知性と暴力の相克  『沖縄やくざ戦争』 『北陸代理戦争』


映画の神様が、東映京都撮影所関係者たちのニューラルネットワークにスパイクパケット信号のそよ風と共に降臨して、かれらの興奮性ニューロンを暴発せしめ、東映実録やくざ映画の破滅的な諸情景をこの世に現出せしめたのは、1970年代半ばを前後する一時期の事でした。神様は程なくして京都の地を立ち去るのですが、その足跡は世界の映画史における偉大なる奇観として、四半世紀経った今なお世界中の一部のひとびとを喜ばせしめ続けているのです。



東映やくざ映画を端的な言葉で語れば、それは暴走する下部ユニットの制御を巡る悲喜交々の物語と表現する事が出来るでしょう。サブユニットの制御は成功する時もあれば、失敗する時もあり、成功した場合、東映やくざ映画は多くのケースに於いて、抑圧され滅び去って行く暴力的なサブユニット達へ情感的な眼差しを送ります。逆に制御が失敗すると、物語は叛乱する下部ユニットに苛まれ絶望するシステム管理者に哀愁の視線を送ります。制御せざる下部ユニットは極めて暴力的な存在として描かれ、松方弘樹や菅原文太、そして暴走が極端に至るケースでは千葉真一らによってその役柄が担われる一方で、抑圧的なシステム管理者はしばしば知性的な人格として描写されます。そして70年代の東映的知性を代表するのが、成田三樹夫[注1]であり且つ案外な事に梅宮辰夫[注2]であったりして、更にその裏には小林旭が凶悪な微笑を引きつらせていたりして、わたしどもを大いに興奮せしめるのです。

物語の主導権は、常に暴動するサブユニットの手に委ねられるのですが、かれらが制御不能になる不安な背景には、関西大組織の肥大化による地方組織への圧迫があり、東映やくざ映画が実録の名を冠している事から理解される様に、これは史実に則った展開であります。此処で云う関西大組織は、作品によって名前を変えつつも(例えば『仁義なき戦い』では明石組でこれはかなり解りやすい)東映やくざ映画の根元的な動機を共通して構成することになります。

中央の巨大な影に怯える地方組織には、二つの選択肢が与えられます。恭順してその保護下にはいるか、或いは抗戦して破滅への道を転げ落ちるか。この選択に基づいて、物語は人間の集団を特性の異なる性格付けを施して二つに分割することになり、恭順派には知性を、好戦派には暴力を持って、それぞれの集団を特色づけるのです。知性的な恭順派と一体となる地方侵犯を元締める大組織も、後述する余りにも恐ろしい例外を除いては、知性的な色彩を持って物語に登場し、物語は往々にして、抗戦を過激に嗜好する松方らサブユニットの無軌道な行動に、恭順的なシステム上層部が驚愕するところから始まります。

物語の軌跡は、東映やくざ映画にあっては、地元組織恭順派の幹部や関西大組織の若頭であるはずの成田三樹夫が如何なる様態に於いて物語に登場するか否かで決定づけられると云って良いでしょう。もし冷静沈着なかれが其処にいたら、恐らくその物語は知性が暴力を根絶する理念に於いて描写され、反対に成田三樹夫が浮かれていたら、物語は際限のない狂気の奔流に放り込まれ、松方らの狂笑と成田三樹夫ら恭順派の悲鳴がわたしどもの耳に木霊する事になるに違いありません。

前者、詰まり抗戦派の壊滅的な顛末を物語る綺麗なケースとして、わたしどもはまず『実録外伝 大阪電撃作戦』('76)に言及せねばなりません。抗戦派の松方に対して、侵略側の布陣は成田三樹夫、小林旭と異様に豪華で、仕舞いには丹波哲郎まで到来して、わたしどもは興奮の余り鼻血をたれつつも、大船に乗った安心感に包まれながら、松方が狂騒の果てにエレベーターボックスで蜂の巣になるのを眺められる訳です。しかしながら、松方も松方で、如何なる理由でそんなにしつこく暴走するのか訳が解らないほど凄惨で、絶命の寸前には成田三樹夫に一矢を報い、わたしども非道く動揺させたのでした。

