「粋」と「萌え」  江戸の道徳的理想が生んだ『ラブひな』


我々は先に、人情の一典型として、好きな対象物を巡る屈折感情を挙げた。大好きだがその感情自体は隠しておきたいので、反愛情的行動をとってしまう。あるいは、攻撃的態度をとるまでには至らないものの、やはり好意の対象物に自分の感情を悟られるのは恥ずかしいので、その隠蔽に軽躁してしまう。やがて、この“人情的行動”に付随する当該者の奇態行為は、“萌え”という感情の源泉になりうることを指摘した。

本稿では、ここで定義した“人情・萌え”という感情形態が、日本における伝統的な意識現象である“粋”を基盤にしていることを九鬼[1979]に基づいて明らかにしたい。

 いきの構造

九鬼[1979]において、“いき”は三つの情操形象を出発点にしているとされる。

 1.媚態

異性間の交渉を示す言葉であるが、注意したいのはその交渉は成就しているのではなく、あくまで成就の可能性にとどまっている緊張状態を表すことである。媚態とは、「二元的可能性を基礎とする緊張」(九鬼[1979:22])と言える。

 2.意気地

異性に懸想しているのだが、単に一途なだけでは野暮ではないか。意気地は、武士道の道徳的理想を背景にした江戸っ子の気概を契機とし、想いはありながらも「異性に対して一種の反抗を示す」(九鬼[1979:24])意識である。

 3.諦め

物事の執着に否定的な美意識を生み出したのは、運命に関して諦観を強調する仏教的な世界観である。粋の垢抜け性が、ここで強調されている。

粋は、「媚態」が「意気地」と「諦め」によって規定されることで成立する。さもすると交渉相手に没頭しがちな感情は、「意気地」と「諦め」によって、均衡に至る。その緊張状態こそ粋に他ならない。

 『ラブひな』における粋

以上の議論に基づいて、『ラブひな』における人情の形態を考察してみよう。

なる・素子(ケース@)であれ、しのぶ(ケースA)であれ交渉相手の景太郎と完全に関係を持つに至ってはいない。つまり、「媚態」である。ここで、ケース@は、「意気地」によって緊張状態が成立していると見るべきである。「景太郎みたいなヘタレは許せん(でも、らぶらぶ〜)」という態度である。

照れなる1

照れなる2
第5巻 170ページ

一方で、ケースAのしのぶでは、「諦め」によって「媚態」が強調されている。「せんぱいにらぶらぶ。でもでも、へっぽこなわたしなんか」である。

照れしのぶ1

照れなる2
第5巻 118ページ

ケース@・ケースAそれぞれの粋な態度は別の指向性を持つとはいえ、“萌え”に直結している。今日、繁栄を極める“萌え”という感情形態は、伝統的江戸文化の道徳的理想を源流としていたのである。


 参考文献

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