雰囲気のサーブ法。そんなことより、料理が少しでも冷めないうちに食べさせてほしいと思ってしまった。
 スープ、白身魚のポワレまではおいしかったのだが、肉料理として頼んだサルティンボッカ(薄くたたいた牛肉の間にセージをはさんでソテーした料理)がとても固かった。僕の虫歯のない丈夫な歯でも噛み切るのに一苦労。デザートもワゴンで運んできてくれる。5、6種類あったので、3人で全部にトライしてみたが、サーブされる1つ1つの量がとても多い上に(これはサービスなのかもしれない)、甘くくどいので食べきれないほど。何とか腹に収めた。
 パレスホテルのメインダイニングなので、もう少し静かな雰囲気なのかなと思っていたが、イタリアあたりの団体客が真ん中の大きなテーブルにいたせいか、雰囲気はとてもカジュアルだった。彼らの料理はやはり団体用メニューなのか、注文を聞くことなく、我々とは違う料理が運ばれていた。日本人の団体客もいたが、なぜか向かいの部屋で食べていたようだ。何となく、本当は団体客を取りたくないのだ、経営上やむを得ずやっているような気がした。確かに、これだけ雰囲気のある所なら、ちょっとリッチな個人客を相手に静かな雰囲気を売りにした方がいいように思う。まぁそれだと逆に僕らにも泊まる資格がなくなるかもしれないけど。一応襟付き長袖シャツにコットンパンツをはいていたけど、そんなおしゃれなものじゃないし、靴はスニーカーだったから。
 ちなみに僕はインターネットで予約して、トリプル1泊朝食つき300ユーロだった。ホテルの建物や宿泊自体は満足できたけど、30ユーロの夕食は期待はずれだった。もう少しレストランがいいといいのになぁと思う。
 最初の計画では明日は朝8時にホテルを出て、2つの町で途中下車しながら列車でリスボンに向かうことにしていたが、ホテルの朝食が7時半からなのと、この旅で最高級のホテルに泊まっているのだから、朝もゆっくりしたいということで、途中下車を1か所減らし、10時頃にホテルを出るということに変更した。本当はもっとゆっくりして、森の中を歩いてリラックスしたりしたいところだけど。
 翌朝、8時ごろ起きて、朝食のため昨日のメインダイニングへ向かおうとするが、部屋の鍵がどこを探しても見つからない。「おかしいなぁ、どこに置いたんやろ」と3人顔を合わすが、誰も「自分がここに置いた」という記憶がない。ひょっとして、とドアを開けて見ると、外側の鍵穴にささったままになっていた! 一晩「自由にお入りください」状態になっていたのだ。何たる不用心。ここがブサコ・パレスホテルという森の中の一軒宿でなかったら、何か事件が起きていたかもしれない。今回は笑い事で済んだけど、十分注意しなければ。ちなみに前の晩、鍵を差し込んだのは僕でした。

[リスボンへ]
 ホテルでタクシーを呼んでもらって、コインブラ駅まで戻る。帰りは呼び出してもらったにもかかわらず全部で25ユーロですんだ。コインブラからリスボンまでは、アルファ・ペンデュラーで通ってきた内陸部の幹線を行けば、急行で3時間ほどで到着するが、時間もあるし、同じところを帰るのも芸がないので、海側のローカル線を各駅停車で進むことにする。まずフィゲイラ・ダ・フォス行きに乗って終点まで。
 フィゲイラは大西洋に面した町で、列車が終点につく少し前には大きな港も見えた。駅は市街地の端っこにあって、2キロほど先からはビーチが広がっている。ここもトランクを引きずっていくのはしんどいので、駅構内の売店のお姉さんにジュースを買いながら、預かってもらえないかと頼んだら、OKしてくれた。身軽になって市街地へ。天気もよく、ビーチらしい明るい雰囲気の街だ。ガイドブックに見所として紹介されていた、カーサ・ド・パソに行こうとしたが、どうしても見つからない。2、3人の人にも聞いてみたが、知っている雰囲気ではなかった。「インテリアがタイルで装飾された家」と紹介されているのだが、町の人にとっても知る人ぞ知るという名所なのだろうか。
 結局あきらめて、昼食を取ることにする。海辺に来たということで、父のリクエストでイワシの塩焼きがあるレストランを探して入る。まだ12時でランチにはちょっと早いため、先客は1組の老夫婦だけだ。ビールを飲んで、イワシやイカのグリルなどを食べる。イワシは1人前なのに5匹も載っている。店のテレビには、ニューヨークの世界貿易センタービルに旅客機が突っ込む映像が映っている。そうか、今日は9月11日なんだ。
 フィゲイラで2時間半ほど過ごした後、再び列車でリスボン郊外のカセムへ。乗客もローカルの人々が多く、のんびりした感じで、ぽかぽか陽気もあいまって、うとうとしては、目覚め、うとうとしては目覚めの繰り返し。景色は内陸幹線より断然こっちの方がいい。海が見えるわけではないけど、畑や林の中を通過しながら、村々を結んでいく。
 カイダス・ダ・ライーニャに停車。当初の計画で途中下車するはずだった所、特産の陶器を見るつもりだったが、ブサコ・パレス・ホテルで朝のんびりする方を選んだので、降りずにそのまま南下する。左手に城壁と風車が見えた。世界遺産になっているオビドスの村だ。今日は通過するが、あさってバスツアーで訪れる予定。 リスボン郊外のカセムという駅で赤い近郊電車に乗り換え、リスボン中心部のロシオ駅へ。改装中であるが、シンボルとなっている表通りに面した馬蹄形の入口は健在。近くでリスボンの市電・バス乗り放題の3日券を買い、バスに乗ってホテルへ。4日ぶりに戻ったホテルで、預けておいたトランクを戻してもらおうと思ったら、僕の渡した半券の番号のトランクが見つからず、荷物置場まで入っていって確認。なぜか、半券の番号が合っていなかった。こんなのでいいのか...
