bellのひとりごと(2003.4.20〜3.9)

2003.3.9

「戦場のピアニスト」と漫画「アドルフに告ぐ」

学生時代から映画好き・・学生時代の仲間が今も近くに住んでる・・・

水曜日の料金解放サービスの日に二人で観にゆくことが多い・・・

予告編で「戦場のピアニスト」を知った・・5日に観に行ってきた・・

その数日前に長男が手塚治虫の漫画「アドルフに告ぐ」全4巻を

「面白いよ!読んでみたら・・」と貸してくれた・・・

つれづれな日々・・・またたくまに読み終た・・そのあと映画を観たのである・・

この漫画と映画がはからずも同じコンセプトだったのだ・・

第二次大戦末期・・いよいよナチスの統制がエスカレートしてゆく戦場・・

映画は・・実話・・ホロコーストを行き抜いたユダヤ人ピアニストの

凄まじい・・逃亡生活・・ナチス軍の狂気もエスカレートしてゆく・・

人の心も・・人格も・・芸術も伝統も破壊が繰り返される中・・ドイツ将校とピアニストの

緊張した心の交流のなか・・戦争が終結してゆく・・

鍵盤を優しく滑る美しいBGMの中・・・重い映画だった・・

↓↓戦場のピアニストURL

http://www.pianist-movie.jp/pianist/index.html

漫画「アドルフに告ぐ」は・・・

日本に住むアドルフ カウフマンという日独混血の少年が時代の勢いで

軍人の父親の祖国ドイツのナチスの士官学校のエリートとなり・・

ユダヤ人弾圧の幹部に出世してゆく・・・

もうひとりのアドルフ カミルは日本に住むユダヤ人のパン屋の少年・・・

二人は仲良しだった・・・・・信じるものを探し続けるが・・

時代と戦争に流され次第に荒廃してゆく若者のドラマ・・・

三人目のアドルフは・・アドルフ ヒットラーのこと・・

なんでも無い日が過ぎ続ける日々・・映画と漫画に・・感覚の緊張を覚えた。

2002.3.4

「雛様御覧じ・・」

小学生だった昭和30年代・・私の田舎では旧暦の雛祭りだった・新学期の頃だ・・

人形雛もあったが・・3姉妹の長女の私の記憶にあるのは・・

虫に喰われたり・・鼠に囓られたり・・色褪せて・・壊れ欠けた無惨な人形達だった・・

その横に大きく場所をとって嵩高く段飾りにした「土雛」の方が・・

はるかに色鮮やかでボリュームがあり・・心惹かれるものだった・・

お内裏様、親王様、天神様の土雛もあったが・・

それ以外の土雛の方に興味があった・・

曾祖母が・・その土雛が出てくる物語をよく聞かせてくれた・・

花魁、禿(かむろ)、弁天小僧・・松王丸、梅王丸、重乃井、牛和丸、弁慶、

静御前、清姫、汐汲み、藤娘、鏡獅子などなど・・・

すべて、浄瑠璃、歌舞伎などの古典芸能に出てくるキャラクターのものだったのだ・・

今、になって納得している・・

田舎の旧暦のひな祭りの子供の遊びは「雛様ご覧じ」・・

母や祖母が作ったお寿司と、米の粉と砂糖を練って、緑、赤、黄、に色づけして花の形に

仕上げて蒸し上げた素朴なお菓子(からすみ)を詰めた重箱と・・・

お気に入りの土雛を一体恭しく風呂敷に包み・・少しよそゆきに着替え・・

小高い所で友達と集まって会食するのである・・

女子は戸外へ行くことは少なく・・自宅の二階や友の家の二階だった・・

男子はこの日の為に・・丘の峡に砦?らしきものを数日前から造ったりしてた・・

そこでの会食の前に・・この土雛を掲げ・・景色を見せながら唱えるのである・・・

「ひなさま、ごろじ、ひなさま、ごろじ・・山見て、川見て・・又、来年おいでましょ」

当時、この田舎臭い言葉が嫌いだったし・意味が分からなかったが・・

「雛様、御覧じ(ごろうじ)雛様、御覧じ・・・又来年御出ませ・・」

美しい日本の言葉だったのだ・・

2003.2.14

「産神様がちょうらかす」・・?

