諏訪御柱祭飛び入り参加

− 長野県諏訪郡下諏訪町・木落し坂 −

member
ハプニング大好き隊長 伊藤 顕
お調子者で祭好き隊長 佐藤和哉
その他大勢の岡谷市民の皆さん

〜 天下の奇祭・諏訪御柱祭 〜
 
 『そーれ!わっしょい!!』
 岡谷の御柱の山曳きの一団の中、ひときわ大きな声をはりあげて盛り上げる2人組がいた。威勢のいいねじりはちまきにハッピ姿…というわけではないが先陣を切って号令をあげている2人組だ。TVカメラが自分の方を向けばさらに威勢良く号令をあげ目立とうとするちゃっかりした2人だが、その2人というのがなにをかくそう自分達自身、“ハプニング大好き”隊長・伊藤と“お調子者で祭好き”隊長 佐藤なのだから、困ったものである。
 

諏訪御柱祭『木落し』
 
 98年、4年に一度の冬のオリンピックが行われた興奮もまだ覚めやらぬ信州・長野県で、今度は7年に一度の諏訪の御柱祭がおこなわれた。『おんばしらまつり』−誰でも一度はTVなどで見聞きしたことがあるだろう、大きな大木の柱ともども血気盛んな若者達が坂を駆け落ちるという、天下に名だたる奇祭である。
 有名な『木落し』が行われるのは、ヤジリの原料となる黒曜石を産することで有名な和田峠(歴史の教科書の最初の方にのってるはず)の中腹、国道142号線のすぐ横の斜面である。普段は何てことのないただの崖なのだが、7年に一度、封鎖された国道や脇の小さな河原を埋め尽くす観衆の視線を集める祭のハイライトの場となる。
 
 よく勘違いされるのだが、御柱祭というのは、この『木落し』を目的とした祭ではない。御柱祭とは、山から切り出した『御柱』という、いわば御神木になるものを諏訪大社まで運ぶ、という祭なのである。
 山から諏訪大社までの道程の中に『木落し坂』があり、そこで『木落し』は行われる。その前後には、山から木落し坂までは縄で括りつけた御柱を曳いて行く『山出し』、木落し坂から諏訪大社までこれまた縄で御柱を曳いて行く『里曳き』、最後に諏訪大社の境内に御柱を立てる『立て御柱』という行事に分けられる。『立て御柱』は、長野オリンピックの開会式でも行われたから、そこで知っている人もいるだろうか。
 
 そして御柱は4つある諏訪大社に4本づつ、計16本が使われる。…といってもその全てが『木落し』をおこなうわけではない。『木落し』が行われるのは諏訪大社でも下社の春宮、秋宮に建てられる8本だけである。残りの上社の御柱は『木落し』ではなく御柱が川を渡る『川渡り』が一番のハイライトとなる。ちなみに上社の御柱は『女性』、下社の御柱は『男性』であるということらしい。
 それら一本一本の御柱は、それぞれ地元諏訪盆地の市町村毎に割り当てられる。そして我々はそのうち岡谷市に割り当てられた御柱にいた。
 

別の日に偶然電車内から撮った上社の御柱。
下社の御柱が一本の丸太であるのに対し、
上社の御柱にはV字につけられた支柱があり、
そこに多くの氏子達がまたがっている。
 

〜 ニセ岡谷市民登場 〜
 
 その前日、自分は“お調子者祭好き”隊長のところに遊びにきていた。お目当ては御柱祭ではなく、彼の持つレコードプレーヤーにあった。先日にひょんな事から幾枚かのレコードを入手したのだが、いかんせんプレーヤーを持っておらず、それを聴こうと彼の家へといったのだった。
 そこでふと御柱祭の話になった。前々から行こう行こうとは思っているのだがいかんせん情報不足で祭の期日が判らない。噂では近々行われるらしいのだが…。それじゃあ偵察がてら現地視察へ乗り込もうと夜中に諏訪へ向けて車を走らせた。
 
 我々を待ち受けていたのは『明日、御柱祭』の報。タイミングが良いというか悪いというか、まあどうせだからこのまま場所とりでもしておこうかということになり、そのまま車内泊となった。このへんは相変わらず行き当たりばったりである。『抜穴』に引き続き偵察が本番になってしまった。
 翌日思わず寝坊して、急いで会場に駆けつけた時にはもうかなりの観衆が集まっていた。それでもまあまあの見物場所を確保。足元が少々ぬかるんでいるものの観戦にはバッチリの場所だ。
 さて、何時ごろ始まるのかと思うと、なんと4時間も5時間も後だという。それならばちょっくら坂の上まで様子を見に行こうか、と思ったのがニセ岡谷市民誕生のきっかけであった。
 

「各人細い縄をそれに括り付け、取っ手にして綱を引いている」
 
 木落し坂を迂回する車道をつたって上までさしかかると、そこにはすでに御柱の先遣の長持や小神輿の隊列がやってきていた。このまま先へ進めば御柱を間近で見れるかも、と祭の一団に逆行して行くと縄を引く一団を見つけた。綱引きの綱のような太い綱が平行して2本。各人細い縄をそれに括り付け、取っ手にして綱を引いている。そしてその先の綱引きの相手はお目当ての御柱であった。
 何の芸もない。ただただ御柱は綱に引きずられていくのある。ころをあてがうわけでもない。水をまくわけでもない。原始的に、御柱はじゃり道の上を、アルファルトの上を引きずられていく。さすがにカーブに差し掛かると木の棒をテコとして軌道修正をおこなうのだが、それ以外はただただ引きずるだけである。
 しかし、それがいいではないか。この、ちょっとやそっとじゃあ動かないような大木を大勢の人間でもってやっとこさ運んで行くという、その単純さと馬鹿さ加減にこそ祭の本質があると思うのだ。
 
 いよいよ当然のように自分達も参加したくなってきた。それにはどうしてもあの細い綱が必要である。見たところその綱は個人用らしく、まさか配っているわけではなさそうだ。
 それでも何とかドサクサに紛れて綱を手に入れた2人は、いっちょやってやるかてなもんで手頃な空いていたところに自分の位置を確保した。そこが岡谷市の御柱であった。
 しかし原始的で勇壮な祭の割りにはみんな元気がない。本当にただ綱を引いているだけである。業を煮やした我々は『そーれ!わっしょい!!』と号令をかけ始めた。するとどうだろう、それまではただだらだらと綱を引いていた人たちも次第に号令にあわせて掛け声をあげて引き始めた。なんだか気分を良くした我々はさらに声を張り上げる。
 いつのまにか数十人の号令取りになってしまった我々には、その調子でどんどん行けとばかりに、周りの声援や食べ物や酒の類まで貰えるということになってきた。ここにニセ岡谷市民の誕生となった。

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