海原雄山研究 第二部  山岡から栗田へ 変動する愛情動径とその完結


『美味しんぼ』30巻〜50巻における栗田ゆう子の海原に対する攻勢は、海原雄山の神秘性をことごとく白昼の元にさらした。その余波は、海原・山岡親子の和解を促進し、『美味しんぼ』はひとつの黄金期を終えようとしていた。

しかし同時に、海原雄山の偏執的な愛情志向は、また新たなる対象を見つけつつあった。山岡との関係を徹底的に破壊した栗田ゆう子その人である。巧妙に隠蔽しつつもありったけの愛を山岡に注ぐが、山岡は海原に相変わらず冷たい。そんな山岡よりも、積極的なアプローチを事あるごとに試み、何よりも最愛の息子の嫁になった栗田に海原が心動かされるのは、無理ならぬことであった。

海原は、栗田にありったけの愛情を投入したいと願った。だが、ここで、海原のあの呪わしき気質が発露される。栗田をあからさまに可愛がることに、恥辱を覚えてしまうのだ。

こうして、海原雄山の新たな伝説が始まろうとしていた。執拗に隠された彼の愛情ベクトルは、山岡ではなく栗田への転換を図った。そして、新たな臭みを散布し始めた彼に、多くの海原ファンを震撼させた事件が発生し、海原と山岡の壮大な大河ドラマに最初のピリオドが打たれる。

本稿は、『美味しんぼ』第51集から第76集までを、その考察の対象にしている。


 栗田への愛憎の日々

『美味しんぼ』中期以降の海原と栗田の基本的関係は、栗田が海原に救援を求めることから始まる。最愛の息子の嫁に頼られて、内心ではうれしさの絶頂を迎える海原ではあるが、それを周囲に悟られるのは恥ずかしい。そこで、海原はさぞかし迷惑そうな顔をしながら、一端は栗田を放置するが、その裏で栗田を救済しようと怒濤のごとく動き回るのである。“海原→山岡”特殊関係の黄金律は、かくして復活したのだった。

ただ、単純な山岡と違い、栗田は海原の隠匿された愛情を暴き出し、それにつけ込む狡猾さを見せつけた。心優しき海原ファンたちは、彼女の恐ろしさに打ち震えた。

 第51集/第3話「疑わしい日」

極亜テレビ社長・金上は、東西新聞社の乗っ取りをたくらんでいた。その陰謀を阻止するため、海原に協力を求める栗田であったが、彼はすげなく断る。ところが、その会談の席上、栗田は気分を悪くして、吐き気を催してしまう。それをつわりと勘違いした海原は「このバカ者が! そんな体で何をあちこちうろうろしているんだ!」(vol.51/P80)と心配のあまり大いに怒る。後で勘違いに気づき、「うぬぬ・・・・・・」(P81)と大いに照れる。結局、海原は、「気分が直ったらとっとと帰れ!」(P81)と強がりつつも栗田の申し入れを受けるのであった。

 第52集/第3話「究極のメニュー対金上」

金上の攻撃はつづく。救援を求め、美食倶楽部を訪れた栗田に対し、海原はうれしさをかみ殺しながら「まったく不躾な奴だ」(vol.52/P103)と出迎える。栗田は、金上にしてやられた山岡の窮地を救うため、「息子の仇を父親が討つのは当然」(P105)と海原にボディーブローをくらわせる。その言葉に動揺しつつも、海原はいったんは栗田を冷たくあしらうのであったが、その後、裏工作に走り、山岡達VS金上の味覚勝負をセッティングし、山岡に挽回のチャンスを与える。

勝負では、次々と卑劣な手を繰り出す金上に対し、海原はそのつど山岡達にフォローを入れ、息子夫婦の正念場を支える。最大の見所は、金上が答えを当てると険しくなり(表情@)、栗田が正解すると安堵する(表情A)海原の表情である。

vol52p146.jpg
表情@(P146)

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表情A(P147)

このわかりやすさは、海原の魅力の全てを要約していると言ってよいだろう。最後に金上がボロ負けし、その様を見た海原の微妙にうれしそうな表情(P178)もたまらない。

 第52集/第3話「日本酒の実力」

困る山岡を罵倒しつつ、裏に教唆を含めるいつもの海原であったが、やはり栗田にはたやすくそこの隠された無限の愛情を見破られてしまう。調子に乗った栗田は、海原に対し「本当は愛しているんでしょ」という示唆をもって海原を攻撃した(Vol.54/P155)。海原は「う・・・・・・」(P155)と絶句し、恥ずかしさに身もだえする。

やがて、海原の助言のおかげで、全ては丸く収まった。栗田は海原に酌をしつつ礼を述べる。最愛の息子の役に立ちその嫁に酌までされて、うれしさのあまりゴロゴロ転がりたいくせに、「ふん・・・・・・」(P179)と海原は不機嫌を装う。そのだだっ子のような海原の様子を見て、栗田は満足そうにほほえむ。女は恐ろしい。

 第57集/第5話「新聞戦争」

大原社主と帝都新聞・峰山社長の痴話喧嘩は、業界全体の信頼を失いかねないスケールにまで発展した。栗田はその仲裁を海原に依頼するが、いつものように断られ、逆ギレしてしまう。

「私はもう子供は作りません(中略)海原さんの性格が、隔世遺伝で私たちの子供に現れたら、大変ですから」(vol.57/P121)。この言葉に、繊細すぎる海原の心は大いに傷つき、「こ、この!」(P121)と最大限の激怒を見せる。おそらくこの晩、息子夫婦を愛してやまないのにそれが出来ない自分の気質を恨めしく思い、海原は枕を涙でぬらしたことであろう。

失った信頼は、取り戻さなければならない。海原はこれまでにない周到な計略で、急遽、両社長・社主の仲を取り持つ。その後、逆ギレの謝罪をする栗田に対し、「いったい誰に頼まれて、私があんなことをしたと思うのだ?」(P180)とさも不機嫌そうに述べ、「ふん。そんなに愚かな女は、子供を産まんほうが世のためだな」(P180)ととどめを刺す。栗田は「ま、この間のお返しですね?」(P180)と感涙する。

 第61集/第3話「失敗! 卵豆腐」

海原は、栗田に借りを作ってしまう。「おまえに借りができてしまったな。どうも、不愉快だ」(vol.61/P69)と不機嫌そうに車に乗ろうとする海原に、栗田は自分が大変愉快であることを伝える。その満面の笑顔を海原は見て、本当はこの最愛の嫁を抱きしめたくてたまらないのだが、その衝動を抑えるかのように「この・・・・・・」(P69)と愛憎入り交じった表情をする。

 第62集/第4話「フグと刀」

栗田に親子がいいものであるとけしかけられ、「ふん・・・・・・」(vol.62/P180)と海原は冷静さを必死で装うとするが、その裏に山岡に対する熱い想いが煮えたぎっていることを、我々は見逃しはしない。


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