イタリアへ
2005年12月23日〜30日 JTB企画のツアーへ妹と参加
23日(金)
早朝のLAL機にて中部国際空港から成田へさらに成田からフランクフルトを経由して午後9時すぎミラノへ到着この間冬時間差−8時間 ミラノ泊
24日(土)
ミラノ ゴシック建築の最高傑作のドゥオモ(聖母寺)は最も見応えのある正面が大改修中全面シートがかけてある 中はXmasミサが始まる前で見学許可 厳かなステンドグラスを頂いた聖堂
ドゥオモ(画像は2001年に行った時のもの)
その後、スカラ広場に入り口がある18世紀の建築 ビットリオ エマニエル2世ガッレリーアを散策
ガッレリーアは天井が最高で30メートル近く、壁、窓、天井、至る所、18世紀のゴシック建築、フレスコ画、ステンドグラス、彫刻等の芸術の粋を尽くして装飾され中央クロスに広場を持つ巨大なアーケード街、優雅なブティックやカフェ、レストラン、ブランドショップが軒を連ねている。ショーウインドのディスプレイにも美術を感じる。
スカラ広場側ガッレリーア入り口と中央広場のXmasツリーはガラス作家スワロブスキーデザイン高さ20メートル
スカラ広場に通じる道もスカラ広場も華やかにXmas市の多くの屋台が並び賑やか
ここをフラフラと一巡り・・イタリアっぽい小物を数点買う、手編みのキャップは5ユーロ(¥750)
マスカレードショップ
午後は北イタリアの古都ベローナ観光へ
ベローナはミラノからバスで40分ほど、紀元前からの歴史を持つ名門スカラ家の発祥と菩提の古都、シェイクスピアの戯曲「ジュリエッタ」のモデルとなった街、キュープレット家のモデルといわれるカプレティ家も、モンテギュー家のモデルといわれるモンテキ家も実在している、そしてジュリエット、ロメオの悲恋も実話である・・しっかし、シェイクスピアは一度もここを訪れたことが無いという・・情報のない古代・・多少の風聞で傑作を書き上げたシェイクスピアは天才。
街はエルベ広場を中心に放射状の歩道が通じている中心へ行く石畳の古道は専門店街あり、古代建造物あり、美しい川あり、紀元前からの美橋もいくつか・・歴史の重みを感じる厳かな街、イタリアの三大闘技場といわれるコロッセオにつぐカンテグランデ(アレーナ・デ・ベローナ)は巨大な円形闘技場、今はコンサートやオペラが上演されるが総合改修工事中で全面シートで覆われてた・・この古代ローマ帝国の建造物はエルベ広場の近くだった。
ジュリエットのバルコニー
スカラ家の菩提所
ベローナの街
エルベ広場Xmas市
25日(日)
世界遺産ベネチア観光
ベネチアはアドレア海に浮かぶベネチア島に多くの運河を切って大小200以上の島々を繋いだ都市 ベネチアの栄華の象徴サンマルコ寺院とサンマルコ広場を中心にした大輪の花のような美しい水の都、ゴンドラ以外タイヤのつくものの交通は一切無い、歩道は幅2メートルほどの石畳が迷路のようにサンマルコ広場へ通じている。
見応えの多さに編集を戸惑うものである・・・サンマルコ寺院の正面のフレスコ壁画に「ベニスの商人」とおぼしき繪を見たが・・シェイクスピアが先なのか壁画が先なのかガイドさんに聞くのを忘れた・・初めてガイドさんが日本人でなくてベネチアの人だった・・日本語の巧みさと違和感の無さと日本史との比較洞察説明が見事に周到、日本で生活した方だろうと思った、しかし彼女は日本に来たことが無いのである・・ボローニア州にイタリアで二番目に古い大学がありそこには数百年前から「日本語課程」がありそこの卒業生だという・・40代の美しい近代的な女性である・・
イタリア本島からベネチア島にかかるリアルト橋を渡った所がサンタルチア駅、そこから大運河を渡る水上バスの船着き場がサンマルコ広場、ドゥッカーレ宮殿もここにある
ベネチアの迷路のような狭い歩道をあちこち散策したあとゴンドラ遊覧、ベネチアは意識無しにシャッターを押しても全て美しい景色が写る・・
おりしも、広場ではXmas の三旗掲揚のセレモニーが始まった、伝統コスチュームの兵隊(?)の楽隊が厳かな音楽を演奏する中イタリア旗、ベネチア旗、EU旗(?)がスルスルと空中に翻りながら掲げられた、同時に大鐘楼から多くの鐘がいっせいに響き渡り・・異国情緒を改めたものである・・・
