西萩探検記

− 大阪市西成区萩之茶屋周辺 −

member
西萩探検隊隊長 伊藤
同隊員 桜井
同隊員 伯明

 「西萩探検記」は、1999年8月7日に行われた関西じゃりン子チエ研究会(※1)初のオフ会の記録であり、同研究会ホームページ向けに執筆・収録されたものである。ここでは「じゃりン子チエ(※2)」という漫画を良く知らない人にも読んでいただけるようにと多少筆をくわえ、予備知識がなくとも充分に楽しめるものとしたつもりである。
 「西萩探検隊」と銘打たれたこのオフ会は、総移動距離が100kmを超えるという前代未聞のオフ会となった。

 なおこの記録文は、記録者の伊藤が雰囲気を出そうと色気を出しているために、かなり偏った記録になっていることを最初に断っておいて先に進みたい。
 

◆ 西萩探検隊結成 ◆
 
 高校生だった私が、はじめて西萩(※3)の地にひとり降り立ったのは1994年の初春だった。それから早くも5年の月日が流れた1999年8月7日、4度目の西萩は2人の仲間を伴っての西萩となった。目的はじゃりン子チエの舞台、西萩の探検である。
 そう、今ここに西萩探検隊は結成されたのである!
 
 西萩探検隊に参加したのは、言い出しっぺの罪で隊長になってしまった私、伊藤と、伯明隊員、桜井隊員の3人である。思ったより人数が集まらず、当初の予測よりも少ない人数だったが、終わった後に思うとこれはこれでちょうどよい人数だったのではなかったかと思う。今回のように多くの移動が伴う探検には最適の人数だったからだ。逆にもう少し人数が多ければ、また違った行程になっていたかもしれない。
 
 オフ会というものの常として3人とも互いに全く面識がないので、待ち合わせの手段をいくつか講じた。結果、
「ナンバの大阪球場前のマクド(※4)の2Fで『じゃりン子チエ』を読んでいること」
という妙ちくりんな手段が採られた。ちなみにこれ以前に
「頭に赤いポッチリ(※5)をつけてくること」
という提案がなされたが、公俗秩序その他諸々の理由によりやむなく取り下げられている。
 
 最初にマクドナルドに現れたのは伯明隊員だった。しかしあろうことか肝心の「じゃりン子チエ」を読んでいない。なんということだ。
 次に現れたのは隊長たる私。まだ待ち合わせの時間まで少しあるせいか、見渡した限り、「じゃりン子チエ」を読んで恍惚状態に陥っている輩はいない。そうでなくてただ「じゃりン子チエ」を読んでいる輩もいない。前者はあまり見受けられないだろうと予測されるから、後者の方を注意して探したのだがやはり見当たらない。
 ただ、気になる人物がひとり、赤いアロハをキメこんでいる男。先だって伯明隊員からメールで送られてきた『格好は1980円の赤いアロハにショートパンツでむっちり型』に符合するように思える。しかし彼は「じゃりン子チエ」を読んでいない。
 
 私はそのアロハの男の前に立ち、その男の顔をきつと見据えて
「天ぷらうどんは!」
という合コトバを投げかけてみた。するとどうだろう、
「だるま屋!(※6)
という返事が返ってきたではないか!!
 
 …となっていたらドラマチックで(?)面白かったのだが、あいにくそのような合コトバなるものは事前に取り交わした覚えがそもそもない。いくらじゃりン子チエを愛する者同士でもこのような合コトバは取り決めなしに通じようがない。
 第一、マクドナルドの店内で「天ぷらうどんは!」などと見知らぬ相手に問いかけるのもどうかと思われる。
 もとより他の場所でもそのような言動をとる根性は今のところない。今後もないだろう。
 
 やはりここは普通に、
「あの、もしかして伯明さんですか?」
と問いかけることとなった。我ながらつまらない選択をしたもので、せめて
「探検隊の隊員の方ですか?」
くらいのいい方でいけばよかったと今になって思う。
 果たしてアロハのその男は伯明隊員であった。
 
 伯明隊員ははるばる東京から夜行バスで大阪入りしたそうだ。しかも過去に西萩の地に足を踏み入れた経験もあるという。相当の物好きだ。かくいう私も相当な物好きであるから、物好き同士話をすると相当マニアックな話になりそうなものだが、さすがに初対面同士ではそこまではいかない。
 どこどこから来たのか、西萩に行くのは幾度目であるとか当たり障りのない、それでいてちょっぴりマニアックな話をしているうちに桜井隊員が現れた。今度こそちゃんと「じゃりン子チエ」を目印としてテーブルの上においていたのですぐにわかったようだ。
 