 夕食は僕と合流する前に両親が見つけていた、ホテルの近くのシーフードレストランに行った。ここはエビ、カニ、貝類を生、ゆで、焼などで食べるところで、値段はグラム単位。店はとても賑わっている。量がよくわからないので、とりあえず生がき6個、エビの塩焼き6匹、エビの塩茹で6匹をオーダー。ビールで乾杯した後は、ヴィーノ・ヴェルデ(緑のワイン)と呼ばれるポルトガル名物の若くて爽やかな白ワインを飲む。シーフードと合ってとてもおいしい。かきもエビもおいしい。
 追加注文は何にしようかなと考え始めたころ、隣にいた60歳くらいの夫婦が急にエビを差し出してきた。「え?」と驚いた顔で見返すと、「私達はもう食べられないから、あげる」といっている(ような気がする)。英語でも日本語でもないので分からないが。「オブリガード」といって1匹もらうと、次から次へと自分達の皿から僕らの皿へとエビを移してくれる。「え、そんなに!」といっても「いいから、いいから」といって、結局大小あわせて20匹くらいのゆでエビや焼エビが僕らの前に積まれた。
 夫婦にどこから来たのか聞いてみるとスペインのマジョルカ島からということだった。旦那さんが靴の会社に勤めていて、その出張に奥さんも着いてきたということのようだ。「ようだ」というのは、夫婦が英語でなくスペイン語で話しているからである。僕の中1英語レベルのスペイン語ではなかなか聞き取れない。もっとゆっくり話してください、とスペイン語で頼んでるのに、そしてそれは通じているようなのに、彼らの話すスピードは全く変化なし。両親がこれを聞け、あれを聞けというのを必死でスペイン語に直し(といってもたかが知れているけど)、夫婦のスペイン語を日本語に訳し(言ってることの3分の1くらいになってるけど)、何とか意思疎通を図っていたのだった。
 店の人に写真を撮ってもらったので、送ってあげようと、住所と電話番号を聞いたら、奥さんが口で言うのを旦那さんがメモに書いてくれた。結局、夫婦がくれたエビでおなかが一杯になったので、追加注文はせず、食事にも会話にも満足して100ユーロを支払って帰った。とっても楽しい夕食になった。

[リスボン市内観光]
 今日はリスボン市内を観光する。まずは、中心から西にあるベレン地区へ。ホテル近くのバス停からベレン地区へのバスに乗る。バスを降りて、発見のモニュメントへ。これは航海王子として知られるエンリケ王子(帆船模型を持っている)を先頭に大航海時代を支えた天文学者、地理学者、宣教師などの彫像が片側20人近く続くもの。世界史においてポルトガルが最も輝いていた時代を示すモニュメントだ。
 その前の大理石の地面には世界地図の大きなモザイクがあり、主な地名とともに、ポルトガルがそこを「発見した」年号が記されている。ちょっといびつに歪んだ日本の脇には「1541」の数字が。うーん、これはどういう年号なのか。ザビエルでも鉄砲伝来でもない。ポルトガル船が豊後に漂着した年なのだそうだ。
 モニュメントの展望台に登ってみる。目の前にはテージョ川。川といっても余り流れているようには見えず、向こう岸も何百メートルも先であり、入江という感じがする。左手にはサンフランシスコのゴールデンゲートブリッジのようなつり橋(4月25日橋)がかかっているので、余計に川には思えない。橋のたもとにはリオのコルコバードの丘に立っているような両手を広げた大きなキリスト像。右手にはこれから訪れるベレンの塔の姿が。川と反対側を見ると、真下に地図のモザイク、その向こうに線路と道路をはさんでジェロニモス修道院が堂々とした姿を見せている。線路は近郊電車のものでかなり頻繁に列車が通過していく。
 発見のモニュメントから歩いて5分くらいでベレンの塔。ここは昔テージョ川を通行する船から通行税を取った関所のような役割を果たしていた建物。そういうと無骨な感じだが、外見はマヌエル様式の白く優美な姿で「テージョ川の貴婦人」という別名もうなずける。ただ内部は地下牢(水牢)や砲台があり、いかめしい雰囲気である。
 ベレンの塔から歩いて10分ほど(発見のモニュメント方向に戻る)で、ベレン地区最大の見所ジェロニモス修道院。ここはとにかく大きい。大きいのだけど、ケルンの大聖堂のように黒くないので、威圧感は小さい。修道院とはいえ、城というのがふさわしい規模である。ここもマヌエル様式なのだが、ごつごつした様子はゴシック風にも見える。壁は白く、屋根はレンガ色。