昨夜、NHKの乳児院の特集番組を見てた・・・笑わない子・・・泣かない子・・

私の妹は昭和44年の学卒以来・・幼稚園教師(保母)の職を継続34年である・・

多忙な彼女と旅の機会があり・・かなりおしゃべりをしながら歩いた・・

時代の変遷・・今では0才保育が当たり前となっていて・・その現場の話から・・

送って来た保護者を慕うでもなく・・迎えにきても喜ぶわけでもなく・・

淡々と連れて来られて引き取られて帰って行く子もいる・・

保育時間は午前7時から午後6時までの長時間保育児も多い・・

日曜日だけのお休みの間に・・おむつかぶれになって月曜日に預けられる子も・・

保母さん達が・・歩き初めも・・おしゃべり初めも確認する事が多いらしい・・

共働き家庭の母親は休日には家事、育児・・・

忙しくて子供の変化を見つけるチャンスが無いのではないか・・

自分の子供が・・笑って、泣いて、這い初めて、歩き始めて・・

それを見て母親が嬉しくて笑って子供に話しかけて・・子供の心も成長してゆく・・

そんなくりかえしの育児・・を母親が体験すべき・・

保母はあくまで・・母親の補助であり・・母親にはなりきれないこと・・

保育園に預けるには・・幼すぎること・・

国は保育施設の充実に予算を計画するが・・

家庭に居て子育てが出来る環境に予算を使うべきではないかな・・

などなど・・

番組の後半・・評論家の話で・・新生児が意識も無く微笑むことの話をしてた・・

この微笑みが・・母に希望を与える・・

意識の無い笑いが、日々成長してやがて・・嬉しくて笑う・・面白くて笑う・・楽しくて笑う・・

この過程を確認しながらの育児の時間・・

それが欠けてしまってるのでは・・

私の田舎では「産神様がちょうらかす(あやす)」と言ったこと・・ふと思い出した・・・

夢中で過ごした育児時代だったが・・子供が3才過ぎたら幼稚園へ行ける・・

そしたら・・自分も少し育児から解放されると楽しみにしていた頃・・

家庭での育児の環境が良い時代だったのだ・・

2003.2.8

「血圧」って他人事だったわ〜

昨日・・かかりつけの医院で健康管理のための血液検査の結果が出る日だった・・

混んでたから・・診察券だけ出しておいて・・所用を先に済ませた・・

所用先から車に乗る時・・頭が一瞬フワー!として・・変だな?・・

すぐに治って・・運転して医院へ戻った・・

診察室に入って・・最初に血圧を測られる・・看護婦さんが測定・・

明らかに先生の顔が「???」・・再度先生が測定・・162&8?・・

生まれて初めての数値・・

「疲れてない?」「寝不足してない?」どっちもあてはまらないのだ・・

薬を処方されて・・帰宅したらすぐに飲んで・・安静にしてて・・

早く寝てくださいとの指示・・びっくりした・・

気分も悪くなく安静にするまでもなく・・家事をすませて・・昨日を終えた・・

このフワー!は初めてではないのである・・

若い頃「本態生低血圧」と診断されて・・

生活に対応しているから治療の必要無し、と説明されていた・・

ときどき目の前が真っ白になる「脳貧血」を経験してるから・・

その類だと思ってい軽く考えていたのだ・・

その後加齢と共に・・120前後に安定するようになった・・

今回、このフワー!が血圧上昇によって起こる症状と初めて知ったのである・・

ちょうど診察日に当たっていて・・やれやれ・・

でなかったら・・もっと放っておいただろう・・・

若くない!!

2003.1.29

壬生義士伝

浅田次郎原作「壬生義士伝」・・新撰組で一番強かった男・・

のタイトルで一昨年末のTV 放映された時・・友からその感動を語られた・・

そしてこのドラマは昨年末も放映されてた・・

ここ最近・・BELL のBBS で話題になってた・・

原作も読んだこと無いし・・長いドラマも見なかった

つれづれ・・新聞の映画案内で上映中!である・・

ここお正月明け以来・・仕事もせず・・流されるままの主婦稼業の日々

さして感動することも無かったのが・・ちょっと、興味を覚え・・

見に行ってきた・・・幕末の時代背景も・・新撰組に関する知識もないまま・・

・・どこか緩んでた自分の好奇心・・復活しそうな予感と感動・・

人を斬るのが稼業の男達・・の生き様・・

「生きるために人を斬る」

「死を恐れず人を斬る」

物語が展開されてゆく二つの言葉・・印象に残った・・

http://www.mibugishi.jp/flash/index.html

2003.1.22

有松のこと思い出して・・・

3年ほど前、あるカルチャーサークルの講演担当時のテキストから

 2000.2.27  朝日新聞       フリ−ライタ−馬場伸彦(都市文化批評)

 都市の中に忽然とある「町並み保存地域」を私たちはどう理解すればよいのだろうか、..

