精神療法の副作用について

 精神療法は、薬物療法と同様に、「副作用」を伴う。ここでは、この点について論じている専門家の見解を紹介していこう。

 まず、精神科医の西園昌久氏による、『季刊精神療法』第6巻第1号(1980年)における見解をみていこう(以下、「精神療法における副作用論」同上所収、2-8頁に基づく)。

 西園氏によれば、精神療法は、「人間関係の修正と改善」を目指し、そのような「対人関係の障害」を、「治療者と患者という職業的人間関係でいやそうとする」、という治療方法である。

 しかし、この「職業的人間関係」が、常に「治療的に働く」とは限らないのであり、むしろ、患者の側は「つねに病理性をあらわす方向への傾向がある」、と西園氏は指摘する。
 
 同時に西園氏は、治療者の方も、「治療しているつもりでもそうした患者の傾向にいつの間にか流されていることもしばしばである」と指摘している。したがって、「精神療法がつねに効果があるとは限らない」、というのである。

 それゆえ、西園氏によれば、「精神療法のマイナスの面、つまり副作用」を論じることは、「精神療法の本質」を明らかにすることになる。
 
 西園氏がこのような副作用の一例として最初に引用するのは、「わが国で今日の精神分析を定着させた」古沢平作医師による見解であり、これは要約すれば、ほぼ次のようになる。

 古沢氏が「分析学をならいはじめて3,4年後」、ある「アルコール偏執病者」に対して分析治療を行った。このときは、ちょうど、「分析治療の効果によって患者の抱く妄想がだんだん消滅されかかったとき」であった。

 ところが、ある夜、患者の男性が、古沢氏が宿泊する宿直室の戸をたたき、古沢氏に対して「わたしは先生を殺したい」と言った。この時古沢氏は、「患者にいろいろ説明して、ようやくその急場を逃れ」た、という。

 この時期、古沢氏は、4年間続けた分析の経験により、「自分の分析療法」にうよって、「いかなる症候も完治する」という「自信と喜悦」を持っており、そのために、「破竹の勢いで分析療法を実施していた」という。

 つまり、医師としては十分な成果を挙げてきた若手で優秀な人物、と自覚でき、また周囲からも、そのようにみなされていたであろう、という時期である。

 そのため、上記のような「事件」が起きたときに、古沢氏は次のような問題を自覚せざるを得なかったのだという。

 −−自分は「何でも治療ができるという自負心」があり、この「自負心」によって「患者を切り刻んでいた」。

−−しかも、重大なことを忘れていた。すなわち「患者の心は一見すれば彼の病的所産物であるが、実は彼の生命創造物である」、ということを。

−−このような「患者の生命活動」を、「精神分析によって奪った」のは自分である。


−− 自分は、「分析医としての良心」でもって、「人間的善をなしているという誇り」さえも持っていたが、この「事件」はそのような「歪んだ思い上がりと迷妄」に「一大痛打」を与えた、と。
[古沢平作「精神分析入門あとがき」『フロイド選集』日本教文社、1953年より、西沢氏引用]


 この引用に続けて西沢氏は次のように述べている。

−−「症状をいやすことが必ずしも患者の望むところではない」。「患者の精神病理はその人のせめてもの生きる道、創造」だからである。

−− 「支持療法における治療者の説得」が、「患者にとっては暴力的色彩を帯び」、その結果、「治療者、患者関係において、サド・マゾヒスティックな状況が成立」して、「ますます状況は固着状態を呈する」ということがおきるのは、そもそも「支持」がそういった「本質」を持つからでもある。


−−そもそも治療者は患者よりも、「治療の中ではポテンシィが高い」。そのために、「治療者の影響が圧倒的な力」を発揮する一方で、「患者は病理性を発揮する中でしかバランスがとれない」、ということは起こりうるのである。


 こういった「副作用」や精神療法による「症状の悪化」は、フロイト以来論じられてきていることであるが、西沢氏は、こういった「否定的治療反応」を「精神療法の副作用」と述べることには「問題がないわけではない」としながらも、「治療の進展にともなっておきたマイナスの反応として副作用を理解すれば」、この「否定的治療反応」も「副作用」として取り上げてよいだろう、と述べ、さらにこういった「副作用」を、「精神療法でつくりだされる医原性症候群 iatrogenic syndrome」と呼ぶのである。

 西沢氏によれば、このような「医原性症候群」としては、「精神療法過程で起こる抵抗、転移、行動化」、さらには「否定的治療反応」があげられる。
 
 もちろん、これらは「治療上避けて通れないもの」でもあるという。しかしながらやはり、「可能な限り予防せねばならない副作用」も厳然として存在する、と西沢氏は指摘する。

 さらに西沢氏は次のように述べている。

 −−こういった「副作用」は、「一概に治療の失敗とばかりは言えない」のだが、「治療者のパーソナリティや技法によるところが大きい」。したがって、「治療者としては最大限の留意をすべきこと」なのである。

