bellのひとりごと(2003.3.30〜)

2004.12.15

NETと読書

10月ごろから司馬遼太郎の「街道をゆく」を読み始めた・・

どの巻を読んでてもその街道の地にNET友が居る・・

・・知らないはずの地もNET友を通じてすでに馴染みであったり・・

この読書がいっそう楽しく味わい深いことを実感している・・

2004.10.5

「再会」

3日、瀬戸に住む妹から弾んだ声の電話「とっても質の高い展覧会だよ・・今から来ない〜?」

所在なく退屈してたからすぐに高速を瀬戸まで走った・・

「来る福招き猫まつりin 瀬戸」イベント中「平成の招き猫100人展」

猫好きだし・・猫系芸術、猫小物蒐集・・私の好奇心が疼く・・

全国の猫作家の展示会・・格調高い創作猫ばかり・・

中に「お宮参り」風の猫の像があった・・

その作家の名前に心当たりがあろうはずもない・・

ロビーでは猫作家達の作品の販売実演などが行われてた・・

その中に見つけた郷土玩具「那須串人形」・・

「姉と妹」戸村裕作

平成8年頃だったろうか・・当時東京に転勤中の夫と二人で那須高原の旅をしてた・・

高原を散策してるとき藍染めのお店の前で

作務衣の青年が桐塑で成形されて串にさした素朴な表情の猫塑像に絵付けをしていた・・

「郷土玩具」とか「伝統工芸」とか「猫」とか・・心惹かれてしばらく見ていた・・

口数も少なく愛嬌があるわけでもなく・・でも私の問いかけには率直だった・・

私のわがままな注文にも応えてくれて・・

その串猫人形に10体ほど絵付けしてもらって・・藁苞に刺したものを

那須の旅の記念に求めた・・

瀬戸のロビーの「那須串人形」はその青年だった(もう青年ではなかった・・)

そして彼は100人展のお宮参り風の猫人形の作家だった・・

串人形創作が継続されていたのが感動だった・・

更に精進されて素晴らしい作家だったのも感動・・

当時の事など・・お話出来たのも嬉しかった・・

さらにいうとNETに参加していたおかげで彼のHPを紹介されて

彼の仕事の日常を知ることが出来たのも・・・

猫が招いた「幸」☆

2004.5.10

「サイドブレーキと車の安全性」  

マチック車が主流の現在、サイドブレーキを活用するのはP のみぐらいだった・・

信号待ちの時にサイドブレーキ使用を指導されたがいつのまにかそれもしなくなってた・・

昨夏からドイツ製のマチック車を運転するようになった・・

とにかく、頻繁にサイドブレーキを活用する運転方法である・・

煩わしい気もしたが次第に慣れてきた・・

過日、信号待ちの時に追突された・・

サイドブレーキを引いてたから車は押し出されず停車位置から殆ど移動しなかった・・

その瞬間は車体の向きが変わった程度だった・・

窓を閉めてたが・・衝撃音も遠くの事のように聞こえた・・

「追突」と認識するまでかなり平常心だった・

その衝撃は車内には伝わらなかったから・・身体を打ち付けることも無く・・

簡易梱包してハッチに積んであった大型のやきものの傘立ても

端に3センチほどの欠けが出来ただけ・・

車体の破損も少なかった・・

追突した車の破損状態を見た時、衝撃の重大さに動悸を覚えた・・

2001年にヨーロッパの数都市を旅した時・・

緩慢な坂道が多数交差する大都会の交通事情の凄まじさ、無法地帯の如き感じもした・・

「ヨーロッパで私は運転出来ない!」と強く思った・・

たかだか660ccのタウンミニカーに安全性を持たせるドイツ車の技術を尊敬した・・

たまたま、事故に遭遇して・・

日本の交通事情は規則を守ってる限り安全であり、日本車もそれに対応していると思う・・

      「ダム」             2004.4.12

高校生だった頃・・「このあたりに大きなダムが出来る計画があるんだよ・・」

ここを通行する時、運転してた叔父が言った・・

もう、40年余り昔のこと・・・

当時はそれがどんな環境と生活をもたらすものか想像することもなかったし・・

計画がどんな経緯で進んでいるのかも興味外だった・・

その間、自治体のキャップの交代は数代・・住民の世代も交代している・・

基本にダム計画があるかぎりこの地域の道路などは簡易な保全だけ・・

過疎もさらに進行した・・

最近になって・・ダム着工が可決された(らしい・・)

下流の広大な農業地域への水資源確保の灌漑用のダム(らしい・・)

折りにつけ通る馴染んだ道☆

山峡に架かる大きな橋から見える春の陽を浴びた「花桃の里」

この集落はダムに水没する・・・

大きな橋の遙か下を流れる小川はダムの湖底になる・・

ダムが完成して水を湛えるのは数十年あとのことだろうけど・・

消えてゆくものの景色が安らぎのエネルギーを持ってる・・

お山が滅びてゆくような兆しが寂しい・・

「童神」(わらびがみ)

数カ月前だったろうか・・ラジオで聞いた沖縄の歌・・

♪ユーイリョーヤヘイヨーヘイヨー健やかに育て〜〜・・最後のフレーズだけが耳に残る・・

穏やかな安心感に満ちていて・・強く印象に残ってた

先日、友に誘われて行ったコンサートでこの歌を聞いた☆

「童神」・・沖縄に伝わる歌だったのだ・・

どんな言葉だろう・・?思い付いてCDを求めた・・

若い母親の我が子を思う歌・・きれいな歌・・くり返し聞いてる・・

若い母親の時代は終わったけど・・・懐かしさも蘇る・・「海」のような母歌♪

*******************

天(てん)からの恵み受きてい 

此(く)ぬ世界(しけ)に生まりたる産子(なしぐわ) 