古い町並みを見て歩く行為は、記憶を思い起こす行為と似ている。

失われた過去の写しのような町屋や商家の記号を手がかりに過ぎ去った時間と出会う。...

そこに伝統とそれを継承する社会的背景を読み直すことでもある。...

古い町並みに流れている時間はバックミラ−で覗くような過去を思い起こす時間なのだろう。

いわば都市の「里山」のようなものだ。

人と共存しながら大切に守られて生活が営まれる生きた空間.

  

2003.1.20

パラソルのこと

昭和59年頃だったろうか・・

当時は革工芸活動に多忙な日々を過ごしていた・・・

名古屋の「革仕立」の講習に通っていた・・

盛夏・・講習を終えて車で国一の帰途・・・・鳴海あたりを走ると・・

・・薄藍の絞り染めの美しいパラソルをさして立ってる上品な老婦人を見た・・・

そのあとも、必ず鳴海あたりで・・絞り染めのパラソルがいつも目に入った・・

「どうして・・ここだけで見るのかなぁ・・」

革工芸との関連もあり「染め」の応用はいつも懸念だったが・・

後の夏・・ボンヤリ新聞を見てたら「有松絞り祭り」の記事・・・

有松絞りは「ゆかた」のことだと思っていたのである・・

分かった!・・ここだ・・

ゆかた以外の染めものに出会える!

当時は今ほどの人出はなく・・地元の人々ばかりだった・・

道行くおじさんのシャツが絞り染めだったり・・・・

おばさんのエプロンにも絞りが施してある・・・

祭り幟も・・横断幕も・・店の飾り暖簾も・・

楽しく・・興味深く・・ドキドキして祭りの町を歩きまわった・・

パラソルに出逢った・・・嬉しかった・・パラソルが欲しかったわけではないが・・

この染め物の美しい応用に感動したのである・・

・・・ひまわりを古風な絞りでモダンに表現・・・

もう18年も前のことだけど・・

又、今年も夏を待っている・・思い出のパラソル・・・

2002.12.31

今年も終わり・・パソコンを買い込んだのは2000年9月・・・

訳が解らなくて何時か挫折してしまうだろうと思っていた・・・

実力も無いのにぶっつけで立ち上げたHP

今になって・・新しい世界が広がったことを実感している・・

今年は特に・・掲示板管理で・・つぎつぎに出来るNET友達・・・・

その友のHPに教わる事の多いこと・・

嬉しい稔りの2002年だった・・

たくさんのNET友に感謝を込めて・・・今年最後の「ひとりごと」

2002.12.19

主婦業以外決められた仕事は無いから・・

朝家事を終えてからPCを開けることにしているが・・・

今年は特にBBS が楽しく・・つい家事もはしょり勝ちだった・・

大掃除の時期が来た・・このままではpc で遊んでしまいそうだった・・

これではいけない・・早く大掃除を終えよう・・

毎日午前11時までは大掃除の時間にしよう・・

12日に一番厄介なキッチンまわり・・次の日は押入の整理・・

など・・一日一つの大掃除を実行・・今日で8日目である・・

終了!・・それも慌てることもなく・・例年よりのんびり念入りに手入れが出来た・・

嬉しい日・・・

2002.11.24

風は人を慰む、人の心を医す、人の気を和平(おだやか)ならしむ・・・
真に人を哀ましむるものは、雨にあらずして風なり・・・

「飄然(へいぜん)としてい何処(いずく)よりともなく来り・・・
 飄然として何処(いずく)へともなく去る・・・
 初めなく、終わりを知らず・・・
 蕭々(しょうしょう)として過ぐれば、人の腸(はらわた)を断つ・・・
 風は、過ぎ行く人生の声なり・・・
 何処(いずく)より来たりて何処に去るを知らぬ」・・・