 礼拝堂の中に入ってみると、何本もの柱に支えられた広大な空間。祭壇に近づくにつれ、ぼんやりと暗い中にも金色の光が混じってくるような気がする。それもそのはず、祭壇やその近くは金めっきされた彫刻や装飾であふれているのだ。柱はそのまま天井の丸いカーブにつながり、全体として椰子の木のイメージなのだそうだ。確かにそういわれると納得できる感じ。
 礼拝堂も独特の雰囲気があるが、ジェロニモス修道院の最大の見所は回廊であろう。ここはお金を払っての見学となる。礼拝堂を出て左が回廊の入口。かなり感動的である。1辺30メートルほどもあるかなり広い中庭の回りが廊下になっている訳だが、その柱や庇、アーチなどのデザインが素敵である。ガイドブックの写真では、かなり薄汚れた灰色のように見えたが、洗いなおされたのか美しいベージュ色である。その色と波打つような表面からビスケットかクッキーのように見える。部分的にはプレッツェルのように紐をハート型にねじったようなところもあって、いっそう食べ物のように見える(僕は源氏パイを思い出してしまった。)とにかく繊細で美しく、写真をばかばか撮ってしまった。
 礼拝堂の薄暗く、でも金色でちょっと装飾過多ぎみの、少しおどろおどろしい雰囲気と、この回廊の爽やかで静謐な雰囲気のギャップが大きい。修道院の生活はどちらがベースなのだろうと思う。
 こうしてジェロニモス修道院(特に回廊)を満喫したあと、近くの有名なお菓子屋でエッグタルト(パステイス・デ・ナータ、1個0.7ユーロ)を立ち食いし、修道院前からトラムに乗って中心部へ戻る。リスボンの路面電車は有名だが、中心部とベレン地区を結ぶ路線には、モダンなデザインの低床式トラムが導入されている。しかし、ここでも世界の潮流と同じく、ラッピング電車が花盛り。キットカットだのシーメンスだの。カラフルなのはいいが、ちょっと興ざめではある。
 中心部に戻り、今度はロシオ広場から木製1両のレトロな雰囲気たっぷりの路面電車に乗って、大聖堂方面に坂道を登っていく。勾配もかなり急で、道幅も所によってはとても狭く、遊園地のアトラクションのように楽しい。駐車中の車が邪魔だと、警笛を鳴らして、車がどくのを待ったりするところは、なんともアナログな世界。座席は20ほどしかなく、いつ乗ってもかなり混雑していた。
 何回もカーブをしながら丘を登り大聖堂前で下車。ここは路面電車が細道から大聖堂前の少し開けたところに出てくるところで、絶好の撮影ポイントとなっている。僕もしばらくそこに陣取って、大聖堂をバックに路面電車の写真を撮った。電車は5分間隔くらいの頻度で走っていて、撮影がうまくいかなくても、しばらく待てばすぐ次の電車が来る。レトロな路面電車といっても、こっちもラッピングは進んでおり、コカコーラやカフェTOFAの広告に覆われている。でもなぜか電車自体のレトロな雰囲気は壊されていない。広告よりもノスタルジーの力が強いなんて何かうれしい。
 大聖堂前から今度はバスに乗ってサンジョルジェ城へ。このバスもこんな所通れるの?というくらいの勾配と細さの道を力強く登って城の入口へ。
 城といっても城壁程度で豪壮な建物が残っているわけではなく、ここは城を見に来るところではなく、リスボン市街を見渡す展望台である。左手にはテージョ川と4月25日橋、正面にはオレンジ色の屋根の波、その奥の丘には紫のブーゲンビリアに覆われた別の展望台、右手にはリベリダーデ大通り沿いの緑、所々広場がぽっかりとした空間を作っている。建物の隙間からにょっきりと立ち上がったサンタジュスタ・エレベーターも見える。素晴らしい景色。
 リスボン市街のパノラマを楽しめるのは、サンジョルジェ城だけではない。リスボンは坂の町と言われているが、別の言い方をすると展望台の町とも言えると思う。僕達はこの後、大聖堂近くのサンタ・ルジア展望台、グロリアのケーブルカーに登った右手のサンペドロ・アルカンタラ展望台(城から見えたブーゲンビリアの展望台)、グラシア展望台、セニョーラ・デ・モンテ展望台、そしてサンタジュスタ・エレベーターの頂上など、あちこちから、いろいろな角度からリスボンを眺めた。こんなことができる町は世界中探してもリスボンしかないのではないか。
 サンタジュスタ・エレベーターは町の中に突如現れる、ロシオ地区と坂の上のシアード地区を上下に結ぶある種の交通機関の役割を果たしているものだが、シアード地区への通路が工事中で、登ってもそのまま降りてこなくてはならない状況だった。それなのに眺望を求める観光客で行列ができており、てっぺんのカフェもしっかり営業していた。