サンマルコ寺院の大鐘楼はビルの15階ぐらいだろうか・・エレベータで上るこの鐘楼も中世以前の建築である・・
ベネチア島はもともと沈下が起こっているが・・近年の海面上昇による沈下は想像以上だった・・満潮時にはサンマルコ広場は数十センチの浸水、観光客のために高さ80センチほどの足場歩道が組まれる・・幸い干潮時だったから地面を歩いたけれども、歩道の石畳まで海面がきている・・ゴンドラ周遊してもかつては建物の地下一階だったと思われる生活空間も水没期間の長さのためか殆ど放置され廃屋状態になってた・・
情緒、歴史、物語の多さに編集する能力の限界を感じている。
26日(月)
フィレンツェへ
フィレンツェは中世メディチ家の歴史をそのまま残すベッキオ宮殿を中心とした古都である
ミケランジェロの生地、ドゥオモ、ベッキオ宮殿、ベッキオ橋、など散策できる距離内に見応えのある景色、建築、彫刻、中世そのままの町並や住宅、商店街、公園・川や橋、などなど、見上げたり覗き込んだり・・・
ミケランジェロの丘からフィレンツエの街・・雨降りだった
左の塔がベッキオ宮殿(現市役所)右側の四角い塔が「ジョインの鐘楼」その右が「ドゥオモ」
4年前同場所から撮影
4年前 ベッキオ宮殿から見たフィレンツエの街
ベッキオ広場から見たベッキオ宮殿(現市役所) フィレンツェドゥオモと鐘楼
ミケランジェロの「ダビデの像」はベッキオ宮殿に保存されている・・ベッキオ広場にはそのレプリカが展示されているがこのレプリカもすでに200年が経過している・・ドゥオモは大理石大修復と大清掃を終えたあとで前回見たよりもはるかに輝くような美しさだった。
名所 ベッキオ橋 橋の上の建物は今は宝石店が並んでいるが、その昔は食肉加工、水産加工の作業場だった・・
廃棄物を川に流して魚の餌にしたという当時のリサイクルが目的だった・・
午後は自由行動だったから先回行った時興味があった「職人街」を散策したくて探しまわったが、探し出せなかった。フィレンツェの専門店街やピッザーラ、バールなどを散策しながらフィレンツェの駅まで行ってみた(駅は治安が悪いから気をつけて下さいと添乗員から注意あり)・・歩いて15分ほどだったが・・もう日本人の姿は一人も見ない・・駅は全部平面そこにたくさんのプラットホームがならんでいる・・終着駅であり始発駅らしい・・・暗くて、古くさくて、汽笛が聞こえて汽車の煙が漂ってきそう・・昔の洋画のような景色である・・ここからヨーロッパ各国への線路が延びていると思うとロマンチック☆・・・バスターミナルでもあり、ホテルまで市バスを利用してみることにした・・ホテルのあるバス停までは40分ほどだった、どこまで乗っても1ユーロ(¥150) バス乗客の表情と生活感は日本と同じ・・
フィレンツェ駅コンコース
27日(火)
ローマへ
フィレンツェからローマへはバスでハイウエイを4時間近く走る・・フィレンツェを出てしばらく広大な田園風景が広がりやがて山景色になってゆく・・そして再び田園風景が延々と続く・・見ていて飽きない景色である。地中海松といわれる松の木はブロッコリーの一房のような姿である・・・糸杉は高く細長い姿で対照的・・どちらも青々としている・・ポプラは枯れ木立・・プラタナスも枯れ木立・・農場の境界だろうか整然とそれらの木々が一直線に並んでいて雲の切れ間から射し込む太陽の光が斜めの白い濃淡の線を投げている・・
ミレーの繪を彷彿させる農村風景は心が安定する・・羊の群れ、その羊番の犬は昼寝をしている・・牧場の牛はノロノロ寝てたり起きてたり草を食べていたり・・オリーブ畑は粉をふいたような緑色の絨毯のように見える・・小麦畑は取り入れを終えて黄土色を見せている・・ひまわり畑が多いそうだが今はその季節ではない・・ポプラやプラタナスの冬木立が長々と直線のアクセントをみせている・・ところどころに点在する農家や倉庫は赤煉瓦の屋根に白い壁・・そのまわりを冬木立や糸杉が太陽を透かせている・・・・突然大きな自動車工場があったりする・・でもそれはとってものどかに見える・・・全ての道はローマに・・か・・鉄道も川もそしてこのハイウエイもローマを目指してる。
