第1章 回想
春、風の中に花の柔らかな香りがする。
時々吹く風はまだ冷たいけど、日差しは暖かくて、春がそこまで来ていると言う感じがしてくる。
「うーん、良い天気だよね」
風が吹き、木々がゆれ風と共に花の良い香りがしてくる。
瞳は、オレンジ色の光で一杯になる。
「7時30分です」
部屋にある時計で時間を確認する。
機械的な音声で時間を知らせてくれる。
本当は、もっと優しい声で知らせてくれるのがほしいのだけど。
浩平君が戻ってきてくれたら買ってもらおう。
1年間も待たせたんだからそのぐらいしてもらわないと。
…………
出かけるまで時間はまだあるからゆっくりとご飯を食べて、おしゃれをして………。
部屋を出て1階へいく。
もう、1年になるんだ………。
昨日の夜夢を見た。
私は高校の校舎の屋上に居た。
そして、それを不思議とも思わずにフェンスのところで以前と同じように風に吹かれていた。
風が懐かしい香りを運んでくる。
「おそいよ………」
私は誰を待っているのかわからないけど呟いていた。
その時後ろの方でギ〜と屋上の扉が開く。
そして、その人はこちらへ歩いてくる。
「あの………こんにちは、かな」
私はその人のほうへ言う。
話さなければ分らないから。
「…先輩、来てくれたんだ」
その人が言う。
懐かしい声、待ってた人、私を公園においていった人。
「………浩平君? 浩平君だよね」
ビックリして思わず叫んでいた。
瞳からは暖かいものが流れていた。
「待っていたんだよ………ずっと待っていたんだよ」
嬉しかった、ようやく帰ってきてくれた。
私はあの人のところへ行こうと体を向けたとき。
あの人の気配が突然消えた。
そして離れた場所から声だけが聞こえてくる。
「………先輩ごめん、きっと来るから、ここへきっと来るから」
声だけが遠くから聞こえてきた。
追いかけようにも体が動かなかった。
「待っているから、ここで待っているから」
私は消えていく声の方に向かって叫んだ。
それは昨日の夢。
今日は卒業式がある日。
昨日の夢を意識したわけではないけれど行く事にした。
私だけでも卒業をお祝いしてあげたい。
食堂のドアを開けると焼き立てのトーストの香りが私を包みこむ。
「おはよ〜 良いにおいだね」
「あらみさき、おはよう。朝ご飯出来ているから食べなさい」
「うん、今日は暖かいね」
私はトーストを確認しながら答えた。
ちゃんと1斤あるのが嬉しい。
「ほんと、暖かいわね。アイスクリームが欲しくなりそうな天気ね」
お母さんがそんなことを言う。
………アイスクリーム………私はあのときのことを思い出してしまう。
私が事故以来、始めて外へ出た日。
元の自分に戻る最初の一歩を歩み出した日。
そして、あの人が私を公園においていなくなった日。
「みさき、どうかしたの」
考えこんでいたのか、お母さんが心配そうに聞いてきた。
「ううん、なんでもないよ」
安心させるようににっこりと微笑みながら答える。
でも、私は思い出の中へ旅に出てしまう。
まだ3月だと言うのに暖かな日だった。
私が外の世界へ出ようと決心した最初の日。
正直言って怖かった、見ることが出来ない私は知らない世界へ行くことが本当に怖かった。
でも、そこは恐怖の場所ではなかった。
活気があり、学校とは違う風が吹いてきて、それがまた心地よかった。
そう、あの人と一緒ならどこへでも行ける、そんな気がした。
商店街から公園へ、私達は手をつないで行った。
離したくなかった、怖かったせいもあるけど、
本当は手を離したらあの人がどこかへ行ってしまうような気がしたから………。
公園は花の香りに包まれていて、風がさらにその香りを運んできていた。
もう、アイスリーム屋さんが出ていてあの人は買おうかといった。
あの人が疲れたような感じだったのが心配だった。
私は外の世界へ出れたのが嬉しくて、怖い場所じゃないと分ったのが嬉しくて、あの人の代わりに買ってくることにした。
買うときにはあの人はまだ居た、存在を感じることが出来た。
買って戻ろうとした時、あの人の存在が突然消えた。
隠れているのかと一瞬思った。
そんなことをする人だったし………。
戻ってから語りつづけたけど、あの人は出てこなかった。
もういないんだと分った、でも信じられなかった。
私は呆然とそこに立ちつづけていた。
溶けたアイスクリームが手に流れてきた。
どれくらい待ったのだろう。
「みさき…みさきでしょ…」
その時後ろから声をかけられた。
「………」
私は声も出せずに振り向いた、雪ちゃんだった。