 城の入口近くの小さなレストランでランチの後、歩いて大聖堂付近まで降り、アルファマ地区に入ってみることにする。アルファマ地区はリスボンでも最も古い地区で、昔の家がそのまま残り、下町の雰囲気たっぷりで、細道と階段が複雑に入り組んでいるところ。ちょっとイスラムの雰囲気もある。狭い道には洗濯物がはためき、向かいの家の窓同士でも話ができそう。住んでいる人にとっては、旅行者が散策することを必ずしも歓迎していないかもしれないので、何となく緊張する。特に地図を見ずに歩いたが、坂道なのでどんどん降りてしまっては、また帰りが辛い。ある程度降りたかなと思ったところで、登る道を選んでいくと元のポルタス・ド・ソル広場近くに出た。もっと迷い込んでも面白いかなという気もしたが、まぁアルファマ地区の雰囲気を楽しめたからよしとする。
 再び路面電車。今度は違う路線に乗って、細く曲がりくねった坂道を下る。夕食はコメルシオ広場近くの中華レストラン。中華は当たり外れが少なくていい。

[ファティマへの1日バスツアー]
 リスボンの北には見所のある小さな町がいくつか散在している。これを自力で回ると1日では3つくらいしか行けそうにないので、バスツアーに参加することにした。駆け足ながらオビドス、アルコバサ、ナザレ、バターリャ、ファティマと回る。
 9時に集合場所に着いてみると、様々な行き先の観光バスが並んでいる。我々の参加するツアーは満席で、僕と両親の席は前後にだいぶ離れてしまった。僕の隣はフランス人のおばあさん。あいさつはしたけど、僕はフランス語ができないので、会話できなかったのが残念。乗り切れなかった人のために、ワンボックスカーが追加投入された。
 ガイドは45歳くらいの太った女性で、ポルトガル語、英語、フランス語、ドイツ語で案内をする。スペイン人が「スペイン語はないのか」と言ったら、「あんたたちはポルトガル語で理解できるでしょ」というようなことを言われていた。それにしてももう慣れているとはいえ、4か国語をペラペラとしゃべるのはすごいなぁと思う。(誤解を恐れずに言えば、田舎のおばちゃんにしか見えないのに。)2階建てのバスだから、やはり見晴らしがいい。
 最初のストップがオビドス。このツアーで僕がいちばん訪れたかった村。城壁に囲まれた中世の趣を残す村。昔王様が王妃に村ごとプレゼントしたそうだ。でも50分しか与えられていないので、ガイドの説明も聞かず、両親と3人でとっとと歩く。ポルタ・ダ・ヴィラから城内に入るが、その門の中にはアズレージョの装飾。門を抜けると石畳の道が伸び、両側に白い漆喰の家が並んでいる。ブーゲンビリアの薄紫が白壁に映えてとてもきれいだ。ほとんど全ての窓辺には植木鉢。幅2メートルくらいの道は観光客がかなり大勢歩いている。
 右手にサンタマリア教会を見て突き当たりが城。ここはポサーダ(歴史的な建物などを改装した国営ホテル)になっている。旅行計画を立てているときに、ここに泊まりたいと考えていたのだが、全部で9室しかないこともあって、残念ながら既に満室だったのだ。
 城壁に向かって登ると、家々の白壁の下から50センチくらいが青や黄色に塗られているのが、メルヘンチックな感じだが、これはオビドスのシンボルカラーなのだそうだ。何かスウェーデンの国旗みたいな組合せ。城壁に登るとレンガ色の屋根の村が一望できるとともに、その外側に広がる平野が見渡せる。平原にぽつんと浮かんだ島のような村だなぁということがよく分かる。城壁の幅は人がすれ違うのがやっとだが、1時間もあればぐるりと一回りできる。僕らは時間がないので、登っただけでほとんど歩けなかったが。
 そんなこんなであっという間に集合時間になってしまい、バスに戻る。その時になって、「あ、サンタマリア教会の中に入るのを忘れた。ガイドブックによると内部装飾がとてもきれいなのに」と気づき、やはり観光も余裕を持たないといけないなぁと思った次第。それにしても50人(それも老人が多い)もの人がバスに乗り降りするのに、それだけで10分くらいかかってしまうのは、何とかならないものか。
 次のストップはアルコバサ。ここはバロック式の大聖堂があり、その中に伝承で有名なペドロとイネスが眠っている。ポルトガルの王子ペドロは妃の次女イネスに恋してしまい、妃の死後イネスと暮らし始め子どももできるが、それをよく思わない取り巻き達がイネスを殺してしまう。ペドロは王に即位すると、それらの取り巻きを殺し、墓からイネスの遺骸を掘り出して衣装を着せ、改めてイネスとの結婚を明確にする。という伝承。
 この2人の棺は、6体の動物の彫像に支えられていて、白い大理石に細かい彫刻を施した美しいもので(所々崩れているけど)、2人が目覚めたとき最初に見るのがお互いであるようにと、向かい合うような形で置かれている。とはいえ、棺同士は10メートル以上離れているので、2人のことを思うならもっと近くにしてあげればいいのにと思ってしまう。