バスを降りてサンピエトロ大聖堂へ歩き始める頃から又、雨が降り出した・・一体、イタリアの冬は雨が多いと学習はしてきたが・・ミラノでは降ったりやんだり・・ベローナがかろうじて曇り・・フィレンツェも降ってる方が多かった・・・ベネチアだけが傘いらなかった・・サンピエトロの手荷物検査(ローマ法王がベネディクト3世になってから強化されたらしい)を待ってる時はついに大雨!40年来長持ちの折りたたみ傘から雨が漏る・・・早く入りたいのにこの身動き出来ないほどの観光客の洪水(愛知万博みたい・・)やれやれ・・やっと入れたと思ったら待ち行列を間違えたらしい・・あとをついてゆくうちに再び大雨の外に出てしまった・・改めて入場するに観光時間が過ぎてしまいそう・・かくて面白くないまま聖堂の中に入っても心そらぞら・・中は暗いし・・カメラ調整もままならず・・聖堂内にあるミケランジェロの「嘆きの聖母」を前回失敗したから今度はきれいに撮ろう!と思いきや・・きれいに写ってない・・やれやれ・・私は神に嫌われてるのか・・かくしてツアー仲間を待たせるという迷惑をかけてサンピエトロ聖堂を後にした・・・
そのあとはコロッセオ見学・・大雨の中コロッセオを二周もしてしまった(何のなりゆき?)・・雨で屋台やワゴンも店じまい・・そしてトレビの泉へ・・さらにスペイン階段へ行く頃にはもう夕暮れになってた・・雨はやんだ・・スペイン階段のあたりを散策・・ローマの一番華やかな所である・・
ミケランジェロ「嘆きの聖母」 コロッセオ 2001年撮影の画像
凱旋門
トレビの泉
雨のスペイン階段
スペイン階段の下のブランド専門店街
イルミネーションの通り・・グッチ、フェラガモ、セリーヌ、等々延々とブランド店が並んでいる・・買い物待ち行列が満員・・ほとんどが日本人・・・
28日(水)
ポンペイへ
ローマからナポリのポンペイまではハイウエイを二時間半
ポンペイの帰りにナポリ港散策・・「ナポリを見ずして死ぬなかれ」という意味のことわざがあるけど・・海からナポリ港を見た景色のことではないだろうか・・前回は海からナポリ港を見ることが出来たが・・今回は港からである・・
ナポリ港
ナポリ港 「たまご城」ナポリ港に突き出た要塞型の中世の城 たまご城由来は城を築く時神のお告げがあって城塞の守りとして基礎深くたまごが埋められたという・・・現在は使われてないし公開もしてない・・ナポリ湾の風景のひとつ・・
この日の夜は「カンツォーネの夕べ」夕食とカンツォーネのライブである♪アコーディオン、バイオリン、ギター、にリズム楽器・・・カンツォーネに始まって日本の曲も多く演奏されて楽しい時を過ごす・・♪ノノレタ〜ノノレタ〜ペラマルティ〜〜ノノレタ〜〜 は高校時代カタカナで覚えたイタリア語の「夢見る想い」というカンツォーネ♪、当時サンレモ音楽祭の最優秀賞だった曲だったと思う・・この曲が始まった時思い出して姉妹で口ずさんでいたら・・バイオリンニストが「出て歌いなさい・・」というサイン・・このお調子者熟年姉妹は出て行ってライブをやってしまったのです・・しっかし・・よく覚えていたわ、意味もわからんのに・・
29日(木)
ローマ散策
ローマ自由行動日、夕方6時までにホテルへ帰れば良いのだ・・
とりあえず市内を歩こうと地図と単語つなぎの英語をたよりにホテルを出発、
テルミニ駅を目標に歩くのだが・・自分達が何処にいるのか判らなくなった、「Where here ? 」と通りがかった老紳士に地図とボールペンを渡す・・紳士は老眼鏡を取り出して丁寧にチェックしてくれる・・「何処へゆくの?」と英語で答えてくれる・・「二つ目の信号を左に行きなさい」そこまでははっきり判ったのだが「ボルゲーゼ公園に沿って行ってからなんとかかんとか・・」わからないのだ・・その言葉の中にanimalsという単語が聞き取れる・・よくわからないままその方向に歩いたら「Zoo→」という標識を見た・・「動物園があるのだ・・」と解釈したのが間違いである・・イタリアに英語の標識があるはずもない・・雨も降り出した・・右往左往あちこちローマの街景色を見ながら歩いてたら・・日本人の交番ともいうべき「ローマ三越」を発見・・これで一安心・・
迷子中に騎兵隊に遭遇、馬100頭ぐらい!
