間延びする戦場のトラウマ  『プライベート・ライアン』


戦場で荒廃した精神を社会が病理現象と認知する様になったのは、第一次大戦の砲弾恐怖症やシェルショックあたりからと思われますが、物語が斯様な病理を明確な意識の基に発見するのは、ヴェトナム戦争を待たねばならず、帰還兵と聞くと兎角ヴェトナム帰りを連想しがちです。

病理的な帰還兵がかの戦争に限定されるのであれば、それを取り扱う物語も米国一国に限定せざるを得ず、例えばそれに類する様な戦争経験のないわたしどものコミュニティでは、帰還兵な物語はそもそも成立が不可能になります。不可能を可能にしようと無理をすると、アニメーションで可愛いペンギンさんたちをインドシナと目される密林に放り込んで阿鼻叫喚させる惨状を呈すことになります[注1]

しかしながら、病理自体は発見されないだけで、如何なる戦場の後にも戦闘神経症の山が築かれていた筈です。極端な話をすれば、慶長の役で朝鮮半島帰りの宇喜多家御家中が夜な夜な悪夢に悩まされても全く持っておかしくはない筈なのです。

帰還兵がヴェトナム帰りに限らない事。たとえ架空の戦場[注2]であっても、その状況を想定さえすれば帰還兵が存在しうる事。物語がそれを知った時、帰還兵は時代と地域の壁を越える事になりました。

21世紀の冒頭に於いて、わたしどものコミュニティが最後に経験した戦争は、半世紀の昔へさかのぼらなければならないイベントです。従来は帰還兵な物語の対象とはなり得ないと思われていたその戦争は、帰還兵に普遍性が付与されるにつれて、わたしどもにもヴェトナム帰りが描ける可能性を、ごく一部の人間の倒錯した歓喜とともに、示唆し始めました。ただ、本来のヴェトナム帰りな物語が、若者の陰鬱な恐慌を描写する事によって成立していた一方で、帰還兵の高齢化が進む戦場の悪夢の物語は、いつまでも逃れられない老人たちのトラウマに目を向けます。[注3]

『プライベート・ライアン』自体は、上述の意味での帰還兵物に分類される作品ではありません。ただ、よりメタな意味で、詰まり物語と実人生との動態的な関わりに於いて、奇しくも帰還兵物のイメージをわたしどもに印象づけます。話は、日本公開の数ヶ月前、この作品が、「スピルバーグが戦争映画を撮った」程度の認識しかなかった頃に、戻さねばならないでしょう。



アメリカの在郷軍人会、退役軍人会と聞くと、如何なるイメージがわいてくるものなのでしょうか。わたしどもの扁平な想像の中では、葉巻の煙を鼻腔から放出して「うははは」な老人集団の様な物が想起されて、未だ決定的な挫折を知る事のない共同体の明朗さと云う物に思いをはせたりするのですが、斯様な偏見上の老人集団が、スピルバーグによってカウンセラー送りにされつつあるお話が伝わってきたのは、戦争映画の物質的な描写の基準を完全に変えてしまった本作品が、まだ海の向こうで興行成績を上げつつある頃の事でした。

か弱い老人の古傷をあぶり出す様な惨憺たる描写と云う伝聞に、わたしどもの好奇が全く刺激されなかったと云えば、それは大嘘になってしまう訳で、とにもかくにも噂の俎上に乗る猟奇性を押し隠した嵐の前の静けさの様な、そして高い一般性と集客性を狙った予告を映画館で目にし始めた時分は、何をひゅーまん振っておるのかと、軽い激高を感じるほどに、わたしどももまた若かったと云うべきなのかも知れません。ただ、騙されるにんげんは如何ほどだろうかと疑惑を生じさせる意図的に誤解された本作の人間路線は、ささやかな悲劇を、各地の映画館で生む事になりました。