 桜井隊員の姿を見たとき、私と伯明隊員は思わず息を呑んだ。なんと桜井隊員は謎の生命体だったのだ!(意味不明)
 
  ※1)関西じゃりン子チエ研究会
 通称関じゃり研。じゃりン子チエを研究して研究本まで出してしまったつわものの集団。神戸に本部を構え、現在はインターネットを中心として活動している。
 

 

※2)じゃりン子チエ
 はるき悦巳作の大ヒット漫画。軽快な大阪弁で繰り広げられるコミカルな人情話が関西を中心に現在もTVアニメが幾度となく再放送されるなど広く支持されている。
 原作は約20年に及ぶロングラン作品となり単行本も67巻を数えたが98年の8月におしまれつつも連載を終了している。連載終了は朝日新聞の全国版でも大きく取り上げられた。
 

 

※3)西萩
 じゃりン子チエの舞台の街の名前。原作では「大阪市頓馬区西萩」となっている。実際は大阪市西成区西萩町がそのモデルであるが、じゃりン子チエがはじまった頃に町名改正があり「西萩町」は地図から姿を消した。現在の地名でいうと花園町周辺がそれに当たる。じゃりン子チエの聖地。
 

 

※4)マクド
 関西ではマクドナルドのことをこう略す。ちなみにアクセントは「ク」にある。「マック」とはあまりいわない。
 

 

※5)赤いポッチリ
 じゃりン子チエの主人公竹本チエの、下駄と並ぶトレードマークの髪飾り。いくらなんでも大の男がするのはちょっとためらわれる。

竹本チエと猫の小鉄
 

※6)だるま屋
 じゃりン子チエによく登場するうどんや。大阪にはうどん屋が多い。

◆ 西萩探検隊始動 ◆
 

「そこにはまさしく『西萩町』の文字が!」
 

 人差し指が、テーブルの上に開かれたボロボロの地図の一点を指し示した。そこにはまさしく「西萩町」の文字が! いよいよである。
 
 西萩駅のモデルである萩之茶屋駅(※7)には、南海難波駅から南海電車に乗る。難波の駅はじゃりン子チエでも「ナンバ」の名で何度も登場しており、原作に描かれているホームがまさにそのままその感じである。
 萩之茶屋までの切符を買ってホームで待つ3人。自分たちの仕事や年齢のことなどじゃりン子チエ以外の話もしながら各駅停車を待つ。が、ホームに現れるのは急行、区急、準急といった列車ばかりで一向に各駅停車が現れる気配がない。萩之茶屋駅に停まるのは、難波を出る列車の中でも南海高野線の、しかも各駅停車しかないのだ。
 
 話が盛り上がっていたのであまり時間を気にしてはいなかったが、それにしてもあまりに遅すぎる。不審に思い駅の時刻表をみても、ちゃんと1時間に4、5本の列車が走ってる。しかしホームで立ち話をし始めてからもうゆうに3、40分は経っているはずだ。
 
「……??!」
しまった、肝心なことを忘れていた。そう言えば以前にも同じように各駅停車が来ないと長いこと待っていた覚えがある。
 向かって一番左端のホームの表示を見ると、「2」、一番端なのに2番線だ! 思い出した! 各駅停車が発車するのは今見ているところじゃあない! 2番線のホームを奥に進んだ少し離れたところに1番線のホームがあるんだった!
 
 同じ過ちはとりあえず3度ほどやらないと懲りないという私の本領がこんなところでも発揮されてしまった。単純計算してもあと残り一回は同じことをすることになる。次は大丈夫でもいつか必ずやるだろう。きっと。
 1番線に行くと、そこにはちゃんと各駅停車が待っていた。このホームに気づかぬままに一体何本の列車が出発していったのだろう…
 
 車窓に「エベっさん(※8)」として有名な今宮戎神社や、釜ヶ先(※9)のひとつの象徴でもあるあいりん労働福祉センターが過ぎ去り、色々と西萩への思いを寄せようかというところだが、そう思う間もなく早々に萩之茶屋駅に着いた。
 
 西萩の駅は相変わらずだった。時は移り変わってもほとんど変わることのないホームだ。何の変哲もない島式の小さなホームには、古く簡単な作りの柱と、屋根と、いくつかのベンチと、改札へ降りる階段だけがある。駅の周りには新しい建物はほとんど見えず、高架のホームのある位置より高い屋根もあまりない。黒っぽいトタンや瓦葺きの屋根と、入り組んだ狭い路地、パチンコ屋やアーケードの看板が所狭しと何の計画性もなくならんでいる。
 