 アルコバサ大聖堂の前に出ていた土産物の出店で、取っ手が編んだようになっている陶器の果物籠を母親が気に入った。高級なハンドメイド品というよりは、スーパーでも売っていそうな大衆品という感じだったが、値段を聞いてみると11ユーロ。聞き違いだと思って確認したがやはり11ユーロ。いくら大衆品といっても、これは絶対安いということで、買った。これを後で父に話すと、普段買い物についてはノーコメントか批判的な父も、「これが11ユーロなら確かに安いわ」と珍しく母親の買物を追認するような発言をしたので、母も少しうれしかったようだ。
 バスはナザレに向かう。母が「ナザレってイスラエルかどこかの町じゃないの?」と聞いてきたが、その認識は全く正しい。ここはマリア様の像が流れ着き、それがユダヤのナザレから来たものだということで、それにちなんでナザレと名づけられたのだ。
 ナザレの町はビーチ沿いのプラヤ地区と丘の上のシティオ地区に分かれていて、バスはビーチ沿いに止まった。僕らを含め昼食を頼んである人はまず指定のレストランで昼食。10ユーロの追加料金なのに、スープ、サラダ、魚料理、メロン、コーヒーに、ミネラルウォーターとワインもついて、ツアー団体用メニューにしてはなかなかよかった。一緒のテーブルには、ワシントン州から来たアメリカ人老夫婦、40歳くらいのオーストラリア人夫婦、ドイツ人とブラジル人の夫婦がついた。英語で少し会話をした。
 快晴で太陽光線も強く、ビーチもきれいで、僕も泳ぎたくなった。面白いのはストライプ模様の個人用着替え用のボックスが何百と並んでいること。ガイドブックではナザレは漁村と書いてあり、黒装束の女性が魚を干していたり、漁師が網を直していたり、七輪でイワシを焼いていたりということだったが、黒装束の女性こそ数人見かけたものの、あとはひなびた漁村では全くなく、華やぎ陽光あふれるビーチリゾートの風情だった。町のはずれの方に行けば昔ながらの風景が残っているのかもしれないが、ちょっと残念だった。
 ビーチの端から岩山がそそり立っていて、ケーブルカーが行き来しているのが見える。乗り物好きの僕らとしては、ケーブルカーでシティオ地区に登り、そこからプラヤ地区とビーチを見渡したいところだが、こちらも時間がないので断念。ガイドにバスはシティオ地区に行くのか尋ねたら、一言ノーと言われた。もう少し愛想のある返事があるだろうと思ってしまった。
 ナザレの次はバターリャの大聖堂。バターリャとは戦いという意味で、ここでポルトガルがスペインに勝利したことを記念して建てられた聖堂。内部に2人の兵士が(たぶん無名戦士の)墓を守っていて、ポルトガルにとって重要な勝利だと思われる。
 建物はアルコバサの女性的で装飾的なバロックではなく、男性的で直線的なゴシック風。中庭と回廊はリスボンのジェロニモス修道院のミニチュア版のよう。不思議なことにここは一部未完成のままとなっていて、その部分は屋根がかかっていない。窓にはステンドグラスもはめてあり、壁も柱も彫刻で覆われているのに、目を上げればそこには青空という不思議な空間。でも雨が降ったら、かなり変な感じがしそうだ。
 いよいよ今日のツアーのメインであるファティマへ。その前にツアーお決まりの土産物屋に寄った。でもここはただの土産物屋ではない。ファティマの地元らしく、キリスト教やマリア様に関するものがメインの店だった。入口には等身大のキリストやマリアの像が置かれ、30万円くらいの値段がついている。店内にも大小さまざまなマリア人形、キリスト人形に、シール、写真立て、ろうそく立て、などのマリア様グッズ、ロザリオが売られている。でもこれだけ多くのものが並べられていると、ご利益も薄いような気がしてしまう。が、そう思うのは信者でない我々だけのようだ。店は結構流行っているし、ツアーバスから降りた人たちも結構買物をしている。バスに戻ると近くに座っている人が買ってきたものを袋から出してうれしそうに眺めているが、こっちは「何がそんなにうれしいの」という感じである。我々がこの店でうれしかったことは、アルコバサで買った果物籠と同じスタイルのものが20ユーロだったこと。やはりさっき11ユーロで買ったのは大正解だったと、母と喜び合った次第。
 さて、ファティマは3人の子どもがマリア様を見たという奇跡の場所である。その奇跡というのが、1917年というのが驚きである。見える者にだけ見えるということだから、他人には証明のしようがなく、ローマ法王が奇跡と認定したといっても、キリスト教普及のためなら何でもするだろう、と懐疑的になるのもいいが、ここは黙ってその奇跡を受け入れて見学することにしよう。
