オードリー・ヘップバーンは
彼女の主治医と結婚したのか?

  オードリー・ヘップバーンが精神科医と結婚した、という話は有名である。しかしこの結婚を、「主治医と患者の結婚」というふうに捉えてよいかは大問題である。

 もし、ヘップバーンが患者として主治医に恋をして、最終的に二人が結婚した、ということになれば、精神療法という観点から見ると、どのように説明できるのか。精神科医の神田橋條治氏は次のように説明している。


(以下引用)
 ずいぶん昔のことになるが、オードリー・ヘップバーンが、離婚の傷心を癒すために治療を受けていた心理療法家と結婚したことが、報道されたことがあった。治療契約が二等辺三角形から二者間関係へと改訂されたのである[この点については「恋愛転移」をご覧下さい:管理者]。

 そうした結婚は、本質として治療契約であるから、二人を結びつける契機となった不幸せが縮小したとたん、解消されるのが常である。不幸せが縮小しなければ永続する。

 もっとも、縮小までの共同生活のなかで、別種の絆が育ってくる可能性は十分ある。ヘップバーンの場合は、十年たたずに解消となった。彼女の不幸せは縮小し、別種の絆は育たなかったのであろう。


 二者関係への改定に踏み切った心理療法家は、こうした経過になることを読めていたのであろうか。

 読めていたなら、結婚の時点で、そうした予測を告げておく方が、専門家として人間として、フェアである。

 そうでないと、株式のインサイダー取引と同種の、アンフェアな行いとなる
(以上、神田橋條治『精神療法面接のコツ』岩崎学術出版社、1990年初版、242頁より)



 神田橋氏はこのように指摘しているのだが、本当に、オードリー・ヘップバーンは、「離婚の傷心を癒すために治療を受けていた心理療法家と結婚した」のか?

 ここで、ヘップバーンの伝記としてはもっとも詳細で信頼の置ける、バリー・パリス『オードリー・ヘップバーン物語』(下)(集英社文庫)にある、彼女の再婚についてのくだりを見てみよう。

 これに先立つ離婚は、1967年9月1日に発表される(パリス、106頁)。話はそれから1年あまりたってからのことである。


(以下、引用)
 その年[1968年]5月のロリーンのパーティの客に、オリンピア・トルロニア公爵夫人と、彼女の夫の実業家で、フランスの石油財閥の相続人であるポール=ルイ・ウェイレルがいた。

 ウェイレル夫妻はオードリーを一目見て好感を持ち、その夜のうちに、翌日のエーゲ海クルーズに招待した。[中略]オードリーは他に大してすることもなかったのでこの招待を受けた(パリス、114頁)。


 1968年6月に同じくこのヨットに乗ったのが、ローマ大学の助教授で、女性の鬱病専門クリニックの院長でもある若くてハンサムな精神科医、アンドレア・ドッティだった(パリス、114頁)。[中略]

 彼はオードリーと自分は「エフェソス島とアテネの間のどこかで恋に落ちた」といっている。

 「彼女が結婚の破綻を悲しんでわたしの肩で泣いたとか、わたしが精神科医として彼女を慰めたというのではなかった。われわれはエーゲ海クルーズのヨットの遊び仲間だったが、やがてゆっくりと、一日ごとに、現在の仲になっていった」(パリス、115頁)。
[中略]

 アンドレアの母親は、息子の結婚計画について意見を述べている。[中略]

 「アンドレアのなかには全く別の二人の人間がいた」。

 「何時間も部屋に閉じこもって研究に没頭する人間と、仕事が終わったとたんに、たいそうウィットに富み、社交的になって、外に出たがる人間と。わたしは昔から息子たちに、若いうちは大いに楽しみなさいと教えてきた」(パリス、116頁)。


 若いうちも年をとってからも、アンドレア・ドッティは母親の教えを忠実に実行することになる。

 彼はその道のプロフェッショナルとしての権威をそなえていたが、同時に潜在的なユーモアのセンスを持っていて、その一面が当時不幸な精神状態にあったオードリーにはたいそう魅力的だった。

 「彼は彼女を笑わせ、自信を持たせた」と、ロバート・ウォルダースは語っている(パリス116頁)。


 ウォルダースは、オードリーがドッティに惹かれたのは、「彼が頭脳的な人間でありながら同時に人生というものをきまじめに考えすぎないタイプだったからであって、彼女を助けることができる精神科医だったからではない」と信じている。

 彼女はドッティに心理的に操られているという考えを口に出したことは一度もなかった。それよりもドッティの母親、兄弟、親戚などの多彩な一族−−「オードリーが親しくなった人々」の存在が大きかった(パリス、116−117頁)。



 以上、パリスの記述を見た限りでは、ヘップバーンが「治療」を受けた結果結婚に至った、という証言も証拠も示されていない。

 むしろ、ドッティやウォルダースが、「治療」であった、という風聞をうち消そうとしてるように思える。

 そして彼らの証言の方が、それなりの根拠が示されており、反証がない限りは説得力がある。

 神田橋氏が、ヘップバーンの話を、いつ、どこで、何から知ったのかは不明である。

 当時のマスコミ報道を確認しなければわからないが、おそらく、そのたぐいのものではないかと推測できる。

 「離婚の傷心を癒すために治療を受けていた心理療法家と結婚した」などという話は、神田橋氏が、そういったマスコミ報道か風聞を鵜呑みにしたまま、確認もせず書いた、という可能性が高い。

 だが問題は、この神田橋氏の著作が、多くの精神療法に関連する文献で引用され、参照されてきている、ということである。

 たしかに神田橋氏は優れた精神療法家であろうし、この著作における内容も、誰もが参照に値するものであろう。

 しかしながら、オードリー・ヘップバーンと彼女の治療者とが結婚した、などという根も葉もない話を、神田橋氏の著作からの受け売りで、どこかの男性精神科医が、彼に転移を起こしている女性患者に、まことしやかに話したとしたらどうなるか。

「医者と患者との結婚は、タブーだが、世界に一例か二例はある」といった言葉で。

 そういう意味で、神田橋氏のこの記述は、治療現場を混乱させる情報となりうるのではないだろうか。

 しかし、再び神田橋氏の記述に戻れば、いずれにせよ、主治医と患者との結婚という事態は、仮説としてはあり得るが、それはあくまで「治療契約」であり、「別種の絆」が育たなければ「解消」となる運命にある、ということなのである。

 同氏によるこの主張にとって、オードリー・ヘップバーンが誰とどのような結婚に至ったか、という事実は、結局はそれほど重要ではない。

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