漢字魔二世とワーグナー 「総合芸術論」    

                                       機動戰士鋼彈



 漢字魔二世の音楽を聴かれたことのある読者はいるだろうか?

ヘヴィメタ、ヒップホップから演歌、クラシック、果ては某国歌を風刺したものまで、

非常に幅広く扱った作品群である。いわゆる「何でも屋」は、巷に掃いて捨てるほど

数が多いのだが、漢字魔二世の音楽は、どの分野の音楽においても優れた作曲

技法を見せつけ、また、自らの歌唱力も群を抜いたものである。筆者は下手なアマチュアながら

クラシック(管弦楽用)の楽器を少々弾くので、その音楽が優れているか取るに足らないものかは、

楽譜を見なくても多少は判るつもりである。逆に楽譜だけ見ても判らないことがあるが。



 かつてのドイツに、ワーグナーという作曲家がいた。

ワーグナーも良く言えばゼネラリスト、オールラウンドプレーヤーで悪く言えば

何でも屋のディレッタントである。漢字魔二世の地上代理人氏は、大のワーグナー

信奉者(業界ではワグネリアンと呼ぶらしい)であると言う。愛読書は歌劇「タンホイザー」の

スコア(総譜。全パートの楽譜を同じページに配置し、同時に見ることが出来るもの)だと聞いている。

ワーグナー登場以前のオペラ(歌劇)とは、当然のことでもあるが、あまりに音楽に

重点が置かれた為、台本となるテキストや舞台美術に関しては、存外おざなりなもの

であったらしい。

ワーグナーは本人自らの筆で、テキストを1から起こし、自分の作品を完璧に視覚化する

ための舞台美術に徹底的に力を注いだ。

「音楽」「文学」「美術」の三位一体の統合、すなわち「総合芸術化」である。

ワーグナーはコンポーザーである上に、ライター、デザイナー、プロデューサーであり、

スポンサー(パトロン)狩りにも長けていた。ワーグナーの芸術に出資した南ドイツのバイエルン国王

フリードリヒ二世は、国家財政を破綻に追い込まれた程である。

ワーグナーも前半の作品は「歌劇=Oper=オペラ」と呼んでいたのだが、総合芸術化が

進んだ「ニーベルングの指環(なんと1回の上演に4日かかる!)」以降は、「楽劇」と呼ばせている。

最後の作品、「パルジファル」に至っては、「楽劇」を超える「舞台神聖祝典劇」という、とて

つもないカテゴリの作品として生み出され、上演は自ら設計に関与したバイロイトの劇場に

限り、他の場所での演奏を禁じて門外不出とした。相当な誇大妄想人物とも言える。




なぜ長々とワーグナーについて述べたかというと、漢字魔二世が創り出した世界、

日本漢字党も、「総合芸術」なのである。いささか荒唐無稽に感じられるかもしれないが、


 第一に漢字魔二世の創る「漢字音楽」がある。これは言うまでもなく一個の音楽芸術である。


 第二に漢字の美しさを活かした「漢性美術」。古来からの「書道」及びそれを発展させたものであり、

他の文字では絶対に真似の出来ない素晴らしい美術作品である。それは漢字魔二世の

「法皇真筆」という揮毫であり、丸腰氏が描いた数々のパソコン用の壁紙、宣伝ビラ、漢字党Tシャツの

デザインである。プロが関与しているので、ただ家のパソコンの中に飾っておくのは勿体無い程の

ものである。最近、彗星の如く現われた怒論破氏、氏はアメリカでの経験を活かして、同じ

「漢性美術」でも、丸腰氏と全く違うタッチの芸風で諸人の目を驚かせている。これからも相当な

ハイレベルで競演して頂けることを皆、楽しみにしていることであろう。


 第三にテキスト、文学としての芸術である。発祥の地である2chが文字メディアであるので、これが最も

大きなウェイトを占めることとなっている。漢字魔二世が提示した命題(テーゼ)に対して次々に

反応を示す党員の書き込み。音楽では主題に対する変奏、バリエーションと言われる手法である。

また、指導者としての漢字魔二世をオーケストラの指揮者に例えるなら、彼の指揮棒の

もと、党員は歌い手となり、楽器の奏者となり、文字の渦を奏でているのである。


更に、各党員が独自の得意(特異)な才能を活かし、「漢能小説」や「親爺冗句」に代表される

新境地を開拓しつつある。党員が漢字魔二世や日本漢字党というフレームをヨリシロに、

デッドコピーで無い文化の自然増殖をする事すら可能なのである。これは、ある意味、一個人に

よって完成されてしまっているワーグナーの音楽をすら凌ぐものである。


今日も更新されつつある日本漢字党のログには、

「リエンツィ」のような権力闘争と「さまよえるオランダ人」のごとき自己犠牲、

「ローエングリン」のロマンティシズム、「タンホイザー」のような官能・背徳的な愛と

「トリスタンとイゾルデ」のような甘く悲劇的な愛、

「ニーベルングの指環」の戦いと英雄譚、「ニュルンベルグのマイスタージンガー」の喜劇性および

自己文化優越性の(勝手な)主張、「パルジファル」のような神聖なオフ会と、それこそ全部読むのに

4日や1週間かかってしまうような豊富なコンテンツが含まれている。

一気に読むのはあまりにも無謀なので、100発言毎に分割した過去ログを用意している。

2000年2月からの過去ログに興味の有る方は、是非御一読頂きたい。




長いあとがき

漢字魔二世の地上代理人氏は「2chのクラシック板にいるような自称評論家(評論屋?)が

クラシック音楽を滅ぼす」と私に語った。私も評論家は嫌いで、卑しい商売であると思っている。

評論家は何かを生産する事が出来るだろうか?不労所得とまで言わないが、先に他者の

作品ないし演奏が無ければ成り立たない商売である。

だが、敢えて非難を恐れず、また、漢字魔二世が生み出した世界の芸術性を世に

知らせる為、(勝手に)筆を執らせて頂いた次第である。

それと日本漢字党、所詮、内輪受け・自己満足の文化祭のようなノリで終始しているようにも見えるが、

2chのような殺伐した、かつ余りにも流動性の高すぎる世界において、人の優しさに触れたり、

1年半もの長期に渡って続けたり出来るのは、それなりの価値があったからこそ、と考える。

最後に、私たちは電波集団ではあるが、閉鎖的でも何でも無い。初めて慣れない全部漢字の

文章をカキコして来たニューカマーに、一度たりとも「ヘタクソ」とか「氏ね」とかの罵声を浴びせた

ことは無い。皆、優しすぎる程の人々である。

少々「難しそう」と感じる方も多いかと思うが、「ちょっと面倒くさいパズルの方が解くのが

楽しい」、とアプローチを変えて頂くだけで、誰にでも楽しむことが出来るし、皆、貴方達をいつでも

大歓迎なのです。

漢字暦二年(西暦二〇〇一年)盛夏、スイス・サンモリッツにて。


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