人間には、例えばテクストの上でしか知る事の出来なかった情景が、目に見える形として到来した時に感じる独特の快楽という物があります。LCVPのランプが解放された時、そしてMG42の斉射で破壊されつつある人体群が奇妙に生々しい物理運動を持って転倒した時、其処には半世紀前の屈辱が浄化されるのを感じる旧枢軸国民の土俗的な感情も否定は出来ないのですが、それよりももっと普遍的な感情の高まりを、わたしどもはその内に見出していたのでした。簡潔な言葉で述べれば、それは小林源文の劇画が動画として其処に転がっているという事であり、より感情的には「あ〜ん、Flak38人に撃っちゃダメ、逆ミートチョッパーよ〜(大喜)[注4]」とか「ティーガーよ〜、T-34改造よ〜、でもヤーボ死に(涙)[注5]」など野蛮な雄叫びとして表現する事が出来るでしょう。

前述した様に、この作品の登場によって、類似ジャンルの描写のあり方に変化が訪れたのですが、だからと云って、本作が従来の映画表現の歴史の中で突然変異的な断絶の元に産まれたのでは決してありません。それまで培われてきた表現の連綿たる流れの末に、いわば論理的に正しい帰結の様にして、その表現は結実したものでした。そこには、90年代に始まる音響への過剰な意識(それは80年代に作られた一連のヴェトナム戦争映画と90年代の戦争映画を明瞭に分けるものです)のなれの果てを見る事が出来るし、また記録映画の様な不安なフレームで切り取られた戦場の向こう側には、四半世紀も前にぶちまけたペキンパーの早すぎる偉業[注6]の影も濃厚に感じる事が出来るでしょう。



映画館の孤独な漆黒は、時として有意義な時間を人びとに与えるものです。幕が下りて満足げな心持ちに浸るわたしどもに隣では、この作品をヒューマン人情ドラマか何かと勘違いしていたと見受けられるカップルの片割れが「こんな筈じゃなかった」と青い顔をしており、益々わたしどもを喜ばせました。

Saving Private Ryan (1998)
Directed by Steven Spielberg
Written by Robert Rodat




[注1]
『ペンギンズメモリー幸福物語』('85)のこと。その有様は、岡田・唐沢・眠田著『オタクアミーゴス!』(ソフトバンク)に詳しい。今見れば腹を抱えて大喜ぶするだろうその内容も、それほど精神に余裕のない小学生低学年であった当時のわたしどもには、気持ちの悪い陰鬱以外の何者でもなかった。

[注2]
現実に起こった戦争を題材にしなくても良い。物語ででっち上げられた戦争でも、帰還兵を物語る事は出来る。『パトレイバー2』('93)や『カウボーイビバップ・天国の扉』('01)を参照。

[注3]
『ストレイト・ストーリー』('99)では、第二次大戦の古傷を今に引きずる老人が登場して、しみじみ帰還兵モードに突入するシークエンスがあり、わたしどもを喜ばせる。邦画で代表的なのは『忘れられぬ人々』('00)。帰還兵老人たちがトラウマを刺激されて逆上する話で、らぶらぶだ。

[注4]
「肉切り包丁」とは、重機関銃の束をハリネズミの様に武装した米軍の対空戦闘用車両の通称で、それが従来の目的ではなく対人戦闘の支援に使われた際の、スプラッタな結末を示唆するものであるが、『プライベート・ライアン』では独軍が対空戦闘に使用してた2cm機関砲が米兵に向かって放たれ、首を飛ばし、わたしどもを喜ばせた。

[注5]
ヤーボ(Jabo)は、Jagtbomberの略で戦闘攻撃機のこと。ヤーボ死にと云う表現は、戦線へ移動中に英米機の急襲に遭い、一戦も交えず戦闘不能になった独軍戦車兵の無駄死に感な悲哀を表現する際に使われる事が多い。物量に圧迫されざるを得ない枢軸国のじり貧なもの悲しさも暗に含んでいる。

[注6]
『戦争のはらわた』('75)。その戦場情景の描写があまりにも先駆的であった為、当時では理解と模倣に困難があり、『プライベートライアン』の様にそれ以降の映画のあり方を変える事は出来なかった。言い方を変えれば、この水準に他の戦争映画が追いつくまでに20年以上の歳月がかかったという事。




作成日2003/09/07


目次へ戻る
ホームページへ戻る

テレワークならECナビ Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!
無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 海外旅行保険が無料! 海外ホテル