三 狭叉

十一

しかしながら、罵声を浴びたとしても、松本好みのまたとない美少女である。美少女といっても、学生なので成人式を超過している可能性が大ではあるが、そんなことはどうでもよい。美少女に年齢は関係ない。

松本は次なるアプローチを考える。本宅への接近はみさ子リスクが大きすぎる。昨今、なぜかいきり立つ彼女の有り様では、余計に危険だ。バイト先の目される秋葉原はどうか。頻繁に足を運ぶのが億劫で、しかも、みさ子はいなくとも官警の監視が厳しすぎる。職質されて、「ぼぼボクは童女愛好癖者ぢゃないです」と思わず本当のことを告白して、引き取りに来てもらったみさ子さんに、「あんなところでナニシテタノカナ?」と迫られた日には、命の個数に不足を感じることであろう。では、やはり、ご近所である所の某オルグか? ダメだダメだ、もっとも危険だ。

松本は七転八倒。みさ子の帰宅も感づかず、床に転がり悶えつづけ、彼女に「えい、えいっ」と優しく足蹴にされて、ようやく我に返った。

その、愛すべきみさ子の戯れが、シナプス後部のカルシウム濃度を高めたのか、松本はたいへんなる名案を思いついた。みさ子のストレイ・シープの一員ということは、つまり、彼の後輩である。そうなると、どの学部のどの講義を受講してるのか判明すれば、何気なく接近し、「おやおや、あやめさんぢゃないですか〜〜」と気さくに投声しつつ、「実は、ノート貸して欲しいんですよ〜」などと会話を運んでゆけば、怖ろしいくらい完璧ではないか。問題は、彼女のキャンパスにおける行動範囲を探ることで、それは、今、目の前で母性的保護欲に充満した眼差しを彼へ送ってるみさ子が、知っているはずだ。

「ところで、みさ子さん」

松本は、真面目モードを装いながら、ビクビクとみさ子との会話に突入する。

「長年、休学中の身であったわたくしですが、最近、ふつふつと学究意欲が復活してきたようなのです。殊に、今日における学生の孤独なる生活の様態を研究したくなってきたのです。ということで、ケーススタディとして、先日の娘さんについて、その詳細を聞かせてもらいましょう!」

完璧だ、天才だ。松本はおのれの話術に満悦する。

「でも、もっと格好の標本が身近にあるはずだよ」

みさ子はすまし顔である。

「ほほう、それはどなたですかな、みさ子さん」

「君だよ」

「あまいですな、みさ子さん。観察者は観察者自身を観察できないのですよ。というか、貴女まで、貴女までっ! わたくしをもはや社会的意義を失いクスリ無しでは引きこもりの変態的童女愛好癖者と見なしてるのですか! 酷いよう。みさ子さんだけは、そんな風にボクを蔑んだりしないって、信じてたのに」

「ごめんよ、ごめんよ、まさよし君。おねえさんはそんなつもりぢゃなかったんだよ!」

こうなると、もはや松本のペースである。彼は、困惑しておたおたおするみさ子の胸へ、涙ながらに突進し、(このくらいで動揺とは、かわゆい女だ、みさ子さんっ!)などと心の内で陰謀めいた笑みを浮かべた。ところが、みさ子の胸の中で泣き甘えてる内に、本気でみさ子さん大好きモードへ移行してしまい、彼は何が何だかよくわからなくなった。


十二

危うく松本の術中に陥る寸前のみさ子であったが、さりとて、彼女もプロのおねえさんの端くれである。みすみす、松本の手に乗る訳にはいかない。彼女は攻勢防壁を展開して、逆襲に出る。

「ダメだよ、まさよし君。あやめさんにはプライヴァシーというものがあって、おねえさんには、それを守秘する義務があるんだよ」

「そう来ましたかっ、みさ子さん! 貴女は愛よりも仕事を選ぶ冷酷な人なのですね!」

「おねえさんは君のことが大好きだから、仕事を大切にしなきゃいけないんだよ」

意外に巧妙なる抵抗に、松本は苦戦の模様となった。ついでに、みさ子から発せられた『君のことが大好きだから』のフレーズが、直前までみさ子さん大好きモードにあった松本のD2受容体を、ますます増加せしめて、またもや、彼女の胸の中に突進したい衝動が脳の奥から発せられる。もはや負け戦の体である。