「人」は、この声を聞いて悲しむ・・・
「春秋も、涼む夕べも、凩(こがらし)も、あわれは風に限るなりけり」・・・
古人すでに道(い)う・・・

(自然と人生)ー徳富蘆花・・自然に対する5分時より〜

「風」

上はNET友のエッセイからお借りした章・・・「風」って言葉が好きである・・・

漠然と感覚でよく使う・・

十年以上前に「風子」なるペンネームで地域機関紙に投稿したこともあった・・

この章を読んで衿糺した気がした・・

・・「風」の意味を知らなかった言葉・・・

「風樹」・・・既に死んだ親を思う意 「風騒」・・・詩文を作ること 

「風範」・・・模範とすべき風格 「風籟」・・・風が物に当たって発する音  

 

2002.11.2

10月下旬・・・里のあるお山方面へ一人でドライブ・・・・

山道にさしかかった時、ふと・・・

旧田口線の始発駅「三河田口」の駅を見たくなった・・・・

昭和34年の「伊勢湾台風」によって

次の駅までの・・渓流の美しい景色が続く線路をもぎ取られてしまった駅舎・・

・・再建は放棄された・・ダム建設予定地内なのである・・

その後は次の駅が始発駅となり運行されたが・・・

車社会の発展、道路の整備・・昭和40年頃廃線となった・・

子供時代の思い出多い・・駅である

40年の風雪が過ぎて・・人々に忘れ去られた・・

瓦は苔むし・・・渓流側の屋根は蔦葛が生い上がり・・・

苔や葛・・雑草が・・「一緒に・・土に帰ろうよ・・・」・・

秋の日射しの中・・「無心」だった・・

2002.9.30

9月22日から妹達と3人・・・・

最果て礼文島、利尻島、宗谷岬、知床岬へ・・・

オロロンと鳴く鳥棲む島沖に見て 北に走るよ旅のバス

ゴメ群れて番屋の浜の秋夕日

稲作の北限を知るここ「遠別」

寂しきは北の浜辺の苫屋の廃屋

北に来て十六夜の月なおさやか

北の海利尻へ招くカナトコ雲

「藍」は海「薄藍」は空 秋利尻

利尻なる沼はいましも雨あがり 風ひとつ無き水面鏡に景を映す

緑色ビロード纏う緩い丘 海に浮かべて夢の島「礼文」

岬訪ねて又岬 サハリン見えた海馬(トド)棲む小島も

ここだけに穴あき貝殻うち寄せる 礼文の浜辺「船泊」(ふなどまり)

北海の闇の一光照漁船

ノシャップとうアイヌの語り「波の砕け散るところ」

野寒布(のしゃっぷ)の岬に続く稚内 昭和を語るサハリンの風が吹いてる長い町

藻が遊び 昆布寄り来て透ける海 ここは最北 宗谷の渚

秋雨の露天に浸かる北の宿

「廃屋に風の棲みつく秋の翳」(宿の投稿句集より)