 建物の前の広場の広さにまずびっくりする。ミサの時には何万人もの人々がここに集まるのだそうだ。その広場はコンクリートだが、一部大理石で幅1メートルくらいの道が作られている。そこは巡礼者がひざまづいて進むための道だ。今日も10人くらいの人が立膝で前進している。信者でない者には計り知れないが、真剣に祈りを捧げているのだろうと思うし、見ているとこちらの心も少し引き締まってくる。脇のロウソクを立てる場所には、太くて長いローソクに火をつけて備え、祈っている人がたくさんいる。
 高いバジリカの前面にはマリアを見たとされる子どもの大きなモノクロ写真が掲げられているが、少しだけナチスの迫害を受けた少女の写真に見えないこともない。中はアルコバサやバターリャと比べると格段に多くの人が祈っており、信者にとってここファティマが重要な場所であることが分かる。マリア様を見たという3人のうち2人は既に亡くなり、バジリカの中に葬られているが、1名はまだ存命でコインブラの教会で過ごしているそうだ。敬虔な祈りに混じり、僕も目を閉じて、家族の幸せなど個人的な願い事をする。
 ファティマが奇跡の地だと知っている友人から何か買ってくるよう頼まれていたので、ショップをのぞいてみる。店は小さいが売っているものはさっきの土産物屋とほとんど変わらない。何を買ったらいいのか分からないが、なんとなくマリア像はちゃちだから今ひとつだろうと思い、マグネットを買った。2台のレジの1台には普通の女性、もう1台には水色の服を着て白い布を頭にかぶったシスターだったので、シスターの方に並ぶ。帰国後、その人に「これはシスターから買ったからご利益があるはず」と言って渡したが、どうだろうか。彼女は司法試験を目指しているので、ご利益があるといいのだが。でも彼女はマリア像でもよかったとも言ったので、最初からそれを聞いておけばよかったなと思った。
 こうして、オビドス、アルコバサ、ナザレ、バターリャ、ファティマと盛りだくさんのツアーは終了。1か所あたりの時間は短く、駆け足ではあるが、充実したツアーだったと思う。ランチ込みで一人90ユーロとちょっと高いが、1日でこれだけ見られるのだから、OKだろう。ただ、我々は3人で参加したので、合計270ユーロ。ひょっとしたら、車を1日チャーターして回ることもできたかなと後で思った。ツアーは満足できるものだったが、ちょっと疲れたので、夕食はホテルのカフェで軽くパスタなどで済ませた。

[シントラ]
 小雨模様。今日はリスボン近郊の観光の目玉である山間の町シントラとロカ岬をまわる。シントラへはロシオ駅からの近郊電車で40分ほど(1.2ユーロ)。シントラ駅から、1〜2時間おきに、旧市街の王宮、丘の上のペナ城などを巡回するバスに乗ろうと思っていたのだが、待ち合わせの時間が長かったことと、バスの時間に縛られて好きなように時間が取れないことから、思い切ってタクシーをチャーターすることにした。駅の観光案内所の女性に尋ねると、王宮とペナ城を回ってもらうと20ユーロくらい、更にロカ岬まで行くと40ユーロくらいとのこと。駅近くのタクシー乗り場で運転手に聞いてみると、相場どおりだったので、乗ることにした。ロカ岬の後で、リスボンへ戻る近郊電車の出るカスカイスまで行ってもらうことにして、合計60ユーロで話がついた。一人なら絶対タクシーをチャーターするなんて考えないが、今回は両親と3人なので、一人あたり2400円ということになる。日本人の感覚では十分安い。
 雨の降る中、まずは旧市街の王宮へ。ここは台所の煙突が2本細長い円錐形に突き出ているのが外観上の特徴。中は白鳥の間、カササギの間などそれぞれ特徴のある装飾を施した部屋が続いている。ヨーロッパの王様はどこもこういうのが好きみたいだ。40分くらいで一回りして、丘の上のペナ城へ。
 ここはカラフルなケーキのような一風変わったデザインの城である。作らせたのが、ドイツのノイシュヴァンシュタイン城を作らせたルードヴィッヒ2世のいとこというのを聞くと、さもありなんと思えたりする。タクシーは城の前ではなく、丘の中腹までしか行けない。そこからは山道を歩くか、専用のミニバスに乗っていく。雨も降っているし、僕らは当然のようにミニバス。登るにつれて、霧が濃くなってきた。ミニバスを降りた所からは見上げればペナ城が目に飛び込んでくるはずなのだが、立ち込める霧の中にぼんやりと影が見えるばかり。小雨は相変わらず降っていて、寒い。結局写真で見るとディズニーのテーマパークにでもありそうなペナ城の姿はよく見えなかった。