そんな松方が案外にも知性的に見えてしまう一見して奇妙な、しかしそこには凶悪な理由の潜んでいた作品が、それから早くも八ヶ月後に産まれている事は、この時期の東映の、一様に見ながらもその内実の多様な奥行きを物語るものでした。『沖縄やくざ戦争』('76)、抗戦派の松方が、例によって地元恭順派の成田と関西大組織の梅宮タッグに破滅せしめられる哀しい物語です。この松方をして知性的と誤解せしめる存在が、兄貴分千葉真一の恐るべき存在に他なりません。東映やくざ映画にあって、わたしどもはその名前を、『仁義なき戦い 広島死闘編』('73)の理解を一片たりとも受け付けない狂乱と恐怖の象徴として記憶せねばならないでしょう。その凶悪性は本作にあって見事と云うか、そこまでせんでもええのにとわたしどもを妙な具合に感嘆せしめるほどに継承されており、松方の舎弟の睾丸を潰すのは序の口で、その感情的ピークは、余興にいそしむ関西大組織の構成員を前にして興奮して、奇抜な発声を伴う空手の型を演じ始める所で達せられ、わたしどもの腹をよじれるだけよじる有様となりました。千葉に比べれば如何なる者も知性的に見える筈で、いわばその相対性によって、松方に知性が授けられたのでした。


さて、前述した通り、知性が栄光に冠する物語があるとすれば、暴力が世界を圧巻する物語もある訳で、例えば、『新仁義なき戦い 組長の首』('75)をわたしどもは挙げる事が出来るでしょう。狂走する菅原文太が、薬物中毒に成り果てた山崎努と共に、西村晃を妾ともども生き埋めにしようとする情景から、物語は進路を誤り始めました。恭順派、成田三樹夫一行の関西挨拶回りを執拗に追及して襲撃の機会を狙う文太の脳内には、一片の神経細胞の猶予も感じさせぬ程で、成田が待ち伏せの為に小道に入り込むのを見て、「アレは罠かも知れぬ」と思いつつも突入して、見事に罠にはまってしまう野蛮な短絡性[注3]が、わたしどもの喜びを誘いました。

暴力路線は、その後『北陸代理戦争』('77)を持ってその極北となす事は、わたしどもが言及する事もなくともよく知られている事でしょう。もう、わたしどもに失禁を催させるまでに恐ろしい事に、またしても西村晃を生き埋めにする松方が奔放に縦走する北陸に押し寄せて来た、本来は知性を代表するはずの侵略者が、あろう事か千葉真一その人であったために、物語は暴力を抑制する知性の存在を持つに至る事は無かったのです。千葉と松方、この凶悪なる二人が「がはは」と相笑う景観は、ジャアニズムの勝利と云う悪夢的な言葉と共に、罪のない三下達を雪中に埋没せしめその首をジープで轢き潰す結末をこの世界にたたき送り出したのでした。



斯様にして、暴力は『北陸代理戦争』で開花を遂げました。では、成田三樹夫に象徴される知性はどこへ行ってしまったのでしょうか。その答えは意外なところに見つかります。

学生時代、今はもう無くなってしまった大井町の小さな映画館で、わたしどもは円谷英二唯一の汚点と称される『緯度0大作戦』('69)を喜々として鑑賞しておりました。そして、とんでもない衝撃が、続けて上映された作品から押し寄せて来たのです。作品の名は『宇宙からのメッセージ』('78)。そこに到来したのは、侵略者ガバナス帝国皇帝を顔面白塗りメイクで堂々と演じる成田三樹夫だったのです。常に知性的で在らねばならないとされた侵略者を演じ続けた成田三樹夫は、遂に宇宙からの侵略者として、その桁外れのスケールをして暴力を圧巻せしめるに至ったのでした。

映画館は爽やかな笑いに包まれました。わたしどもも笑っていました。しかし、心の底では涙で一杯になっていました。それが、神に魅せられた東映京都撮影所の産んだ数々の奇跡の一番最後の輝きであった事を、わたしどもが知っていたからなのです。

沖縄やくざ戦争(1976)
監督 中島貞夫
脚本 高田宏治
   神波史男

北陸代理戦争(1977)
監督 深作欣二
脚本 高田宏治



[注1]
東映に於ける成田三樹夫の知性的雰囲気の言及に関しては、杉作J太郎『ボンクラ映画魂』(洋泉社)に詳しい。

[注2]
『不良番長』('68〜'74)の印象が強烈であったためか、梅宮に知性的な印象は持ちがたいのだが、実録路線では暴力を抑制する知性を演じるケースが多い。代表的なのは、『県警対組織暴力』('75)。

[注3]
そして過剰な暴力には小賢しい知性の抵抗など全くの無駄である事が、描写するのも莫迦らしいほど素晴らしい直後のカーチェイスによって判明する。




作成日2003/09/19


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