けっきょく、みさ子がキャンパスにあやめを尋ねる際、それに同行するという形で、妥協が成立することとなった。みさ子の監視活動によって明らかになったあやめの行動パターンから推測するに、三日後の午後、○○号館の201教室で行われてる講義に出席する気配が濃厚だという。松本は、正月を指折り数えるような心地になった。

それで、当日。東西線の座席にて、並んで座るみさ子を横目でこっそりと松本は眺める。彼女は至って平静のように見える。しかしその内心は? 無論、動揺しまくってるに違いないのである。松本は思わずみさ子の胸に突進したい衝動に駆られるが、次の瞬間には、イカンイカンと我に返る。

例の○○号館は、裏門から入ったすぐのところにある。ふたりは、こそこそと侵入して二階に上がる。その大教室の映画館のようなドアを少し開けて、まずみさ子が中を窺った。講義開始前の閑散とした教室のはるか前方に、あやめの姿が認められた。

「いいね、まさよし君。あやめさんは居たけど、君は後ろの方で見つからないようにしてなきゃダメだよ」

「そんな! みさ子さんだけあの美少女とお話しするなんて、殺生極まりないです」

「お願いだから、おねえさんを困らせないで」

「イヤだ! ボクもあやめさんとお話しするんだ!」

「言うこと聞かないと、キスしちゃうよ」

「ええっ!」

いつものやり方ではあったが、みさ子は松本に白昼堂々、問答無用に接吻をして、すたすたとあやめの方へ近接していった。松本は恥辱の為に呆然として、みさ子の後ろ姿を見送った。


十三

講義を受講する際、あやめは前方の席を占有するタイプの学生で、それは彼女の生真面目なる性質の証左と見てよいだろう。でも、その生真面目さが問題なんだよ〜、とみさ子は感慨深げにあやめに近づいて行く。周囲に学生の姿はあまりない。

「申し上げたはずです。わたしは貴女の助けなんか要らないのです」

みさ子の靴音を判別したらしく、あやめは背を向けたまま、いささか生気に欠ける声を発した。

「相変わらず強情な人です、あやめさんは。でも、そこがらぶらぶなんだよ」

「莫迦なことを仰らないで下さい。ただでさえ、貴女は天然白痴系なのに」

あやめは、みさ子を振り返り、一瞬きょとんとなって、二三度、周辺を走査する動作をした。

「どうしたの、あやめさん? あっ、おねえさんわかっちゃったぞ。まさよし君でしょう?」

「なっ、誰が! みさ子さんは思いっきり誤解なさってます! わたしのような清純な美少女は、あの手のゲスに欲情を動かされることなどあり得ないのです!」

「そんなことを言われたら、まさよし君、泣いちゃうよ」

「あんな無礼極まりない男など、泣かせておけばよいのです!」

そこまで発話するや否や、あやめはお腹を押さえてうつむいてしまった。

「どうしたの、あやめさん?」

「お腹が痛い…です」

「たいへん! 道に落ちたものを拾い食いしちゃダメだよ! おねえさんは、あれほど――」

「ヘンな呆けをかまさないで下さい。わたしのようなか弱い美少女がそんな野蛮なる行為に手を染めるはずがありません」

「医務室に行こうか? おねえさんが連れていってあげるよ」

さて、このとき松本はと言うと、みさ子の言いつけを忠実に守り、教室の最後列に身を潜め、恐る恐る顔を出しては引っ込め、また顔を出し引っ込めるという風に、怪しげな行為に身をやつしつつあった。この距離では、さすがの松本でも会話の内容を把握することはできず、みさ子に盗聴器を仕掛けなかったことへの後悔に苛まれる。すべては光学情報に頼らねばならなかったが、あやめの視覚がこちら方面を向いてるのが認められ、長時間に渡り顔をさらし続けるのは危険が大きい。携帯用の潜望鏡を押入から引っ張り出してこなかったことが悔やまれる。仕方なしに、コソコソと頭部の出し入れをして視察を続けてると、観察対象の二人に上記の如くな異変が起こった。あやめはうずくまりがちになり、みさ子は屈んで、あやめの背中をなでなでしている。

(何事か!?)

