場所を移して、佳山家。
居間のテレビを前にして青年――佳山勇介が難しい顔をしている。
テレビに向けられている視線の険しさと組まれた両腕が真剣さを物語る。
「お兄ちゃん、準備できたよー」
玄関の方から声が聞こえてくるが、勇介は聞いてはいないようだ。
テレビから流れるニュースに対して「ほう」とか「ふむ」と頻りに相づちを打っている。
どうやら報道されている事件に関心を持っているらしい。
『この件に対して警察の対応は………』
勇介が目を向けている事件はここ数ヶ月で行方不明者が急増しているという内容のものである。
報道というより報告といった感じが強いものだったが、それでも勇介の気を引くものがあったようだ。
「はーやーくー!」
再び玄関の方から声がかかる。
「………」
少しの間を置いてドタドタと廊下を走る音が聞こえ、居間へ続く扉が開いた。
廊下へ繋がる扉に視線を向けた勇介が目にしたものは、御桜高校の制服を着た少女だった。
「まーたニュース見てる。先に行ってるねー」
テレビを眺める勇介に呆れたような視線を投げて玄関へと踵を返す。
少女の名前は佳山蒼衣。
その姓の通り、れっきとした勇介の妹である。
中性的な兄に似て整った顔立ちをしており、物静かな雰囲気を漂わせている。
ポニーテールにした艶やかな黒髪とスレンダーな容姿もあいまって美少女と言っても過言ではないだろう。
身長はそれほど無いため、美しいというより可愛いといった方が似合うのだが。
「……む」
ふとテレビが気になった勇介が目をやると、既にニュースは終わってしまっている。
今日の占いを流し始めたテレビに興味を無くしたのか、自室へと姿を消した。
玄関を出た蒼衣が向かう先は一つ。
学校ではなく、久谷家である。
理由は簡単、高校への道中に夕貴の家があるためだ。
それも蒼衣が入学してからは佳山兄妹の日課となっている。
「おはようございまーす!」
「あら、おはよう蒼衣ちゃん」
久谷家へ向かう道すがら、見慣れた近所のおばさんに挨拶を交わす蒼衣は上機嫌のようである。
どうやら彼女の兄――勇介がいないことも関係しているのだろう、その足取りは軽い。
「今日もお迎えかい?」
「はい!」
佳山蒼衣はこの辺では知られた存在になっている。
爽やかな挨拶をする元気娘ということで、近所の人たちの評判は良い。
同時に、彼女の思い人もそれとなく知られている。
『夕貴君でしょう? そういうのにかなり鈍いみたいだし』
かわいそうにねぇ、と近所の人達が密かに嘆いていることをもちろん蒼衣は知らない。
走っているうちに、久谷家が見えてきた。
蒼衣は走るのをやめて呼吸を整える。
いったん後ろを振り返り、兄の姿が無いことを確かめて玄関の扉を開く。
「おじゃましまーす」
自分が来訪したことを小声で告げると、靴を揃えて奥へ向かう。
ちなみに久谷家の玄関に呼び鈴――チャイムはちゃんとある。
しかし夕貴からそんな面倒な事はしなくて良いと言われているため、蒼衣も勇介もそれを鳴らすことは無い。
(先輩、起きてるかな?)
蒼衣は廊下を進みながら夕貴の寝ている姿を思い浮かべる。
以前にも蒼衣は眠っている夕貴を目にしたことがあった。
居間を覗いてみれば、ソファーに倒れるようにして寝息を立てていた夕貴。
眠る夕貴を眺めているうちに、普段より心臓の音が速くなったのを蒼衣は覚えている。
(あの時の寝顔、可愛かったなぁ)
居間のドアノブに手をかけながら幸せそうに蒼衣は微笑む。
(私が先輩を毎朝起こせたら良いのに……)
脳内リフレインを続けている蒼衣は、現実の時間が過ぎていくことに気付いていない。
なにせドアノブが向こうから回された時も、あれ?と思った程度だったのだ。
公園から戻った夕貴は朝食の後、ソファーでまどろんでいた。
久谷家はおろか周囲の住宅街も静かなため、自らの呼吸音がやけに大きく聞こえる。
意識と無意識の間でしばらくぼんやりしていると、玄関を開ける音が耳に入った。
声も聞こえたような気がするが、そこまではわからなかった。
夕貴が知っている中で、今のように訪ねてくる人物は3人しかいない。
行方不明の父親を除外した2人。
(勇介と蒼衣か。……今何時だ?)