−−もちろん、こうした「医原性」の症候群がはらむ危険性について、フロイト以来、警告がされてきているところである(Freud「乱暴な分析について」1910;「終わりある分析と終わりなき分析」1937)。

 また西沢氏によれば、「精神分裂病者に治療者が不用意に接近すると興奮を起こし急性症状が誘発されること」や、「人格障害や境界例分裂病の人によく転移性精神病がおこること」などは、精神科医が日頃経験する。

 しかし西沢氏によれば、そのなかで、「症状が強く、急性であるもの」を、ある医師は、「major iratrogenic syndrom」となづけ、その症状として、以下のものをあげている。


「抑うつ状態と自殺

「自虐傾向」


「妄想傾向

「強迫症状」

「エロチック性転移と行動化」

「治療関係からの逸脱

「いわゆる逆転移治療

 もちろん、治療者の操作だけがこれらをひきおこすのではない、という。

 しかし、西沢氏は次のように述べている。

−−「精神療法」が「患者の精神生活にとって大きなものであるようになったもの」では、「治療者の役割が引き金になること」、そのような精神療法では「治療者の存在と役割が特別の意味を持っていること」は、自覚されねばならない。


 したがって、重要なのは、「患者の理解と治療技法」の確立である。なぜなら、「精神療法は患者にとっても負担なもの」であると同時に、「治療者にとっても人間性をつねに問われるもの」だからである。

 とはいえ、「失敗もおこりうる」。その結果、「治療同盟を壊してしまう」。このような事態にいたったのは、「日頃は目だたないが危機状況で起こる治療者の一般的態度に含まれる欠陥」があったからである。またそれと関連して、「治療的関与のミス」があったからである。

 以上のように述べた上で、西沢氏は次のように主張している。これは傾聴に値する。全文を引用しよう。

「治療者は患者に対して全能でもなければ、非のうちどころが何一つないというものではない。むしろ失敗をつねにくりかえす存在であるという認識から出発すべきであろう」。

「患者は治療者のミスに意識的であれ、無意識であれ一般に敏感である。あるときには不信、疑惑、いかりがつのって、ひどくなり妄想形成に至ることもある。またある場合にはこうした否定的感情を防衛してしまってそのために患者とコミュニケーションがとれなくなってしまうことがある」。


「いずれにしても治療同盟がそこなわれる。さらに厄介なことはこうした治療者の側の問題は治療者のパーソナリティとも結びついていることが多いので、繰りかえされるということである」。

「こうした治療者が誘発する新しい障害を防止し、また不幸にしておこったときにはすみやかに改善する準備ができておらねばならない」。

 また西沢氏は、精神科医自身による「自らの逆転移の自覚と治療的活用」の重要性を強調している。さらに、このことを可能とさせるのは、「患者の心に聞き入り、認めることから始まる治療者の心の柔らかさ」である、と述べている。

 それゆえ西沢氏によれば、精神療法をはじめるにあたって、治療者に求められるものは、以下の三点となる。

1)知的準備性
2)パーソナリティ上の準備性
3)実践上の準備性


 最後に西沢氏が指摘するのは、精神療法が、治療された「患者の人格像」に影響する、という点であり、これを同氏は、「持ち越された転移」と呼び、一種の「副作用」とみなしている。

 例えば、精神療法の技法によっては、治癒後の患者が「妙にあつかましい人」となってしまっている場合もある、と西沢氏は指摘している。

 また、ある調査によれば、精神分析を受けた人で、現在の不安に対して「自分で処理する」と答えた人は少なく、「直接、治療者に面接を求めたり文通する」と答えたものが多かったという。

 この結果から、「精神分析では転移神経症が解消されることを治療の目標としているのに、現実には、一応治癒していても、必要があれば治療者に頼ってくるものがかなりいる」ということがいえる。

 つまり、転移はなかなか解消されない、というのが西沢氏の見解である。しかし、患者が家族に依存しなくなった、という点で、西沢氏はこのことに関しては、むしろ肯定的に評価している。

 とはいえ、結論としては、「治療によるマイナスの面を明らかにし、その防止をはかりながら治療のあり方を考えることが効果的治療を促進する」ということを西沢氏は強調している。

 さらに、「精神療法にも副作用があるものだし、それをよく理解するために、患者を知り、治療者自身を知るようにつとめることで副作用を防止すること、そしてなおかつ患者の治癒をはかることが精神療法家に課された課題」である、と主張している。


 以上見てきたように、精神療法には「副作用」といえるものが必ずあり、しかもその中には患者の生命を危うくするものさえ含まれており、これがおきた場合、治療者による「失敗」が指摘されても、しかたがないのである。

 そのような危険な事態を回避するためには、西沢氏が指摘するように、まず治療者側が最大限の注意を払って治療に取り組むことが重要なのである。

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