松本は、匍匐前進で接近を試み始め、ますます怪しげな風体となった。


十四

「いっ、医務室送りなんて程のものぢゃないです。お腹をなでなでしてたら治るのです」

あやめは、俯いたままふりふりと首を振る。

「おねえさんが講義中もついていてあげるよ。帰りは送ってあげる」

「いらんのですっ! どっちにしろ、これが終わったら秋葉へ行くのです。今日は帰りません」

「そんな体で、また奉仕活動なの! ダメだよ。お腹だって、本当はイヤだから――」

「わたしは、サタンに呪われたあの街を浄化しなきゃならないのです。この地球を救済しなきゃダメなんです。だいぢょうぶです。おとうさまのご加護があります」

「そんなものどこにもないって、気づいたんじゃなかったの? だから、おねえさんのところに来たんでしょう?」

「わかってるのです。でも、このままだと、今週のノルマ達成できません! これぢゃ、聖典学習に顔が出せません! どうしよう、どうしよう!」

「何もしなくていいんだよ、あやめさん」

「わたしは頑張ったけど、やっぱりダメです。おとうさまに見捨てられたくないのです」

「おねえさんは見捨てないよ。あやめさんのこと見捨てないよ」

「―――」
v 「だったらせめて、秋葉にはついていくよ」

「いけません。貴女はオルグにマークされてます」

「おねえさんぢゃなきゃいいんだよね?」

「貴女以外に誰が! わたしのような美少女は美少女過ぎて、近寄りがたいのです」

「うふふふふ」

みさ子の薄気味悪い笑い声から、彼女の言わんとすることを解したあやめは、やはり俯いたままふりふりと首を振った。他者への母性的愛欲に過剰なみさ子としては、そんな風に恥辱の表現を行うあやめを背中から襲い、ないし抱きしめて頭をなでなでしたいと衝動するが、だいぶ軽減された風に見えるとはいえ、いまだ神経性の腹痛の途にある彼女へそんな行為に走る訳にもいかず、ただ、代償行為として、あやめの背中をなでなでし続けた。匍匐前進で遅滞せる進行の下にあった松本が、ついにこの二人の占める空間に到達したのは、彼女たちがかような状態に至りつつある頃であった。

「あのう、いかがなされたのでしょうか?」

松本は恐る恐る声を発した。あやめは、はっと顔を上げて、松本の顔へ大きな瞳を向けた。顔面は見る間に朱色へ変色した。


十五

遠景からしか事情を窺えなかった松本にしてみれば、あやめの様子はただごとではない。何やらかがんでモジモジしてると思えば、今度は松本の顔面を呆けて見つめ、しかも顔色が異常だ。

「これはっ! ご病気か何かですか!」

松本は、あやめとみさ子の顔を見比べて、恐慌しつつ質問をする。

「あやめさん、道に落ちてるものを食べちゃったんだよ」

「それはいけません。貴女のような美少女然とした女学生には似つかわしくない行為ですよ!」

「おねえさんもそう思うよ。ほんとうに困った人ですね〜、あやめさんは」

突っ込み役の不在なボケの応酬が永遠に続くかのように思われてきたのか、あやめは恥と恐怖の入り交じった声を上げる。

「何をいうとるのですかっ! わたしが、道に落ちてるものを拾って食べちゃう訳がありませんでしょう! あなた方は失敬な人たちです。でも、まあ、わたしのようなか弱い美少女は、羨望をかうあまり、こうしたいぢわるを享受する宿命にあるのです。美少女のつらいところなのです」

あやめは、おのれの発言に酔ってしまったらしく、眼球を潤ませ、明後日の方角を眺めた。人を評価することにおいて能力と関心に欠ける松本にも、薄々気にはなってきた予感が、確固たるものに変わりつつあった。あやめは美少女に違いないが、思考の枠組みに大いなる偏りがあるようだ。

