8/7 デジタル化できないもの・その1


 名古屋のオフ会に参加するために米原から豊橋に向かう新快速に乗車したときのことです。私の隣の席に一人の男性がお座りになられました。 その方はある印刷の工場にお勤めの方で、ある理由で私と同じような手段で東京に向かわれておられました。

 その方のお話では、お勤めになられておられる工場には最近コンピュータが導入されたのですが、実際にはなかなか使いこなせず、 効率化どころかかえって工場の方々の重荷になっておられるご様子でした。 その上にその工場も昨今のリストラ旋風からも無関係でなく、仕事量と比して従業員の人数が少なく、大変忙しいご様子でした。

 私は若干なりと社会の情報化やIT革命のことについて持っている知識を披露しながら、企業とITの関係についてその方とお話していたのですが、 直接そういったことに関わっていない私と、現場の方として最前線にいらっしゃるその方とは認識やITについての認識について相当の開きがありました。

 IT革命のメインはインターネットを利用することによってあらゆる情報獲得、情報処理を伴なうデータ収集、商品発注や販売、各種中間処理など のコストを限りなくゼロにし、企業に日々集まる大量の情報を企業経営における有形、もしくは無形の財産にすることに他ないと考えています。

 しかし、もともとコンピュータに詳しくない方々が「これで企業のIT化を実現しろ」とか「EC実現しろ」とか上司に言われてコンピュータだけ与えられても、実際にはどうしていいのか分からないのは当然のことです。 企業のIT化を促進するためには、まずITによって何を実現するかという指針をトップマネジメントが示す必要があるのです。コンピュータの得意とするところはルーティンワークですが、トップマネジメントにはどのルーティンワークをコンピュータに任せたいかというアイデアが少なくとも必要となるわけです。

 そしてシステム構築者はトップマネジメントのアイデアを受けて、そのルーティンワークをどのようにコンピュータに実現させるかというアイデアが必要になるわけです。 このように、どんなに社会のデジタル化が進み、コンピュータが導入されても、それを形にするのは人のアイデアであるということはこれからも変わらないでしょう。

 お話は変わりますが、ある評論家は「社会のあらゆる物がデジタル化されると、デジタル化できない部分が足かせになるだろう」と言いました。例えば流通で言えば、注文の発注、伝票処理、最近では商品販売の部分でさえ、オンライン上で行われるようになってきました。 しかし肝心の「物流」すなわち「物を運ぶ」ということはどうやってもデジタル化できません。もちろん要求があった時に最寄りの倉庫から商品を発注者に届ける「キャリーオンデマンド」は企業のIT化によって実現できるコスト低減手法の一つですが、少なくとも倉庫に物を運び、倉庫から物を運び出すところはデジタル化できませんし、また商品そのものを作る部分もデジタル化出来ないものです。

 もっと言えばデジタル社会に生きる「人間」そのものもデジタル化できない最大のものと言ってもいいでしょう。コンピュータは人が作りしものであることは間違いありませんし、 情報化社会とはまさに人の知識活動によって生み出された観念社会であると言ってもいいと思います。

 ここで人々によっては「デジタル化とは所詮そんなもの」とお考えになられるかもしれませんが、これって結構すごい事だと私は思います。すなわち、根本まで辿れば0と1の連続でしかないものに、20世紀の人間は無限の可能性を見出し、時間と空間の制約を取り払って人間の活動を無限に広げる原動力に仕立て上げたのですから。

 そして今コンピュータと電気通信によって実現しつつある情報化社会は、これまでの伝統的社会を飲みこみ、リアルワールドとサイバーワールドとの力関係を逆転させつつあります。しかし「自分はアナログ人間だ」と認識する方にもあまりお気になされないほうがいいと私は思います。 社会のデジタル化は決して人から隔離されて勝手に一人歩きしているものではなく、良く言えば「こんなものがあったらいいなぁ」という人のアイデアから生まれたもの、悪く言えば「こんなのが欲しい」という人のあくなき欲望の産物でしかないのですから。