 城のテラスからは緑に包まれたシントラ、遠くにはリスボン、更に大西洋まで見渡せるというふれこみなのに、深い霧のせいで1メートル先も見えない有様。見えないと分かっているのにテラスまで足を伸ばしてしまうのは、万国共通のようだ。それにしても、城といい、城からの絶景といい、今回見られなかったことはとても残念。ちなみにペナ城の内部は、あまり印象に残っていない。

[ロカ岬]
 シントラからロカ岬へ、タクシーは順調に走る。途中で路面電車が道路脇を走るところがあったが、ガイドブックにも載っていないもので、どういうものなのかはよく分からない。だんだん雨も小ぶりになってきて、ロカ岬に着く頃には上がっていた。風景も荒涼とした感じになってきて、シントラから30分くらいでロカ岬に到着。
 タクシーを降りると、強い風が吹き付けてきた。強風に抵抗しつつ、モニュメントの所で記念撮影。実はこれが3人で写っている唯一の写真。モニュメントの下は、切り立った崖になっていて下には大西洋の波が打ち付けている。目の前には大西洋で、信じられないが、その先にある陸地はアメリカ大陸なのだ。まさに「ここに地終わり、海始まる」(ポルトガルの詩人カモンエス)。モニュメントから少し離れたところには、赤と黄色のかわいらしい灯台がちょこんと建っている。付近は強風のせいか、丈の低い多肉植物が生えているだけ。
 土産物屋で父が突然タイルを買ったのでびっくり。案内書ではヨーロッパの最果て到達書を作ってくれる。5ユーロくらいだが、名前入りで赤い蜜蝋の印章付き。ちょうど作ってもらっている人がいたのでのぞいてみたが、買っても飾らないような気がして、買わなかった。この辺3人ともけちだったりする。
 再びタクシーに乗り込んでカスカイスへ。父がロカ岬に生えていた多肉植物の話をして、「あれ挿し木にしたら増えるかもしれないなぁ」と言うと、母がくっくっと笑い出した。いったい何?と思ったら、「実は挿し木用と思って2、3本摘んで持ってきたの」。うーん、40年近く夫婦をやっているとはこういうことなのか、とちょっと感心するとともに、妙にうれしかった。(ただ、帰国後植えてみたが、根付かなかったそうだ。)
 カスカイスの浜辺でタクシーを降りる。約束どおり60ユーロを払うと、運転手は大喜びの様子だった。たぶん今日はシントラへ戻って仕事終わりなんだろうなぁ。カスカイスはこぎれいなビーチリゾートといった感じの街だが、曇り空のせいか、余りにぎやかではない。でも何かの大会なのか、目の前の海にはヨットがたくさん出ていた。小さな食堂でまたもイワシだのタラだのを食べる。カスカイスからは近郊電車でリスボンへ。この電車は途中ベレン地区を通り、右手に発見のモニュメント、左手にジェロニモス修道院をちらっと見て、カイスドソドレ駅へ。これでまたリスボン中心部に戻ってきた。
 まだ3時なので、まだ行っていないバイロ・アルト地区。最もリスボンらしい風景といわれるビッカのケーブルカーの所へ行ってみた。坂の上から下を見下ろすと、両側に古い家が並ぶ細い坂道をケーブルカーの線路が走り、その先にはテージョ川が見えている。リスボンを紹介する写真としてよく使われるスポットなのだそうだ。が、ちょうど路線が修理中で、ケーブルカーは1台も止まっておらず、大きなシンボルが抜けたちょっとしまらない風景になってしまっていた。その後、近くにある別の展望台から、テージョ川とリスボン市内を見下ろした。それにしてもやはりリスボンは坂の街、展望台の街だと再認識。
 6時を過ぎ、暗くなってきた。ポルトガル最後の夜なので、ファドを聞いてみようということになっている。ファドレストランが固まっているバイロアルト地区に行き、目に止まった大衆的な雰囲気の店に入ってみた。ファドは7時から始まるという。壁にはミュージックチャージ10ユーロという張り紙。料理とワインを注文し、食べていると、外からギタリストと歌手が2人ずつ入ってきてファドが始まった。
 はじめに中年の男性が挨拶の後、2本のギターに合わせて歌いだした。ファドってポルトガルの演歌で暗い感じの曲が多いと聞いていたのに、軽やかなギターと歌で、カンツォーネのような感じ。おじさんが3曲ほど歌うと、歌い手がおばさんに交替。おばさんは太っている。黒いショールをまとって、こちらは絞り出すような声で歌う。必ずしも暗いという雰囲気ではないが、感情のこもった激しさを感じさせる。持っていたファドのイメージに近い。彼女も3曲ほど歌うと、店から出て行った。