我身(わみ)ぬむいて育(すだ)て

 イラヨー愛(かな)し思産子(うみなしぐ

泣くなヨーや 太陽(てだ)ぬ光受きてい 

ゆういりヨーや 勝(まさ)さあて給(たぼ)り

天の恵み 受けてこの地球に生まれたる我が子

私こそがお守して育てる 愛しの私の子 泣くんじゃないよ

お天道さんの光受けて どうか良い子に

どうか何事もなく育ってね

2003.8.21

「車」

免許を取ったのは昭和39年・・

運転に興味は無かったけど・・祖父が教習所へ勝手に申し込んでしまったのだ・・

当時はオーナードライバーどころか・・乗用車は少なかったし・・貴重だった・・

父の車を恐々運転するだけのペーパードライバー・・

家庭を持ってからも・・車は夫の通勤用に一台だけ・・日常は専ら自転車・・

昭和56年ごろ・・知人のスバルレックスを安く譲り受けたのがオーナードライバーの始まり・・

その後・・ダイハツミラを数年・・やっぱり普通車が欲しくて・・サニー系を乗り継いで

十数年・・・夫の単身赴任などがあり・・高速乗り継いで赴任先まで360キロ・・

月2回のペースで往復した時代もあった・・

夫も定年退職になり・・在宅となった・・セダン2台は必要無くなった・・・

長男は欧州車ディーラー勤務・・車のことは任せておいた・・

今度の車・・ドイツ車である・・

ちっと・・気に入らなかったけど・・慣れてきた・・

2003.7.30

「沖縄」

最近聞いているCD・・「ビギン」・・沖縄の音楽・・

三線(さんしん)の音に絡まって流れる島唄・・沖縄の言葉・・沖縄の風・・

そんな折り・・沖縄がステージの映画「ホテルハイビスカス」が上映されてた・・

どんな風景なんだろ・・どんな生活なんだろ・・

基地とともに生活をする現代の家族・・子供をヒロインにした明るいストーリー

本土復帰がなされ・・本土と同じ発展・・観光・・生活・・と思っていた・・

しかし・・この映画の中の沖縄は昭和30年代を彷彿するものだった・・

それだけに・・人々・・子供・・生活の自然さが印象に残った・・

生活の中どこにでも・・三線があり・・そのリズムがあり・・

決して恵まれてるとはいえないが・・その明るさは・・

生まれた時から・・耳に入る三線の音に育まれるのだろう・・・

沖縄に生まれなくても・・心伝わる「音」・・

2003.7.20

「生存所属を異にするもの魂の流通共鳴」

・・ごんぎつねは新美南吉のあまりにも有名な童話・・・

「合唱オペラ ごんぎつね」・・・このステージに興味を覚え・・

南吉の生誕地知多半田へ出かける・・

荘重なコーラスを底流に素朴な風俗と美しい旋律の語りで繰り広げられる立体の童話・・

・   人間、動物、自然、信仰、愛、親子・・・問いかけるテーマ・・イメージの多さと重さ・・・

単に童話として読み・・理解したつもりになってた自分の軽さを反省・・・

この感動をどんな言葉で書いたらよいものだろうか・・・

ふと目についた柔らかな繪の本に惹かれ買い求めた・・・

帰りの電車の中・・・開いて見た・・表装紙の裏にかいてあったこの言葉・・・

「生存所属を異にするものの魂の流通共鳴」

21世紀に・・改めて確認したいテーマでは・・・・

2003.4.21

「花火」

犯罪、嘘、悪徳、不道徳、罪を裁く法廷、も何もかもすべてを火薬として花火に込め・・・

音、リズム、ダンス、歌、・・・有名になってシカゴのショーに燦然と輝きたい女たち・・

さらにその上前をゆく花火師のような男・・花火が一瞬で消えても・・さらに

新しい火薬を込めて・・打ち上げる虚飾の花火の競演・・

エネルギッシュで派手で・・楽しくて・・美しくて・・

二時間の「花火」を観た・・

ミュージカル映画「シカゴ」の感想☆

2003.4.19

「ガザニア」

去年の今頃・・近くの工場のまわりと構内にところせましと元気に咲いていたガザニア・・

車で通りかかってもハッ!とする・・見事な景色だった・・

今朝、今年も又咲いてるかな・・・行ってみた・・

工場は閉鎖され・・ガザニアの群生は・・除草剤を撒かれたらしくて・・

すべて枯れ草の無惨な姿だった・・・

人手がかかってたとは思えなかったが・・・花まで閉鎖することは無いのに・・

・・去年の画像が最後の姿だったのだ・・

   

2003.3.30

「泰山木」

台所に続く黒光りのする広い板の間、八人家族が食事をする部屋・・

そこからいつも見えてた大きな木・・・・

夏が近づくと大きな白い花がたくさん咲いてた・・猫が登って遊んでた・・

夜寝静まると・・ポトン、ポトン・・・咲き終えた花が落ちる音がした・・

怖くて入った事が無かった真っ暗な部屋・・

知らない人の写真が掲げてあった暗い仏間・・・

その家が焼失した時、この大きな木も焼失した・・小学4年の3月だった・・

大人になって・・この木が「泰山木」だった事を知った・・

この花を見る時・・鮮やかにあの頃が蘇る・・祖父、祖母、父、母、兄、妹達・・

もう、半世紀近くの昔になった・・

ひとりごと前のページへ

               

 

テレワークならECナビ Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!
無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 海外旅行保険が無料! 海外ホテル