頭だけを動かし時計に目をやると8時10分を示している。
嫌がおうでも現実を突きつける時計を見ると、公園での出来事が夢みたいに思えて仕方が無い。
『あの女は何者だろうか?』
自らの素性は明かさずに依頼のみを告げてきた女性。
確かに、そういった手合いの依頼主はいた。
(となると、あの女は代理だろうな……)
そう結論付けた夕貴はソファーから起き上がる。
「まずは着替えるか」
自分に言い聞かせるように呟き、自室へ向かおうとした夕貴はあることに気がついた。
夕貴のいる居間と廊下を結ぶドアの向こうに気配が一つ。
それが息を潜めているかのようにじっとしている。
「うん?」
怪訝に思った夕貴は、無言でドアに近づく。
耳を澄ますと、『えへへへ』なんて声も聞こえてくる。
まさかドアの向こうがわでは蒼衣がノブに手をかけたままとは夕貴は知らない。
夕貴は疑うことなく手前に引いてしまう。
それでも急に開け放つことは無く、最初は慎重に開く辺りが夕貴らしい。
ガチャッ
「っえ?……きゃあぁぁ!!」
突然引かれたドアに追随して蒼衣が悲鳴をあげて雪崩れ込んできた。
咄嗟にノブを捕まえていた手は放したが、このままでは手をつくことさえままならない。
蒼衣は目の前にあったものに手をかけることに成功するが、それもろとも倒れてしまう。
「うげっ」
倒れた拍子に何か聞こえたが、目を瞑った蒼衣がそれに気付くのは数秒経ってからである。
瞬時に夕貴は重なって倒れたことを理解した。
引き倒されるようにして後頭部を床に打ち付けたことも記憶している。
ついでに仰向けに倒れた身体にかかる不自然な重さ。
(やわらかい……ってあ、蒼衣!?)
案の定、胸の上には目を瞑った蒼衣の顔があった。
「おい、蒼衣」
「はっ!?……先輩っ!すっ、すいませーん!!」
夕貴の呼び掛けに目を開けた蒼衣はすっかり気が動転している。
「いや、それは良いから」
夕貴は仰向けのまま右手で顔を隠すようにして軽く息を吐く。
「とりあえず、退いてくれると助かる」
相手が勇介ならともかく、女の子である蒼衣に重いなんてことを言えるわけが無い。
遠まわしに自分の意を伝えると蒼衣も気付いたらしい。
「……そ、そうですね!もうしわけありません!」
ようやく降りる兆しを見せた蒼衣に夕貴は安堵する。
そのときである。
ギィッ
なんの前触れも無く開いた玄関から顔を見せたのは、勇介だった。
妹が先に久谷家に向かったことは知っていたので別段驚いた様子は無い。
「ふむ……」
見ようによっては自分の妹が夕貴を押し倒しているようにも見える。
勇介はしばしその光景を眺め、やがて口を開いた。
「義兄(あに)か」
「お、お兄ちゃん!!」
頬を染めた蒼衣が叫ぶ。
なお、依然として夕貴の上に乗ったままである。
(兄はお前だろ?)
夕貴はなぜ蒼衣が赤面するのかわからない。
そんな夕貴を見やった勇介は口の端をわずかに歪める。
「冗談だ」
「もうっ、夕御飯作ってあげない!」
「それはともかく、そろそろ退いてやれ」
夕貴が苦しそうだ、と続ける。
勇介の言葉に思い出したのか蒼衣は慌てて飛び退いた。
「ふぅ……」
多少は苦しかったのだろう、立ち上がった夕貴は数度深呼吸をする。
「先輩、ごめんなさい……」
「これから気をつければ良いさ」
夕貴は先ほどとうって変わってうなだれた蒼衣を慰める。
(何故か昨日より疲れているのは気のせいか?)
最近になって夕貴の心労が増えているの確かだ。
その胸中は複雑である。
「そろそろ時間だ」
それまで時計を眺めていた勇介が告げる。
同じように時計を見やった蒼衣が夕貴の姿を見て叫ぶ。
「先輩、着替えないと!」
言われるまでもなく自室へ向かい、昨日出しておいた真新しい制服を着る。
これも後で何か言われるだろうがどうとぼけるべきか。
(雪乃への弁解とサリスへの忠告と今朝の女か………まったく女難だな)
夕貴の頭を悩ます種はますます増え続けるばかりであった。