知床の白樺の森過ぎる時 エゾシカ母子が見返り見送る

バス渡る橋の下なる川瀬にも 鮭が踊りて遡上の季らし

クッチャロ湖水面静もり 今はただ旅の水鳥待つのみにして

サロマ湖は海のふところ 命はぐくむ広きみずうみ

網走の塀の外なる疎水にも 鮭鱒競う遡上の水音

2002.8.13

「ハンドルネーム」

NETへデビューするのに、HN が必要・・・思いついたHN は「みどりまぁ」・・

その後、HPをのタイトルを何としよう・・「BELL」にした・・HN も「bell」

「Bell」は40代後半まで携わってた「革工芸」作品のロゴだった・

アメリカンカービングに代表される革工芸ブームは昭和60年頃をピークに去った

ブームの最中は・・あちこち、講座が開設され・・講師の不足・・・・

まだ、未熟なbellさえ・・かり出された・・

指導する立場とされる立場に差が無いのだ・・・

焦るようにいろんな物にトライしていた・・・

若かったし、「ライフワーク」にしようと・・元気だった・・

ちょうど、子供達の教育費がかさむ時期でもあった・・

良い時期に良い先生に恵まれ・・本来趣味であるべき事が・・ブームの事情

で・・作品が売れ・・講師料も貰えた・・

展覧会、即売会の開催・・講座の生徒・・同好会のまとめ・・

エネルギッシュなbell・・だった。

ブームが去り始めた頃、重要な機械「革漉機」が不能になった・・

もともと機械会社に無理を云って再調整してもらった機械である・・

もう、再生は不可能だろう・・既に10数年機能してきた・・

新しい革漉機50万円投資は・・・決心出来なかった・・

この投資を黒字に立ち上げようと・・きっと頑張るだろう・・

子供達は社会人になってた・・もう、のんびりしよう・・・

もっとゆったり・・遊ぼう・・・

みんなが呼んでくれた「Bellさん」・・・

今は・・NETでみなさんが訪ねてくれる「bellさん」

「bell」HNには・・

あのころの元気な「Bell」のエネルギーも・・

みんなが集まったエネルギーも籠もっている気がしている・・・

もともと趣味でやってた「縫い物」・・・

今再び「Bell」のロゴを使用している・

又、この活動にも「Bell」エネルギーを感じる今日この頃・・

   (65/50)

昭和60年頃の展示会で初めて画商さんに買い上げていただいた作品・・・

その後、再制作したもの

今、家には・・初期の拙作が十数点残っている。

2002.6.20

もう、6月下旬に・・

去る6月15日は旧暦「端午の節句」・・母の歌集から・・見つけた6月の歌

湯気に浮く姑の背細く つっぱりのありし互いの今まどかなり

今宵より五十路も終わる年なるを気づきて浸る旧の菖蒲湯

寺の鐘昼をつげおり農道を夏着となりし女工らの行く

菜を洗う女の後姿(うしろで)離れ住む吾子に似おるにふと立ち止まる

(昭和60年 初音)

母の誕生日は6月14日だった・・・忘れてた

2002.5.11

「母性」

先日・・・当地方の山間部で、ツキノワグマが人家近くに現れた・・

28年ぶりのことらしい・・・

人に被害は無かった・・・

猟銃で仕留めて木枠に括りつけた残酷な画像が新聞に載った・・心が痛む・・

数人と雑談中に「熊がかわいそう・・」と言ったら・・顰蹙を買った

自然は生き物の母・・・熊が住むお山の母性が弱ってるんだ。

2002.5.2

自宅外蛇口の足下に、流しが無くて不便に思ってた・・・

長女の知り合いに・・・タイルの流しを創ってもらった。

制作者は知らないが・・・お年寄りではないか?と思う・・

矩部分の小さなタイルは色を変えてひとつづつ埋め込んであるし・・

流し部分のモザイク繪には・・・手切りと思えるタイルがたくさんつかわれている

今では・・・こんな仕事をする左官屋さんはいないような気がする・・・

創る人は楽しかったんだろう・・・

そんなエネルギーが伝わって来る・・・・

嬉しい♪・・・bellでした。

2002.4.27

自宅近くの・・・レンタル畑にて・・・

麦穂が陽射しに映えてそよいでた・・・一畝だけだったけど・・

収穫のための植え付けとは考えられないが・・・

懐かしい風情に・・・

子供時代、麦畑で遊んだ・・・・春の日々を彷彿・・

2002.4.20

NET仲間のHPを見て

捨てる・・・

bellの婚礼はもう33年も前のこと、婚礼支度の中にあった

「白無地」反物3反・・・・陽の目を見ずにタンスの肥やし・・

活用出来るものではないと・・そのまま・・・

ふと、思い・・・京染めに出し、仕立てました。

金茶色無地に・・ひとつ紋・・・

bellが着ることもあろう・・

長女が成長し・・・大人のフォーマルな会に出席する機会も

あるようになった。

・・・ほどなく・・長女の友人の披露宴・・・

合う帯が無い!・・・数件の呉服屋へ行ってみた・・・

良かれと思うものは・・お高い・・・

又、タンスを探した・・・bellの成人式の丸帯があった、

買うと思えば妥協できる色柄・・・

美容師さんが、みごとに纏めて着せました。

30数年過ぎて・・・活用された・・・

反物・・・日本の長い生活習慣の歴史・・と合理性

何故?「白無地」・・・・

解答でした。

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