Background Group B によるWRCが開催されるようになり、観客動員数は増加し、それに伴い、各メーカーの威信をかけた過激なパワーウォーズはエスカレートの一途をたどりました。 1985年のアテリオ・ベッテガの事故死、1986年のポルトガルラリーでの観客に突っ込む惨事、ヘンリ・トイボネンの事故死と、その安全性に対する疑問の声が挙がり、危険すぎる Group B は1986年を以って終焉を迎えました。 しかしながら、当初、1987年からは、ホモロゲーションを取得するための最低生産台数が僅か10台というGroup S 規定が新たに施行されるはずでありました。 TTE 222D Ford RS200 Lancia ECV・ECV2 TTE(トヨタ・チーム・ヨーロッパ)のこのプロトタイプは、AW11 MR2をベースにしてはいましたが、当時のラリーコンペティターの例に漏れず、ミッドシップ4WD を採用。エンジンは2Lの 3S-G を縦置きし、ターボを装着。500馬力以上を発揮したといいます。 プロトタイプゆえの黒いボディ・カウルは、まるでMR2の皮を被った黒い悪魔といった風情です。 現存する1台はドイツ、ケルンのTTE本社に眠っているそうです。 GrBには後発だったフォード。勝つ為には絶対であった4WDの分野では全くの未経験だったにも関わらずRS200は素晴らしい成果を納めました。 基盤が固まり翌年のGrSに向け、2.1L、600馬力のRS200Eの計画が始まった矢先、GrBが廃止。WRCを駆けることはありませんでした。 RS200E、それはこれまでに生産されたどのラリーカーよりもパイクス・ピークに向いた仕様になっていたといいます ラリーの王者であるランチアは、デルタS4の発展型ともいえるマシンを開発していました。 パワーユニットは4気筒ながら左右にエキゾーストを出し、
それぞれにターボを備えたツイン・ターボ(ランチアではトリフラックスと言う)方式の採用により、
1.8Lながら 600HP/8000rpmを発生。 カーボン・ハニカムを始め、複合素材でまとめられたボディ・セクションにより車両重量は910kgにまで軽量化されていました。 しかし多額の費用をつぎ込んで製作されたマシンは結局戦いの場を失い、エクスペリメンタル・カー ECVとして1986年のボローニャ・モーター・ショウで発表されるにとどまったのでした。 ECVは複合素材やハイテク技術のテストベッドとして開発が続けられ、1988年にはより空力特性を追求した ECV-2 へとモディファイされ、終了しました。
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