 ただ、これで終わりということではなく、30分ほどしてから、また戻ってきて再び3曲ずつくらい歌ったので、その間は別の店で数曲歌っていたのだろう。その間に隣に座ったイタリア人女性カップルが食べていた干しダラのグラタンがおいしそうだったので、追加注文。ちょっと塩が効きすぎだったが、まずまずの味。
 ファドの方は、先ほどの男女が2回目のステージを終わったところで、それまで注文を聞いたり、皿を運んだりしていた、店の娘らしい若い女性が歌いだした。突然の歌手登場にお客も驚いた様子。そして、彼女の歌がさっきの年配の男女より朗々とかつせつせつとした歌いぶりで、なおビックリし、拍手喝采であった。彼女はジーンズにトレーナーという店員の時の服装を変えもしなかったから、たぶん練習を兼ねた披露ということなのだろうが、僕達にはいちばん上手く聞こえた。
 ファドは本当は夜遅くなってからが一番盛り上がるそうなのだが、僕達は9時ごろ店を出てホテルに戻った。そういえば勘定書きにはミュージックチャージは書いてなかったけど、よかったのかな...

[帰国]
 ファドを聞いた翌日、ポルトガルを離れる。ここから両親ともお別れ。両親は朝の列車でマドリッドへ行き、スペインでもう3泊してから帰国。再びサンタ・アポローニア駅へ。でも今度は両親を僕が見送る。9日間楽しく過ごせてもらえただろうか。(一応それなりに自信はあるが。)涙もろい母は、列車の出発が近づくと目をうるませた。二人の姿が見えなくなるまで手を振って、列車が行ってしまうと、何だかぽっかりと旅が終わってしまった気分。
 僕は午後の飛行機なので、サンタ・アポローニア駅から、雨の中を下町の細い道をぶらぶら歩いてロシオ広場近くに出て、改めて1日乗車券を買って、路面電車のまだ乗っていない路線に乗る。最後に地下鉄にも1区間乗ってホテルに戻り、チェックアウト。リスボンからのTAPポルトガル航空ロンドン行きは1時間遅れで離陸した。さよならポルトガル。普通ならこれで終わりなのだが、今回は最後にもう一つのお楽しみが残っているのだ。
 それはロンドンから成田まで、ビジネスクラスに乗るということ。JALが導入したばかりのシェルフラットシートを体験する。貯まった27500マイルをこれに投資した。アップグレードは片道でもできるし、お得感がある。ビジネスクラスだからヒースローのラウンジでゆっくりしようと思っていたのに、リスボン発が遅れたせいで、15分くらいいただけで搭乗時刻になってしまった。
 シェルフラットシートとご対面。わくわくする。座り心地はさすがにいい。電動で背もたれが倒れ、フットレストが上がり、お尻の部分が少しせり出して、170度までリクライニングしてほぼ水平になる。座席幅も約60センチあるし、座席間隔も約150センチあるので、隣の人が寝ていても、起こさずに出入りできる。(僕は窓側派なので。)テレビモニターも10インチと大きく、AVODなので映画も自分が見たいときに見始めることができる。
 料理はエコノミーよりおいしいと思ったが、座席の差に比べると、それほどでもないという感じだった。乗る前はせっかくのAVODを活用して、映画を2本くらい見ようと思っていたし、小腹がすいたら「うどんdeスカイ」(ビジネスクラス、ファーストクラス用のミニカップうどんなのだが、けっこうおいしくて好きなのだ)を食べようとも思っていたのだけど、座席を倒して目をつぶったら眠りに入ってしまい、起きたら到着前の朝食タイムになっていた! 機内でこれほどぐっすり眠ったことはない。たぶん隣の人を起こさずにトイレに行けるから、ワインもトイレのことを気にせず飲んだということもあると思うけど。
 というわけで、JALの新型ビジネスクラスはとても快適で、用意されたエンターテインメントを満喫することもなく、疲れ知らずであっという間に成田に到着。やはりビジネスクラスはいいということを再認識。これからも貯まったマイルはアップグレードに使おう!
 両親孝行ができたようなうれしさと快適なビジネスクラスで、ポルトガル旅行は幕を閉じたのだった。




  Photographs from Portugal
  Photographs from Portugal part 2
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  Photographs from Portugal part 5
  Photographs from Portugal part 6




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