 初めてここに降り立った時は、このホームのあまりのじゃりン子チエに描かれているそれとの共通性に感動したものだ。その時の自分と同じように、はじめてこのホームに降り立った桜井隊員はどんな心持ちだったのだろう。きっと自分と同じようなものを感じていたにちがいない。
 階段を降りると、そこには車椅子用のスロープや自動改札のような、じゃりン子チエには描かれていない新しいものがあったが、そこはまさしく「西萩駅」だった。
 
  ※7)萩之茶屋駅
 じゃりン子チエに登場する「西萩駅」のモデル。マンガに登場するほとんどそのままの姿をしている。
 

 

※8)エベっさん
 十日戎で有名な商売の神様。じゃりン子チエでは一万円札のことをよくこう呼んでいる。
 

 

※8)釜ヶ崎
 新世界より南側の、じゃりン子チエに良く登場するような日雇い労働者が多く暮らす地域。特にここからここまでが釜ヶ崎という区切りはなく、この一帯の総称である。西萩も釜ヶ崎の一部に当たる

◆ 商店街を行く ◆
 
 改札を出てすぐ右の萩之茶屋商店街を、奇妙な一行が通り抜ける。痩身長身のそれだけで目立つ男と中肉中背のアロハ男、そして謎の生命体がきょろきょろとしながら雑踏を踏み分けて行く。
 旧「西萩町」は、改札を左に出た国道26号(※10)の両脇あたりで、商店街は旧「東萩町」(※11)にあたる。しかしじゃりン子チエを読む限りはこの周囲一帯をひっくるめて「西萩」としているように見受けられるので、まずは小腹も空いてきたので商店街の方へ繰り出してみたのだ。
 
 一見どこにでもあるような小さなアーケードであるが不思議な商店街だ。店先に簡単な屋台が出ており、お好み焼きやヤキソバを売っている。そこまではまだほかでもありそうな光景だが、屋台ではなく地べたにござをひいてその上に新聞や雑誌を並べて売っているところには驚いた。やたら自転車が停めてある商店街に、さらにそんな屋台(?)が一ヶ所だけでなくここそこにあるものだから、多少の人でもやたら人通りが多く感じる。
 
 “ひやしあめ”(※12)を出す店を見つけた。伯明隊員がさっそくひやしあめを1杯注文した。背の低いガラスのジョッキにいかにも手作りという感じのひやしあめが注がれる。店に飲食するスペースはなく、いきおい店先で立って飲み食いするようになっている。
 桜井隊員と自分は自分では頼まずに少しずつもらいのみをした。よく思い出せないが、どこかで飲んだことのあるような懐かしい味だ。生姜と砂糖を煮込んだそのままのような味で、それでいてそんなにくどくはない。
 
 それではと私も1杯頼もうかとも思った。が、それよりも私は同じ店にあった「カレーまんじゅう」とかいうものの方に惹かれてそれを注文してしまった。肉まんのカレーまんなどとは違い、今川焼のような皮に、何故かキャベツの千切りがメインの具となるカレーが入っている。皮はほんのり甘く、それでいて中身はカレーで、キャベツが入っているために妙にしゃきしゃきしているこれまた不思議なものだった。この店のオリジナルだろうか。
 
 桜井隊員はというと、その店の、ジョッキをすすぐのにためてある水で軽くすすぐだけという衛生面にひいてしまったらしく、結局何も頼まなかった。私はそんなこといわれるまで気がつかなかった。さすが謎の生命体は目のつけどころも違う。
 
 商店街にはいかにも労働者風の男が多いが、みんながみんなというわけでもなく、買い物のおばちゃんや、子供連れで自転車で通りすぎるオッちゃんなどさまざまである。
 そういえば大阪の南の玄関口、天王寺周辺ではホームレスの人がいると思えばその横を今風の女子高生やアベックなんかが特に何事もなく通りすぎていて、さまざまな環境の人がごっちゃになって生活しているのが印象的だった。萩之茶屋商店街も、一見日雇い労働者の町に見えて、それでいて普通の家族連れが普通にいる、私には不思議な光景であった。
 
  ※10)国道26号線
 旧西萩町内を走る国道。じゃりン子チエにも26号線の名が出てきたことがある。
 

 

※11)東萩町
 「東萩」の地名もじゃりン子チエには何度か登場する。東萩は現在の萩之茶屋の一角にあるが、西萩は萩之茶屋町内ではないので、現在の地図を見ただけでは勘違いをしてしまう。
 

 

※12)ひやしあめ
 じゃりン子チエでもたびたび登場するので大阪のものかと思いきや、西日本では結構ディープなところでメジャーな飲み物らしい。“はちみつしょうが湯”を冷やしたものと思っていただいくとわかりやすい。
 サンガリアの同名の缶ジュースはまずいことで有名。


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