「あのう、あやめさん?」

「(うるうるうる)」

「お体はもう平気ですか?」

「(うるうるうる)」

「キスして下さい」

「(うるうるうる)――? なななっ、乙女に何て要求をするのですかああああ!!」

あやめは逆上し、莫迦力を発動させ、床に据え付けの椅子を引き剥がした。松本とみさ子は這々の体で廊下へ退散した。

「本当にお加減が悪かったのですか? あやめさんは」

「ご病気なんだよ」

「何のです?」

「こひのやまいだよ〜、きゃっ!」

みさ子は両手で顔を覆い身体をくねくねせしめ、恥辱を感じてるが如くなアピールをした。松本は、そんなみさ子へ、穿りだした鼻糞をぶつけてみた。

「なんてことするんだよ!」

みさ子は激怒した。


十六

松本の下卑たる行為に激高したみさ子は、ポカポカと五分ばかり優しげな暴行を彼に加えた後、ようやく落ち着きを取り戻し、彼をおのれの職場へ連行しようとする。松本としては、みさ子と同伴でそんな場所に行くのは、またも彼女の同僚から冷やかしを被りそうで、嬉恥ずかしく、とりあえず拒絶してみる。

「それはイヤンです」

「何がイヤンだよう! またキスしちゃうよ」

松本はときどき思わざるをえない。みさ子は、衆人環視の中で行う恥辱に不純な悦びを感じるタイプの人なのだろうか。それとも、本当は松本自身にその手の癖があって、そんな行為が成就するよう、みさ子の感情を無意識の内に誘導しているのだろうか。あるいは、むしろ、松本が辱めを覚える景観に欲望を覚えるみさ子が、彼をさらし者にしてるのかも知れない。松本は、いちばん最後の仮定に至るや、刺戟の強い興奮を覚え、かつ、けっきょく本当に嗜好の歪曲せるは自分ではないかと想起し、悩乱気味になりつつ、朝に頓服したチエノジアゼピン系の緩和精神安定剤の効用が消失したことに感づいた。

「さいきん、エチゾラムの効き目が短くなってます。どうなってるのでしょうか?」

「そういう人が増えてきてるんだよ。関屋さん(かかりつけの心療内科医)に相談だね」

などという会話をしながら、みさ子に引きずられ、彼は学生相談室の会議室に放り込まれた。そこは、いわばみさ子の城である。相手の城で戦うのは分が悪い。といっても、この地球上に松本の城はない。みさ子の胸の中を除いては――。

「まさよし君」

「(みさ子さんのむねのなか〜〜♪)えっ? なんですか?」

「ニヤニヤして気持ち悪いよ」

「うるさいなあ。それはそうと、わたくしはこんなところで油を売却してる暇はないのですよ。あやめさんを観察するという崇高な仕事が」

「あやめさんは、講義の後、また秋葉行きだよ。明日の朝まで頑張るつもりなんだよ」

「何ですか、それは? そんなに生活が困窮してるのですか?」

「生活にゆとりがないことは確かなんだけど、むしろ、ハートの問題なんだよ。おねえさんは、ついていてあげたいけど、あやめさんのお仲間に顔が割れていて、逆にあやめさんの迷惑になっちゃうんだよ。まさよし君、こっそりと跡を付けて、あやめさんを見守ってあげてくれない? そういうの得意でしょう?」

「それはまあ、あんな美少女のそばでは時間の経過など何の問題にもならないのですが…。というか、『そういうの得意でしょう』とはいかなる意味合いにおいてですかっ!? みさ子さんだけは、ボクのことをそんな変質者扱いしないと思ってたのに!」

そういう訳で、松本はみさ子の胸に突進。とりあえず号泣してみる。

「にっ、にんげんは学習する生き物だよ! もうその手には乗らないんだよ!」

「うえ〜〜〜〜ん」

「いっ、いくら泣いたって、ダメだよ! おねえさんはだまされないよ!」

「うわ〜〜〜〜ん」

「ごめんよう、まさよし君! おねえさんを許してっ!」

勝った、と松本は悦びに震えた。ついでに、でも勝ってどうするのだ、という疑問も浮かんだりした。

つづく


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