「みさき何しているの、どうしたの」
目からは涙が出てきた、そんな私を見て雪ちゃんは驚いたように聞いてきた。
「浩平君が………浩平君が………」
私は泣きながら雪ちゃんにあの人がいなくなってしまった事を言おうとした時。
「え、浩平君? 浩平君って誰?」
雪ちゃんは戸惑ったように言った。
その後のことはよく覚えていない。
気がついたら自分の部屋にいた。
そして、あの人からの手紙が来たのは次の日だった。
「本当に美味しそうに食べるわね」
お母さんが感心したように言う。
「美味しいよ〜、ここのパンは最高だよ」
私は思い出のなかへ帰っていることを悟られないように微笑みながら答える。
時間をかけてゆっくりと食べる。
本当に美味しいもの………。
そして、再び私は思い出の中へ旅立つ。
家に戻った私は混乱した頭を抱えて、ただ「ぼぉっ」としていた。
ショックだった、一緒にいてくれると約束したあの人が突然いなくなってしまった。
「みさき、折原浩平って人から手紙が来ているわよ」
え、あの人から手紙…。
私は急に現実に戻ったかのように慌てて手紙をとりに行った。
大きい封筒、厚い、何が入っているんだろう。
私は大きな期待と小さな不安を胸に抱きながら封筒をあけた。
あれほどあの人のことの話をした母も、何回もあの人と会った雪ちゃんも誰も覚えてない。
封筒の中には1通の手紙と1冊のノートが入っていた。
私は震える手で中から手紙を取り出した。
中から出てきたのは、点字で書かれた手紙だった。
あの人が消えてしまった答え、皆が存在すら忘れてしまった答えが解るのではないかと思うとさらに手が震えてくるのが解った。
取出すまで、なんと時間がかかったことだろう、今思い出してみても思わず微笑んでしまう。
私はあの人のことをそこまで好きだったのかとこの時改めて理解した。
「浩平君、早く帰ってこないと本当に嫌いになっちゃうよ…」
私は微笑みながら静かにつぶやく。
「みさき何? なんか言った」
「ううん何でもない、独り言だよ」
私は微笑みながら答える。
点字で書かれた手紙…浩平君からの手紙…どんなに待ったことだろう。
私はようやくそれを取り出すと指を滑らした。
『みさき先輩、この手紙を読むときにはもう俺は消えてしまっていると思う。
でも、俺は必ず戻ってくるから、必ず先輩のもとへ戻ってくるからそれまで待っていてほしい。
………』
はっきり言って下手な字だった。
でも、確かに浩平君からの手紙だった。
「うぐ………浩平君相変わらず下手だね………うぅ………うぅ」
笑おうとした目からは涙が出てきた。
涙を拭うと再び読み出した。
…………
お父さんの死、妹さんであるみさおちゃんの死、そして悲しみに打ちひしがれたお母さんの失踪。
そして、由起子さんに引き取られ、長森さんと出会い、そして永遠の世界との出会い。
毎夜見る夢、みずかさんとの旅、そして世界の崩壊………。
信じられなかった、浩平君にそんな過去があることに。
辛い過去があるのは私だけじゃなかった、解ってあげられなかったことが悔しかった。
『………日がたつにつれ皆の中から俺の存在が消えていった。
幼馴染の長森や、今まで一緒に生活していた由起子さんさえ俺のことを忘れていった。
そんな中でみさき先輩は俺のことを覚えていてくれた。
ごめんな先輩いきなり抱きついてしまって………』
あの日の屋上のことだった。
私は以前、浩平君に意地悪された仕返しをした時があった。
その時浩平君はいきなり抱き着いてきて泣いていた。
「そんなことがあったの………」
『俺は気がついた、永遠の世界を望まなくっても日々の日常の中に幸せはあるんだということ。
でも遅かった、気付いたときにはもう永遠の世界に飲み込まれそうになっていた。
でも、みさき先輩の中に俺という存在がある限り戻ってこられる。
約束したから………一緒にいるって約束したから、俺は必ず戻るから。
それまで待ってほしい。
P.S、日記を同封しました。点字に直す時間がなかったからそのままでごめん。』
手紙はそこで終わっていた。
私は手紙と日記を抱きしめた。
浩平君を感じられるような気がしたから。
浩平君がここにいたただ一つの証拠、少なくても私にとってはただ一つのものだったから。
「待っているから、 待っているから早く帰ってきてね浩平君………」
私は呟くと夕日が差し込む部屋の中で何時までも手紙と日記を抱きしめていた。
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