迷子中の街角
妹談「ローマの休日」の「真実の口」へ行かなければ日本帰れない!!・・・かくして熟年姉妹は「真実の口」へ行くことにした・・観光コースを外れた少し遠い所である・・タクシーを使えば何てことないけど・・熟年姉妹は「始末屋」であるタクシー代が惜しいのだ・・地下鉄で行くことにした、しかし添乗員から「地下鉄内にはジプシーと呼ばれる掏摸グループがいるから注意してください」ちょっと緊張したけど・・まぁまぁ気をつけよう・・・かくして地下鉄「カブール駅」を見つけて乗り込む・・いたいた、ジプシー、それは乳飲み子を連れた若い女が大声で乗客に物乞いをする・・それに気をとられているうちに仲間が財布を抜き取るのだ・・緊張してたから被害はなかった。しかし、早速遭遇したのにはびっくり・・これも旅情・・地下鉄車両は全部落書きだらけ(芸術的な落書きだなぁ・・とちょっと感動、色彩感覚がイタリア!!)・・元の車両の色は見えない・・地下鉄切符は全線フリー1ユーロ、この切符で75時間地下鉄内に居ることが出来るのと出札必要無し・・落書きする時間も、掏摸グループの労働時間もたっぷり・・この制度良くないと思った。
地下鉄改札口
「真実の口」最寄の「チェルコマッシモ駅」無事下車、地上へ出るも・・・あぁ〜〜ぁ・・またまた大雨・・一体この妹は「雨女」かいな・・
「真実の口」があるサンタマリアインコスメディン教会まで歩いて8分ということだが・・又しても迷子になりそうになって15分以上雨の中をさまよって辿り着いたのである・・石畳や舗装が入り交じってるローマの道路は雨が川になって流れている・・信号があるのにドライバーは厳守!!しない・・青になってもドンドン車は通過してゆく・・やれやれ・・
サンタマリアインコスメディン教会は質素な教会だったその入り口(もささやかな風景)とたたき土間(珍しい!)の通路の向こう側の壁に「真実の口」があった・・ローマ帝国時代のマンホールの蓋であることは添乗員から聞いた・・
かくして証拠写真撮影後、再びあの芸術的な落書き車両が連なる地下鉄でテルニミ駅まで帰る・・・あとはウインドショッピングやらいくらかのおみやげの品選びを終えて
又、ホテルまで歩こうというのだ・・しかし、この姉妹の始末の悪さは「文房具店」があるといっては入り込み・・「リビング用品店」があったと入り込み・・花屋がきれいと入り込み・・スーパーがあったと入り込み・・・帰り道もおぼつかないのにお気楽様である・・
雨は降る降る時間は無くなる・・30分ほど地図を見ながらホテル方向に歩いた・・ここで発見!何と道を間違えてる!!ここまで来ると姉妹は生来の「根性無し!」に瞬時にして戻るのだ・・で、同時に発した言葉は「タクシー乗り場探そうよ」
ホテルまでのタクシー代は3.4ユーロ、チップとして端数は切り上げる習慣だから4ユーロ(¥600)ホテル方面へ歩いてたのは間違いが無かったのだ・・なぜならホテルからテルミニ駅までは11ユーロ前後と添乗員から聞いてたから・・
真実の口にて
ホテルで美味しいカフェラッテ(イタリアのカフェラッテは絶品)を飲んでから
夜のヒューミッチ空港行のバスに乗る
29日の夜から30日の朝を迎えないまま(冬時間時差+8時間)30日の夜の成田空港
へさらに中部国際空港へ・・・無事帰国でした。