 ころころお話が変わりますが、人間社会を支えるのは「文字」であるといわれています。詳細は述べませんが、考えてみれば私たちは朝起きれば新聞を読み、テレビを見ます。職場や学校に行けば書類、書物、もしくはモバイル端末によって膨大な文字情報を獲得、送信、処理を行っております。 考えてみると、この文字というのがきわめてデジタル性の高いもの、もしくはデジタル情報と考え方の近いものです。特にわずか大文字小文字あわせて54文字&記号で世の中の全てを表現するアルファベットは、0と1で全てを表現する社会のデジタル化ときわめてアイデアの近いものであります。

 考えてみれば「文字が文明をもたらした」と言われますが、それは文字の発明によって過去の知識の蓄積が可能となり、「知識の共有」「知識の再利用」「知識の加工」が実現出来るようになったからであります。 このことから考えてみても、社会を発展させるものは「情報の共有」「情報の再利用」「情報の加工」であると言っても過言ではないと思います。 情報化社会の真の価値は情報の「共有」「再利用」「加工」をより促進させることにこそあるのだと思うのです。

 アルファベットと違い、漢字は一つの文字が様々な意味を内包し、一見してデジタル化に向かないものであると言えます。事実として、アルファベットなら1バイトで表現できるのに、漢字を表現するには常用漢字とされているものを表現するためでさえ最低2バイトを必要とし、そのことが日本のデジタル化を阻む原因の一つとされています。 でも実は、そんなことは瑣末のことであるというのが私の考えるところです。

 かつてワープロを開発していた日本の某メーカーの研究チームは、日本語を理解し、またアルファベットを日本語変換できるソフトウェアの開発に従事していたといわれています。しかし、当時は「コンピュータは英語で使うもの」という考え方が浸透していたために、 せっかくの研究はトップマネジメントによって停止されてしまいました。しかしその後別のメーカーによって開発された日本語ワープロが爆発的に普及し、多くの人々がその恩恵に浴しているのはご存知の通りかと思われます。

 また某官庁では世界向けに政策方針やプロジェクトを発表するために、すべての情報を英語で発表するようにしました。しかし欧米から「どうして日本語で発表しないんだ」「私たちを情報から締め出すのか?」という質問が寄せられたのでした。 すなわち、日本語で表現された文書には他の言語では表現しにくい、もしくは出来ないものが含まれているのということが欧米の関係者は認識していたということであります。

 こうして考えてみると、実は日本のデジタル化を阻むといわれているもの、もしくは日本がデジタル化に適しない理由として挙げられていることの多くが実はそれほど大きな障壁ではないのではないかと思われているのです。社会のデジタル化とは、社会を構成するあらゆる知識処理、情報処理のデジタル化を実現することであり、 アナログなものは人のアイデアによってデジタルに置きかえ、時間と空間の障壁をできる限り縮小することにその意義があると思われます。 こういったことはまずその恩恵に最も浴する分野、すなわちビジネスの分野からどんどんと導入されています。

 社会がどんどんとデジタル化されていくとき、どうしてもデジタル化できないものが取り残されていくことになります。その最も代表的なものが生物であります。デジタル化によってサイバーワールドというもう一つの世界を生み出した人間そのものが、生存のために食事をし、睡眠をとらねばならない永久にアナログの制約を受けたものであります。 しかしそんなちっぽけな人間が、文字の発明によって知識の「保存」「共有」「再利用」を可能にし、無線、電信、電話によって「時間」と「空間」を超越したのです。

 マーシャル・マクルーハンは「電信によって人間の歴史始まって以来初めて人より早く情報が到着するようになった」といい、そのことが「それ以前と以後の人々の社会を全く一変させてしまった」と認めています。 現在進んでいる社会の情報化、社会のデジタル化は電信以来の変化を社会にもたらそうとしているといわれています。 それに伴ない、いろんな物が先行し、いろんな物が置き去りにされていくことでしょう。しかし、人間の歴史、特に産業革命以後の人間は「こんなものが欲しい」というアイデアをテクノロジーとして実現させ、それから起こった不具合を「こうするべきだ」というアイデアとして思想、活動、法律、政治体制として実現させてきたのです。

 社会がどんなに進化しようとも、社会がどんなにデジタル化しようとも、人間は物理的には永遠にアナログの制約を抜け出せません。でもあらゆるものをデジタル化する原動力は、アナログの象徴である人間のアイデアの具現化なのだと思います。 ほかにもお話したいことはまだまだありますが、それはまた後日といたしましょう。

以上

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