chapter1-1:「対偶」




(ふわぁ……)


四月。
木漏れ日が差し込む朝の教室。
春らしい暖かさに酔うように、一人の生徒が当然のように机に突っ伏していた。

カッカッ、カッカッ。
静まり返った教室の中で、チョークの音だけが響いている。
時間は午前10時を回ったところ。

「連絡はこれで以上。質問はありますか?」

壇上の教師はそう言って、教室の一角を眺める。
教師が視線を注ぐ先――左列最後尾――に、その生徒はいた。

今は、はたして夢か現か。
どちらかもはっきりしないまま、
生徒――久谷夕貴の意識は水の中を泳いでいるようだった。

気を抜けばすぐに落ちそうになる瞼を放っておくわけにもいかない。
そう思いながら夕貴は必死に前方を凝視する。

そうこうしている間にも。
相変わらず壇上からの澄んでいる声は発し続けられており、 その場の生徒は耳を傾けていた。

久谷夕貴以外の全員が。




(うう……ね、眠い)

相変わらずうつ伏せのままの夕貴。
普段から寝不足気味の体には、すがすがしい朝の光ほど堪えるモノはない。

この時間、いつもなら起きているはずの夕貴だがそれには理由があった。
昨日までの疲労が溜まっていたのだ。



それは数日前に郊外の農村で聞いた噂が発端となる。
そこでは実際、続けざまに家畜が襲われている事件が多発していた。

現地では野犬の仕業と思われていた矢先にとうとう怪我人が出た。
それが一昨日の出来事だった。
襲われた人の右腕を半ばから食い千切り、獣はそのまま逃走。

昨日の午後、ようやくこれは只事ではないと夕貴が動いたのだった。
未確認の"魔"を追跡、続く戦闘は夕貴の体をそれなりに疲労させていた。
しかし次の日の朝まで引きずるほど疲れが蓄積していたわけではない。
直接の眠い理由はその後に起こった事が原因だったりする。



話はそれてしまったが、日本にもそういった事態に対処する機関はある。
が、全ては極秘裏に行われておりそれを一般人が知ることは非常に少ない。
それ以前にこの世界では"魔"の存在すら秘匿されているからだ。

もちろん夕貴とて専門の機関に属しているわけではない。
外見も性格も至って普通の人間だ。
それなのに魔物と戦えるのには、彼の出自によるところが大きい。

現代の日本に幾つか残存する、異能の力を有する旧家。
その中の一つの分家に生まれた夕貴は幼い頃から修行を続けていた。
武道における優雅さや華美さなどは一切排除した純粋な戦闘技術。
地道に修練を積む傍ら、自分達の力は力無き者を守るためにある、と夕貴は父に教えられてきた。
普段だらけている父自身も何か感傷でもあるのか、やけに熱のこもった真面目な口調で。
その夕貴の父も重度の放浪癖を持っており、今は行方不明となっている。
夕貴の銀行口座には毎月入金されているので生きてはいるみたいだが。


「夕貴、起きろ」

意識がもう少しで夢の世界へ到達する間際。
隣の席から声がかかった。
ついでに耳を傾けてみると――壇上の教師の話もようやく終わりそうである。
舟をこぎかけていた夕貴は困惑する。


(この声――誰だったっけ)


「……起きてるよ」


相手の確認もせず、そのまま答える。
理由はすぐさま眠りに落ちたかったからに他ならない。
予想通りに、了解の意を得たにもかかわらずその生徒は続ける。

「違う。顔を上げろという意味だ」

(そうだ、勇介……)

言われたとおりに顔を上げると、いつもの仏頂面が待っているのだろう。
きっちり結んだへの字口で。

「教師がお前を見ている」

勇介にしては珍しく食い下がってきた。
しかし、今の夕貴には無意味も同然だった。
既に、後で説教される覚悟も出来ていたのだから。

どちらにしろ夕貴にしてみれば、顔を上げても眠いのは変わらなかった。

ならば寝ていても一緒だろう、とひとりごちる。

面目のために少しだけ顔を上げてみると、すぐに壇上の教師が目に入った。
背中辺りまで伸ばした金色の髪に、かけているのは眼鏡。
顔立ちはまさに眉目秀麗、という言葉が似合うような美人。

しかもその口から出る言葉は流暢な日本語だった。

(おいおい、あそこまで話せる外国人は見たことないぞ。)

よく見ると黒板に記してある文には違和感のない漢字が書かれていた。
夕貴が再び感心していると、勇介の言ったとおりこちらを見ていたのだろう。
その教師とちょうど眼が合った。


(金髪で碧眼……なるほど綺麗――だ――)



「おい……貴……」


隣に居るはずの勇介の声がやけに遠くで聞こえた。

しばらく聞こえていた声は、やがて沈黙に変わる。
視界は除々に薄暗く染まり―――ただ一面の闇。
周りは黒に包まれて何も見えなくなる。
不思議なことに、少しも怖くはなかった。
代わりに、熱病に冒されたような感覚が皮膚を走る。
ただ熱いなんてものじゃない。
その身を真っ赤にして燃え滾る楔が打ち込まれているみたいだ。


(なぜ、また……)


こんなときに、と続けようとした声がでない。

ふと気だるさを感じた夕貴は、そのまま力を抜いた。
同時に体に湧いてくる得体の知れない違和感。

沈んでいく意識の奥で何かが蠢き、囁いた。
そこで、夕貴の意識は深淵の底に沈んでいった。








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